商事法研究レポート
MJS税経システム研究所・商事法研究会の顧問・客員研究員による商事法関係の論説、重要判例研究や法律相談に関する各種リポートを掲載しています。
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2026/07/24 論説
廃業・再建前に知っておきたい! 破産と経営者保証ガイドラインによる債務整理との違い
1はじめに近時、人手不足、物価高やイラン情勢に基づく原油不足により、経営状況が悪化し、債務整理が必要な中小企業もあろうかと思います。もっとも、中小企業の経営者は、自社の金融機関からの債務についていわゆる経営者保証をしており、自社について法的倒産手続または私的整理手続を行うことによって、自宅や生活資金を手放さざるをえなくなることもあり、早期の債務整理に踏み出せないことがあります。そのような場合には、平成25年に制定された「経営者保証に関するガイドライン」(以下、単に「経営者保証ガイドライン」といいます)(注1)及び「『経営者保証に関するガイドライン』Q&A」(以下、単に「Q&A」といいます)を利用した債務整理を行うことによって、自宅や生活資金を手放さずに、債務整理を行うことができる場合があります。そこで、本稿では、中小企業の経営者保証をしている経営者がより多くの資産を手元に残しつつ、会社の債務整理を行うことを可能とする経営者保証ガイドラインを活用した債務整理について解説していくこととします。2概要と性質経営者保証ガイドラインは、中小企業金融における経営者保証について、①主たる債務者、保証人及び対象債権者において合理性が認められる保証契約の在り方等を示すとともに、②主たる債務の整理局面における保証債務の整理を公正かつ迅速に行うための準則を定めています(GL1)。経営者保証ガイドラインは、法的拘束力はないものの、中小企業団体及び金融機関団体の関係者が中立公平な学識経験者、専門家等と共に協議を重ねて策定したものであることから、主たる債務者、保証人及び対象債権者によって、自発的に尊重され遵守されることが期待されています(GL2⑴)。そして、主たる債務者である中小企業の法人個人の一体性に一定の合理性や必要性が認められる場合等において経営者保証を締結する際には、主たる債務者、保証人及び対象債権者は、このガイドラインに基づく保証契約の締結、保証債務の整理等における対応について誠実に協力することとされています(GL2⑵)。3保証人にとってのメリット破産手続や民事再生手続など法的倒産手続による債務整理では、手続開始決定時点で、官報に公告(破産32①、民再222②)され、情報が公開されます。これに対して、経営者保証ガイドラインを用いた債務整理では、公告等による情報の公開はなく、風評被害の防止が可能となっています(注2)。法的倒産手続による債務整理では、手続情報が信用情報機関に登録され、新規の借入れやクレジットカードの作成ができなくなります。これに対して、経営者保証ガイドラインによる債務整理を行った保証人について、対象債権者は、当該保証人が債務整理を行った事実その他の債務整理に関連する情報(代位弁済に関する情報を含みます)を、信用情報登録機関に報告、登録しないこととされています(GL8⑸)。破産手続において、破産者である保証人の手元に残せる資産は、99万円以下の現金等の自由財産に限られます(破産34③、民執131三、同施行令1)。これに対し、経営者保証ガイドラインにおいては、自由財産以外に、一定の経済合理性が認められる場合、「一定期間の生計費」に相当する額や「華美でない自宅」等(いわゆるインセンティブ資産)を保証人の手元に残すことが可能となっています(GL7⑶③)。経済合理性は、主債務と保証債務を一体として判断し(注3)、①経営者保証ガイドラインの弁済計画に基づく回収見込額が②破産手続による配当見込額を上回る場合に認められます(GL7⑶③)(注4)。そして、インセンティブ資産の上限は、回収見込額の増加額が上限となります(GL7⑶③)(注5)。「一定期間の生計費」は、年齢に応じた雇用保険の給付期間に月額33万円を乗じて算出することになります(注6)。「華美でない自宅」か否かについては、自宅の評価額だけではなく、取得価格、評価額、地域性、築年数、面積・外観、同居者の人数・扶養家族・要介護者の有無などを総合的に判断しますが、中小企業の経営者は当該地域では目立った自宅に住んでいますが、これを常に華美だと判断するのは相当でないとされています(注7)。4関係者(1)保証人経営者保証ガイドラインによる債務の整理の対象となる保証契約の保証人は、保証契約の主たる債務者が中小企業であること、個人であり、主たる債務者である中小企業の経営者であることという要件を充たす必要があります(GL3⑴⑵)。もっとも、①実質的な経営権を有している者、営業許可名義人又は経営者の配偶者(当該経営者と共に当該事業に従事する配偶者に限る。)が保証人となる場合、②経営者の健康上の理由のため、事業承継予定者が保証人となる場合も含まれます。また、保証人には、①弁済について誠実であり、対象債権者の請求に応じ、それぞれの財産状況等(負債の状況を含む。)について適時適切に開示していること(誠実性要件)、②反社会的勢力ではなく、そのおそれもないことも必要とされています(GL3⑶⑷)。(2)対象債権者経営者保証ガイドラインによる債務整理の対象となる対象債権者は、①中小企業に対する金融債権を有する金融機関等であって、現に経営者に対して保証債権を有するもの、あるいは、将来これを有する可能性のあるもの、②主たる債務の整理局面において保証債務の整理を行う場合においては、成立した弁済計画により権利を変更されることが予定されている保証債権の債権者です(GL1)。対象債権者には、金融機関のみならず、信用保証協会、債権回収会社も含まれます(Q&A各論1-1)。なお、商取引債権者は原則として、対象債権者に含まれません(注8)。(3)支援専門家支援専門家は、保証人の債務整理を支援する弁護士、公認会計士、税理士等の専門家であって、全ての対象債権者がその適格性を認める者をいいます(GL5⑵ロ)。保証人の債務整理は、対象債権者との間で保証債務の減免交渉を行うのが通常であることから、実務上は弁護士が登録支援専門家に就任するのが一般的です(注9)。