商事法研究レポート
MJS税経システム研究所・商事法研究会の顧問・客員研究員による商事法関係の論説、重要判例研究や法律相談に関する各種リポートを掲載しています。
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2025/05/16 topics
区分所有法制の改正要綱案から見るマンション管理における課題
1はじめに令和6年1月16日、法務省法制審議会区分所有法制部会において「区分所有法制の見直しに関する要綱案」が取りまとめられ、令和7年3月4日に「老朽化マンション等の管理及び再生の円滑化を図るための建物の区分所有等に関する法律等の一部を改正する法律案」として、区分所有法だけでなく被災マンション法、マンション建替え等円滑化法、マンション管理適正化法その他の関連法規をまとめた改正案が閣議決定され国会に提出されました。この一連の流れは、高経年マンションの増加と区分所有者の高齢化という「2つの老い」を端緒に生じる所有者不明化や、非居住化の進行によって生じるマンションの管理不全や再生の妨げとなる問題に対応するものです。国土交通省が公表する資料によれば、令和5年末時点のマンションストック総数は約704.3万戸とされており、推計で約1,500万人(注1)(国民の1割超に相当)がマンションに居住していると想定されています。この点だけをとらえれば、上述の問題は、マンションに居住している者の問題であり、日本全体の問題と考えにくいかもしれませんが、マンションの多くは首都圏に存在している(注2)ため、この問題が日本経済に与える影響は小さくないと言えます。以上により本稿では、日本社会に与える影響が大きいこの問題について、法律改正が行われていない要綱案の段階ですが、改正予定の内容を概観し、マンション管理上の課題を整理していくこととします。2改正案の概要(1)改正の背景と必要性戸建住宅における建物の改修や建替えは、建物の所有者のみで決定することができますが、マンション等の区分所有建物においては、区分所有者の頭数と集会における多数決決議(注3)が必要になり(区分所有法39条)、合意形成に至るまでに様々な利害を乗り越えていかなければなりません。令和5年度のマンション総合調査(注4)によると、管理組合運営における将来の不安として「区分所有者の高齢化」を挙げる管理組合が全体の57.6%、「居住者の高齢化」を挙げる管理組合が全体の46.1%を占めており、所有者等の高齢化が進むことにより合意形成が困難になる(=管理組合運営に支障をきたす)と懸念されています(注5)。これら2つの老いは「耐震不足マンション」の問題と「管理不全マンション」の問題に行き着くことになり、近い未来に高い確率で起こるといわれる南海トラフ巨大地震又は首都直下型地震の前に対策を講じようとするのは当然の流れといえます。(2)改正の概要今回の区分所有法制の改正は、以下の①から④までの4つの方策が予定されており、この内容は、法務大臣の諮問の内容である「区分所有建物の管理の円滑化」、「建替えの実施を始めとする区分所有建物の再生の円滑化」、「大規模な災害により重大な被害を受けた区分所有建物の再生の円滑化」に沿うものです。なお、本稿では①と②に絞って概要を紹介するものとします。【区分所有法制の改正予定】区分所有建物の管理の円滑化を図る方策区分所有建物の再生の円滑化を図る方策団地の管理・再生の円滑化を図る方策被災区分所有建物の再生の円滑化を図る方策①区分所有建物の管理の円滑化を図る方策集会決議の円滑化集会決議の円滑化を図る方策として、所在等不明区分所有者を集会の母数から除外する制度の創設や出席者の多数決による決議を可能とする制度の新設が予定されています。いずれも決議の成立可能性を高めるための規定と考えられます。このほか、専有部分が共有の場合の議決権行使者の定め方として、各共有持分の価格に従い過半数を持って定めることが明確になる予定です。区分所有建物の管理に特化した財産管理制度また令和3年民法(物権法)改正と趣旨を同じくする所有者不明専有部分管理制度や管理不全専有部分管理制度、管理不全共用部分管理制度が新設される予定です。共用部分の変更決議及び復旧決議の多数決要件の緩和さらに共用部分の変更決議や復旧決議の多数決割合を基本的には現行法どおり4分の3以上とした上で、下記のいずれかの場合には、多数決割合を出席した区分所有者及びその議決権の各3分の2とすることが可能になる予定です。共用部分の設置又は保存に瑕疵があることによって他人の権利又は法律上保護される利益が侵害され、又は侵害されるおそれがある場合において、その瑕疵の除去に関して必要となる共用部分の変更高齢者、障害者等の移動又は施設の利用に係る身体の負担を軽減することにより、その移動上又は施設の利用上の利便性及び安全性を向上させるために必要となる共用部分の変更管理に関する区分所有者の義務(区分所有者の責務)区分所有建物の管理に関するプログラム規定が創設される予定です。専有部分の保存管理の円滑化管理組合法人が、建物並びにその敷地及び附属施設の管理を行うために必要な場合には、集会の特別決議を経ることで、当該建物の区分所有権又は区分所有者が当該建物及び当該建物が所在する土地と一体として管理又は使用をすべき土地を取得することができるようになる点や区分所有者が国外にいる場合における国内に住所又は居所を有する者のうちから国内管理人を選任することができるようになる予定です。共用部分等に係る請求権の行使の円滑化現行法では、管理者の権限として、共用部分等の損害保険契約を締結することは明記されていますが、さらに進み区分所有者を代理して、保険金等の請求及び受領の権限が明記される予定です。管理に関する事務の合理化規約の閲覧について、電磁的方法(=デジタル)によることも可能になる予定です。区分所有建物が全部滅失した場合における敷地等の管理の円滑化区分所有建物が全部滅失した場合には、管理組合は解散し、敷地の共有状態だけが残ることになりますが、今後は、共有関係を円滑に解消するべく区分所有建物が全部滅失した時から起算して5年が経過するまでの間は、集会を開き、規約を定め、及び管理者を置くことができるようになる予定です。②区分所有建物の再生の円滑化を図る方策建替え決議を円滑化するための仕組み建替え決議については、現行法どおり区分所有者及び議決権の5分の4以上を原則としながら、一定の事由(耐震性能不足、火災安全性基準不適合、外壁剥離の危険性等)がある場合、従来の5分の4以上から4分の3以上に緩和し、また、建替え決議があったときには、専有部分の賃借人に対し、賃貸借(使用貸借や配偶者居住権も含む)の終了を請求することができるようになる予定です。多数決による区分所有建物の再生、区分所有関係の解消現行法において、区分所有建物及び敷地の一括売却や区分所有建物の取壊しを行うには、区分所有者全員の同意が必要であり、事実上困難であると指摘されています。そこで、集会の決議(建替え決議と同様に5分の4以上の賛成が必要)を経ることで、区分所有関係の解消及び区分所有建物の再生のための新たな制度として、以下のような規律が設けられる予定です。建物敷地売却制度建物取壊し敷地売却制度取壊し制度再建制度敷地売却制度また、建物の構造上主要な部分の効用の維持又は回復のために共用部分の形状の変更をし、かつ、これに伴い全ての専有部分の形状、面積又は位置関係の変更をすること目的とした「建物の更新」という概念が創設され、建替え決議と同様の賛成によって実施できることも予定されています。3期待される改正の効果と今後の課題本改正が成立することにより、所在等不明区分所有者や管理不全状態が存在する場合にも管理組合はそれらの問題に対して対応がしやすくなることが期待されます。ただし、管理組合として問題意識や当事者意識を持てなければ、このような制度も有効活用されません。実務上の問題として、高齢者が多く住むマンションはその傾向になりやすく、高齢者等に配慮した合意形成手続の在り方も今後の検討課題になると考えます。また、現状において建替え決議が進まない多くの理由として、建替えにかかる費用をマンションデベロッパーの保留床だけでは捻出できず、住民に負担が生じる点にあるとされており、今後もその傾向は変わらないと考えられています。このことからも(建替えではなく)高経年マンションの「長寿命化」に向けた管理を行う方が建替え等を選択するよりも現実的とされています。今回の要綱案においても、建替えを促進していくという観点ではなく、一定の問題を抱えるマンションに対して老朽化等の対策を行うことが期待されています。今後は、マンションの長寿命化に向けて、耐震診断の法的義務付けの検討や建替えにおける費用負担問題への対応が検討課題になると考えます。4最後に本改正は、マンションの管理・再生に関する諸課題に対して一定の解決策を示すものであり、今後のマンション管理の適正化に向けた重要な一歩となることが期待されますが、マンション管理自体は、そのマンションに居住する住民が行うものです。マンションに居住する方が一人でも多く今回の改正動向に注視して、自分ごとと捉える契機になることを願って、本稿を締め、今後の実務動向に注目していきたいと思います。<注釈>令和2年国勢調査による1世帯当たり平均人員2.2人をかけた計算民間事業者の公表データによれば、一都三県で全体の51.8%のマンションが存在するとされています(https://www.kantei.ne.jp/wp-content/uploads/2025/02/121karitsu-stock.pdf)原則としては過半数の賛成が必要ですが、共用部分の変更については、4分の3以上の賛成が必要となり、建替え決議については5分の4以上の賛成が必要となります。国土交通省が管理組合や区分所有者のマンション管理の実態を把握するために5年に1度行っている調査で管理組合に向けた調査項目や区分所有者に向けた調査項目が存在します。建替えが進んでいない事実(2024年4月1日現在、建替え実績はマンション総戸数704.3万戸のうち2.4万戸に過ぎない)により、高経年マンションの増加が加速度的に進むことも懸念に拍車をかけています)。提供:税経システム研究所
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2025/05/09 重要判例紹介
医療法人の社員による社員総会開催の可否 ~医療法人もガバナンスが問われる時代へ~
1はじめに近時、医療法上の社団医療法人に関する判例、裁判例が散見されます。近時の判例、裁判例においては、従前より、争いになることが多かった社団医療法人の出資持分のみならず、医療法人のガバナンスが問われる事例が増加してきました。最決令和6年3月27日民集78巻1号252頁(以下「本決定」といいます)は、医療法上の社団医療法人において、社員が理事長に社員総会の招集を請求したにもかかわらず、理事長が社員総会を招集しない場合に、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(以下「一般社団法人法」といいます)37条2項を類推適用することにより、社員自身で社員総会を開催できるかが問題となりました。本決定は、一般社団法人法の規定の類推適用の問題のみならず、社団医療法人におけるガバナンスの在り方が問題となった事例といえ、参照する価値があります。そこで、本稿では、2で、医療法における社団医療法人の意義と社員総会に関する規定について確認し、3で本決定の事案と判旨、本決定に対する学説上の評価をご紹介した上で、4のおわりにで、本稿のまとめを行うことといたします。2医療法における社団医療法人の意義と社員総会に関する規定(1)医療法における社団医療法人の意義医療法は、医療を受ける者による医療に関する適切な選択を支援するために必要な事項、医療の安全を確保するために必要な事項、病院、診療所及び助産所の開設及び管理に関し必要な事項並びにこれらの施設の整備並びに医療提供施設相互間の機能の分担及び業務の連携を推進するために必要な事項を定める法律です(医療1)。医療法における医療法人制度は、医療事業の経営主体に対し、法人格取得の途を拓き、資金集積の方法を容易にすることにより、私人による病院経営の経済的困難を緩和するために設けられました(注1)。医療法人は、剰余金の配当をしてはならず(医療54)、その違反には罰則があり(医療93八)、医療法人は営利法人ではないと解されています(注2)。医療法の医療法人に関する規定においては、一般社団法人法の規定が多く準用されています。もっとも、医療法における医療法人においては、病院等の管理者が理事に加えられなければならず(医療46の5⑥)、医療法人を代表する理事長は、原則として、医師又は歯科医師である理事から選出するものとされ(医療46の6①)、都道府県知事の関与が予定されている(医療44①、46の5の3②等)点で、一般社団法人とは異なっています(注3)。医療法における医療法人は、社団医療法人、財団医療法人、一人医師医療法人、地域連携推進法人とに大別されますが、そのうち社団医療法人が99.4%を占めています(注4)。社団医療法人は、その主たる事務所の所在地の都道府県知事の認可を受けて設立されます(医療44①)。社団医療法人は、持分の定めのある社団医療法人と持分の定めのない社団医療法人とに分類することができます。持分の定めのある社団医療法人においては、出資者は出資額に応じて出資持分を有し、退社又は解散に際し、持分の払戻しを受けることができますが、社団医療法人が非営利法人であることとの関係が問題となります。持分の定めのある社団医療法人は、全医療法人の63.5%を占めています(注5)。持分ありの社団医療法人は、平成18年の医療法改正により、平成19年4月1日以後は設立することができなくなっています。(2)社団医療法人における社員総会の開催社員総会の意義社団医療法人においては、社員総会、理事、理事会及び監事の設置が義務付けらえています(医療46の2①)。社員総会は、社員により構成される会議体であり、医療法に規定する事項及び定款で定めた事項について決議をすることができます(医療46の3②)。医療法の規定により社員総会の決議を必要とする事項について、理事、理事会その他の社員総会以外の機関が決定することができることを内容とする定款の定めは、無効となります(医療46の3②)。社員総会の決議事項社員総会における法定決議事項としては、役員の選解任(医療46の5)、役員の報酬等(理事につき医療46の6の4、一般法人89、監事につき医療46の8の3、一般法人105)、役員の責任の一部免除(医療47の2②、一般法人113①)、貸借対照表及び損益計算書の承認(医療51の2③)、定款変更(医療54の9)、解散(医療55①三・②)です。また、厚生労働省は、社団医療法人の定款例を公表しており、かかる定款例においては、重要な資産の処分、社員の入社及び除名なども、社員総会の決議事項とされています(定款例19条)(注6)。社員総会の種類定時社員総会は、少なくとも毎年1回は開催されなければなりません(医療46の3の2②)。これに対して、臨時社員総会は、理事長が必要であると認めたとき(医療46の3の2③)、社員からの請求があったとき(医療46の3の2④)、監事が医療法人の法令定款違反等の報告をするために必要があるとき(医療法46の8四・五)に開催されます。社員総会の招集手続社員総会の招集通知は、社員総会の日より少なくとも5日前に、社員総会の目的である事項を示し、定款で定めた方法に従って行わなければなりません(医療46の3の2⑤)。また、社員総会における決議事項は、定款に別段の定めがない限り、招集通知に記載された事項についてのみとなります(医療46の3の2⑥)。定時社員総会における招集権者は、理事長になります(医療46の3の2②)。理事長は、総社員の5分の1(定款でこれを下回る割合を定めることが可能)以上の社員から社員総会の目的である事項を示して臨時社員総会の招集を請求された場合には、請求日から20日以内に、臨時社員総会を招集しなければなりません(医療46の3の2④)。もっとも、一般社団法人法と異なり、医療法には、裁判所の許可を得た社員自身による社員総会招集の手続の規定は置かれていません(一般社団37②)。監事は、医療法人の業務・財産の状況を監査した結果、医療法人の業務・財産に関し不正の行為又は法令定款違反の重大な事実があることを発見したときは、社員総会を招集することとなります(医療46の8四・五)。社員総会の運営社員総会の議長は、社員総会において選任されます(医療46の3の5①)。議長は、秩序維持権等を有しています(医療46の3の5②③)。理事及び監事は、社員総会において、社員に対し社員総会の目的である事項について説明義務を負っています(医療46の3の4)。社員総会の決議社員は、社員総会において、各1個の議決権を有しています(医療46の3の3①)。また、社員総会に出席しない社員は、定款に別段の定めがある場合を除き、書面又は代理人によって議決をすることができます(医療46の3の3⑤)。社員総会の定足数は、定款に別段の定めがある場合を除き、総社員の過半数の出席です(医療46の3の3②)。社員総会の評決数は、定款に別段の定めがある場合を除き、原則として、出席者の議決権の過半数です(医療46の3の3③)。議長は社員であっても議決に加わることができませんが(医療46の3の3④)、可否同数のときは、議長が決することになります(医療46の3の3③)。また、特別利害関係社員も議決権を行使できません(医療46の3の3⑥)。社員総会決議に瑕疵がある場合、医療法には決議取消しの訴えや決議無効確認の訴えに関する規定はないことから、社員総会決議の無効の主張又は無効確認訴訟を提起することができます(注7)。社員総会の議事録社員総会の議事については、議事録を作成しなければなりません(医療46の3の6、一般法人57①)。社員総会の議事録は一定期間の保存が必要であり(医療46の3の6、一般法人57②③)、社員及び債権者は、議事録の閲覧謄写請求権を有しています(医療46の3の6、一般法人57④)。3本決定の事案と判旨、学説上の評価(1)事案の概要医療法人であるZの総社員の5分の1以上に当たるX(申立人・抗告人・抗告人)らがZの理事長に対して理事選任及び理事報酬決定の件を付議事項とする臨時社員総会の招集を請求しましたが、招集の手続が行われないと主張して、一般社団法人法37条1項の準用により、社員総会招集の許可を求めた事案です。1審はXらの申立てを却下し、原審もXらの抗告を棄却したことから、Xらは抗告許可の申立てをし、原審が抗告を許可しました。最高裁においては、医療法人の社員が一般法人法37条2項の類推適用により裁判所の許可を得て社員総会を招集することができるか否かが争われました。(2)判旨最高裁の法廷意見は、以下のように判示し、抗告を棄却しました。「一般法人法は、一般社団法人の適切な運営のために、37条1項において、一定の割合以上の議決権を有する社員が理事に対して社員総会の招集を請求することができる旨規定し、同条2項において、その請求の後遅滞なく招集の手続が行われない場合などには、当該社員は、裁判所の許可を得て、社員総会を招集することができる旨規定する。これに対し、医療法46条の3の2第4項は、医療法人の理事長は、一定の割合以上の社員から臨時社員総会の招集を請求された場合にはこれを招集しなければならない旨規定するが、同法は、理事長が当該請求に応じない場合について、一般法人法37条2項を準用しておらず、また、何ら規定を設けていない。このような医療法の規律は、社員総会を含む医療法人の機関に関する規定が平成18年法律第84号による改正をはじめとする数次の改正により整備され、その中では一般法人法の多くの規定が準用されることとなったにもかかわらず、変更されることがなかったものである。他方、医療法は、医療法人について、都道府県知事による監督(第6章第9節)を予定するなど、一般法人法にはない規律を設けて医療法人の責務を踏まえた適切な運営を図ることとしている。以上によれば、医療法人について、一般法人法37条2項は類推適用されないと解するのが相当である。そうすると、医療法人の社員が同項の類推適用により裁判所の許可を得て社員総会を招集することはできないというべきである。」また、渡邉惠理子裁判官の補足意見では、以下のような判示がなされ、医療法人の社員は、訴訟手続により理事長に対して臨時社員総会の招集を命ずる旨の判決を得て臨時社員総会の招集が可能であるとしつつ、臨時社員総会の招集を命ずる旨の判決を得た場合の執行方法の可否等については今後の議論に委ねられているとしました。「医療法が、その現行規定上、社員に社員総会の招集権限それ自体を付与していない理由には、医療法人の責務や役割に照らし、社員による当該招集権限の濫用を防止する必要があるということが挙げられる。その一方で、医療法人の規模や経営形態、社員から臨時社員総会の招集を請求された理事長がこれに応じない理由や状況等は様々であり、社員において臨時社員総会の招集を実現させる法的手段を保障することが医療法人の適切な運営に必要である場合があることも否定できない。そして、医療法は、46条の3の2第4項において、理事長は、一定の割合以上の社員から臨時社員総会の招集を請求された場合にはこれを招集しなければならない旨を規定することによって、社員による社員総会の招集権限の濫用防止との調和を図りつつも、上記のような場合には社員が医療法人の運営に直接関与することを認めることによりその適切な運営を確保する趣旨に出たものと解される。このような同項の趣旨に照らすと、同項は、社員が医療法人の運営に関与する必要性があるというべき場合には、社員において理事長に対して臨時社員総会の招集を請求することができることとしたものと解することが相当であり、社員において臨時社員総会の招集を図るために採り得る法的手段として、訴訟手続により理事長に対して臨時社員総会の招集を命ずる旨の判決を得ることが考えられる。」(3)学説上の評価本決定の調査官は、医療法は、医療現場の意向が医療法人の経営に反映させるよう制度的に手当てをするなど、一般社団法人にはみられない規律を設け、医療法人の運営について都道府県知事の指導監督による是正が図られることを予定しているとして、社員からの請求にもかかわらず、理事長が社員総会を開かない場合については、裁判所の許可の申立てによる社員の権限行使よりも、医療法人の実情等に通じた監督官庁による監督権限行使等に委ねた方が適切である旨を指摘しています(注8)。本決定に対しては、濫用の予防を優先するため、結論としては一定の許可を得て総会を招集することを認めないことには十分な理由があるとする見解(注9)、渡邉裁判官の補足意見を前提に、社員が訴訟により社員総会の開催を理事長に求める際には、保全手続の利用が可能であることを指摘する見解があります(注10)。4おわりに本稿においては、医療法における社団医療法人の意義と社員総会に関する規定について確認したうえで、医療法上の社団医療法人において、社員が理事長に社員総会の招集を請求したにもかかわらず、理事長が社員総会を招集しない場合に、一般社団法人法37条2項を類推適用することにより、社員自身で社員総会を開催できるかが問題となった本決定の事案と判旨をご紹介してきました。本決定においては、医療法上の社団医療法人においては、一般社団法人と異なり、都道府県知事の関与があることから、一般社団法人法37条2項の類推適用を否定し、渡邉裁判官の補足意見で、訴訟によって社員総会の招集を求めることが可能である旨が示されました。本決定や学説の議論を踏まえると、社員が理事長に社員総会の招集を請求したにもかかわらず、理事長が社員総会を招集しない場合には、社員は、都道府県知事にその是正を求め、理事長に対し、訴訟によって社員総会の開催を求めることになります。本決定の背後には、理事長に対する監督等は、社員ではなく、都道府県知事が行うべきという考えがあるように思われます。もっとも、医療法人においては、都道府県知事による監督が必ずしも十分に機能していないとの指摘もされています(注11)。また、訴訟や仮処分による社員総会の開催には、一般社団法人法37条2項の手続に比べて、費用や時間もかかります(注12)。それらの指摘を踏まえますと、社団医療法人において、理事長に対する監督等を行うのが、都道府県知事のみでよいのか、それとも、一般社団法人の理事長に対する監督につき社員の関与をより一層認めていくべきなのかは、今後も注視していく必要があります。<注釈>昭和25年8月2日発医第98号各都道府県知事あて厚生事務次官通達厚生事務次官通達・前掲(注1)松嶋隆弘「社団たる医療法人のガバナンスの実効性に関する一考察」日法88巻4号(2023年)319-320頁今川嘉文『激変する医療法人の運営・資金調達・承継の法律実務』(日本加除出版、2023年)7頁今川・前掲注(4)7頁厚生労働省ウェブサイト(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000135131.html)(最終閲覧:令和7年3月24日)今川・前掲注(4)22-23頁一藤哲志「判解」ジュリ1606号(2025)91頁鳥山泰志「判批」法教531号(2024)113頁吉垣実「判批」新・判例解説watch民事訴訟法165号(2024)3頁(https://lex.lawlibrary.jp/commentary/pdf/z18817009-00-061652514_tkc.pdf)(最終閲覧:令和7年3月24日)松嶋隆弘「医療法人社員による社員総会招集申立ての可否」税理68巻4号(2025)112頁鳥山・前掲注(9)113頁提供:税経システム研究所
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2025/04/18 topics
理事長の不祥事と大学ガバナンス改革の行方
1はじめに私立医大の不祥事が、また世間の注目を集めています。新校舎建設のアドバイザー業務に関連して、大学トップである元理事長が、理事会で強く推薦した建築士に対し、大学が支出した資金を自身に還流させたという背任容疑で、2025年1月、逮捕されました。同年2月には、別の工事でも不正に資金を流出させて大学に損害を与えたとして、再逮捕されています。立件額は、計2億8700万円に及びます。元理事長は、当該建築士へ過大な報酬を支払う内容の稟議書を大学の理事会で承認させていたようです。背景には、私立学校法(「私学法」といいます。)が理事長などの不正に対して十分な抑止力となっていなかった問題がある、といわれています。現行私学法の下では、学校法人の自主性を重視して、ガバナンスの仕組みを大学が運営規則等で定めることができるため、多くの私大では理事会に権限が集中し、理事会に意見する立場の評議員も理事との兼務が多く監視機能は弱かった、と指摘されています(注1)私立大学のガバナンスを規律する法律である私学法は、ガバナンスを強化する方向で令和5(2023)年4月に改正されましたが、その施行は、2025年4月からとされており(注2)、事件当時は、まだ適用されていません。改正された私学法(「改正私学法」といいます。)は、今回の事件のような私大トップの暴走を防ぐことができるのでしょうか。2従来の私立大学のガバナンス私立大学の必須のガバナンス機関には、理事会、理事長、評議員会および監事があります。令和5年改正前の私学法(「旧私学法」といいます。)では、どのような機関だったのでしょうか(図1参照)。旧私学法の下では、学校法人には、役員として、理事5人以上と監事2人以上が必要で、理事のうち1人は寄附行為(注3)の定めるところにより理事長となる、とされていました(旧私学法35条1項・2項)。そして、理事を構成員とする理事会が、学校法人の業務を決し、理事の職務の執行を監督する(同法36条2項)一方で、理事長は学校法人を代表し、その業務を総理すると定められ(同法37条1項)、理事会の議長も理事長が務め、キャスティングボードも握っていました(同法36条4項・6項)。理事長を除く理事は、寄附行為の定めにより、学校法人を代表し、理事長を補佐して学校法人の業務を掌理し、理事長に事故あるときはその職務を代理し、理事長が欠けたときはその職務を行う(同法37条2項)、とされ、理事会は、理事の職務の執行を監督すると規定されていたものの、理事達は理事長を監督する機関の構成員として明確に位置づけられていなかったようにも見受けられます。評議員は、寄附行為の定めにより、①法人の職員、②卒業生で25歳以上の者、③その他の者のうちから選任された者で構成され、①の評議員は退職すると評議員の職も失います(同法44条)。前述のように、評議員は役員とは位置づけられていません。評議員会は、理事の定数の2倍を超える数の評議員で組織され、理事長に招集権限がありますが(同法41条2項・3項)、評議員総数の3分の1以上の評議員から議題を示して招集を請求された場合、理事長は評議員会を招集しなければなりません(同法41条5項)。とはいえ、評議員会は諮問機関であり、理事長は、予算・事業計画、事業に関する中期計画、借入金および重要な資産の処分に関する事項、役員の報酬等の支給基準などの法定事項や寄附行為で定める業務に関する重要事項について、予め評議員会の意見を聴くことを要し(同法42条1項)、寄附行為により、これらを評議員会の決議事項とすることもできる、とされていました(同法42条2項)。監事は、学校法人の業務、財産状況、理事の業務執行の状況を監査する学校法人の監査機関です(同法37条3項1号~3号)。理事の業務執行状況の監査は、令和元(2019)年改正により、監事の職務に加えられました。他方、監事の選任は、評議員会の同意を得て、理事長が行う(同法38条4項)とされ、また監事の選任方法については寄附行為その他の規程で定める(同法30条1項5号)必要がありました。監事は、理事、評議員または学校法人職員との兼務を禁止されます(同法39条)。実際には、理事会が監事の候補者を決定し、評議員会の同意を得た後、理事長がその候補者を監事に選任することが多いといわれています(注4)。理事会や理事長は、監事に監査される側ですから、監査される側の理事長が監事を選任するという選任方法には、問題があると指摘されていました。【図1:旧私学法における機関の相互関係】旧私学法は令和元年に改正された法律ですが、その施行後も、巨大私学の理事長の暴走や理事会の機能不全を示す事件が発生したこと等を受けて、同法の改正が再度検討され、令和5年改正私学法の成立に至ります。改正私学法の基本的な考え方は、理事会・評議員会・監事の間で、監視・監督の役割を明確化し、建設的な協働(複層的な仕組み)によって、不祥事防止の機能強化を図る、というものです。3改正私学法における私立大学のガバナンスでは、改正私学法では、3つのガバナンス機関はどのようなものになったのでしょうか(図2参照)。【図2:改正私学法における機関の相互関係】(1)理事・理事長・理事会改正私学法は、理事の選任については、「理事選任機関」を寄附行為で定めることとし、理事選任機関は、理事の選任に当たってはあらかじめ評議員会の意見を聴くとしています(改正私学法29条・30条2項)。理事と監事・評議員との兼任は禁止し(同法31条3項)、理事の解任も、寄附行為の定めるところにより、理事選任機関が行います(同法33条1項)。理事の任期は寄附行為で定めますが、上限は4年で、評議員・監事の任期を超えないものとされています(同法32条1・2項)。理事の中には、外部理事1名以上(同法31条4項)、大臣所轄学校法人等では外部理事2名以上(146条1項)の選任が必要で、外部理事は、株式会社における社外取締役に相当するものと考えられます。理事選任機関は理事の選任・解任を行う常設の機関とされており、理事選任機関を評議員会とする私立大学も多いのではないかと思われます。また、理事長の選定・解職は、理事会で行いますが(同法37条)、実質的には、理事選任機関が、理事長となる想定で特定の者を理事に選任することになるでしょう。代表業務執行理事や業務執行理事についても、理事選任機関が、理事を選ぶ段階から代表業務執行理事等になることを想定して、特定の者を理事に選任するのではないかと思われます。改正私学法上の理事会は、学校法人の業務を決定し業務執行理事等による業務の執行を監督する機関とされ(同法36条2項1号・2号)、株式会社の取締役会との類似性を強めています。理事会は重要な業務の決定を理事に委任できない、とされ(同法36条3項)、大臣所轄学校法人等では、理事には年4回以上の理事会への報告(同法146条2項)が義務づけられています。さらに、重要な業務の決定の一部については、評議員会の意見を聴くものとされており(36条4項)、大臣所轄学校法人等では、寄附行為の変更、任意解散および合併の決定は、評議員会の決議がなければ効力を生じません(同法150条)。このように、部分的には、評議員会に株主総会に相当する決定権限が与えられており、寄附行為で評議員会を理事選任機関と定めれば、株主総会との類似性がさらに高まります。(2)評議員・評議員会このように重要性を増している評議員会について、改正私学法は、「諮問機関」である評議員会のチェック機能を高める方向で改正を行っています。まず、評議員の選任は、寄附行為の定めにより大学の自治に委ねられますが、「教育又は研究の特性を理解し、学校法人の適正な運営に必要な識見を有する者」から、「年齢、性別、職業等に著しい偏りが生じないように配慮して」行わなければならず(同法61条1項・2項)、任期は6年以内(同法63条1項)、また、評議員は6人以上、理事は5人以上とした上で、寄附行為の定めにより評議員の定数が常に理事の定数を超えること(同法18条3項)を求めています。また、理事・理事会が選任する評議員の割合や、評議員の総数に占める役員近親者や教職員等の割合に上限を設け、理事・理事会が選任する評議員は評議員総数の1/2以内、職員評議員は1/3以内に制限し、また役員・評議員の特別利害関係者は評議員総数の1/6以内、特定の評議員と特別利害関係のある評議員は1名以内としています(同法62条4項・5項1号・2号・3号)。従来、いわゆる総合大学等では、各学部の学部長等が評議員になる、という大学もありましたが、このような選任方法は、教職員評議員を評議員総数の1/3以内とする改正私学法との関係で、難しくなるかと思われます。評議員会は「諮問機関」という位置づけを維持しつつ、大臣所轄学校法人等では、重要な寄付行為の変更・任意解散・合併には、理事会と評議員会の決議を要求しており(同法36条3項、150条)、いずれかが反対すれば決定できません。また、役員・評議員・会計監査人の責任免除等には、評議員会の責任免除等の決議が必要です(同法88条・91条・92条)。さらに、評議員会は、理事選任機関が機能しない場合には、理事の解任を理事選任機関に求め、監事が機能しない場合に理事の行為の差止請求・責任追及(同法33条2項、67条、140条)を求める機関ともされていて、単なる諮問機関の枠を超えて、監視・監督機関としての補助的な役割も担っています。(3)監事監事の独立性確保のために、監事の選任・解任は、寄附行為の定めにより評議員会の決議によることとし(同法45条1項、48条1項)、他方で、資格(欠格事由)を法定し、任期も上限6年と定め(同法46条1項、47条)、理事との兼任に加え、評議員や職員等との兼任、特別利害関係者(他の監事・2人以上の評議員の特別利害関係者)の就任を禁止しました(同法46条2・3項)。さらに、大臣所轄学校法人等のうち、所定の基準(収入100億円または負債200億円以上)を満たす法人には常勤監事の選任、また、大臣所轄学校法人等には、理事会に内部統制体制の整備が義務付けられています(同法145条1項、148条1項、36条3項5号)。他にも、大臣所轄学校法人等では、会計監査人の設置義務づけ、会計監査人と監事の連携(同法144条、86条2項)、中期事業計画の作成や財務情報等の一般公開が義務づけられました(同法148条2項、149条1項・2項)。4大学トップの暴走を阻止しうるガバナンス体制の構築に向けて今回逮捕された理事長は、理事会に虚偽の稟議書を提出し「他の人に頼むより安く済む」と訴えたところ、出席理事から異論は出ず、報酬額の根拠や業務内容を精査することなく当該建築士への依頼が決まった、と報じられていて、理事長による事実上のワンマン経営で理事会は反論できる雰囲気ではなかった、との大学幹部の証言もあるようです(注5)。2024年11月に公表された同大学の「私立大学ガバナンス・コード」遵守状況報告書には、「理事長が絶対的な権力を保持し、他の理事は追従せざるを得ず、監督機能が形骸化していた。理事長は法務担当理事を兼務し内部監査室は理事長直轄となっていたため、理事長に対する疑義があっても、その報告は法人内で躊躇され、内部チェック機能は十分に働いていなかった。更に、理事長は財務担当理事(本学では経営統括理事のこと)を兼務していたため、経営統括部に権力が集中して他部署によるけん制機能は働いていなかった。」との記載(注6)があります。旧私学法の下でも、図1のように、理事会には学外者(役員・職員でない者)が必要でしたが、理事の大半を学校法人の職員とすることも可能で、そうした職員理事には、学内の人事権を掌握する理事長に対して、けん制機能を果たせないリスクがありました。改正私学法は、評議員と理事の兼任を禁止し、職員評議員の上限を3分の1にするなど、評議員会の理事・理事長からの独立性を高めた上で、評議員に理事の解任請求権等を与えて理事長の暴走に対する歯止めとなることを期待しています。しかしながら、実際の理事会や評議員会自体が不活発では、ガバナンスの向上につながりません。評議員会が年1回の定時評議員会だけでは、評議員が得られる情報も限られますし、大学ガバナンスに対する関心も高まりません。令和5年改正の際の衆議院文部科学委員会の附帯決議(2023年3月22日)でも、学校法人ガバナンスの強化には、理事会・評議員会の活性化が重要であることを踏まえ、理事会・評議員会を理事および評議員の出席のもと定期的に開催するなどの工夫により、積極的に意見交換するよう周知すること等が挙げられています。年4回の開催が義務づけられた理事会についても、学外理事等に対して議題に関する事前説明の機会を設ける、学外理事と評議員・監事との情報交換の会合を定期的に開催するといった、上場会社の社外役員について活用されている実務を取り入れることも、有益でしょう。また、例えば、日本私大連盟の私立大学ガバナンス・コード1.1には、重点項目3-2「ガバナンスを担保する内部チェック機能を高めるため、有効な内部統制体制の確立を図る。」と、更に具体的な実施項目が設けられています。コードの形式的な遵守に陥ることなく、私立大学ガバナンス・コードの求めに真摯に対応していくこと、そうした積み重ねが重要であると考えられます。<注釈>例えば、2025年1月15日付け日本経済新聞朝刊35面。令和5年改正私学法の施行日は、令和7(2025)年4月1日とされていますが、評議員構成等については経過措置が設けられており、理事と評議員の兼職は、令和7年度の最初の定時評議員会終結の時を解消の時点とし、評議員会の構成等については、大臣所轄学校法人等では、令和8年度の最初の定時評議員会の時までに対応を行うものとされています。私立大学は大臣所轄学校法人です。学校法人の寄附行為とは、株式会社の定款と同様に、各法人の組織・運営・管理のあり方について定める根本規則です。私学法は、所定の事項について、各法人の寄附行為に定めることを求めています。監事監査研究会『私学法改正で変わる監事監査の研究』(学校経理研究会、2019年)11頁。2025年1月21日付日本経済新聞朝刊38面。これは、遵守原則3-2「会員法人は、~役職者の選解任過程等に関する透明性の確保を通じて、理事会による理事の職務の執行監督機能の実質化を図るとともに、大学で起こり得る利益相反~の防止のために必要とされる制度整備を行い、実行する。」に関する記載です。https://twmu.ac.jp/doc/about/twmu_governance_code_2023.pdf提供:税経システム研究所
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2025/04/04 topics
アメリカの政権交代によるDEI政策に対する国際的な影響