支援専門家の役割は、保証債務に関する一時停止や返済猶予の要請、保証人が行う表明保証の適正性についての確認、対象債権者の残存資産の範囲の決定の支援、弁済計画の策定支援となっています(Q&A各論7-6)。5保証債務の整理の要件経営者保証ガイドラインを用いた保証債務の整理を行うためには、以下の全ての要件を充足する必要があります(GL7⑴)。イ対象債権者と保証人との間の保証契約が第3項の全ての要件を充足することロ主たる債務者が破産手続、民事再生手続、会社更生手続若しくは特別清算手続(法的債務整理手続)の開始申立て又は利害関係のない中立かつ公正な第三者が関与する私的整理手続及びこれに準ずる手続(中小企業活性化協議会による再生支援スキーム、事業再生ADR、私的整理に関するガイドライン、中小企業の事業再生等に関するガイドライン、特定調停等をいう。「準則型私的整理手続」)の申立てをこのガイドラインの利用と同時に現に行い、又は、これらの手続が係属し、若しくは既に終結していることハ主たる債務者の資産及び債務並びに保証人の資産及び保証債務の状況を総合的に考慮して、主たる債務及び保証債務の破産手続による配当よりも多くの回収を得られる見込みがあるなど、対象債権者にとっても経済的な合理性が期待できることニ保証人に破産法第252条第1項(第10号を除く。)に規定される免責不許可事由が生じておらず、そのおそれもないこと保証債務の整理を行うためには、誠実性が必要とされています(GL7⑴イ、3⑶)。誠実性要件は、債務整理着手後の局面において、主債務者・保証人の双方が、作成する弁済計画案を誠実に遂行する意思があり、かつ、債権者に対して適切に虚偽のない財産状況等の開示を行っていることと解されていますが、債務整理着手前の局面においても課されていると解されています(注10)。誠実性要件は、危機時期後に詐害行為や偏頗行為がなされた場合、主債務者に粉飾があった場合に問題となります。保証債務の整理を行うためには、対象債権者にとっての経済合理性が必要とされています(GL7⑴ハ)。経済合理性を判断する際の回収見込みは、主たる債務者が再生型手続の場合、主たる債務者が第二会社方式により再生を図る場合、主たる債務者が清算型手続の場合に分けて判断することになります(Q&A各論7-4)。主たる債務者が再生型手続の場合以下の①の額が②の額を上回る場合には、ガイドラインに基づく債務整理により、破産手続による配当よりも多くの回収を得られる見込みがあり①主たる債務及び保証債務の弁済計画(案)に基づく回収見込額(保証債務の回収見込額にあっては、合理的に見積もりが可能な場合。以下同じ。)の合計金額②現時点において主たる債務者及び保証人が破産手続を行った場合の回収見込額の合計金額主たる債務者が第二会社方式により再生を図る場合以下の①の額が②の額を上回る場合には、ガイドラインに基づく債務整理により、破産手続による配当よりも多くの回収を得られる見込みがあり①会社分割(事業譲渡を含む)後の承継会社からの回収見込額及び清算会社からの回収見込額並びに保証債務の弁済計画(案)に基づく回収見込額の合計金額②現時点において主たる債務者及び保証人が破産手続を行った場合の回収見込額の合計金額主たる債務者が清算型手続の場合以下の①の額が②の額を上回る場合には、ガイドラインに基づく債務整理により、破産手続による配当よりも多くの回収を得られる見込みがあり①現時点において清算した場合における主たる債務の回収見込額及び保証債務の弁済計画(案)に基づく回収見込額の合計金額②過去の営業成績等を参考としつつ、清算手続が遅延した場合の将来時点(将来見通しが合理的に推計できる期間として最大3年程度を想定)における主たる債務及び保証債務の回収見込額の合計金額6保証債務の整理の手続経営者保証ガイドラインに基づく保証債務の整理を実施する場合において、①主たる債務と保証債務の一体整理を図る場合と、②主たる債務について法的債務整理手続が申し立てられ、保証債務のみについて、その整理を行う必要性がある場合等、主たる債務と保証債務の一体整理が困難なため、保証債務のみを整理する場合とがあります(GL7⑵)。①の場合としては、中小企業活性化協議会や「中小企業の事業再生等に関するガイドライン」を利用する場合、②の場合としては中小企業活性化協議会や特定調停を用いた債務整理等があります(注11)。7手続費用中小企業活性化協議会を利用した保証債務整理費用は、中小企業活性化協議会が選任する外部専門家に対する費用として、一般的には20~30万円となります(注12)。特定調停手続により保証人が保証債務の整理を行う場合には、特定調停の申立手数料が必要となります。また、保証人は、支援専門家兼代理人弁護士の費用を負担することとなりますが、その費用は通常の破産や個人再生と同等以上の金額となります(注13)。8実績と実例信用保証協会において、経営者保証ガイドラインに基づく保証債務整理を成立させた件数は、平成30年度は1146件でしたが、令和6年度は2392件まで増加しています(注14)。また、経営者保証ガイドラインを用いた債務整理を行い、保証人が破産を免れた事例については、金融庁のウェブサイト(注15)で公表されています。9おわりに本稿では、中小企業の経営者保証をしている経営者がより多くの資産を手元に残しつつ、会社の債務整理を行うことを可能とする経営者保証ガイドラインを活用した債務整理について解説してきました。早期に、主たる債務について準則型の私的整理手続又は法的倒産手続を行いつつ、経営者保証ガイドラインを用いた保証債務の整理により、経営者保証をした経営者はより多くの資産を手元に置いておくことが可能となっています。経営危機にある中小企業の経営者としては、経営者保証ガイドラインを踏まえた早期の事業再生も検討すべきです。なお、本稿では、事業承継時に焦点を当てた「経営者保証に関するガイドライン」の特則や廃業時における「経営者保証ガイドライン」の基本的な考え方については言及できませんでした。これらにつきましては、別稿にて取り扱いたいと考えております。<注釈>全国銀行協会ウェブサイト(https://www.zenginkyo.or.jp/adr/sme/guideline/)。なお、括弧内では、「GL」と表記する。