1.はじめに本稿でいうDEIとは、diversity(ダイバーシティ:多様性)、equity(エクイティ:公平性)、inclusion(インクルージョン:包摂性)の頭文字をとった用語です。社会の進歩と発展に資する重要な要素とされ、多くの企業・団体が推進してきました。さらにbelonging(ビロンギング:帰属意識)を加えDEIBとして推進する企業・団体もあります。重複する目標を掲げるMDGs(MillenniumDevelopmentGoals)やSDGs(SustainableDevelopmentGoals)の影響、コーポレートガバナンス・コードの影響などから、ヨーロッパ諸国や日本は、現在は概ねDEI政策に国・企業とも前向きな姿勢です。アメリカも2021年からのバイデン政権下では政府がDEI政策に前向きな姿勢を示し、その影響もあって企業も概ねDEI政策に前向きな動向が目立ちました。しかし、2025年からの第二次トランプ政権は、その誕生後、次々とバイデン政権下の政策を覆し、反DEI政策を打ち出した為、その政治的影響や自発的な反DEI活動の増加などに対する懸念から、アメリカ企業のみならず、他国の企業にも反DEIないしDEIに消極的な姿勢に転じる企業が増えてきました。本稿では、こうした事例を紹介し、今後の国内・国際状況について分析します。2.2024年頃までのDEI政策推進の動きDEIと重複する目標を掲げるのがMDGsとそれに続くSDGsです。2000年に国連で採択されたMDGsでは、約140ヵ国が参加し、①極度の貧困や飢餓の撲滅、②普遍的な初等教育の普及、③ジェンダー平等の推進と女性の地位向上、④幼児死亡率の引き下げ、⑤妊産婦の健康状態の改善、⑥HIVエイズ・マラリア・その他の疫病の蔓延防止、⑦環境の持続可能性の確保、⑧開発のためのグローバル・パートナーシップの構築といった8つの目標を掲げ、2015年の期限までにそれなりの結果を残しました。そのMDGsの終了後の2015年に国連で採択されたSDGsでは参加国を150超に増やし、MDGsの目標をさらに細分化した17のゴール及び169のターゲットが掲げられました。また、SDGsは全ての国が取り組むという普遍性、誰一人取り残さないという包摂性、全てのステークホルダーが取り組むという参画型、社会・経済・環境に統合的に取り組むという統合性、その取組み・成果を定期的にフォローアップするという透明性を前面に打ち出しました。イギリスやOECD(organizationforEconomicCooperationandDevelopment:経済協力開発機構)を経て、2015年6月にわが国の上場会社に採用された東京証券取引所及び金融庁作成によるコーポレートガバナンス・コードにもMDGs・SDGsの目標やDEI政策と重複する部分が多くみられます。もともとコーポレートガバナンス・コードには、MDGsの目標とも重複する公共的規定が多くみられましたが、2021年6月の改定によりさらにSDGsの概念を意識した規定が多く盛り込まれました。コーポレートガバナンス・コードは、原則2-4において、女性の活躍促進を含む社内の多様性の確保を求めています。こうした動きを受け、上場会社では女性取締役を選任する動きが盛んになりました(注1)。一方、アメリカにおいては、2017年頃にTV・映画業界、その他の企業などおいて次々とセクハラ問題が告発されたことから、女性の地位向上や働き甲斐の問題がクローズアップされる時期がありました(注2)。さらに、アメリカでの2012年の黒人少年射殺事件、白人警官による2014年の黒人射殺事件及び2020年の黒人暴行死事件等を受け、構造的な黒人差別の解消を求めるBLM(BlackLivesMatter)運動が盛んになり、デモの多発や大統領選を巻き込む全米的な動きがありました(注3)。こうした動きが、DEI政策に積極的であった2020年の大統領選挙でのバイデン大統領の誕生につながったという見方もあります(一方、2020年大統領選挙では負けたものの反トランプ票は増えていない為、こうした見方を否定する見解もあります)。いずれにしても2021年からのバイデン政権はDEI政策に積極的であり、同政権下のアメリカでは、SDGs推進やDEI政策はともに社会的に良いことであるという風潮が全米的に強くなりました。こうした風潮下において、アメリカの映画・TV業界において、様々な人種・性的指向の問題を前面に出す作品の増加、女性監督の積極的起用や多様な人種のスタッフ増加政策、米映画芸術科学アカデミー(AcademyofMotionPictureandSciences:AMPAS)の投票会員の非白人及び外国人比率の増加、多様な人種政策を意識したディズニー映画の増加、外国映画のアカデミー作品賞の受賞、NETFLIXの非英語作品の増加などがありました。特に、AMPASが2020年、アカデミー作品賞の新しい選考基準を2024年から設け、主な出演者にマイノリティーを起用するか、出演者やスタッフの30%以上にマイノリティーを起用するなど、4つの基準のうち少なくとも2つを満たすこととしたことは、かつてのアカデミー賞の「白すぎる」状態などの反動であるともいわれています(注4)。また、米国の大学入試や企業採用で女性や人種的少数者を優遇するアファーマティブ・アクション(AffirmativeAction)も増加しました。さらに、2012年の女性暴行死事件(注5)で、世界的に女性軽視が問題視されたインドにおいては、インド会社法で上場会社(listedpubliccompany)及び資本・売上規模の大きい公開会社(publiccompany)に女性の取締役を1名以上選任することを義務付けるなど、女性の地位向上の政策を採る国々も増加しており、わが国でも①男女の人権の尊重、②社会における制度又は慣行についての配慮、③政策等の立案及び決定への共同参画、④家庭生活における活動と他の活動の両立、⑤国際的協調の5つを基本理念として、1999年6月「男女共同参画社会基本法」が制定・施行され、2000年12月12日には、同法に基づいた男女共同参画基本計画が閣議決定されました(注6)。3.DEI政策に生じる問題イギリスにおいて生産性の高いジャガイモの単一品種栽培に偏った動きが、病気により一気に不作となる事態をもたらしたという生物学的事例や、台湾における檳榔の栽培の増加による根が強い樹木・植物の伐採が土砂崩れの多発を引き起こした等の環境的事例などから、SDGs等で生物の多様性が重視されることがありますが、これはあくまで人間の都合や環境保護からの多様性の確保の問題です。その一方で、その地域の固有種を守るための外来種の駆逐や種を認識しないイワナの放流が行われた結果の混血種の増加を嘆く声もあります。一方、ここでいうDEI政策における多様性や公共性の確保というのは、人の差別の撤廃を目指すものです。人類の約半分を占める女性が男性と同様の社会進出・社会的地位・経済力を与えられることや、人種や同性愛・性同一性障害・性的指向不確定者といった性的マイノリティー(以下、lesbian,gay,bisexual,transgender,questioningの頭文字をとったLGBTQと表記します)に対する差別撤廃は、成熟した社会の理想であるといわれますが、思想的・宗教的見解の違いを無視した多様性の価値観の押し付け、ある者の理想が他の者の理想を駆逐するという状況は、現状ではその地域の公共性とは相容れない場合もあります。また、その是正策にアファーマティブ・アクションが用いられることがありますが、これが社会的資源(入学・就職・資格取得・昇進・地位・経済力など)獲得の機会を政策的に救済する平等政策であることから、対象者として弱者のレッテルが貼られる危険性(偏見、スティグマ)、弱者同士の勢力争い(機会獲得闘争)、その時点までの個人の努力や才能を顧みない実質的不平等などの問題を含んでいます。他国ではまだまだ女性の教育の機会が男性よりはるかに劣ることも多いのですが、日本の大学院生数に限るともはや女性の方が多いという状況もあります。男女の問題はこうした教育のチャンスの違いだけではなく、性差の問題もあります。現状では出産は女性しかできず、その時期の出産・育児休業や休職等による経年・経験等の差異で地位・経済力の差が起きている場合もあります。こうした部分を無視した単に女性の枠を埋めるだけの平等政策は、男性や既に実力で男性と同等の社会的地位・経済力を得ている女性への逆差別になる場合があります。また、社会的地位や経済力が全ての人にとって絶対的な価値観とはいえず、全ての女性にも男性同様の社会的資源の獲得を促すという政策も価値観の押し付けであり、非婚姻化・少子化・家族で過ごす時間の減少をもたらす要因でもあります。適材適所能力主義や家族生活等に価値を見出す人達の反発は避けられないものです。さらに人種間の差別撤廃は複雑です。アメリカにおけるアファーマティブ・アクションは、かつて奴隷等の被差別者の歴史があり、1960年代には国民の10%程度を占めるに過ぎなかった黒人や虐げられたインディアンをルーツに持つ者に社会的資源の獲得の機会の増加をはかる政策でしたが、その後の様々な移民・人種の流入により、その人種の占有率や勢力が大きく変化し、様々な問題を引き起こし、訴訟も提起される事態となっています。アメリカの大学等におけるアファーマティブ・アクションは、社会的資源獲得のハードルが高かった黒人やヒスパニックを対象とするものが多く、日系や中国系などの白人に遜色のない実力でそれなりの結果を残しているアジア系アメリカ人を除外しているものが多い為に、それ以外のアジア系アメリカ人はかえって合格の確率を減らしています。また、大学入試などの合格最低点が人種により違うのも逆差別です。さらにLGBTQのいくつかは、かつては多くの国で犯罪とされていた歴史もあり、まだ犯罪とされている国や宗教的タブーとされる地域も多く存在していることから、受け入れがたいと感じている人々が非常に多くいるようです。日本ではLGBTQの芸能人の活躍やそれを題材の1つとするTVドラマ・アニメ・映画などが多く、比較的寛容な雰囲気がありますが、アメリカではAnheuser-BuschInBev(アンハイザー・ブッシュ・インベブ)が製造するビール飲料BudLightがトランスジェンダーの人気インフルエンサーを広告に起用したことが不買運動に発展し、業界1位の座を明け渡したことがありました(注7)。また、トランプ大統領は2025年1月20日の就任演説で「米政府の公式見解として、性別は男性と女性の2つのみとする」宣言を出しています(注8)。4.アメリカにおける反DEIの動きアファーマティブ・アクションは、常に逆差別やスティグマ(その対象だから合格したなどの偏見)の危険性を含んでいます。クォーター制(割当制)を採る場合には、その根拠となる指標の問題もあります(単にその人種の地域における人口比などを根拠とすることには、不合格となる個人の努力や能力が考慮されていない為、否定的な意見が多くあります)。また、アメリカは人種を無関係なものとする平等を求めて必死に努力する社会であるべきであるというカラーブラインドの考え方や、個々の違いを重視する個人主義とも抵触するものです。連邦最高裁においては、ミシガン大学ロー・スクールにおけるアファーマティブ・アクションの訴訟(注9)などにおいて、リベラル派と保守派の裁判官(3人ずつ)の勢力が拮抗した状態において、中間派の裁判官の判断で合憲判決となる判決がありました(多様な人を裁く裁判官は多様な人で構成すべきという考えが多数派を占めました)。しかしリベラル派3人・保守派6人の構成となってからの2023年6月29日に、連邦最高裁は、ハーヴァード大学とノースカロライナ大学(UNC)の入学選考をめぐる2件のアファーマティブ・アクション(黒人優遇措置)について違憲との判決を下しました(黒人裁判官を含め一定の能力を測る試験の合格最低点に差異を設けることに否定的な意見が多数派となりました)(注10)。DEIが絡んだ訴訟件数も年々増加しています(2022年17件、2023年43件、2024年59件、ニューヨーク大学ロー・スクール調べ)(注11)。また、AMPASの新基準やディズニー映画の傾向は、行き過ぎとして批判が高まりました(注12)。こうしたそれまでのDEI政策に不満を持った人々の勢いがトランプ大統領の返り咲きの原動力となったという分析もあり、実際にトランプ米大統領は就任後、連邦政府のDEI関連部署の閉鎖を指示するなど、バイデン前政権が進めたDEI政策を撤回しました。こうした状況から、アメリカでは、DEI政策の取組みを縮小する企業が増えています。Harley-Davidson,inc.DEIチームを解体し、採用や取引先選定でのDEIの目標も廃止。Deere&Company外部の啓発イベントへの参加を止め、社会的課題意識を持ったメッセージを研修資料から除外。Amazon.com,Inc.2024年12月に社内向けメモでDEIについて「時代遅れなプログラムや資料作成を終える」とする。TheBoeingCompanyDEI推進の担当部門を廃止。CaterpillarInc.HRC調査への参加を止める。FordMoterCompanyHRC調査への参加を止め、従業員向けのリソース・グループ再考。Law'sCompany,IncHRC調査への参加を止め、多様性イベントへの参加・出資を停止。WalmartInc.HRC調査への参加を止め、DEIの用語使用を終了。取引先選定の多様性プログラムを再考。MolsonCoorsBeverageCompany取引先選定時のDEI目標を廃止、DEIに基づいたトレーニングを終了。MetaPlatforms,Inc.DEIチームを廃止。採用時における多様な候補者リストアプローチを終了。McDonald’sCorporation従業員の多様性向上についての数値目標を廃止。ToyotaMotorSales,U.S.A,Inc.従業員に対し、外部のDEI指標や調査に参加しないと伝達。NissanNorthAmerica,Inc.HRC調査への参加を止め、人種公平性を重視したイベントの資金提供も見送る。このうち、Harley-Davidsonや農機JOHNDEERブランドのDeere&Companyは、顧客に白人男性客が多いとされ、またAnheuser-BuschInBevの事件の教訓などからアメリカのLGBTQ団体HumanRightsCampaign(HRC)の企業平等指数への参加を止める企業が多いようです。このうち、ToyotaMotorSales,U.S.A,IncやNissanNorthAmerica,Inc.は日本系の企業です。さらに欧州のSNS(SocialNetworkingService)規制強化に対抗しFacebookなどのfact-checkingの廃止を決めたMetaのCEOのMarkElliotZuckerberg氏は、トランプ政権に急接近する行動が目立ちます(注13)。また、TheWaltDisneyCompanyは、役員報酬を決める評価基準から「多様性と包摂性」という指標を削除し、「人材戦略」に置き換え(注14)、GoogleLLCは、米国のカレンダーアプリでLGBTQの権利向上を呼び掛ける「プライド月間」及びアフリカ系アメリカ人の業績を称える2月の「黒人歴史月間」の表示を止めました。また、地図アプリにおいて「メキシコ湾」の名称を「アメリカ湾」に変更しました。両社はこれらの変更を他の要因としているものの、トランプ政権に配慮した方針変更とみられています(注15)。一方、DEI政策の維持を表明している企業もあります。CostcoWholesaleCorporation2025年1月23日の株主総会でDEI廃止の株主提案を98%の反対で否決。AppleInc.2025年2月25日の株主総会でDEI廃止の株主提案を否決。DeltaAirLines,Inc.DEIとESG施策は「ビジネスにとって不可欠」と説明。Nike,Inc2024年11月にDEI最高責任者を任命、帰属意識の醸成に重要と表明。LeviStrauss&Co.2024年8月に外部からDEIと人材戦略の最高責任者を招き、その取組みを強化。もともとAppleInc.は、2015年12月2月にCalifornia州SanBernardino市で発生した銃乱射事件で、FBI(FederalBureauofInvestigation:連邦捜査局)が要求した犯人(本人は死亡)のiPhoneのロック解除を拒否するなど政府に摺り寄らない企業で知られ(注16)、DeltaAirLines,Inc.は外国人利用客が多い、Nike,Inc.は黒人アスリートの顧客が多いなどの事情もあります(注17)。5.他国への影響トランプ大統領は、2025年1月30日のワシントンDC近郊で起きた航空事故に関し、特に根拠を示さないまま、民主党政権下において、米連邦航空局(FederalAviationAdministration:FAA)がDEI推進の為に重度の知的障害や精神障害を持つ人々の雇用を進め、安全よりも多様性に配慮した雇用を重視し過ぎた結果の航空事故だとの主張を繰り広げています(注18)。前述のFacebookやElonMusk氏買収後のXではもはやfact-checkingは廃止されています(2021年の連邦議会襲撃事件後、Twitterのアカウントを停止されていたトランプ大統領は、Xではアカウントが復活しています)。既に他者に慈愛を示せる余裕が無くなるほど境遇が悪化した多数のアメリカ国民には、民主党政権下のDEI政策は、自身の社会的資源獲得の機会の減少や価値観の押し付けにつながったとみられていることから、こうした発言をも許容する傾向があり(TVよりもSNSは真実を報道するなどとは期待しなくなり)、そうした支持者の期待に答えるように、トランプ政権は、関税を使った自国の貿易力の強化、アメリカ合衆国国際開発庁(UnitedStatesAgencyforInternationalDevelopment,:USAID)が携わる対外支援契約の9割以上の削減・職員の大幅なリストラ、ウクライナに対する支援の見返りとしてレアアースの権益を要求、デンマークに対するグリーンランドの割譲要求、移民の強制送還など、次々と自国の経済力強化政策を打ち出しています。また大統領は、連邦最高裁判所の裁判官の任命権も持つことから、トランプ政権が続く限り、現在の反DEIに対する足かせも緩くなることが予想されます。コーポレートガバナンス・コードの対象となるわが国の上場会社には、買収を伴う上場廃止も視野に入れた強硬な株主提案でもない限り、反DEI政策提案は否決されることでしょうし、まだ人種の坩堝とはいえない日本では、DEI政策は男女共同参画が中心であり、これは前述の日本政府の方針とも合致する為、それに攻撃をしかける勢力も少ないと予想されます。同様に非上場企業に対しても、反DEI政策を積極的に求める金融機関等はあまり想像し難く、むしろDEI政策の推進を求める金融機関等の方が想像しやすい状況にあります。しかし、GlasgowFinancialAllianceforNetZero(GFANZ)の掲げる温室効果ガス削減等の積極的ESG投資推進の為の金融イニシアティブの参加企業は、反DEI運動やトランプ政権の動向などを受けて、北米では大きく減少し、わが国でもそれに倣う金融機関が出るなど消極的姿勢に転じる者も多く、さらにアファーマティブ・アクションを用いる場合には、外国籍の学生や社員を多く抱える学校や企業は、アメリカの動向に注意する必要があります(注19)。一方、ヨーロッパ諸国には既にたくさんの移民を受け入れ多民族国家となっている国も多く、そうした国の極右勢力に、トランプ政権の一員(アメリカ合衆国大統領上級顧問)となったTesla,Inc.やXCorpなどを有するElonMusk氏が資金援助をしているようですから(注20)、よりアメリカのトランプ政権の方針の影響を受けやすい企業が多いでしょう。実際にアイルランドに本社を構える大手コンサルティング会社AccenturePLC(アクセンチュア)は、2017年に発表した2025年までに社員の半数を女性にするという目標を撤回しています(注21)。いずれにしても現状では、アメリカ以外の国の企業もトランプ政権の動向に目を離さない方が良いでしょう。(おわり)<注釈>「迫られる脱・女性役員ゼロキャノン・東レが初登用へ」2023.5.20日本経済新聞電子版https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB024H40S3A500C2000000/「アメリカ:ハリウッドにおけるセクハラを告発『#MeToo』で連帯」アジア女性資料センター2017.10.17https://www.ajwrc.org/2530「BLMとは?きっかけとなった3つの事件や各界に及んだ影響についての解説」PATCHTHEWORLD2024.11.11https://mannen.jp/patchtheworld/15063/2015・2016年のアカデミー賞において、有力視された非白人俳優がノミネートすらされず、白人ばかりが候補者となり、「#OscarSoWhite」とのハッシュタグが広まった現象。「ハリウッド、多様性に苦慮アカデミー賞は少数派義務」2025.2.9日本経済新聞電子版https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2310A0T20C25A1000000/アカデミー賞【2025年】受賞一覧・解説などhttps://eigaz.net/prediction/2025.php「インドの風向きが変わった、性的暴行事件とは」NATIONALGEOGRAPHIC日本版サイト2019.11.1https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/102900625拙稿「男女賃金格差是正及び女性活躍に対する国及び企業の取組み」2023.8.25商事法研究レポート(本サイト)。「米ビール市場、バドライト首位陥落広告巡り不買運動」日本経済新聞電子版2023.6.15https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN14CZO0U3A610C2000000/?msockid=066ec6c84dea64a20728d2df4cb465b3前掲注4。Grutterv.Bollinger,539US.306(2003)https://supreme.justia.com/cases/federal/us/539/306/わが国において近時女性枠を少なくしていたことが問題となった私大医学部がその反動として女子枠を設けたことや工業に携わる女子を増やしたい工業系の学校などで女子枠を設けるアファーマティブ・アクションは、まだこの判決のように許容されています。近時のアファーマティブ・アクションを肯定的に捉える試み、注10の連邦最高裁判決までの研究として、茂木洋平・アファーマティブ・アクション正当化の法理論の再構築(2023年・尚学社)を参照。「人種を考慮した入学選考は違憲米連邦最高裁、従来の判断覆す」BBCNEWSJAPAN2023.6.30https://www.bbc.com/japanese/66062667「米国企業、DEI施策に訴訟リスクコストコは継続方針」2025.1.25日本経済新聞電子版https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN23EBV0T20C25A1000000/?msockid=066ec6c84dea64a20728d2df4cb465b32024年のディズニーアニメ映画「インサイド・ヘッド2」は人種的配慮を感じさせない内容でしたが、結果的に世界的大ヒット(ピクサー史上最大のヒット)となりました。前掲注4。また、ハリウッドの採用基準やAMPASの基準は、不公平の是正を超えて、アファーマティブ・アクションであり、逆差別や本来の目的に反するとの批判もあります。「アカデミー賞の多様性基準に『吐き気がする』、俳優リチャード・ドレイファスが発言」CNN2023.5.9https://www.cnn.co.jp/showbiz/35203511.html前掲注11。「ディズニー、役員報酬基準からDEI見直し米政権に配慮」2025.2.12日本経済新聞電子版https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1208J0S5A210C2000000/?msockid=066ec6c84dea64a20728d2df4cb465b3「Googleカレンダー、『黒人月間』削除地図は『アメリカ湾』」2025.2.12日本経済新聞電子版https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN114C40R10C25A2000000/?msockid=066ec6c84dea64a20728d2df4cb465b3氷川りそな「終わりなき『ApplevsFBI』問題信頼か、それとも安全か?」2016.5.4MacFanPortalhttps://macfan.book.mynavi.jp/article/m52674/前掲注11。「Apple株主総会、DEI撤廃案を否決トランプ対応に苦慮」2025.2.26日本経済新聞電子版https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN25CQF0V20C25A2000000/?msockid=066ec6c84dea64a20728d2df4cb465b3「トランプ氏、首都航空事故『DEI推進が背景』根拠示さず」2025.1.31日本経済新聞電子版https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN3102P0R30C25A1000000/?msockid=066ec6c84dea64a20728d2df4cb465b3「GFANZとは|概要・目的・国内金融機関の取り組みまでわかりやすく解説」2025.2.24自然電力グループhttps://shizenenergy.net/decarbonization_support/column_seminar/gfanz/「三井住友FGが気候変動対策グループ脱退へ、国内金融大手では初」2025.3.4Bloomberghttps://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-03-04/SSL9MDT1UM0W00また、私学や私企業はある程度の寄付行為や定款による自治が許されていますが、2023年の連邦最高裁の判例以降、学校の合否や企業の採用・昇進等でアファーマティブ・アクションを用いた場合の訴訟リスクは高まったといえます。訴訟まで行かなくてもfact-checkingが外れたSNS等で攻撃される可能性も高い為、慎重にその内容を検討する必要があるでしょう。「英独の極右を支持して憎悪を煽るトランプの「右腕」イーロン・マスク」Newsweek2025.1.7https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2025/01/531608.php「アクセンチュア、世界でDEI見直し『米国の変化反映』」2025.2.8日本経済新聞電子版https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN07EBZ0X00C25A2000000/?msockid=066ec6c84dea64a20728d2df4cb465b3提供:税経システム研究所
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2025/03/21 topics
企業不祥事発生時における役員の有事対応
1はじめに会社経営の過程においては、役員レベルのみならず業務執行取締役等の指揮下で会社業務に関わる従業員レベルでも法令等の違反、欠陥商品の製造販売、人権侵害行為その他の不祥事(以下、「企業不祥事」とも総称する。)を生じさせないための予防措置を講じることが、必要かつ重要であることはいうまでもありません。しかし、その種の措置が常に万全の効果を発揮するとは限らず、企業不祥事が現実化することも少なくありません。問題は、その場合に会社役員、特に業務執行を担当する取締役・執行役がどのような善後措置を講じるべきか、ということです。それは、某製薬会社が製造販売する健康食品が消費者の健康被害を生じさせた事案での後手後手の対応が当該会社の信用失墜および企業価値減少をもたらしている例からも明らかなように、問題認識後の不適切な対応が会社業務の大きな支障ともなるからです。企業不祥事そのものではないのかも知れませんが、某メディア会社について、出演タレントが引き起こした人権侵害行為に対し、会社役員がその事実を認識しながら適切な善後措置を講じなかったがために、当該会社そのものに対する社会的信頼が大きく揺らいでいる直近の事案を見ても、企業不祥事発生後に迅速かつ適切・的確な対応をとることがいかに重要かつ必要であるかは、明白です。この小稿では、こうした問題意識から、企業不祥事における役員の有事対応のあり方を、最近の裁判例をケーススタディの対象として、示すこととします。2ケーススタディ:大阪地判令和6年1月26日(1)ケースの概要今回の参考事例として取り上げるのは、大阪地判令和6年1月26日金判1697号21頁です(注1)。本件は、タイヤ・ゴム製品の製造販売業を営むA株式会社の取締役であったY1~Y4が、同社の完全子会社のB株式会社の製造した建築用免震積層ゴム(以下、「本件免震ゴム」という。)が建築基準法に基づく基準に適合しないことが判明したにもかかわらず本件免震ゴムを出荷させたこと等について、Y1らのA会社に対する任務懈怠責任(会社法423条1項)が追及された株主代表訴訟事件です。紙幅の関係から、ここでは本件事案の詳細な説明(注2)は省略して要点のみ挙げると、2014年4月以降にB会社が建設会社から発注を受け製造・出荷した免震ゴムについて、建築基準法に基づく性能評価基準に適合しないものが含まれている旨の報告が担当従業員から寄せられたことを受け、B会社での社内調査が実施されるとともに、完全親会社のA会社の社内会議でもB会社の担当役員から報告が行われ、A会社で免震ゴム事業を担当しB会社では担当取締役であったY1が、A会社で製品の品質管理等を担当する部署を統括する取締役Y2とともに対応に当たるようになります。Y1は、当該免震ゴムに基準不適合のものがあることを認識し、弁護士からは出荷停止を助言されていました。そのため、2014年9月16日午前に、Y1・Y2のほか、A会社で人事部の統括のほかにコンプライアンス関連業務を担当する取締役Y4および担当従業員が出席しA会社内で行われた会議では、免震ゴムの出荷停止の方針が採用され、国土交通省への報告を行うことが確認されました。しかし、同日午後にY1・Y2および担当従業員が出席しA会社内で行われた会議では、免震ゴムに関する技術的知識を持ちあわせないB会社担当従業員から、性能評価の基準数値に対し一定の補正等を行えば、出荷予定の免震ゴムを所定の性能評価基準に適合させることが可能であるとの報告が行われたため、出荷停止の方針が撤回され、3日後に出荷が実施されました。その後、出荷済みの免震ゴムの一部が、補正等された基準数値に基づき性能評価を実施し直した場合でも依然、性能評価基準に適合しないことが判明しますが、Y1がリコール不要との考えを示したため、これにY2~Y4が反対し、A会社の研究所が加わって社内調査が引き続き行われ、上記の基準数値の補正等が技術的根拠を欠く旨がY2に対し報告されるところとなりました。そこで、2015年2月2日に漸く免震ゴムの出荷停止が決定され、同月9日に国土交通省への報告が行われますが、A会社が、B会社を通じて製造・販売した免震ゴムの一部に性能評価基準に適合しないものがあった旨を公表したのは、翌月の2015年3月13日でした。こうした事実関係を背景にA会社の株主が、免震ゴムの出荷停止の判断と、国土交通省への報告および一般公表の遅れとに関するY1らの任務懈怠を理由に、A会社が回収費用等の負担や信用失墜により被った損害を賠償するようY1らに請求したのが、本件です。(2)裁判所の判断大阪地裁は、基準不適合の免震ゴムの出荷判断に関してはY1およびY2の善管注意義務違反を認め、改修工事費および不正問題への対応に係る人件費・旅費(合計1億3828万948円)を相当因果関係のあるA会社の損害と認定するとともに、国土交通省への報告・一般公表の遅れについてはY1~Y4の善管注意義務の違反を認め、A会社の損害を2000万円と認定し、原告の請求を一部認容しています。こうした判示を行うに当たり、大阪地裁は、まず基準不適合の製品の出荷(停止)判断に関し、製品出荷の判断は一般的に経営判断の問題としつつ、法令等により当該製品の性質・性能等につき一定の基準が定められている場合は、取締役には、基準不適合の製品について出荷停止による損失を考慮しても、出荷停止の判断をすることが求められる一方、当該判断を迅速に行う必要があることから、得られた情報からは出荷停止との判断に至らなかったものの、事後的に基準不適合が判明したときは、取締役の地位・担当職務等を踏まえ、当該判断に至る過程が合理的なものであるか否かという観点から、信頼の原則も踏まえ、任務懈怠の有無を判断することを基本的な判断枠組みとしつつ、所定の基準が製品等の安全性に関わるものであるときは、より慎重な検討が求められると判示します。その上で、本件では、免震ゴムの基準不適合の事実を認識したY1が弁護士から出荷停止の助言を受け、一旦は出荷停止方針を決定したにもかかわらず、技術的知識を有していない担当者から、基準数値の補正等を行えば基準不適合を回避できるとの報告を受けたことで、当該方針を撤回し出荷実施の判断を行ったことが、A会社・B会社の担当取締役としての善管注意義務に違反すると認定されます。大阪地裁は、Y2についても、担当役員としての権限を行使して基準不適合製品の出荷を止めさせるよう取り組むべき立場にあったのに、Y1とともに出荷停止の判断を覆し出荷実施の判断を行ったことが、取締役としての任務懈怠に当たると判示します。一方、Y3・Y4については、両者の担当業務等を踏まえ、A会社取締役としての任務懈怠が否定されています。なお、本件で基準不適合製品の製造・販売(出荷)を行っていたのはB会社ですが、完全親会社のA会社がB会社の事業方針等を指揮監督する関係にあったことや、製品出荷の意思決定も実質的にA会社の取締役Y1・Y2が行っていることから、B会社による基準不適合製品の出荷実施について、Y1・Y2のA会社に対する任務懈怠が認定されています。この点に関しては、異論がないものと思われます(注3)。次に、関連事実の関係機関への報告および一般公表に係るY1らの任務懈怠の有無について、大阪地裁は、出荷済み製品の基準不適合という事実については、可及的速やかに関係機関への報告および一般公表を行う必要があるところ、不確実情報の報告等による混乱を回避するためと称して長期に亘り報告等を行わないことは相当でなく、調査途中でも速やかに何らかの報告等を行うべき場合もあるとした上で、本件では、Y1らは、免震ゴムに基準不適合のものが含まれていることが明らかになっていた2014年10月23日の時点で報告等をすべき義務を負っていたのに、これを懈怠したと判示し、Y1・Y2のみならずY3・Y4にも報告等の義務違反を認定しました。3法令違反等の問題認識後の会社役員のあるべき対応(1)初動対応今回のケーススタディで取り上げた大阪地判令和6年1月26日は、会社が製造販売する製品の性能等に法令により一定の安全基準が設定されているところ、当該製品に基準不適合のおそれがある場合につき、当該製品の出荷停止の判断と出荷済み製品の基準不適合の事実の報告等に係る担当役員の善管注意義務違反の有無が争点となった事案です。事が取扱い製品の安全性に関わるだけに、本件は、担当役員のみならずその他の役員による対応の当否が会社の信頼性に対する評価に直結し、企業価値の低下・毀損をもたらすおそれが大きいケースですが、程度の差や問題となる不祥事の内容の違いこそあれ、一般論としても、企業価値の低下や毀損を含む損害を会社に被らせるおそれのある具体的な事実またはその兆候がある場合に、そのことを認識した会社役員が善管注意義務の観点からどのような措置を講じるべきかを示す好材料を示してくれているように思われます。第1に、こうした観点から、この裁判例から得られる示唆の一つが、企業不祥事またはそのおそれのあることを認識した会社役員がとるべき初動対応です。その第1は迅速かつ的確な事実調査であり、第2は、不祥事事実が判明した場合に被害拡大のための関連製品の出荷停止その他の適切な善後措置であるといえます(注4)。このうち、第1の事実調査については、的確性のみならず迅速性も求められるため、担当役員としては社内の関連部門や担当従業員からの調査報告等に依拠することが、そのことを躊躇させる特段の事情がない限り、基本的に許容されると考えられます。もっとも、担当役員が企業不祥事発生のおそれが疑われる兆候や事情を関知するに至ったときは、社内の担当部署等から上がってくる調査報告等に安易に依存することは問題であり、大阪地判令和6年1月26日は、こうしたケースで担当役員は「健全な懐疑心」をもって対応する必要がある(注5)ことを示唆しています。第2の善後措置の発動も、短期的に会社に損失を生じさせるとしても、中長期的に見れば当該会社の信頼性・評判の向上につながり得るため、企業価値にプラスの効果をもたらすといえることから、問題認識後に迅速にこれを行う必要があります(注6)。大阪地判令和6年1月26日は、この点でも担当役員の対応が後手に回った事案であり、事後対応の悪い見本例といえます。(2)関係機関等への報告および公表第2に、大阪地判令和6年1月26日の事案にも見られたように、企業不祥事は会社にとって不都合な事実であるために、担当役員等がこれを矮小化したり隠蔽したりするリスクがほぼ常に伴います(注7)。当該不祥事事実について、法令等により関係機関への報告義務や一般公表義務が課されている場合に、担当役員が必要な報告等を行わなかったときは、法令違反として、帰責事由がない限り任務懈怠の責を問われます。これに対し、法令等により報告等の義務が当該会社に課されていない場合は、当該不祥事の不公表が直ちに担当役員の善管注意義務違反を構成するわけではありませんが、当該不祥事を認識した担当役員はそれを可及的速やかに関係機関に報告し公表する必要があると解されています(注8)。大阪地判令和6年1月26日は、この点を法的教訓として会社役員に肝に銘じさせるものです。4おわりに企業不祥事の発生の蓋然性が高いと判断される場合、またはそれが具体化した場合に、迅速かつ的確・適切な有事対応を会社役員が行えるかが、会社の業績および将来の企業価値に大きな影響をもたらし、会社の存立をも揺るがしかねないことは、大阪地判令和6年1月26日のみならず最近の問題案件が如実に示しています。本稿が、その点に関し注意を喚起する一つのケーススタディとして、関係者の参考になれば、幸いです。<注釈>本件の先行評釈として、舩津浩司「本件判批」資料版商事法務483号(2024年)144頁、山本正成「本件半壊」邦楽教室528号(2024年)117頁参照。事案の詳細な概要説明は、中村信男「〔Lawの論点〕不祥事発生後における役員の善管注意義務」ビジネス法務24巻12号(2024年)102頁~104頁参照。舩津浩司「本件判解」ジュリスト1598号(2024年)3頁。竹内朗=笹本雄司郎=中村信男編著『リスクマネジメント実務の法律相談』(青林書院、2014年)38頁(笹本雄司郎)。竹内ほか・前掲(注4)248頁(竹内朗)。竹内ほか・前掲(注4)6頁~7頁(青島健二)。竹内ほか・前掲(注4)77頁(中村信男)。山中修「不祥事発覚後の対応に関する役員責任」野村修也=松井秀樹編『実務に効くコーポレート・ガバナンス判例精選』(有斐閣、2013年)120頁。提供:税経システム研究所
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2025/03/07 論説
カーボンニュートラルと独占禁止法
1グリーン成長戦略の宣言2020(令和2)年、当時の菅義偉総理大臣は、第203回臨時国会において、「2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」ことを宣言しました。経済と環境の好循環を成長戦略の柱に掲げて、グリーン社会の実現に最大限注力するとし、政府が環境投資で大胆な一歩を踏み出すことを表明しました。そして、経済産業省、環境省、消費者庁など多くの省庁がグリーン成長戦略を推進するための施策を公表し、国、地方公共団体、事業者、消費者等の多様な主体が連携し、国民運動として取り組むことをうたいました(注1)。それに対して、石油化学コンビナートの構成事業者によるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為に関して、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」)に抵触しないかという相談が公正取引委員会(以下「公取委」)に寄せられました。以下では、この相談事例を紹介して、独占禁止法の趣旨を考えてみたいと思います。2石油化学コンビナートからの相談公取委は、山口県周南市に所在する石油化学コンビナート(以下「周南コンビナート」)において石油化学製品等の製造販売を行っている5社(注2)から、周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為について相談を受けました。それに対して、公取委は、独占禁止法上問題がない旨の回答を行いましたが、他の事業者及び事業者団体にも参考になると考えられることから、2024(令和6)年2月15日、当該相談の概要を公表しました(注3)。なおカーボンニュートラルとは、人の活動に伴って発生する温室効果ガスの排出量と吸収作用の保全及び強化により吸収される温室効果ガスの吸収量との間の均衡が保たれることをいい、我が国における2050年までの実現を旨とするとされています(地球温暖化対策の推進に関する法律2条の2)。(1)相談の概要上記5社は、2050年の周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けて、以下の①~③の取組みを共同で行うこととしています。このような共同での取組が独占禁止法に抵触しないか、というのが相談の内容です。①二酸化炭素の大幅な削減を見込んで、製品の製造に必要となる電力を得るための発電設備等で使用する燃料について、化石燃料から燃焼時に二酸化炭素の排出がないアンモニア等を燃料とする共同の発電設備等の設置及び利用等、②製品の原材料について、化石燃料を原材料に用いたエチレン、プロピレン等の基礎化学品から、バイオマス等の二酸化炭素の排出が少ない原材料を用いたバイオエチレン、バイオプロピレン等のバイオ基礎化学品等に転換するための原材料の共同購入等、③製品の製造の際に排出される二酸化炭素の共同での回収、燃料・原材料への再利用又は貯留。3公取委からの回答の要旨(令和6年2月15日)これに対して、公取委は、上記5社が実施する①~③の共同行為については、周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現が目的であって、共同行為によって上記5社の製品の製造販売市場における競争の実質的制限が生じることはなく、また、上記5社が共同購入等するアンモニア等及びバイオマス等の購入市場における競争の実質的制限が生じることもないことから、いずれも独占禁止法上問題となるものではないと回答しています。また、前記①~③の共同行為以外の共同行為であっても、上記5社が実施する周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為は、製品の販売価格のカルテルといった競争制限行為に該当する場合を除いて、一定の取引分野における競争の実質的制限が生じることはないと考えられるため、独占禁止法上問題となるものではないと回答しています。4公取委の示す独占禁止法上の考え方公取委は、この回答をするにあたって、その理由を詳細に述べていますので、それを紹介します。(1)独占禁止法の禁止行為事業者が、契約、協定その他何らの名義をもってするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限することは、不当な取引制限(独占禁止法2条6項)に該当し、独占禁止法上問題となります(独占禁止法3条)。(2)競争促進効果と競争制限効果グリーン社会の実現に向けた事業者等の取組は、多くの場合、事業者間の公正かつ自由な競争を制限するものではなく、新たな技術や優れた商品を生み出す等の競争促進効果を持つものであり、温室効果ガス削減等の利益を一般消費者にもたらすことが期待されるものでもあります。そのため、グリーン社会の実現に向けた事業者等の取組は基本的に独占禁止法上問題とならない場合が多いでしょう。一方、事業者等の取組が、個々の事業者の価格・数量、顧客・販路、技術・設備等を制限することなどにより、事業者間の公正かつ自由な競争を制限する効果(「競争制限効果」)のみを持つ場合、新たな技術等のイノベーションが失われたり、商品又は役務の価格の上昇や品質の低下が生じたりすることにより一般消費者の利益が損なわれることになり、それが名目上はグリーン社会の実現に向けた事業者等の取組であったとしても、原則として、独占禁止法上問題となります。そして、ある具体的な事業者等の取組に競争制限効果が見込まれるとともに、競争促進効果も見込まれる場合には、より制限的でない他の代替的手段があるか等、当該取組の目的の合理性及び手段の相当性を勘案しつつ、当該取組から生じる競争制限効果と競争促進効果を総合的に考慮して、当該取組が独占禁止法上問題となるか否か判断されることとなります。