経営者保証ガイドラインについては、川島いづみ「事業承継の阻害要因となる経営者保証の対応策ガイドライン、事業承継特別保証・経営承継借換保証など」MonthlyReport147号(2021年)10頁以下、川島いづみ「転機を迎える『経営者保証』」商事法研究レポート参照。全国倒産処理弁護士ネットワーク編『ガイドラインによる個人債務整理の実務Q&A150問』(金融財政事業研究会、2023年)38頁〔大宮立〕ただし、主たる債務の債務整理手続の終結後に保証債務の整理を開始した場合には、両債務の一体とした判断はできず、残存資産は自由財産の範囲に限定されます(GL7⑶③、Q&A各論7-13)。全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)108頁〔花渕悠果〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)110頁〔八木俊則〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)114頁〔佐藤雄介〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)116-117頁〔宮﨑純一〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)55頁〔西川精一〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)52頁〔清水靖博〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)71頁〔小木正和〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)34頁〔犬塚暁比古〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)41頁〔関谷健太朗〕全国倒産処理弁護士ネットワーク・前掲(注2)42頁〔関谷〕中小企業庁ウェブサイト(https://www.chusho.meti.go.jp/kinyu/keieihosyou/#jisseki)金融庁ウェブサイト(https://www.fsa.go.jp/policy/hoshou_jirei/index.html)提供:税経システム研究所
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2026/07/24 topics
遺言制度はこう変わる!令和8年民法改正
1はじめに人は、生存している間は自分の財産を自由に使用し、処分する等の行為を行うことができます。しかし、その人が死亡して権利能力を失うと、その人の財産は相続を通じて相続人に帰属することになります。それでは自分の財産について、自分の死亡後のことを予定して財産処分をする方法があるでしょうか。その方法が遺言という制度です。遺言とは、一定の方式に従った遺言者の死後の法律関係を定めておく最終意思の表示のことをいいます。民法が遺言について規定しています(民法960条以下)。この遺言制度について、令和8年民法改正(注1)が重要な改正を行っています。本稿は、遺言制度の概要を述べた上で、同改正の遺言に関する改正点を説明することにします。2遺言制度の概要(1)遺言の様式遺言は、遺言者の意思表示のみによって成立します(相手方のない単独行為)から、法律に定める一定の方式に従うことが要求されます(民法960条)。遺言は、遺言者の死亡の時からその効力を生ずる(民法985条1項)とされており、効力発生時には遺言者は存在しません。そのため、遺言者の意思表示が真正であることを保証するために、遺言の成立要件を厳格に定めているのです。(2)遺言能力15歳に達した者は、遺言をすることができます(民法961条)。行為能力(法律行為を単独で行うことができる法律上の資格)制度は、遺言については適用されません(民法962条)。遺言者が遺言能力を備えている時期は、遺言をする時においてです(民法963条)。ただし、成年被後見人が遺言をするには、事理を弁識する能力を一時回復した時において、医師2人以上の立会いのもとに行わなければなりません(民法973条)。なお、意思能力のない者が行った法律行為は無効です(民法3条の2)(注2)、そのような者の遺言は無効になります。(3)共同遺言の禁止遺言は、2人以上の者が同一の証書ですることができません(民法975条)。例えば、ある夫婦が自分が先に死亡した時には生存配偶者に全ての財産を遺贈する旨の一通の遺言書を作成した場合で考えてみます。もし一方配偶者が当該遺言を取り消す旨の遺言書を後で作成すると、他方配偶者の遺言は効力を失うことになります。遺言撤回等、遺言の自由を確保できず、不都合になりますので、共同遺言は禁止されています。3遺言制度に関する改正の概要2(1)で述べたように遺言の様式は厳格に定められています。例えば、4で述べる自筆証書遺言は、遺言者が、その全文、日付および氏名を自書し、これに印を押さなければならないとされています(民法968条1項)。しかし、デジタル技術が進展し、デジタル機器の使用が普及した状況に対応した遺言制度に変更し、この制度をさらに使いやすくすることが喫緊の課題と考えられてきました(注3)。遺言制度に関する主要な改正事項は、①押印の任意化等の既存制度の改正と②保管証書遺言制度の新設です。4既存制度の改正(1)遺言の方式まず、現行法における遺言の方式を説明しておきましょう。民法は、遺言について普通方式の遺言と特別方式の遺言を定めています(民法967条)。普通方式の遺言には、①自筆証書遺言(民法968条)、②公正証書遺言(民法969条)、③秘密証書遺言(民法970条~972条)の3つがあります。特別方式の遺言には、①死亡の危急に迫った者の遺言(民法976条)、②船舶遭難者の遺言(民法979条)、③伝染病隔離者の遺言(民法977条)、④在船者の遺言(民法978条)、の4つがあります(注4)。特別方式の遺言は緊急時に作成する遺言ですから、遺言者が普通方式の遺言をすることができるようになった時から6か月間生存するときは効力を失うことになります(民法983条)。なお、以下の説明で下線部分は改正がされた箇所を指します。(Ⅰ)普通方式の遺言①自筆証書遺言自筆証書遺言は、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければなりません(民法968条1項)。