競争制限効果が見込まれない行為としては、価格等の重要な競争手段である事項に影響を及ぼさない、新たな事業者の参入を制限しない、及び既存の事業者を排除しないといった要素を満たす事業者等の共同の取組のほとんどがこれに該当します。グリーン社会の実現に向けた事業者等の共同の取組の多くは、独占禁止法上問題とならない形で実施することが可能です。(3)相談事例の検討周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けた上記5社が実施する前記①~③を主とした取組は、共同行為によって二酸化炭素の大幅な削減が見込まれるなど、グリーン社会の実現に向けた取組であることが認められます。(ア)前記①~③を主とした取組は、上記5社が周南コンビナートにおいて製造する製品のコストに影響を与える取組ですが、当該製品のうち、多くの製品については、上記5社間に競合関係がなく、共同行為による競争制限効果が見込まれないため、一定の取引分野における競争の実質的制限が生じることはなく、独占禁止法上問題となりません。また、上記5社が周南コンビナートにおいて製造する製品のうち、競合する製品については、共同行為による競争制限効果が見込まれるものの、地理的範囲が「日本全国」として画定されることなどから、上記5社以外に有力な競争事業者が存在したり、当該製品の需要者から競争圧力が働いていたりするなどの市場の状況にあるため、一定の取引分野における競争の実質的制限が生じることはなく、独占禁止法上問題とはなりません。(イ)前記①の取組で行うアンモニア等の共同購入及び前記②の取組で行うバイオマス等の共同購入によって、アンモニア等及びバイオマス等の購入市場における競争に与える影響について検討すると、アンモニア等を燃料とした発電及びバイオマス等を原材料としたバイオ基礎化学品等の製造は、現在、確立されていない技術であるため、将来的なアンモニア等及びバイオマス等の需要量と供給量は不明です。しかし、アンモニア等及びバイオマス等は、世界的なカーボンニュートラルの動きによって需要及び供給が拡大される見込みであることから、今後、アンモニア等及びバイオマス等の購入市場の競争は活発になることが見込まれます。また、共同行為によって購入されることが想定されるアンモニア等及びバイオマス等の量は供給量に比して限定的です。(ウ)上記5社が実施する前記①~③を主とした取組は、いずれも一定の取引分野における競争の実質的制限が生じることはなく、独占禁止法上問題となるものではないと結論付けています。5共同研究開発に関する独占禁止法上の指針最近の技術革新の一つの特徴として、技術が極めて高度で複雑なものとなり、多くの分野にまたがるものとなっています。その研究開発に必要な費用や時間が膨大になり、それに必要な技術も多様なものとなることがあります。そのため、単独の事業者による研究開発や他の事業者からの技術導入に加えて、複数の事業者による共同研究開発が増加しています。共同研究開発は、(1)研究開発のコスト軽減、リスク分散又は期間短縮、(2)異分野の事業者間での技術等の相互補完等、により研究開発活動を活発で効率的なものとし、技術革新を促進するものであって、多くの場合競争促進的な効果をもたらすものと考えられます。他方、共同研究開発は複数の事業者による行為であることから、研究開発の共同化によって市場における競争が実質的に制限される場合もあり得ます。また、研究開発を共同して行うことには問題がない場合であっても、共同研究開発の実施に伴う取決めによって、参加者の事業活動を不当に拘束し、共同研究開発の成果である技術の市場やその技術を利用した製品の市場における公正な競争を阻害するおそれのある場合も考えられます。公取委は、このような認識の下に、共同研究開発に関し、研究開発の共同化及びその実施に伴う取決めについて公取委の一般的な考え方を明らかにして、共同研究開発が競争を阻害することなく、競争を一層促進するものとして実施されることを期待して、1993年に「共同研究開発に関する独占禁止法上の指針」を公表しました。その後この指針は何回か改定されています(最終改定2017年)(注4)。(1)この指針の適用範囲及び判断時点この指針が適用される「共同研究開発」は、複数の事業者が参加して研究開発を共同で行うことです。すなわち、この指針は、共同研究開発の参加者に着目すれば、「複数の事業者」が参加するものに適用されますし、我が国市場に影響が及ぶ限りにおいて、参加者が国内事業者であると外国事業者であるとを問わず適用されます。また、この指針により共同研究開発に関する独占禁止法上の問題が判断されるのは、原則として共同研究開発契約締結時点ですが、共同研究開発の成果の取扱い等について、その時点においては定められない場合には、それらが取り決められた時点で独占禁止法上の問題が判断されます。(2)研究開発の共同化に対する独占禁止法の適用研究開発の共同化によって参加者間で研究開発活動が制限され、技術市場又は製品市場における競争が実質的に制限されるおそれがある場合には、その研究開発の共同化は独占禁止法3条(不当な取引制限)の問題となることが考えられます。共同研究開発が事業者団体で行われる場合には独占禁止法8条(事業者団体に対する規制)の、また、共同出資会社が設立される場合には独占禁止法10条(会社による株式の取得・所有の規制)の問題となることがあります。研究開発の共同化が独占禁止法上主として問題となるのは、競争関係にある事業者間で研究開発を共同化する場合です。競争関係にない事業者間で研究開発を共同化する場合には、通常は、独占禁止法上問題となることは少ないでしょう。事業者は、その製品、製法等についての研究開発活動を通じて、技術市場又は製品市場において競争することが期待されますが、競争関係にある事業者間の共同研究開発は、研究開発を共同化することによって、技術市場又は製品市場における競争に影響を及ぼすことがあります。共同研究開発は、多くの場合少数の事業者間で行われており、独占禁止法上問題となるものは多くないと考えられますが、例外的に問題となる場合としては、例えば、寡占産業における複数の事業者が又は製品市場において競争関係にある事業者の大部分が、各参加事業者が単独でも行い得るにもかかわらず、当該製品の改良又は代替品の開発について、これを共同して行うことにより、参加者間で研究開発活動を制限し、技術市場又は製品市場における競争が実質的に制限される場合を挙げることができます。研究開発の共同化の問題については、個々の事案について、競争促進的効果を考慮しつつ、技術市場又は製品市場における競争が実質的に制限されるか否かによって判断されますが、その際には、以下の各事項が総合的に勘案されます。①参加する事業者の数、市場シェア、市場における地位等が考慮されますが、一般的に参加者の市場シェアが高く、技術開発力等の事業能力において優れた事業者が参加者に多いほど、独占禁止法上問題となる可能性は高くなります。②研究開発は、段階的に基礎研究、応用研究及び開発研究に類型化でき、共同研究開発が製品市場における競争に及ぼす影響が直接的か、間接的かを判断する際の要因として重要です。特定の製品開発を対象としない基礎研究について共同研究開発が行われたとしても、通常は、製品市場における競争に影響が及ぶことは少なく、独占禁止法上問題となる可能性は低いでしょう。③研究にかかるリスクやコストが膨大であり単独で負担することが困難な場合、自己の技術的蓄積、技術開発能力等からみて他の事業者と共同で研究開発を行う必要性が大きい場合等には、研究開発の共同化は研究開発の目的を達成するために必要なものと認められるので、独占禁止法上問題となる可能性は低いでしょう。④共同研究開発の対象範囲、期間等が明確に画定されている場合には、それらが必要以上に広汎に定められている場合に比して、市場における競争に及ぼす影響は小さいので、独占禁止法上問題となる可能性は低いでしょう。6公取委への相談事業者等がグリーン社会の実現に向けた取組を実施するに際して、独占禁止法上問題となるか否かについて、グリーンガイドライン、本件相談等を参考にして自ら判断するのが難しい場合もあります。そこで事業者等は、実施しようとする具体的な行為に関して、公取委に事前に相談することができます。公取委としても、グリーン社会の実現に向けた事業者等の取組を後押ししていくためにも、グリーンガイドライン、本件相談等の内容に照らしつつ、事業者等との意思疎通を重ねながら、積極的に相談への対応を行っていくことを表明しています(注5)。<注釈>首相官邸「グリーン社会の実現」(令和2年10月26日)https://www.kantei.go.jp/jp/headline/tokushu/green.html周南コンビナートにおけるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為について相談した5社は、出光興産株式会社、東ソー株式会社、株式会社トクヤマ、日鉄ステンレス株式会社及び日本ゼオン株式会社です。公取委「石油化学コンビナートの構成事業者によるカーボンニュートラルの実現に向けた共同行為に係る相談事例について」(令和6年2月15日)https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2024/feb/240215shunan.html公取委「共同研究開発に関する独占禁止法上の指針」https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/kyodokenkyu.htmlグリーン事前相談窓口:公正取引委員会事務総局経済取引局取引部相談指導室http://www.jftc.go.jp/提供:税経システム研究所
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2025/02/21 重要判例紹介
再生手続におけるスポンサー契約の落とし穴 ~募集株式の発行の撤回を認めた事例を参考に~
1はじめに再生型の倒産手続である民事再生手続においては、実務上、スポンサーからの支援を受けて事業再生を行うために、減資を行い、スポンサーに募集株式の発行を行うことがあります。近時、再生手続におけるスポンサーへの募集株式の発行に関して、東京高判令和5年3月9日2023WLJPCA03096001(以下「本判決」といいます)がスポンサーに不測の損害をあたえかねない募集株式の発行の撤回を許容する注目すべき判断を下しました。本判決は、民事再生手続において、再生債務者がスポンサーに対し募集株式を発行し、スポンサーから出資を受けて事業再生を図るべく、再生計画にも募集株式の発行に関する定めを設けたにも関わらず、再生債務者が取締役会決議によってスポンサーへの募集株式の発行を撤回し、再生債務者の代表者へ募集株式の発行を行ったという事案で、出資の履行前の募集株式の発行の撤回を認めました。本判決によって、再生手続においてスポンサーが不測の損害を被ることも考えられ、実務上、対処が必要となります。そこで、本稿では、前提として、募集株式の発行等の手続と募集株式の発行の撤回に関する学説、民事再生手続における再生計画と募集株式の発行の手続を確認した上で、本判決の事案と判旨をご紹介し、おわりにで、実務上の留意点について述べることといたします。2募集株式の発行等の手続と募集株式の発行の撤回に関する学説(1)募集株式の発行等の手続会社法においては、新株の発行と自己株式の処分を合わせて募集株式の発行等と定義し(会社199①)、規制を課しています。募集株式の発行等の手続は、①募集事項の決定、②募集株式の引受け、③出資の履行、④効力発生という流れになっています。募集事項の決定株式会社は、募集株式の発行等をしようとする場合には、その都度、募集事項を決定しなければなりません(会社199①)。非公開会社においては、株主は通常持株比率の維持に強い関心を有しているため、募集事項の決定について、原則として株主総会の特別決議が必要とされています(会社199②・309②五)。また、有利発行の場合には、取締役は、株主総会において、当該払込金額でその者の募集をすることを必要とする理由を説明しなければなりません(会社199③)。非公開会社においては、株主総会決議によって、募集事項の決定を取締役(取締役会設置会社にあっては、取締役会)に委任することができます(会社200①前段・309②五)。また、非公開会社において、株主割当てを行う場合、定款の定めにより、取締役(取締役会設置会社では、取締役会)が募集事項を決定することができます(会社202③一二)。公開会社においては、株主は通常持株比率に強い関心を有しないため、原則として取締役会が募集事項の決定を行います(会社201①・199②)。もっとも、有利発行の場合には株主総会の特別決議が必要となり(会社201①・199③)、支配権の異動を伴う場合には株主総会の普通決議が必要となることがあります(会社206の2)。募集株式の割当て募集株式の発行等においては、募集事項の決定をした後には、募集株式を割り当てることになります。株式会社は、募集株式の引受けの申込みをしようとする者に対し、必要事項の通知をし(会社203①)、申込みをする者は、必要事項を記載した書面を株式会社に交付します(会社203②)。株式会社は、申込者の中から募集株式の割当てを受ける者を定め、かつ、その者に割り当てる募集株式の数を定め(会社204①)、払込期日(払込期間の場合には、期間の初日)の前日までに、申込者に対し、割り当てる募集株式の数を通知しなければなりません(会社204③)。もっとも、募集株式を引き受けようとする者がその総数の引受けを行う契約(総数引受契約)を締結する場合には、会社との相対の交渉によって引受けの条件が定められるため(注1)、申込み及び割当てに関する規定(会社203・204)は、適用されません(会社205)。募集株式の割当て又は総数引受契約がなされると、募集株式の引受人となります(会社206)。出資の履行募集株式の引受人(現物出資財産を給付する者を除く)は、払込期日又は払込期間内に、株式会社が定めた銀行等の払込みの取扱いの場所において、それぞれの募集株式の払込金額の全額を払い込まなければなりません(会社208①)。効力発生出資の履行をした募集株式の引受人は、払込期日を定めた場合には当該期日に、払込期間を定めた場合には出資の履行をした日に、募集株式の株主となります(会社209①)。(2)募集株式の発行等の撤回学説上、募集株式の発行等の撤回は、払込期日経過前は可能であるが、会社は引受人に対して債務不履行による損害賠償責任を負うと解されています(注2)。3民事再生手続における再生計画と募集株式の発行(1)再生計画の意義民事再生手続における再生計画は、再生債権者の権利の全部又は一部を変更する条項その他再生債務者の事業又は経済生活の再生を図るための基本事項(民再154)を定める(民再2三)再生手続の根本規範です(注3)。再生計画の条項には、記載がないと再生計画が不適法なものとして不認可の理由(民再174②一)となる絶対的必要的記載事項、再生計画に記載しなければ効力が生じない相対的必要的記載事項、それ以外の事項であり、再生計画外でも定めることができる任意的記載事項とがあります。再生計画における募集株式を引き受ける者の募集に関する定めは、任意的記載事項となります。(2)再生計画における募集株式の発行会社法上、募集株式の発行に際して、募集事項の決定には株主総会の特別決議が必要とされることがあります。もっとも、民事再生手続においては、会社が債務超過に陥り、株主の持分が実質的意義を失っており、特別決議が必要となると、資金調達が困難になることから(注4)、再生計画において、株主総会の特別決議ではなく、取締役の決定(取締役会設置会社では、取締役会決議)によって、募集事項の決定が可能となっています(民再183の2①)。募集株式の発行を含む再生計画案の提出は、再生債務者のみが提出でき(民再166の2①)、再生債務者が債務超過にあり、かつ、募集株式を引き受ける者の募集が再生債務者の事業の継続に欠くことのできないものであると認める場合に、裁判所の許可を得て行うことになります(民再166の2③)。(3)募集株式を引き受ける者の募集に関する定めの不履行と再生計画取消し再生計画は、決議で可決(民再172の3①)されることによって成立し、裁判所の認可決定(民再174①)によって効力が生じます。もっとも、①再生計画が不正の方法により成立したこと、②再生債務者等が再生計画の履行を怠ったこと、③再生債務者が許可や同意を得ずに、要許可・要同意事項に該当する行為を行ったことのいずれかに該当する場合に、再生債権者が申立てを行うと、再生計画取消しの決定がなされることになります(民再189①)。募集株式を引き受ける者の募集に関する定めの不履行については、②再生債務者等が再生計画の履行を怠ったことに該当しないと解されています(注5)。4裁判例(1)事案の概要Y株式会社(被告、被控訴人、被上告人。以下「Y社」といいます)は、昭和59年に設立された建物総合管理等を目的とする株式会社(取締役会設置会社、監査役設置会社)です。株式会社X(原告、控訴人、上告人。以下「X社」といいます)は、不動産の所有、賃貸、管理等を目的とする株式会社です。Y社は、令和3年に、東京地裁に再生手続開始の申立てをし、再生手続開始決定が下されました。同年6月23日、X社とY社は、監督委員の同意を得て、Y社を再生債務者とするスポンサー契約(以下「本件スポンサー契約」といいます)を締結しました。本件スポンサー契約には、再生計画案に記載する事項を以下の内容とすることを合意する旨の定めが含まれていました。①全額減資Y社は、民事再生法166条1項の裁判所の許可を得た再生計画案の認可決定確定後、速やかに、再生計画案に従い、資本金の全額を減少する。②増資Y社は、民事再生法166条の2第2項の裁判所の許可を得て、再生計画案に従い、再生計画案の認可決定確定後、速やかに、X社が出資として拠出する金額として4000万円を合計発行価額とする募集株式の発行等を行い、新たに発行する株式の全てをX社に割り当て、X社はこれを引き受ける。③弁済Y社は、②の増資に基づくX社からの払込金(Y社の手元資金及びX社からの貸付金)をもって、Y社の負債等(共益債権、優先債権、残余の別除権及び再生債権に係る債務その他の債務)に対する弁済資金に充てるものとする。なお、再生債権の弁済時期は、再生計画案の認可決定確定後1か月以内を予定している。令和3年8月5日、Y社から東京地裁に募集株式を引き受ける者の募集に関する条項が定められていた再生計画案が提出され、同年11月25日に、東京地裁による再生計画認可決定が確定しました。令和3年12月17日、Y社は、取締役会を開催し、募集株式の発行について、以下の事項について決議をしました。募集株式の種類及び数普通株式40株募集株式の払込金額募集株式1株につき100万円金銭の払込期間令和3年11月25日から1か月以内増加する資本金の額増加する資本準備金の額4000万円0円払込取扱金融機関東京都杉並区(以下略)A銀行西荻窪支店募集株式の引受人(割当先)X普通株式40株ところが、令和3年12月23日午後3時、Y社は、取締役会を開催し、上述のX社への募集株式の発行についての取締役会決議について全部撤回する旨を決議しました。さらに、同日の午後3時15分、Y社は、取締役会を開催し、Y社代表取締役Bを引受人とする以下の事項について決議し、午後3時30分散会しました。募集株式の種類及び数普通株式40株募集株式の払込金額募集株式1株につき100万円金銭の払込期間令和3年11月25日から1か月以内増加する資本金の額増加する資本準備金の額4000万円0円払込取扱金融機関東京都杉並区(以下略)A銀行西荻窪支店募集株式の引受人(割当先)B普通株式40株令和3年12月23日午後3時15分からのY社取締役会議事録には、議長は、募集株式の引受人として、当初X社を予定していたが、払込期限が迫ったため、急遽変更した旨を詳細に説明した旨の記載がされていました。Y社の再生手続における代理人は、令和3年12月23日午後7時37分頃、X社代理人に対し、Y社の判断として、同月24日に予定していたX社に対する増資は見合わせることを決定した旨記載した「減増資延期のご連絡」と題する書面を、ファクシミリによる方法により送付しました。X社は、令和3年12月24日、Y社に対し、A銀行西荻窪支店のY社名義の口座に振り込む方法により、4000万円を支払ったが、同日中に、Y社からX社へ同額の送金がされました。そこで、X社が、Y社に対し、Y社の株式を引き受け、出資の履行をしたためY社の株式を有する株主となった旨主張して、X社がY社の普通株式40株を有する株主であることの確認を求めるとともに、会社法132条1項に基づき、会社法121条の株主名簿記載事項として、株主名簿にX社の名称等を記載することを求めて提訴しました。東京地裁は、払込期間を定めて募集株式の発行をする場合において、募集株式の引受けの申込みがされ、申込者に対し募集株式の割当てをしたとき又は総数引受契約を締結したときであっても、引受人が出資の履行をする前、すなわち募集株式の株主となる前においては、当該株式会社は募集株式の発行を取りやめることができる旨を判示し、募集株式の発行の撤回を認め、X社の請求を棄却しました。(2)判旨東京高裁は、まず、以下のように判示し、募集株式の発行の撤回を認めました。「Y社の募集株式発行に係る決定機関は、Y社の取締役会である(会社法201条1項、弁論の全趣旨)ところ、Y社が、X社との間の総数引受契約(本件スポンサー契約)を当然には一方的に解除することができないために上記契約に基づく債務不履行責任を負う可能性がある(もっとも、本件各証拠上、同責任の有無は明らかではない。)としても、Y社の取締役会が、出資の履行がされる前に、上記の決定機関として、上記の総数引受契約において予定されていた募集株式の発行を取りやめる(発行しない)ことができない状況にあったと解すべき法的根拠は見出し難く(なお、X社は、会社法203条、204条、206条、208条等の条文構成からX社の主張が裏付けられるなどと主張するが、総数引受契約が締結された本件において同法203条、204条の適用はなく(同法205条)、同法206条又は208条によりX社の主張が裏付けられているということもできず、X社の上記主張は採用の限りでない。)、本件全証拠及び弁論の全趣旨に照らしても、上記のような状況にあったと認めることはできない。」また、東京高裁は、以下のように、Y社代表者を引受人とする募集株式の発行の効力が否定されたとしても、X社への募集株式の発行を撤回するY社取締役会決議の効力には影響を及ぼさない旨を判示し、控訴を棄却しました。「X社を引受人とする募集株式の発行を取りやめる(発行しない)旨の取締役会決議…と、Y社代表者を引受人とする募集株式の発行についての取締役会決議…とは、法的にも実質的にも別個のものであり、仮に後者に瑕疵等があったとしても、前者の効力が失われるものではない。そして、①Y社が、X社を引受人とする募集株式の発行を取りやめたことにつき、X社に対して総数引受契約(本件スポンサー契約)に基づく債務不履行責任を負う可能性があり、②手続的瑕疵等を理由として、Y社代表者を引受人とする募集株式の発行の効力が否定される可能性があり、又は可能性があった(もっとも、本件各証拠上、上記①及び②の結論は明らかではない。)としても、前記1で指摘した本件における事実経緯に照らし、上記①又は②の帰趨いかんによって、X社がY社名義の口座に4000万円を振り込んだ事実をもって出資の履行(会社法209条1項2号、208条1項)がされたとは認められないとの認定判断は左右されないというべきである。」(注6)(3)本判決に対する学説上の評価本判決に対しては、出資の履行の前であれば、決定機関で募集株式の発行の撤回をすることを認めた点(注7)、Y社代表者を引受人とする募集株式の発行の効力が否定されたとしても、X社への募集株式の発行を撤回するY社取締役会決議の効力には影響を及ぼさない点(注8)のいずれも、肯定的に捉えられています。そして、募集株式の発行の撤回による不利益を被る者の救済としては、債務不履行による損害賠償請求では損害額の立証が困難であることから、違約金等を定めておくこと対処すべきとの指摘がなされています(注9)。もっとも、再生手続においては、多額の違約金はそれが現実化した場合に開始後債権(民再123①)として他の再生債権者に対する弁済に重大な影響をもたらすため、多額の違約金条項が規定されたスポンサー契約に監督委員の同意を取り付けることは現実的には相当困難であるとの指摘もなされています(注10)。5おわりに本稿では、募集株式の発行等の手続と募集株式の発行の撤回に関する学説、民事再生手続における再生計画と募集株式の発行の手続を確認した上で、再生手続における募集株式の発行の撤回を認めた本判決の事案と判旨をご紹介してきました。本判決及び学説上の議論を前提とすると、再生手続において募集株式の発行が再生計画に定めがあったとしても、その不履行は、再生計画の取消事由には該当せず、募集株式の発行は撤回することは可能であることから、再生債務者が募集株式の発行を撤回することができ、それによってスポンサーは不測の損害を被るという事態が生じることになります。スポンサーの救済については、本判決で示されている債務不履行責任の追及では損害額の立証が困難であることから、学説上は、事前に募集株式の発行の撤回について違約金の定めによって対処すべきとされていますが、実務上は、多額の違約金の定めは困難であるとの指摘もなされています。そのため、本判決を前提とすると、再生手続において、スポンサーとなろうとする者は、募集株式の発行の撤回の可能性があることに十分に留意し、本判決を示し、違約金の定め以外には十分な救済手段がないことを丁寧に説明した上で、可能な限り、スポンサー契約において違約金条項を盛り込めるように、交渉すべきでしょう。<注釈>田中亘『会社法〔第4版〕』(東京大学出版会、2023年)515頁上柳克郎ほか編代『新版注釈会社法(7)新株の発行』(有斐閣、1987年)22-23頁〔森本滋〕、江頭憲治郎『株式会社法〔第9版〕』(有斐閣、2024年)789頁伊藤眞『破産法・民事再生法〔第5版〕』(有斐閣、2022年)1076頁伊藤・前掲(注3)1091頁伊藤・前掲(注3)1169-1170頁本判決に対しては、上告、上告受理申立てがされましたが、令和5年9月14日に上告棄却、上告不受理となっています。笠原武朗「判批」ジュリ1590号(2023年)3頁、舩津浩司「判批」ジュリ1595号(2024年)130、高谷裕介・宇田聖「判批」ビジネス法務2024年8月号(2024年)81頁舩津・前掲(注7)131頁笠原・前掲(注7)3頁、高谷(注7)81頁木下岳人弁護士の2024年9月28日開催の企業法実務研究会でのご報告レジュメ参照提供:税経システム研究所
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2025/02/14 topics
従業員向け株式インセンティブ報酬制度! ~今後の法改正の動向と実務上の留意点~
1はじめに現在、公益社団法人商事法務研究会・会社法制研究会において、次期の会社法改正に向けた議論が行われています。同研究会のホームページで公開されている資料「会社法の見直しに向けた検討について」(注1)(以下、「会社法制研究会資料」とします)によりますと、「従業員等に対する株式の無償交付」が次の改正に向けた1つの検討項目として挙げられています。これは、2024年6月21日に閣議決定された「規制改革実施計画」(以下、「2024年規制改革実施計画(注2)」とします)において「・・・法務省は、会社法上、株式そのものを付与する株式報酬の無償交付は上場会社の取締役又は執行役の場合のみに限られ、当該会社の従業員または子会社の役職員(以下「従業員等」という。)には無償交付することが許されない現行法制について、企業が優秀な人材を円滑に確保しやすくする観点から、従業員等に対する無償交付が可能となるよう、会社法の改正を検討し、法制審議会への諮問等を行い、結論を得次第、法案を国会に提出する」(注3)とされたことを受けたものと思われます。すなわち、政府は、従業員等への報酬・給与の支払いとして自社の株式の交付という手段を今よりも活用していくことを考えているようです。従来、株式・新株予約権に関連した報酬といいますと、取締役などのいわゆる役員等に対し、下記に述べるストックオプションを付与するということが主流だったように思われます。しかし、近時では、従業員向けに株式・新株予約権に関連した報酬制度を設けている例も上場会社を中心に多く見られるようになってきています。具体的には、2024年6月末時点で、上場会社のうちの延べ1,216社(複数のスキームを導入している企業を1社として集計しますと、1,054社)、およそ30%の会社で従業員向けの株式・新株予約権に関連した何らかのインセンティブ報酬制度を導入しています(注4)。こうした状況を念頭に置きますと、2024年規制改革実施計画が言うように従業員等に対して直接的に株式を無償交付できないという状況は、従業員に対する労働対価の支払いの多様化の動きに対して、大きな障壁となっている可能性が高いといえます。では、このまま議論を進めて従業員等に対する直接的な株式の無償交付をストレートに認めるべきでしょうか?本稿では、前述の会社法の改正を見据えた現在の議論を紹介しながら、若干の検討を試みたいと思います。2役員・従業員等に対する株式関連のインセンティブ報酬インセンティブ報酬とは、一般に、一定のプラン等に基づいて事前に目標および支払額が設定され、その目標の達成の有無によって支払いが決定される報酬のことをいいます(注5)。インセンティブ報酬の中には、対象者に株式または新株予約権を付与し、付与後の株価の推移に連動させる仕組み、たとえば株価が上昇した際に多くの報酬がもらえるような仕組みをとるものがあり、そのように株式・新株予約権に関連したインセンティブ報酬の中でも従来から有名なものとして、ストックオプション(StockOption:SO)と呼ばれる報酬形態があります。このストックオプションは、一般的に役員や従業員等に対し、自社の株式をあらかじめ定められた権利行使価額で購入できることを内容とした新株予約権を与えるものであり、中には権利行使価額を1円などの低廉な価額とすることもあります(このような場合、株式報酬型ストックオプションとも呼ばれます)。これに加えて、とくに株式に関連したインセンティブ報酬としては、次のようなものがあります。すなわち、①(事前交付型)譲渡制限付株式報酬(RestrictedStock:RS–一定定期間の譲渡制限が付された現物株式が事前に役員や従業員に交付されるもの。付与条件としては、一定の勤務条件のみが付されていることが多く、業績・パフォーマンスは条件とされないことが多いようです)、②譲渡制限付株式ユニット(RestrictedStockUnit:RSU–在職・勤務期間等に応じて役員や従業員にユニットを与え、権利確定時にユニットの累積数に応じた現物株式を交付するもの。業績やパフォーマンスの達成の程度や度合いに応じてユニットを与えることもあり、その場合、パフォーマンス・シェア・ユニットなども呼ばれます)、③株式交付信託(報酬相当額を信託に拠出し、信託が当該資金を原資に市場等から株式を取得したうえで、一定期間経過後に役員に株式を交付するもの)、④持株会型報酬(会社が株式取得目的のために従業員等に対して一定の金銭を支給し、当該金銭を原資にいわゆる持株会を通じて自社株式を取得させるもの。同様のことを持株会ではなく、信託を通じて行う場合はESOPとも呼ばれます)、などです(注6)。これらのうち、上場会社において、多く利用されているのは①の譲渡制限付株式報酬(RS)です。この報酬形態は、役員向けについては2024年6月末時点で2,300社が利用していますし、従業員向けについても461社が利用しているとのことです(注7)。また、従業員向けに譲渡制限付株式報酬(RS)を利用している461社のうち、2023年7月から2024年6月にかけて従業員に対してインセンティブ報酬として自社株式を直接割り当てた138件における平均割当額は「10万円以上50万円未満」の区分に入るものが60件で最も多く、次いで「100万円以上500万円未満」の区分に入るものが38件、その次に「50万円以上100万円未満」の区分に入るものが26件であったとのことです(注8)。割り当てを行ったきっかけと割当額の関係については、従業員に一律に付与する場合や創立記念として付与された場合は50万円未満が多く、給与水準が比較的高い幹部社員や社長表彰として付与された場合は100万円以上の例もみられるようです(注9)。こうしてみますと、従業員向けのインセンティブ報酬として(譲渡制限付)株式を交付する例は、一定程度上場会社においてみられてはいるものの、通常の給与に対する付随的な報酬、またはいわば「おまけ」的なものとして、位置づけられている例が多く、本格的な報酬・給与の一部としての位置づけからはまだまだ遠いように思います。それでは仮に株式の交付を本格的な報酬・給与の一部として位置づけていくとした場合に、どのような法的な課題・問題点があるのでしょうか?以下では、「会社法制研究会資料」において示されている課題をもとに検討してみたいと思います。3会社法制研究会資料にみる従業員に対して自社株式を無償交付する際の課題・問題点会社法制研究会資料では、従業員に対して自社株式を無償交付する際の法的な課題・問題点について整理を行っています(注10)。以下、それらを要約して挙げていくとともに、必要に応じて解説やコメントを加えていきたいと思います。(1)検討の背景事情株式報酬については、令和元年の会社法改正により、上場会社において、取締役の報酬等として募集株式の発行または自己株式の処分をするときは、金銭の払込み等を要しないものとされています(会社法202条の2)。他方で、取締役ではない従業員等については同様の規律は設けられていません。このため、実務上、従業員等に株式を交付する際は、金銭債権を付与した上で当該金銭債権を現物出資させて株式を交付する方法(現物出資構成)によって株式を交付しています(注11)。しかし、この方法はあまりに技巧的であるため、端的に従業員または子会社役職員(従業員等)への株式の無償交付(金銭の払込み等を要しない募集株式の発行または自己株式の処分)を認めるべきではないか、という観点から検討するとしています。(2)既存株主の利益の保護のあり方金銭の払込み等を要しない形で募集株式を発行する場合、1株当たりの価値が下落(希釈化)し、既存株主の利益が害されるおそれがあり得るため、既存株主の利益に配慮する必要が生じてきます。この点、上場会社において取締役の報酬等として募集株式を発行する場合は、①株式が取締役の報酬等(職務執行の対価)として交付され、取締役は株式会社に対して職務執行により便益を提供するため、金銭の払込み等を要しないことが特に有利な条件に該当することは想定し難いこと、②株式を取締役の報酬等とする場合には、株主総会決議によって交付する株式の数の上限等を定めなければならず、株主総会決議によって許容される希釈化の限度について株主の意思が確認されることになる、といったことを踏まえ、既存株主の利益が不当に害されるおそれはなく、有利発行規制も適用されないようにする立法上の手当てがなされています(会社法202条の2参照)一方で、従業員等に対して株式を交付する場合、(ア)仮に賃金(労働の対償)として交付されるわけではないと整理されるとすれば(下記の「(7)労働法との関係」を参照)、金銭の払込み等を要しないことが特に有利な条件に該当しないといえるか否かについては慎重な検討を要するものと考えられること、(イ)公開会社では、募集株式の発行等をするにあたって株主総会決議を経る必要がないため、株主総会決議によって許容される希釈化の限度について株主の意思が確認されることはないこと、などを踏まえて規律を検討する必要があります。このため、有利発行規制を及ぼすか否かや、株主総会決議を要件とするか否か、といったことが検討事項となるものと考えられます(注12)。その際、たとえば、取締役会において従業員等に対する募集株式の割当てに関する事項等を定めなければならないものとしたうえで、株主総会決議までは不要としつつも有利発行規制が及ぶものとする考え方や、株主総会において従業員等に対する募集株式の割当てに関する事項等を定めなければならないものとしたうえで、有利発行規制は及ばないものとする考え方などもあり得る、としています。(3)株式の無償交付の対象者会社法制研究会資料は、株式の無償交付の対象者について、当該株式会社の従業員に加えて子会社の役員や従業員を含めることにつき、仮に認める場合においても、完全子会社の役員や従業員に限ることも含めて検討するものとしています。また、役員に関しても、当該株式会社およびその子会社の取締役に加えて、監査役および会計参与を対象者に含めることについても検討するものとしています。現状では、親会社のみが持株会社として上場し、その傘下に多くの子会社等を有しつつ事業を行っている企業グループも多いので、仮に従業員等に対する株式の無償交付について積極的に検討していくとすれば、子会社の役員や従業員をその対象に含めることは合理的であるように思います。なお、現行の会社法は、子会社が親会社の株式を取得することを原則として禁止しています(会社法135条)。そのため、子会社の役員や従業員を親会社株式の無償交付の対象に含めていくとした場合、親会社株式について子会社を介することなく、子会社の役員や従業員に親会社株式を直接的かつスムーズに交付する方法を開発していくか(なお、本稿の注⑾も参照ください)、または、子会社による親会社株式の取得が例外的に認められる場合について定める会社法135条2項または会社法施行規則23条を改正し、役員や従業員に無償交付する場合を子会社による親会社株式の取得が認められる例外事由とするなどの手当てが求められることになるでしょう。(4)対象となる株式会社令和元年の会社法改正では、上場会社以外の株式会社の株式については、市場株価が存在せず、その公正な価値を算定することが容易でないことから、株式の無償交付の制度が濫用され、不当な経営者支配を助長するおそれが高まるとの理由から、上場会社に限って取締役への株式の無償交付を認めることとされました。ただ、会社法制研究会資料は、非上場会社においても人材活用のために株式報酬を利用するニーズがあり得るとして、既存株主の利益の保護が十分に図られ、不当な経営者支配に利用されるなどの制度の濫用のおそれが低い場合には、非上場会社について従業員等に対する株式の無償交付を認めることも検討するとしています。この点につき、筆者は、既存株主の利益の保護や不当な経営者支配の助長に対する配慮が必要な点はもちろんのこと、それ以外にもいくつかの懸念点があるように思います。たとえば、近い将来に上場が予定されている非上場会社であればまだしも、一般的な非上場会社においては、無償交付された株式につき、それを譲渡したり、金銭に換金することは容易ではないですし、仮に株式の交付を受けた従業員が長期的に当該株式を保有するにしても、剰余金の配当・配当性向の傾向は会社によってまちまちであることを考えると、最終的に従業員にとっては労働の対価としては不十分な結果となるケースも頻発するように思います。仮に非上場会社についても従業員への株式の無償交付を認めるとすれば、こうした懸念に対して十分に手当てがなされることが必要になると思われます。(5)開示会社法制研究会資料は、株式の無償交付の透明性・公正性を担保するため、一定の事項について事業報告の記載事項とすることなどが考えられるとしています。そのうえで、従業員等に対する株式の無償交付に関する事項の開示の要否等について検討を要するとしています。(6)会計処理令和元年の会社法改正では、上場会社において取締役の報酬等として金銭の払込み等を要しないで募集株式を発行する場合における会計処理につき、会社法および法務省令において、「取締役がその職務の執行として当該株式会社に提供した役務の公正な評価額」をベースとして計算するなどとする新たな規定が設けられました(会社法第445条6項、会社計算規則第42条の2および第42条の3)。このことを踏まえ、会社法制研究会資料では、従業員等に対する株式の無償交付に関する規定を整備した場合の、新たな会計処理に関する規律についても検討するとしています。(7)労働法制との関係会社法制研究会資料は、従業員に対して株式の無償交付を行う場合、交付される株式が労働基準法上の「賃金」(労働基準法11条)に該当し、それによって「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」とする、いわゆる「賃金の通貨払いの原則」(同法24条)に抵触しないかが問題となり得るとしています。そのため、この点について整理を要するとしています。この点、これまでみられてきた一般的な整理の中には、次の(a)から(c)の要件を満たす場合、労働基準法第11条が「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」と定めているところの「賃金」には該当せず、同法第24条の賃金の「通貨払いの原則」にも抵触しないとするものがみられます(注13)。すなわち、株式の無償交付が(a)通貨による賃金等を減額することなく付加的に付与されるものであること、(b)労働契約や就業規則において賃金等として支給されるものとされていないこと、および(c)通貨による賃金等の額を合算した水準と、株式の無償交付を含む報酬スキーム導入時点の株価を比較して、労働の対償全体において前者(通貨による賃金等)が労働者が受ける利益の主たるものであること、といった要件です。そして、これらの要件を満たす場合は、株式の無償交付は、仮にそれが労働契約上の義務づけに基づく、労働の対償としての給付であったとしても、労働法の観点からは「福利厚生施設(福利厚生給付)」に該当すると考えられるようです(注14)。しかし、こうした整理、とくに(a)の通貨による賃金等を減額しないことを要求する要件などは、株式の無償交付が労働の対価(対償)としてではなく、あくまで通常の賃金に付加的(オマケ的)として用いられている限りでは法的にも一応整合的であるといえるものの、今後、正面から賃金の代替の一形態として捉えたうえで、そうした形で積極的に利用を促していくとすれば、整合性がとれなくなっていくように思います。労働法の研究者からも「究極的には、株式報酬の有用性を労働者の賃金制度においても正面から認め、労働基準法上の賃金に該当するか否かにかかわりなく株式報酬が認められる適切な要件を定めていくべきであるように思われる」との見解もみられていますが(注15)、的確な問題提起であると考えます。4おわりに以上、会社法の改正に向けて現在議論がされている、従業員に対する株式の無償交付に向けたいくつかの論点について見てきました。従業員に対する株式の無償交付については、上述したように、仮にそれを認めていくにしても、いくつかの課題・問題点をクリアする必要がありますし、とくに労働法的な観点からの検討も重要となります。さらに、一連の課題・問題点について考えていく際には、従業員が労働の対価(対償)として支払われる賃金が、取締役等の役員報酬と比較して額が低廉であるということも意識する必要があるように思います。