このように厳格な方式が要求されているため、全文自書する等の要式に合致しない遺言書は無効となってしまいます。しかし、パソコンの普及した現在はこの方式を緩和することが必要になります。そこで、自筆証書にこれと一体のものとして相続財産の全部または一部の目録を添付する場合には、その目録については、自書することを要しないとされ、この場合において、遺言者は、その目録の毎葉(自書によらない記載がその両面にある場合にあっては、その両面)に署名し、印を押さなければなりません(同条2項)。また、自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じないことになります(同条3項)。②公正証書遺言公正証書遺言は、証人2人以上の立会いのもとで、遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授し、公証人が公証人法の規定に従って作成する方式の遺言です(民法969条)。口がきけない者が公正証書によって遺言をする場合には、遺言者は、公証人および証人の前で、遺言の趣旨を通訳人の通訳により申述し、または自書することによって、口授に代えることができます(民法969条の2)。③秘密証書遺言秘密証書遺言は、遺言者が遺言内容を秘密にして遺言書を作成した上で、封印をした遺言証書の存在を明らかにするものであり、公証人が関与するものです。秘密証書遺言は、次のようになされます。まず、遺言者が、遺言証書に署名・押印し、証書を封じ、証書に用いた印章をもって封印します。次に、遺言者が、公証人1人および証人2人以上の前に証書を入れた封書を提出して、自己の遺言書である旨並びにその筆者の氏名および住所を申述します。公証人が、その証書を提出した日付および遺言者の申述を封紙に記載した後、遺言者・証人と公証人が署名・押印するものです(民法970条1項。口がきけない者が秘密証書遺言をする場合は民法972条の手続によります)。④普通方式の遺言の利点等普通方式の利点・欠点を挙げておきます(注5)。利点欠点自筆証書遺言誰にも知られず遺言書を作成できる(内容のみならず、存在も隠しておくことができる)遺言書作成の費用があまりかからない方式不備で無効とされる危険性が大きい遺言書が発見されない、隠匿、破棄される危険がある家庭裁判所による検認手続が必要となる(民法1004条1項)公正証書遺言専門家である公証人が関与して作成するから、方式不備による事後的紛争を回避できる遺言書は公証役場に保管されるので、偽造・改竄の危険が少ない。家庭裁判所の検認の手続をとらずに遺言内容を実現できる(民法1004条2項)遺言書作成の費用がかかる遺言の存在と内容を秘密にしておくことができない。秘密証書遺言自書能力が無くても遺言書を作成できる(ワープロ利用や他人の代書でもよい)遺言の存在を明らかにでき、隠匿、破棄される危険は少ない遺言の内容を秘密にしておくことができる遺言をした事実が明らかになってしまう遺言書作成の費用がかかる家庭裁判所による検認手続が必要となる(民法1004条1項)このうち、秘密証書遺言は実際にはあまり使われておらず、自筆証書遺言と公正証書遺言がよく使われています(注6)。自筆証書遺言については、法務局にその自筆証書遺言書の保管を委ねる制度を利用できます(法務局における遺言書の保管等に関する法律(以下「遺言保管法」という)4条)。この制度の改正については、5で取り扱います。⑤自筆証書遺言・秘密証書遺言における方式要件の変更①・③で述べたように、自筆証書遺言・秘密証書遺言では、自書や署名に加えて押印が必要とされています。しかし、①押印に用いる印章については制限がなく、認印であってもよいこと、②コロナ禍において押印の見直しの機運が高まったこと、③公正証書遺言において遺言者等による押印は不要とされる等の法改正(民事関係手続等における情報通信技術の活用等の推進を図るための関係法律の整備に関する法律)が行われたこと等から、押印要件を維持する必要性が減少しました(注7)。そもそも行政手続や民間の商慣行でも押印の見直しが行われており、このような法意識の変容から遺言者や証人等の押印要件を廃止しました(改正民法968条、970条)。具体的には前述した①・③の下線部分が削除されます。この改正により、押印は任意に行われればよいものとなります。(Ⅱ)特別方式の遺言特別方式の遺言は、普通方式の遺言の作成が不可能であるか、著しく困難な場合に例外的に作成することが認められます。遺言者が死亡の危機に瀕した場合(①死亡の危急に迫った者の遺言と➁船舶遭難者の遺言)と、遺言者が交通の遮断された場所(隔絶地)にいる場合(③伝染病隔離者の遺言・④在船者の遺言)があります(注8)。①死亡の危急に迫った者の遺言死亡の危急に迫った者の遺言は、疾病その他の事由によって死亡の危急に迫った者が利用する遺言方式です(民法976条)。この方式は次のように行います。証人3人以上が立会い、その1人に遺言の趣旨を口授するものです(口がきけない者の遺言については、通訳人の通訳による申述に代えることができます(同条2項))。口授を受けた証人は、これを筆記して、遺言者および他の証人に読み聞かせ、または閲覧させます(遺言者または他の証人が耳が聞こえない者である場合には、筆記した内容を通訳人の通訳により読み聞かせに代えることができます(同条3項))。各証人は、その筆記の正確なことを承認した後、署名・押印します。この遺言は、遺言の日から20日以内に、証人の1人または利害関係人から請求し、家庭裁判所による確認を得なければ、その効力を生じないことになります(同条4項)。②船舶遭難者の遺言船舶が遭難し、その船舶中にあって死亡の危急に迫った者が利用することができる遺言方式です(民法979条)。証人2人以上の立会いをもって口頭(口がきけない者は通訳人の通訳)で遺言をすることができます。証人は、遺言の趣旨を筆記して、これに署名・押印します。この遺言は、証人の1人または利害関係人から請求し、家庭裁判所による確認を得なければ、その効力を生じないことになります(同条3項)。③伝染病隔離者の遺言伝染病のため隔離される等、行政処分によって交通を断たれた場所にいる者(注9)が利用する遺言方式です(民法977条)。警察官1人および証人1人以上の立会いをもって遺言書を作ることができます。