株式の無償交付が経営者らによって濫用的に用いられたり、交付を受けた従業員にとって実質的な経済的利得を十分に得られるものになっていなければ、賃金全体の額が低い分、その影響が従業員の生活の逼迫に直接的につながりやすくなるためです。そのため、会社法の範疇とするか、労働法の範疇とするかはさておき、いずれにしても従業員らが実質的に合意しているもとで、労働の対価(対償)として株式の無償交付が用いられる状況を作り出すことも重要であると考えます。さらに、株式・新株予約権が関わるインセンティブ報酬については、課税に関する観点からも、報酬プランやスキームごとに、課税のタイミング(繰延べの可否)、課税区分(優遇措置の有無)、税法上の損金算入の可否および可とする場合の要件なども問題となり得ます(注16)。このように様々な課題・問題点があるものの、株式を用いたインセンティブ報酬は、適切に利用がなされれば、従業員に対して会社の業績の向上や株式価値の上昇に関心を向かせ、それと同時に従業員の資産形成にも資する、労働の対価(報償)の支払となり得るものと考えます。そうした良い形での利用がなされるよう、今後検討がなされていくことが望まれます。<注釈>公益社団法人商事法務研究会・会社法制研究会資料1「会社法の見直しに向けた検討について」(2024年9月19日。https://www.shojihomu.or.jp/public/library/2770/shiryo1.pdf)。内閣府「規制改革実施計画」(2024年6月21日。https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/publication/program/240621/01_program.pdf)。前掲注(2)2024年規制改革実施計画・82頁。橋本基美「従業員向け株式インセンティブ制度の導入動向と実務上の課題」商事法務2375号(2024年)9頁。畑山茂樹「株式を利用したインセンティブ報酬の収入計上時期に関する一考察」税務大学校論叢第92号(2018年)17頁参照。経済産業省産業組織課「『攻めの経営』を促す役員報酬~企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引~(2023年3月時点版)」(2023年3月31日。https://www.meti.go.jp/press/2022/03/20230331008/20230331008.html)18-19頁参照。なお、本文で紹介したもの以外にも、株価の上昇と関連づけられた報酬形態として、ファントム・ストック(仮想的に株式を付与し、一定期間経過後に株価相当の現金を役員に交付する)、パフォーマンス・キャッシュ(中長期の業績目標の達成度合いに応じて、金銭を役員に交付する)、SAR(StockAppreciationRight。一定期間経過後の対象株式の市場価格があらかじめ定められた価格を上回っている場合に、その差額部分の金銭を公布する)などがあります。橋本・前掲注(4)9-10頁参照。橋本・前掲注(4)10頁参照。橋本・前掲注(4)10頁参照。会社法制研究会資料2-6頁参照。子会社の従業員等に対しては、子会社が従業員等に金銭債権を付与し、親会社が当該金銭債権にかかる子会社の債務を併存的に引き受ける旨の契約を締結し、親会社は、子会社の従業員等に対し、親会社に対する履行請求権を現物出資財産として給付させることによって親会社の株式を交付した後、親会社が子会社に求償するという運用がされている、とのことです。会社法制研究会資料2頁。なお、アメリカでは、ニューヨーク証券取引所やNASDAQの規則で、それらの市場に上場する会社が従業員に対し、株式関連の報酬プランを提供する場合には株主総会の決議を要する旨が定められています(NYSEListedCompanyManual303A.08,THENASDAQSTOCKMARKETLLCRULES5635(c))。経済産業省産業組織課・前掲注(6)100-102頁参照。また、山下聖志「株式報酬の導入・運用における法務部門の役割」ビジネス法務2024年10月号67頁も参照。池田悠「従業員向け株式インセンティブ制度の導入に係る理論上の課題−労働法の知見から」商事法務2375号(2024年)16頁。池田・前掲注(14)18頁。山下・前掲注(13)67-68参照。提供:税経システム研究所
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2025/02/07 topics
副業・兼業時の形態について -フリーランス法の解説を中心に-
1はじめに労働者がそれぞれの事情に応じて多様な働き方を選択できる社会を実現するため「長時間労働の是正、多様で柔軟な働き方の実現、雇用形態にかかわらない公正な待遇の確保等」に対して、2019年4月より様々な法規制がされています(いわゆる、働き方改革関連法の施行)。その中でも「多様で柔軟な働き方の実現」の一環として、近年では、副業や兼業を認める大手企業が多くなっており(注1)、中小企業においても、副業を禁止している割合は小さく、従業員に放任されている割合が高いと示唆(注2)され、我が国における新たな労働の担い手として、期待されています。そのような背景も相まって、個人(一人役員会社も含む、以下同じ。)が事業者として受託した業務に安定的に従事することができる環境を整備する「特定受託事業者にかかる取引の適正化等に関する法律(以下、「フリーランス法」といいます。)」が制定され、2024年11月1日から施行されました。本稿では、個人が事業者として業務を受託する副業・兼業時の形態として考えられる類型の特徴及びフリーランス法の内容を中心に解説していくこととします。なお、本稿におけるフリーランスは、フリーランス法におけるそれを念頭に置いており、業務委託を受ける事業者で従業員を使用しないものを指すこととします。2副業・兼業時に採りえる形態副業・兼業時に採りえる形態として、自らの労働力を提供するか否かで、以下のように大別することができます。まず、労働力を提供する例としては(1)他人からある業務を受託し、その成果に対して収入を得る事業主の形態、もしくは(2)本業以外の事業主に正社員又は非正規社員のいずれかとして雇用され、労働者として労働力を提供することで収入を得る被用者の形態があります。これに対し、自己の労働力を提供しない例としては、(3)自己が保有する資産を有効活用して収入を得るような投資(資産運用)による副業が考えられます。次に(1)の事業主して副業・兼業をする場合、①個人又は②会社組織のいずれかになりますが、①個人で副業・兼業を始める場合、税務関係の諸届けのみで、すぐに事業を始めることが可能です(ただし、各種業法で許可・認可等が求められている場合を除きます)。これに対し、②会社組織で副業・兼業を始める場合には、初めにいずれかの会社(法人)の設立手続が必要になり、税務や労務に関する諸届けが必要になるほか、個人と同様、各種業法で許可・認可等が求められている場合には、それらの対応を経て、ようやく事業を開始することができる状況になります。副業・兼業が営利を目的として会社の形態を選択する場合、株式会社又は合同会社のいずれかを選択する事例が多く、筆者の経験上は、自身の資産を基に副業・兼業を始める場合には、合同会社を選択する事例が多く、自身の能力を基に副業・兼業を始める場合には、株式会社を選択する事例が多いように感じています。株式会社・合同会社のいずれにおいても、1人のみで設立することができ、拠出する資本金の額もともに1円以上であれば法的に問題はありませんが、本業に対する副業として事業を始める場合は、簡易に始めることができる個人の形態から始め、副業から一歩進んで本業同様に本人の収入源となるような事業となった場合には、将来の事業展開も含め、会社(法人)組織を採用すればよいと考え、その点は実務においても同じように展開しているように感じます。【図1副業・兼業の類型】類型労働力提供名称属性事業主ありフリーランス(1)個人会社組織なし投資・資産運用(3)個人会社組織被用者あり社員・パート・アルバイト(2)個人3フリーランス法の概要及びフリーランス側からみた注意点(1)フリーランスの現状フリーランス法の正式名称は、「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」であり、2024年11月1日から施行されています。内閣官房が実施した「フリーランス実態調査(2020年5月)」によれば、日本のフリーランス人口は462万人と試算されており、その内訳は、フリーランスを本業としている者が214万人(約46.3%)である一方で、副業としてフリーランスをしている者は248万人(約53.7%)と試算されています。ただし、総務省統計局が公表する「労働力調査(2022年)」において自営業者数が648万人とされていることからも、副業でフリーランスをしている者が試算されている以上に存在しても不思議ではなく、潜在的にフリーランスはより多く存在しているものと思慮します。そのような現状において、前述のフリーランス実態調査では、全体の37%のフリーランスが取引先とのトラブルを経験したことを明らかにしており、フリーランスに対する保護は、必要な施策の一つとされていました。(2)フリーランス法の全体像そのような背景からフリーランス法は制定されましたが、この法律は、フリーランスの募集、契約の締結、契約の履行、契約終了の各段階における「取引の適正化」と「就業環境の整備」をはかることを目的としており、規制対象は業務委託をする発注者で保護対象は特定受託事業者となります。ここでいう「業務委託」とは、事業者がその事業のために他の事業者に物品の製造(加工を含む。)、情報成果物の作成、又は役務の提供を委託することをいいます(法2条3項2号)が、特に業種の制限はありません。また、事業者から他の事業者に対する業務委託が本法の適用の前提となりますので、発注者として消費者はこの法律の適用対象外となります。次に、「特定受託事業者」とは、業務委託者の相手方である事業者であって①個人で従業員を使用していないもの、又は②法人であっても、1名の代表者以外に役員がおらず、かつ従業員を使用していないものをいいます(法2条1項)。仮に、複数の事業を行っているフリーランスが、一つの事業で従業員を雇用し、他の事業では従業員を雇用していない場合、全体としては従業員を雇用していることになり、「特定受託事業者」には該当しないと解されています(注3)。なお、ここでいう「従業員」の定義は雇用保険法の一般被保険者の要件を満たすような1週間の所定労働時間が20時間以上であり、かつ、継続して31日以上雇用されることが見込まれる労働者を指します。これに対し、同居の親族のみを使用している場合は、本法の従業員を使用には該当しません。また、フリーランス法の適用の有無は、業務の発注時にフリーランスが特定受託事業者に該当するか否かで決まります。その際、発注者に課される契約条件の明示義務(法3条、以下②)は全ての発注者に適用されますが、その他の規制(以下①及び③から⑦)については、「特定業務委託事業者」のみに適用され、特定業務委託事業者以外の業務委託事業者には適用されません。なお、ここでいう「特定業務委託事業者」とは、業務委託事業者であって、個人の場合は従業員を使用するものを指し、法人の場合は2人以上の役員が存在するか、又は従業員を使用するものを指します。(3)フリーランス法の義務規定①募集情報の的確表示(法12条)募集情報の的確表示義務は、1対1の関係で契約交渉を行う前段階である広告等により広くフリーランスを募集する際の義務を指し、具体的には(ⅰ)発注者の情報、(ⅱ)業務内容、(ⅲ)業務従事場所等、(ⅳ)報酬、及び(ⅴ)契約の解除・不更新等の募集情報について、虚偽の表示又は誤解を生じさせる表示をしてはならないとするものです(法12条1項)。なお、当該情報提供について、いつ時点で提供された情報であるかを明確にしなければならないとされており、掲載日自体を記載する必要があることに注意が必要です(法12条2項)。②契約条件の明示(法3条)業務委託事業者が、特定受託事業者に業務委託した場合には、直ちに、特定受託事業者に対し、書面又は電磁的方法により以下の内容を明示する必要があります(法3条1項)。ただし、業務委託時点でそれらの内容を定めることができないことに正当な理由がある場合には、「内容を定めることができない理由」及び「内容を定める予定日」を明示すれば足ります(法3条1項ただし書き)。なお、これらの明示事項については、原則として業務委託の都度明示する必要がありますが、複数の業務委託がされる場合には、共通する事項については、共通する部分を明示することで、都度明示する必要はなくなります(公取委規則3条)。【図2契約条件明示義務(3条通知)の内容】明示項目注意点成果物やサービスの内容知的財産権の譲渡・許諾をする場合には、それらの範囲も明示する報酬額・税込の有無等を含め具体的な金額を明示する(ただし、報酬額を明示することが困難な場合には、算定方法の明示で足りる)・知的財産権を譲渡等する場合には、その対価も明示する・発注者が材料費等の費用を負担する場合には、総額を明示する支払期日支払期日を定めなかった場合、成果物等の受領(提供)日が、直ちに支払期日になる発注者と受注者の名称互いが識別可能な名称・番号であればよい業務委託日合意した日をいい、業務委託の開始日ではない納品やサービスの提供を受ける期日(納期)期間を定める場合は、その期間を明示する納品やサービスの提供を受ける場所(インターネット等)場所の特定が不可能な場合は明示する必要はない(検品する場合)検査完了日明確な日付とする必要がある(ただし、「納入日から●日以内」とすることも可能)現金払い以外の方法による支払方法デジタル通貨払いも許容される➂支払期日(法4条)特定業務委託事業者は、特定受託事業者の給付を受領した日(又は役務の提供を受けた日)から起算して60日の期間内(注4)に報酬を支払わなければなりません(法4条1項参照)。前述のとおり、支払期日は、具体的な日付が特定できるように定める必要があり、納品後●日以内という定め方は認められていません(支払期日を定めなかった場合には、「給付受領日(役務提供日)」が支払期日とみなされます(法4条2項))。なお、ここでいう「給付受領日」とは、発注者が成果物を受け取った日をいい、成果物の検品完了日でありません(注5)。他方で、仮に特定受託事業者側の問題で委託業務のやり直しがあった場合には、やり直し後の物品受領又は情報成果物提供日が給付受領日になると解されています(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の1(1)エ)。もっとも、再委託の場合(元委託者→再委託者→フリーランス)においては、再委託者がフリーランスに対し再委託であること等を明示したときには、再委託者は、フリーランスに対し、元委託者が再委託者に報酬を支払う予定の日(元委託支払期日)から30日以内に報酬支払日を定めれば足りるとされています(法4条3項)。この特例は、「再委託の特例」と呼ばれ、元委託者から委託を受けてフリーランスに再委託する再委託者の支払いに配慮して、当該規定は設けられました。④1か月以上の期間行う業務委託時における禁止行為(法5条)フリーランス法では、契約期間が長くなればなるほど、フリーランスが発注者に経済的に依存することになり、発注者からの不利益な取扱いを受けやすくなる恐れを考慮して、1か月以上の期間継続する業務委託については、以下の行為を禁止行為と定めています(法5条1項)。ここでいう契約期間の考え方として、始期については、(ⅰ)業務委託契約締結日、又は(ⅱ)業務委託に関する基本契約締結日のいずれか早い日を指し、終期については、業務委託契約の終了日、又は基本契約終了日のいずれか遅い日を指しますので、契約期間としてカウントする場合、実際に業務委託に従事した期間だけではない点に注意が必要です。この点からも、相当多くの業務委託が本条の対象になると指摘されています(注6)。【図3禁止行為(法5条1項)の内容】禁止行為内容受領拒否フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、注文した物品又は情報成果物の全部又は一部の受領を拒む(納期の延期・契約解除も含む)こと報酬の減額フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、あらかじめ定めた報酬を減額する(違約金として徴収することも含む)こと返品フリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、受け取った物品を返品(注7)すること買いたたき類似品等の価格又は市価(=フリーランスが属する地域において一般に支払われる対価)に比べて、著しく低い報酬を不当に定めること購入・利用強制正当な理由がないにも関わらず、指定する物・役務を強制的に購入・利用させること不当な経済上の利益の提供要請フリーランスの利益を不当に害するものでなく、かつ、フリーランスの自由意思によらずに、金銭、労務の提供等をさせること不当な給付内容の変更・やり直しフリーランスに責めに帰すべき事由がないのに、費用を負担せずに注文内容を変更し、又は受領後にやり直しをさせること(フリーランスの利益を不当に害する場合に限る)なお、契約期間が1か月未満の場合であっても、発注者が、上記の禁止行為を行うことで、独占禁止法上の優越的地位の濫用に関する規制に違反する可能性もありますので、注意が必要です。➄ハラスメント防止措置の整備(法14条)発注者とフリーランスには労働契約関係が存在しないことから、ハラスメント防止に関する法律(=労働施策総合推進法)が適用されません。この点からフリーランス法では、フリーランスの就業環境の整備を目的として、発注者にハラスメント対策として必要な措置を講ずることを法的義務として定めています。具体的には、(ⅰ)ハラスメントを行ってはならない旨の方針の明確化と社内への周知・啓発、(ⅱ)相談窓口の設置とその周知(この点につき、新たな設置が必要ではなく、既存の門戸を開ければよいとされています)、(ⅲ)相談に対する適切な措置と配慮、(ⅳ)プライバシー保護のための必要な措置及び周知、及び(ⅴ)申出による不利益取扱いを行わない旨の周知・啓発を講じる必要があります。⑥妊娠・出産・育児・介護に対する配慮(法13条)前述のハラスメント防止措置の整備と同様に、発注者とフリーランスとの間に労使関係がないことから、育児介護休業法のように「妊娠・出産・育児・介護」を行う者を保護できる状況にないため、フリーランス法は、特定業務委託事業者に対し、6か月以上の継続的業務を委託している(以下、「継続的業務委託」といいます。)特定受託事業者の申出に応じて、妊娠・出産・育児・介護と両立して業務に従事することができるように配慮する義務を課しました(なお、6か月未満の場合は、努力義務となります)。ここでいう、6か月以上とは、契約期間が6か月以上となる時点を指し、複数回の契約更新により6か月以上の契約期間を有するに至った場合も含みます。フリーランス法上、特定受託事業者からの申出に応じて配慮する必要はありますが、業務の性質や会社の体制などにより配慮自体が困難である場合や、配慮を行うことで業務のほとんどが行えなくなる場合等、合理的な理由がある場合には、配慮自体を行わないことも認められています(注8)。➆中途解約時の事前予告・理由開示(法16条)フリーランス法は、継続的業務委託をしている場合、少なくとも契約解除の30日前までに、契約解除すること又は更新しないことについて、予告しなければならないと定めています(法16条1項)(注9)。ここでいう解除は、発注者側からの一方的な契約解除を指し、フリーランスとの間の合意解除は含まれません。これに対し、継続的業務委託以外の場合における契約解除においては、本条の規定が適用されませんが、フリーランス法上の禁止行為等(法5条)に抵触しないよう注意が必要です。なお、フリーランスが契約解除理由について開示請求をした場合には、発注者は、それに応じる必要があります(法16条2項)ので、将来的なトラブル回避のためにも、フリーランスに対し、きちんと説明をするなどの対応が望まれます。(4)フリーランス側が注意すべき事項及びトラブルの際に採るべき対応策フリーランス・トラブル110番(注10)に寄せられた相談内容として、報酬の支払いに関するものが最も多く、次いで契約条件の明示、受注者からの中途解除・不更新、発注者からの損害賠償、発注者からの中途解除・不更新、労働者性の順となっています。フリーランスが発注を受ける際には、事前にフリーランス法の適用の可否を知っておくことが望ましく(ⅰ)発注者の属性(特定業務委託事業者or業務委託事業者の別)や(ⅱ)委託業務の受注期間などについては、特に注意して確認をしておくべきです。また、報酬の支払いトラブルの次に多い「契約条件の明示に関するトラブルや受注者からの中途解除・不更新、発注者からの損害賠償」については、契約締結時点で契約条件(3条通知)の内容について細部まで明確にすることで、未然に防げるトラブルといえますので、受注する側も慎重に対応していくことが望まれます。その他のトラブルについては、フリーランス法でカバーされている部分が多くなりますので、トラブルに対する備えとしてもフリーランス法を熟知することは有用となります。上記のほか、実際に発注者との間でトラブルが生じたフリーランスが採るべき対応策としては、民事裁判等の司法制度を利用するほか、担当行政機関への申し出(取引適正化関連については経済産業省・中小企業庁、就労関連については厚生労働省)を行うことが可能です。フリーランスが当該申し出を理由に発注者は不利益取扱いをすれば、それ自体が行政機関からの勧告や命令の対象となりますので、発注者は真摯に対応することが望まれます。4おわりにフリーランス法の施行により、フリーランスに対しても一定の保護がされることに違いはありませんが、この法律が施行されても、フリーランスが優位になるというものではありません。他者との差別化を図れなければ、発注者にとって代替性のある発注先の一つとして認識されるのみであり、魅力的な発注先になるということはありません。以上からも、まずは発注者にとって魅力的なフリーランスになり、副業・兼業の範囲内でこの働き方を利用しながら、将来を見据えていくことは十分検討に値すると考えます。フリーランス法が、副業・兼業する側のQOLが向上し、ひいてはそれが本業の活性化につながるという好循環になることを願って、今後の動向に注視していきたいと思います。<注釈>「副業・兼業に関するアンケート調査結果(www.keidanren.or.jp/policy/2022/090.pdf)」川上淳之「中小企業における副業認可とその影響」45頁(2024年8月・日本政策金融公庫論集第64号)第二東京弁護士会労働問題検討委員会編著「ケーススタディでわかるフリーランス・事業者間取引適正化等法の実務対応」21頁(2024年・第一法規)仮に60日を超える日を支払期日として定めたとしても給付受領日等から起算して60日を経過する日が支払期日とみなされます(法4条2項)。他方、情報成果物については、事前に一定の水準を満たしていることを確認した時点を給付受領日とする旨の合意がされている場合には、その水準を確認した日が給付受領日となります(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の1(1)イ)。前掲注3・91頁別途保証期間として1年以内を定める場合を除き、6か月を超えた後の返品は認められません(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方第2部第2の(2)ウ)。特定業務委託事業者が募集情報の的確な表示、育児介護等に対する配慮及び業務委託に関して行われる言動に起因する問題に関して講ずべき措置等に関して適切に対処するための指針第3の2(1)契約解除の30日前までに解除通知をしなかった場合には、過去の労働判例を参考に30日の経過によって解除の効力が生じることになると解する余地はありますが、フリーランス法にはそれに関する規定がされていない点には注意が必要です。第二東京弁護士会が厚生労働省から依託を受け、2020年11月から設置された発注者から仕事の委託を受けるフリーランスの取引上のトラブルを解決するための相談窓口機関提供:税経システム研究所