④在船者の遺言船舶中にいる者が利用することができる遺言方式です(民法978条)。船長または事務員1人および証人2人以上の立会いをもって遺言書を作ることができます。⑤特別方式の遺言の方式要件の変更①・②について改正があります。まず、前述(Ⅰ)⑤で述べた自筆証書遺言・秘密証書遺言と同様に、押印要件を廃止しています。具体的には①・②の下線部分が削除されます(改正民法976条1項、980条)。この改正により、押印は任意に行われればよいものとなります。次に、録音・録画を活用した方式が導入されます。①については、証人要件を緩和し、録音・録画を同時に行う方法により記録するときは、証人1人以上の立会いをもって、遺言をすることができることにしています(改正民法976条の2第1項)。死亡の危急に迫った状態で証人を確保することは困難なためです。これをウェブ会議方式で証人の立会をすることも認められます(同条2項)。デジタル化の普及に合わせた改正です。②についても、証人立会いの下で録音・録画する方法と、(証人なしに)口頭で遺言をする状況を録音・録画した記録を、電子計算機を用いて特定の者に送信する方式(メール等の送信)を定めます(改正民法979条の2第1項)。ウェブ会議方式で証人の立会をすることも認められます(同条2項)。船舶遭難の状況下では証人の確保は大変であるのみならず、証人自身も死亡し、遺言書が滅失するリスクがあるため、デジタル技術の活用を認める改正です。また、②については、船舶遭難者に加えて、天災その他避けることのできない事変が発生した場合において、当該天災又は当該事変から生じた重大かつ急迫の危難を避けることが困難な場所に在って死亡の危急に迫った者にも拡張しました(改正民法979条1項後段)。「天災」とは地震、洪水などの自然力を意味し、「その他避けることのできない事変」とは暴動、戦乱などの天災と同視すべき事変を意味するようです(注10)。現代社会において、船舶遭難以外にもデジタル技術を利用した遺言の作成を認めるべき場合があることに対応した改正です。(2)その他の改正遺言の証人または立会人となることができない者(欠格事由)の範囲が広がっています。現行法では、①未成年者、②推定相続人および受遺者並びにこれらの配偶者および直系血族、③公証人の配偶者、四親等内の親族、書記および使用人とされています(民法974条)。改正法は、①は変わりませんが、②の受遺者と③の被用者については欠格事由の対象を拡大しています。すなわち、④受遺者(推定相続人である者を除く)並びにその配偶者、直系血族及び被用者(受遺者が法人である場合にあっては、その被用者および役員)を対象に加えます(改正民法974条3号)。単身高齢者が増加し、入所している高齢者施設等への遺贈が行われる例があるところ、現行法では受遺者の従業員等は証人の欠格事由とされていなかったため、改正法では、受遺者のみならずその被用者(法人の場合は被用者・役員)を欠格事由としたのです。5保管証書遺言制度の創設令和8年改正法によって創設されるのが、保管証書遺言です。保管証書遺言とは、①遺言者が、遺言の全文(電磁的記録に記録された場合にあっては、遺言の全文および氏名)が記載・記録された証書について、署名またはこれに代わる措置として法務省令で定めるものを講ずるとともに、②遺言者が、遺言書保管官(遺言保管法4条)の前で、その証書に記載・記録された遺言の全文を口述することによって行われる新しい方式の遺言です(改正民法968条の2第1項)(注11)。保管証書遺言は、遺言保管法に基づく法務局における証書の保管が効力発生要件となっています(同条2項)。4(1)(Ⅰ)①で述べた自筆証書遺言でも、遺言保管法に基づき保管することができます。しかし、デジタル機器の普及により、手書きで文書を作成すること自体が減少している現状において、自筆証書遺言の本文は手書きする必要があるため、遺言者の負担が重くなっています。そこで、改正法は、遺言の全文をパソコン等を用いて作成することができることとします。つまり、保管証書遺言制度は自書も含め完全デジタル作成でよいということで、自筆証書遺言保管制度よりもデジタル化を進めたのです。自筆証書遺言では本人の自書つまり筆跡により真正であることを担保しますが、保管証書遺言は遺言者が遺言書保管官の前で遺言の全文を口述することで第三者のなりすましや遺言者の真意に基づかない遺言が作成されることを防止し、法務局における保管が真正であることを担保することになります(注12)。保管証書遺言における遺言書保管官による遺言の全文の口述や本人確認は、ウェブ会議を利用することもできます(改正遺言保管法7条7項、8条2項)。遺言書保管所に保管されている遺言書については、家庭裁判所の検認の手続をとる必要はありません(改正遺言保管法20条、改正民法1004条1項)。この保管証書遺言の創設に関連して、自筆証書遺言保管制度についても手続のデジタル化を認める改正が行われています(オンラインによる保管申請、閲覧、ウェブ会議を利用した本人確認等が認められます(改正遺言保管法6条、8条、12条、等))。6施行日と改正法への期待遺言制度に関する見直しに係る改正については、①押印の任意化等については、公布の日から1年を超えない範囲内において政令で定める日(改正民法附則1条2号)、②システムの改修を要する保管証書遺言の創設等については、公布の日から3年を超えない範囲内において政令で定める日に施行されます(同附則1条3号)。改正法は成立しましたが、保管証書遺言における署名に代わる措置等は法務省令で定めることとされており、改正法施行時までに細目事項について注目しておくことが必要になります。また、この改正では、成年後見制度の改正も同時に行われたため、改正条文は多く、特別法を含めると改正の対象範囲はかなり広いといえます。高齢化のペースが加速している日本では、遺言制度を使いやすくする必要が高まっていました。これまで4(1)(Ⅰ)で述べた自筆証書遺言か公正証書遺言が多かったところ、自筆証書遺言について、4で述べた改正が行われたほか、5で述べた保管証書遺言ではパソコン等を用いて遺言書を作成することで以前よりも容易に遺言を作成することができるようになります。遺言制度が改正によってどのように利用しやすくなるのかについて、本稿がその理解の一助になれば幸いです。<注釈>民法等の一部を改正する法律(法律第45号)・民法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律(法律第46号。これらを以下「改正法」という)は、2026(令和8)年6月17日に成立、令和8年6月24日公布されました。この改正は、遺言制度のほか、成年後見制度も改正しています。意思能力とは、一般に、自己の行為の意味やその結果について判断することのできる精神的な能力のことをいいます。これについては、大久保拓也「そこが知りたい!債権法改正(8)意思能力に関する規定の新設-判断能力が減退した者の保護-」MonthlyReport123号(2019年)28頁参照。民法等の一部を改正する法律(成年後見及び遺言の制度の見直し)について(令和8年6月30日)、法務省「民事局民法等改正法の概要」(https://www.moj.go.jp/content/001465481.pdf)参照。遺言は、遺言者の最後意思に対して法が効力を与えようとするものです。そのため、遺言者は、いつでも、遺言の方式に従って、その遺言の全部または一部を撤回することができます(遺言撤回の自由:民法1022条)。そのため、公正証書遺言を作成後に自筆証書遺言が作成されると、前者が撤回され、後者が有効な遺言となります。そのほか、前後の遺言が内容的に抵触する場合、遺言の内容と遺言後の生前処分が抵触する場合、遺言者が故意に遺言書または遺贈の目的物を破棄した場合も、遺言が撤回されたものとみなされます(民法1023条~1024条)。潮見佳男(長野史寬=下村信江=冷水登紀代補訂)『民法(全)(第3版補訂版)』(有斐閣、2025年)682~688頁。石原隆史「遺言制度の改正の動向-電子遺言を中心に-」レファレンス76巻5号(2026年)14~15頁によれば(表4・5)、2024(令和6)年において、死亡者数が約160万人に対して、遺言の効力が発生したものについては、自筆証書遺言が2万6000件程度(統計をとることができないので遺言情報証明書交付の請求件数と遺言書の閲覧請求件数を加えたものによるものです)、公正証書遺言が10万~13万件程度、秘密証書遺言が50~100件程度とされます。法務省民事局参事官室「民法(遺言関係)等の改正に関する中間試案の補足説明」(2025年)59頁。石原・前掲(注6)15頁(表5)によれば、特別方式の遺言については、2024年において、死亡危急時遺言が100~200件程度、その他(一般隔絶地遺言、在船者遺言および船舶遭難者遺言)は極めて僅少とのことです。一般社会との交通が事実上または法律上自由になしえない場所にいる者であり、例えば地震等によって交通が遮断された場所にいる者や刑務所内にいる者等です(前田陽一ほか『民法Ⅵ親族・相続(第8版)』(有斐閣、2025年)406頁〔浦野由紀子〕)。法務省民事局参事官室・前掲注(注8)67頁。口がきけない者が保管証書遺言をする場合には、遺言者は、遺言書保管官の前で、遺言の全文を通訳人の通訳により申述し、または自書して、②の口述に代えることができます(改正民法968条の3第1項)。遺言書保管官が保管証書と一体のものとして記載・記録された相続財産の全部または一部の目録を遺言者に閲覧させる等の所要の措置を講ずるときは、その目録については、②の口述または通訳人の通訳による申述や自書を要しないとする特則もあります(同条2項)。酒井壱幸「法改正と今後の遺言実務の展望」市民と法159号(2026年)30頁。提供:税経システム研究所
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2026/07/10 論説
スタートアップの資金調達ルールが変わる? ~金商法及び資金決済法改正案で資金供給促進へ~
1はじめに今年度の通常国会に「金融商品取引法(以下では「金商法」)及び資金決済に関する法律(以下では「資金決済法」)の一部を改正する法律案」が提出されました(注1)。我が国の金融・資本市場の変化に対応しつつ、成長資金供給を拡大するとともに、市場の公正性・透明性及び投資者保護を確保するため、①暗号資産(注2)、②サステナビリティ情報の開示・保証(注3)、③スタートアップ企業への資金供給、④不公正取引規制(注4)等に関する制度を整備しようとするものです。資金決済法に関しては、暗号資産取引に係る規制を資金決済法から金商法に移管するという改正であり、大半は金商法の改正です。本稿では、今回の金商法の改正案のうち「スタートアップ企業への資金供給」を中心に紹介します。2金商法改正案とスタートアップ企業への資金供給の促進(1)金商法の発行開示スタートアップ企業をより成長発展させるには、これらの企業に対する投資を促進して成長資金の供給を拡大することが重要な課題です。そのためには、投資家保護に留意しつつ、開示規制の緩和やプロ投資家の裾野拡大を図ることにより、非上場株式の発行・流通を活性化して、スタートアップ企業への投資を更に促進することが必要です。またスタートアップ企業が上場を目指すことも想定されますが、グロース市場の上場審査基準においても、上場時に株主数が150人以上となる見込みがなければなりません。そこで当該企業が新株を発行するか、又は発行済株式総数の大部分を保有している創業者等がその株式を譲渡することにより、株主数を増やす必要があります。金商法は、有価証券の募集又は売出しをする場合には、発行者が内閣総理大臣(実際には金融庁長官。金商法194条の7参照)に「有価証券届出書」を提出することを求めています(金商法4条)。提出された有価証券届出書は、受理した日から5年間、公衆の縦覧に供されます(金商法25条1項1号)。これは間接開示です。さらに発行者は目論見書を作成しなければなりません(金商法15条)。これは直接開示です。発行開示は基本的にこの二つによって行われます。「有価証券の募集」とは、新たに発行される有価証券の取得の申込みの勧誘(取得勧誘)のうち、多数の者を相手方とする場合です(金商法2条3項)。「有価証券の売出し」とは、既に発行される有価証券の取得の申込みの勧誘(売付勧誘)のうち、均一の条件で多数の者を相手方とする場合です(金商法2条4項)。