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2025/01/31 topics
パワハラを理由とする退職金減額について 取締役会の裁量はどこまで及ぶか -釧路地帯広支判令和5年1月16日-
1.はじめにパワーハラスメント(パワハラ)は就業環境を悪化させるものであり、厚生労働省の「職場のハラスメントに関する実態調査(令和5年度)」によれば、労働者の5人に1人が「過去3年間にパワーハラスメントを受けたことがある」と回答しています(注1)。パワーハラスメント防止措置を執ることは、令和4(2022)年4月から全ての事業主に義務化されています(労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律30条の2)。この規定によれば、パワハラとなるのは、同じ職場で働く者に対して、(1)「優越的な関係」を背景とした言動であって、(2)「業務上必要かつ相当な範囲」を超えたものにより、(3)労働者の就業環境が害されるものという3つの要素を全て満たす言動を指します(注2)。パワハラが会社の上司によって行われる場合には、その部下に与える影響は大きいものとなります。特に会社のトップ(社長)によるパワハラは、その会社に社長の言動を阻止できる者がいないため、部下に深刻な問題を与えるリスクが高まります。近時、パワハラを原因として代表取締役社長が辞任した場合に、株主総会で取締役会に一任された退職金を、取締役会の裁量で減額することが認められるか否かが争われた注目すべき裁判例が、釧路地帯広支判令和5年1月16日LEX/DB文献番号L07850594です。本稿ではこの裁判例を紹介しつつ、パワハラの問題を検討して行きます。2.釧路地帯広支判令和5年1月16日(1)事実の概要Y会社は、帯広市等において、食料品主体のスーパーマーケット事業等を行っている株式会社であり、取締役会設置会社です。Xは、昭和52年、Y会社に従業員として入社し、昭和61年11月からY会社の取締役に就任し、平成23年11月から令和2年11月5日までY会社の代表取締役を務めた者です。Y会社の取締役会は、令和2年11月5日に、Xを代表取締役から解職するとの議案を可決しました。Xは、そのことを知らされた後、Y会社宛てに辞任届を提出して、Y会社の取締役及び代表取締役を辞任しました。Y会社の取締役会は、一旦可決されたXの代表取締役の解職決議を撤回しました。Y会社は、令和2年12月22日に開催された株主総会(本件株主総会)において、Y会社の役員退職慰労金規程に従い、Xに対し、一定の基準で相当額の範囲内において退職慰労金を贈呈することおよびその具体的金額、贈呈の時期、方法等を取締役会に一任することを決議しました(本件株主総会決議)。Y会社の役員退職慰労金規程(注3)に基づき計算されるXの退職慰労金は、7897万5000円(退任時報酬月額325万円×0.9×27(年))でしたが、Y会社は、令和3年7月15日に開催された取締役会において、Xの退職慰労金を7000万円と決議し(本件取締役会決議)、同年7月28日、Xに対し、同額を支払いました。その後、Xは、Y会社に対して、(1)主位的に、退職慰労金支給の株主総会決議がなされてから、1か月以内に、Xの退職慰労金等の支給を取締役会において決議しなかったことは、取締役としての善管注意義務に違反すること、(2)予備的に、Y会社が、取締役会決議において考慮すべきでない事項を考慮するなどしてXの退職慰労金を減額し、また功労加算金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反すること(注4)等を理由に、支払われるべき退職慰労金7897万5000円、功労金相当額2000万円、弁護士費用相当額989万7500円、遅延損害金168万2302円の合計金額1億1055万4803円より、既払の7000万円を控除した4055万4803円を損害額として、その支払いを求めました。2.判旨前掲釧路地帯広支判令和5年1月16日は、Xの請求を棄却しました。(1)争点①退職慰労金の支給日について「Y会社の役員退職慰労金規程には、取締役会の退職慰労金の支給日について、株主総会の決議に従い取締役会が決定するとの定めがあるものの、退職慰労金贈呈の時期についての定めがないところ、本件株主総会においても、Xに対する退職慰労金の贈呈の時期等はY会社の取締役会に一任するとされていること…に照らすと、退職慰労金支給の具体的な時期については、Y会社の取締役会の裁量に委ねられていると解される。したがって、Y会社の取締役会に委ねられた裁量の範囲を逸脱又は濫用した場合に、各取締役につき善管注意義務違反が認められ得ると解するのが相当である。」「Y会社の取締役会は、本件株主総会決議の趣旨を踏まえ、Xに対する退職慰労金の支給の判断の前提となる、Xのパワーハラスメント行為の有無やその評価について、第三者委員会や弁護士といった専門家の助言を得た上で、慎重に判断していたのであり、本件株主総会決議から、本件取締役会決議がなされるまで、7か月程度を要しているとしても、取締役会の裁量の範囲の逸脱又は濫用に当たると評価することはできないから、Xの主張を採用することはできない。」(2)争点②退職慰労金の減額等について「Y会社においては、本件株主総会決議により、取締役会に対し、Xの退職慰労金等の具体的金額や支給時期の決定が一任するとされていることから、退職慰労金の減額をするかどうかや減額する場合にいくら減額するか、功労加算金の支給を行うかどうかや支給する場合にいくら支給するかについては、Y会社における役員退職慰労金規程に則り、取締役会に裁量があると解するのが相当である。」「Xによるパワーハラスメント…の事実は、パワーハラスメント行為を受けたY会社の役員や従業員に精神的な打撃を与えるだけでなく、これらの者以外のY会社の取締役や従業員の意欲の低下を招き得るものであること、Y会社の対外的イメージを悪化させ得るものであること、Y会社内部のコンプライアンスに対する悪影響を与えるものであることなど、決して軽視することはできないものであることに照らせば、Y会社が主張する退職慰労金の減額事由のうち一部については認められないものの、Xの退職慰労金を約12%減額し、Xに対し功労加算金を支給しないとのY会社の取締役会による判断は、その裁量の範囲を逸脱又は濫用したとはいえない。したがって、Y会社が、本件取締役会決議において、Xの退職慰労金を減額し、また功労加算金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反するものではない。」3.退職慰労金の決定方法(1)会社法の規制取締役の報酬規制について、指名委員会等設置会社では報酬委員会(会社法404条3項)が、それ以外の株式会社では定款の定めまたは株主総会の決議でその額を定めなければなりません(会社法361条1項)。もっとも、指名委員会等設置会社以外の株式会社の取締役の場合、実務上一般に退職慰労金については、通常の報酬等とは異なり、退職慰労金の総額(最高限度額)を明示せず、具体的な金額、支給時期、支給方法等を、取締役会設置会社では取締役会に、取締役会設置会社以外の会社では取締役の過半数による決定に一任する旨の総会決議がなされることがあります。勤続年数の長い取締役は退職慰労金の額が大きくなるところ、日本の取締役は報酬額の個別開示を好まない傾向があるためだと考えられています。判例の立場によれば、無条件に取締役会等に退職慰労金の決定を一任するのではなく、会社の業績、退任取締役の勤続年数、担当業務、功績等から算定された一定の支給基準に従い、それを株主が推知し得る状況において、決定すべきことを一任するのであれば無効とはいえないとしています(最判昭和39年12月11日民集18巻10号2143頁)(注5)。(2)退職慰労金の具体的権利性退職慰労金の支給規定や支給基準がある会社であっても、会社法に定める報酬等に該当するため、退任取締役は定款または株主総会の決議によってその金額を定める等、会社法上の規定に基づく支給決議がなければ具体的報酬請求権は発生しないと解されています(最判昭和56年5月11日金判625号18頁)。そのため、株主総会決議がない場合には、会社についても取締役についても責任を否定する裁判例が多いです(東京地判平成27年7月21日金判1476号48頁、東京地判平成30年2月20日判タ1458号217頁)。(3)退職慰労金支給の株主総会決議後の取締役会による不支給・減額の可否これに対し、退職慰労金の支給を認める株主総会決議があったにもかかわらず取締役会で支給決議を行わなかったという事案については、退職慰労金相当額の損害賠償を認容しています(東京地判平成元年11月13日金判849号23頁、東京高判平成9年12月4日判時1657号141頁)。東京地判平成10年2月10日判タ1008号242頁は、株主総会において取締役の退職慰労金を取締役会に一任する旨の決議がなされた場合、退職慰労金請求権は、その金額を決定する取締役会の決議があって、初めて発生するものであり、一定の基準が存在しても株主総会の決議だけで当然に発生するものではないが、「一定の支給基準が存在して、その基準に従って定める趣旨で株主総会において取締役会に一任する旨の決議がなされたにもかかわらず、取締役会においてそれに反する決議をした場合には、決議をした取締役らは、退職慰労金を受給できる退任取締役に対して不法行為責任を負うことになる」と判示されています。東京高判平成20年9月24日判タ1294号154頁は、株主総会で退職慰労金内規に従い退職慰労金の支給を取締役会に一任する旨の決議がされた会社において、退職慰労金内規には基本的退職金部分について具体的に定められ、減額や不支給の定めはなく、支給時期は原則として総会決議後1か月以内と具体的に定められている場合には、基本的退職金部分の支給は株主総会の決議により確定的になったものということができると判示しています。また、弁護士等で構成される調査委員会が取りまとめた、退職慰労金支給内規に基づく特別減額事由に基づく退職慰労金を減額した取締役会には、その判断に当たり広い裁量権を有するというべきであり、取締役会の決議に裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があるということができるのは、この判断が株主総会の委任の趣旨に照らして不合理である場合に限られるとして、被上告人の請求を棄却した判例(最判令和6年7月8日(令和4年(受)第1780号)LEX/DB2557363)もあります。学説においても、株主総会で一定の支給基準に従い退職慰労金を支給すべき旨の決議をした場合にも、内規等の支給基準において不支給・減額事由が定められているときは、取締役会がそれに従い退職慰労金の不支給・減額を決めることはもとより可能であり、支給基準にそのような定めがないときでも、会社が支払不能に陥った場合や、退任取締役について会社財産の横領等刑事罰に相当する行為が発覚した場合には、不支給・減額することが株主総会の黙示の委任内容であるとして、取締役会が不支給・減額を決議することも許されると解するものもあります(注6)。4.本判決の検討判旨(1)では、Y会社の取締役が、本件株主総会決議がなされてから、1か月以内に、Xの退職慰労金等の支給を取締役会において決議しなかったことが、取締役としての善管注意義務に違反するかが争われています。退職慰労金の支給時期が定められていた前掲東京高判平成20年9月24日とは異なり、Y会社の役員退職慰労金規程には、退職慰労金贈呈の時期についての定めがなく、Y会社の取締役会の裁量に委ねられているところ、Xのパワーハラスメント行為の有無やその評価について専門家の助言を得て慎重に判断していたこと、本件株主総会決議から支給まで7か月程度であることは、取締役会の裁量範囲を逸脱したということはできないでしょう。判旨(2)では、Y会社が、本件取締役会決議において、Xの退職慰労金を減額し、また功労金を支給しないこととしたことは、取締役としての善管注意義務に違反するかが争われています。退職慰労金内規に減額や不支給の定めを置いていなかった前掲東京高判平成20年9月24日とは異なり、本件は、内規に特別減額を定める前掲最判令和6年7月8日と同様の裁判例です。学説でも、退職慰労金の減額等については、会社法361条のお手盛り防止の趣旨には反しないとして、その裁量の範囲を広く解して良いと解されています(注7)。そこで、本判決は、退職慰労金規程に則り、取締役会に裁量があるところ、減額事由として、Xによるパワーハラスメントの事実を認定しています。本判決は、職場におけるパワーハラスメントの判断基準として、職場において行われる、①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすものをいうとされています。Y会社は、Xのパワハラとして、社長室内において従業員や取締役に対し長時間にわたって叱責したこと、Y会社の代表取締役専務に対してさまざまな会議の場で叱責したこと、叱責にあたり激しく机を叩きながら激高したこと等の20の事由を挙げました。本判決は、そのうちの11の事由を、人格的な非難を加えるものであって、業務上必要かつ相当な範囲を超えており、取締役や従業員の就業環境を害するものであるとしてパワハラがあると認定しました。これらは、Y会社内部のコンプライアンスに対する悪影響を与えるものであること等から、減額を認めた本判決の判断は妥当といえるでしょう。5.結びに代えて令和2年11月5日に開催されたY会社の取締役会において、取締役AからXを代表取締役から解職するとの議案が提出された際、Xは特別の利害関係を有する取締役(会社法369条2項)として、別室に移動することになりました。別室において、Xは、Y会社の代理人弁護士Bより、Y会社の役員や従業員に対するパワハラがあったことを理由に解職動議が提出されたとの説明を受けました。その後、取締役会においてXの解職議案が可決されたことを伝えられると、弁護士Bは、Xに対し、自ら代表取締役と取締役を辞任するということであれば、取締役A(次期代表取締役社長)は、他の取締役を説得して、解職動議を撤回して、辞任を受け入れるということで説得を試みるとして、Xに辞任を促しました。Bは、Xが解職されると退職慰労金の支払は難しくなるが、辞任であれば、退職慰労金支給を株主総会に付議する考えがあること、等を説明しました。これに応じてXはY会社の取締役及び代表取締役を辞任しました。こうした経緯から、退職慰労金の支払はあるものの、規定どおりに支給されるかどうかは明らかではないことは容易に予想されるものと思われます。本判決は、Y会社が行った、Xの退職慰労金の約12%の減額を肯定しています。これについて、なぜ減額幅が12%としたのか根拠が明示されているわけではありません(注8)が、パワハラに基づく減額は、退任役員と会社との間で紛争が起こりやすい要素であり、減額基準の具体的な算定が困難であるために行われたのでしょう。このように考えると本判決が減額を肯定したことも納得できます。パワハラは多くの会社で問題となっています。本判決で示された判断枠組みが今後同様の事案の解決にとって参考になれば幸いです。<注釈>厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査(令和5年度)」(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000165756.html参照)。厚生労働省「NOパワハラなくそう、職場のパワーハラスメント」(2024年10月3日・https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201304/1.html)。これによれば、「優越的な関係」とは、上司から部下に対しての言動だけでなく、先輩・後輩間や同僚間、さらには部下から上司に対して行われるなどの様々な職務上の地位や人間関係の優越性を背景に行われるケースが含まれるとし、「業務上必要かつ相当な範囲」とは、個人の受け止め方によって不満に感じる指示や注意・指導があっても「業務の適正な範囲」内であればパワーハラスメントに該当しないということになります。Y会社の定款28条には、取締役の報酬等は、株主総会の決議によって定めるとの定めがあります。Y会社の役員退職慰労金規程には、退職慰労金は、この規程に基づき計算すべき旨の株主総会の決議に従い、取締役会又は監査役の協議において決定した額の範囲内とすること(第3条2号)、退職慰労金の支給基準額は、「支給基準額=退任時の報酬月額×役員在任年数」により算出すること(4条)、退任役員のうち在任中特に功労のあったものに対しては、第4条により算出した金額に、その50%を超えない範囲で功労金を加算することができること(8条:功労加算金)、退任した役員が在任中特に重大な損害を会社に与えた場合、又は会社の業績が不振な場合等においては、第4条にて算出した額から相当額を減額することができること(9条:減額)、役員の退職慰労金の支給日及び支給方法等は、取締役の退職慰労金は、株主総会の決議に従い取締役会が決定すること(10条1号)が定められています。この他、Xが、Y会社に対し、Y会社の代表取締役らが、Xを含む関係者の事情聴取や意向確認等の事前調査を十分に行わないまま、Y会社代理人弁護士を通じ、Xに虚偽の内容を伝えて錯誤に陥らせ、Y会社の取締役を辞任させたことは、Y会社の取締役が善管注意義務に違反することも争っていますが、字数の関係から本稿では扱いません。ここにいう「株主が推知し得る状況」とは、①書面または電磁的方法による議決権行使がなされる会社(会社法301条・302条)では、株主総会参考書類に当該基準の内容を記載するか、または、②当該基準を記録した書面等を本店に備え置いて株主の閲覧に供する等、各株主が当該基準を知ることができるような適切な措置が講じられていることをいい(会規82条・82条の2)、それ以外の会社でも株主が本店で請求すれば基準の説明を受けられる措置を講じておかなければ、一任決議が無効になる可能性があります。なお、株主総会の議場で株主から支給基準について説明を求められた場合には、基準を閲覧できる状況になっていても、取締役は説明しなければなりません(東京地判昭和63年1月28日判時1263号3頁)。落合誠一編『会社法コンメンタール(8)機関(2)』(商事法務、2009年)205頁〔田中亘〕。尾形祥「本件判批」ジュリスト1591号(2023年)3頁。高橋均「本件判批」ジュリスト1602号(2024年)133頁。提供:税経システム研究所
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