スタートアップ企業の資金調達目的に最も適うのは、有価証券のうち、特に株券ですが、東京証券取引所(東証)の上場基準では、すべての銘柄について物理的な「株券」を発行しない(株券不発行制度)ことが必須条件となっており(注5)、現在の上場株式はすべて電子化され、紙の株券は存在しません(有価証券表示権利。金商法2条2項柱書)。以下では「株式」を対象にして話を進めます。株式の場合、「多数の者」とは6か月通算で適格機関投資家を除き50人以上です(金商法施行令1条の5)。第1に、勧誘の対象がこれより少なければ、有価証券届出書の提出義務はありません(「少人数私募等」)。第2に、勧誘の対象が多数であっても、「適格機関投資家私募等」に該当する場合は、提出義務がありません。適格機関投資家私募は一般に「プロ私募」とも呼ばれ、勧誘の相手方が適格機関投資家のみに限定される私募のことであって、当該有価証券がその取得者である適格機関投資家から適格機関投資家以外の者に譲渡されるおそれが少ない場合です(金商法2条3項2号イ・4項2号イ)。「適格機関投資家」とは、金融商品の取引に関して専門的な知識と経験を持つ者を指し、具体的には銀行、証券会社、保険会社、投資運用業者などが該当します(金商法2条3項1号、金融商品取引法第二条に規定する定義に関する内閣府令(以下では「定義府令」10条1項)。証券会社等の適格機関投資家は自ら情報収集能力があるので、多額のコストをかけて一般投資家向けと同様の発行開示を求めるのは、過度の負担になります。第3に、「特定投資家私募・私売出し」に該当する場合も提出義務がありません。特定投資家私募とは、特定投資家のみを対象に行う私募であり、①取得勧誘の相手方が国・日本銀行・適格機関投資家以外の特定投資家であるときは、証券会社等の金融商品取引業者・登録金融機関が顧客からの委託により又は自己のために当該取得勧誘を行う場合であって、かつ、②当該有価証券がその取得者から特定投資家等以外の者に譲渡されるおそれが少ない場合です(金商法2条3項2号ロ・4項2号ロ)。投資家は一般投資家と特定投資家に大別され、「特定投資家」は、国・日本銀行・適格機関投資家に加えて、上場企業、資本金5億円以上の法人、一定の条件を満たした個人などが含まれます(注6)。第4に、発行総額又は売出総額が1億円未満のときは、有価証券届出書の提出義務がありません(「少額免除」。金商法4条1項5号)。発行開示にはコストがかかるので、少額の募集・売出しにまで発行開示を要求すると、スタートアップ企業による募集・売出しを締め出すことにつながります。なお1億円未満の募集・売出しを複数回に分けて行う潜脱行為を防止するため、当該募集・売出しを開始する日の前1年以内に行われた募集・売出しに係る有価証券と同一種類の有価証券の発行価額・売出価額の総額を合算した金額が1億円以上となる場合には、発行開示を義務付けるという1年間の通算ルールが定められています(企業内容等の開示に関する内閣府令(以下では「企業開示府令」)2条5項)。発行総額・売出総額が1億円以上であれば提出義務がありますが、5億円未満のとき(少額募集等)は、有価証券届出書の記載内容が簡略化されています。まず連結情報すなわち複数の会社(親会社と子会社)をひとつのグループとしてみなしてグループ全体の実質的な経営成績や財務状況を集計・開示する連結決算(連結財務諸表)に関する情報は、記載の必要がないものとされています(金商法5条2項、企業開示府令9条の2)。さらに、2025年2月には、①初めて有価証券届出書を提出する場合の財務諸表は監査済みの2期分から監査済みの1期分とする、②特別情報としての3期分の財務諸表は記載を不要とする、③ガバナンスに関する情報は事業報告と同程度の記載でよいものとする、④サステナビリティ情報の開示を任意とする、といった簡素化を実施しています。(2)有価証券届出書の提出免除基準の引上げ~改正案~金商法改正案は、スタートアップ企業への資金供給を更に促進するため、投資者保護に留意しつつ、企業が開示を行うことの負担にも配慮した段階的な開示制度を整備しようとしています。まず現行金商法では、一般投資家向けの発行開示としては、発行総額・売出総額が1億円以上であれば、有価証券届出書の提出義務がありますが(金商法4条1項5号)、5億円未満であれば、有価証券届出書の記載内容の簡略化を認めています(少額募集等)。それに対して、改正案は、発行総額・売出総額が5億円未満の資金調達について有価証券届出書の提出を免除します(金商法改正案4条1項4号)。また有価証券届出書の記載内容の簡略化を認める少額募集等の範囲も5億円以上10億円未満に改めます(金商法改正案5条2項)。このように一般投資家向けの資金調達に係る発行開示規制を緩和して、株式の発行等による資金調達の容易化をはかっています。(3)特定投資家私募の勧誘対象者の拡大~改正案~スタートアップ企業はほとんどが未上場であり、上場会社のように一般投資家を対象に証券市場を利用して資金調達をすることができないため、従来からプロ投資家である特定投資家向けの資金調達手段の制度(特定投資家私募等)を整備してきました。しかし、特定投資家私募等には証券会社等の関与が必要です(金商法2条3項2号ロ・4項2号ロ)。また、有価証券届出書は不要ですが、投資者向けの簡易な情報提供が必要です。他方、一般投資家からすれば、特定投資家に移行すると、一般投資家に与えられる適合性原則や説明義務等の行為規制による投資家保護ルールが大幅に適用されなくなります。そのため特定投資家の裾野がなかなか広がらないこともあり、資金調達の事例はかなり限定的だといわれています。そこで金商法改正案は、特定投資家のみを相手方とする私募等に係る勧誘対象者の範囲を拡大します。すなわち、特定投資家の要件を満たしており、高い情報分析能力等を有するにもかかわらず、金商法上の行為規制による保護を希望して、なお特定投資家になるための移行手続を行っていない者(潜在的特定投資家)を特定投資家私募の相手方の範囲に追加します(金商法改正案2条3項2号ロ・4項2号ロ)。これにより、開示の面では簡易な情報提供だけでプロ向けの勧誘制度の利用を可能にしようとするものです。ただし、特定投資家向け私募等を仲介する証券会社等は、一般投資家を相手にする場合と同様に、適合性原則、説明義務等の行為規制の適用を受けますし、他方、潜在的特定投資家は、行為規制の面では一般投資家として取り扱われます。なお今回の金商法改正に併せて、内閣府令等の改正により、特定投資家の移行要件の緩和・明確化を併せて行うことを予定しているようです。(4)株式報酬に係る開示規制の見直し~改正案~企業による自社及び子会社の役員・使用人に対する株式・新株予約権の付与は、上記の募集・売出しに該当する場合には、発行開示が必要です。それに対して、金商法改正案は、企業が自社及び子会社の役員・使用人に対し、株式・新株予約権を付与する際の勧誘を、上場・非上場にかかわらず、「募集」から除外します。したがって、有価証券届出書の提出は必要ありません(金商法改正案2条3項1号ロ・2号ハ・4項等)。今回の金商法改正案は、2025年2月21日に改正された金商法施行令及び開示府令の株式報酬に係る開示規制の見直しを受けたものです(注7)。2025年の政令・府令改正の具体的内容は、上場会社が役員・従業員に対する報酬として株式を交付する場合に、その株式に一定の譲渡制限期間が付されていることを条件として、有価証券届出書の提出に代えて、臨時報告書の提出をもって募集又は売出しを行うことができるとする特例制度(臨報特例)(注8)について、①特定譲渡制限付株式(注9)に係る譲渡制限期間を改め、「事業年度経過後3か月を超える期間」から、「交付日の属する事業年度に係る定時株主総会の日まで」に短縮したこと、②臨報特例が適用される相手方の範囲を発行会社の完全子会社・完全孫会社以外の子会社の役員・従業員にまで拡大したこと、③事後交付型株式(注10)についても、臨報特例が適用されることを明確化したこと、④株式報酬に関する重要事項について、ウェブサイトを利用した情報提供を容認したことです。今回の金商法改正案により、要件を満たす場合について役職員への株式報酬に係る開示負担が軽減されることになります。しかし、株式報酬制度に関する課題は依然として存在します。令和元年改正会社法によって取締役への株式の無償交付は認められましたが、取締役でない従業員や子会社の役職員について同様の手当てはされていません。株式報酬の実務的な負担を軽減する観点からも、現在検討されている会社法改正の議論において、従業員・取締役に対する株式の無償交付がどうなるか、その動向が注目されます(注11)3終わりにスタートアップ企業の資金調達は、株式の発行等に限られず、金融機関からの融資も重要です。しかし、スタートアップ企業が上場を目指すことも当然想定されるため、流通株式数・株主数・単元株式数等の基準を満たす必要があります。その場合にはスタートアップ企業への投資を更に促進することが必要であり、株式の募集・売出しを実施することが求められるでしょう。今回の金商法改正案がスタートアップ企業への資金供給の促進を柱の一つとしたのは、時宜に適ったことだと考えられます。さらに会社法改正の動向についても大いに関心が持たれるところです。<注釈>https://www.fsa.go.jp/common/diet/221/02/03.pdf参照。現在、暗号資産は、決済手段という観点から資金決済法で規制されていますが、足下では投資対象化が進展し、個人による暗号資産の利用や保有が身近になっています。他方で、金融庁等に詐欺的な投資勧誘等の相談が多数寄せられ、投資セミナーやオンラインサロン等による詐欺的な行為が疑われる事例も発生しています。そこで暗号資産取引に係る規制を資金決済法から金商法に移管し(資金決済法第3章の3の削除等)、有価証券とは異なる金融商品として金商法に位置付けたうえで、利用者保護の充実のために、①無登録業者等への対応の強化、②情報の非対称性を解消するための情報公表規制の整備、③暗号資産交換業者(「暗号資産取引業者」に名称変更)の規制の強化、④インサイダー取引規制の創設を含む不公正取引規制の強化を図るものです。気候変動や人的資本等に係る企業のサステナビリティ情報は、投資家が中長期的な企業価値を評価する観点で重要な情報です。国際的には、2023年6月に国際サステナビリティ開示基準(ISSB基準)が開発され、日本でも、2025年3月、サステナビリティ開示基準(SSBJ基準)が開発されました。また2023年1月、企業内容等の開示に関する内閣府令等の改正により、有価証券報告書等において、「サステナビリティに関する考え方及び取組」の記載欄が新設され、同年3月期より上場企業等に対しサステナビリティ情報の開示を義務付けています。しかし、具体的な基準に基づいておらず、第三者による保証が義務付けられていません。そこでSSBJ基準に準拠した有価証券報告書の作成を義務付けるとともに(金商法改正案26条の4第1項)、プライム市場上場企業のうち、時価総額の大きな企業から順次適用を義務付けていくことを政令等で規定する予定です。有価証券の不公正取引等について、公開買付けに係るインサイダー取引規制の対象者として、公開買付けの対象企業と契約を締結・交渉している者(例えば、対象企業のアドバイザー)等を追加すること、公開買付けに係るインサイダー取引・大量保有報告制度違反・高速取引行為による相場操縦の課徴金の水準を引上げます。無登録業に対する証券取引等監視委員会の犯則調査権限を追加するとともに、無登録業に対する罰則を引き上げます。また金融商品取引業者の退出時における顧客財産の返還に関する制度(管理人制度)を創設します(金商法改正案第3章第4節の3)。プライム、スタンダード、グロースの各市場の上場審査基準は、指定振替機関の振替業における取扱いの対象であること又は取扱いの対象となる見込みのあることを必須としています。指定振替機関は、「社債、株式等の振替に関する法律」に基づいて主務大臣の指定を受け、株券などの有価証券の集中保管や、売買に伴う名義書換え・受渡しを帳簿上のデータ処理(電子化)で行う機関であり、株式会社証券保管振替機構が唯一の指定振替機関です。上場審査基準につき、以下参照。プライム市場https://www.jpx.co.jp/equities/listing/criteria/listing/スタンダード市場https://www.jpx.co.jp/equities/listing/criteria/listing/01.htmlグロース市場https://www.jpx.co.jp/equities/listing/criteria/listing/02.html特定投資家とは、金商法で定められた知識・経験・財産状況が豊富なプロの投資家を指し、リスク管理能力が高いとみなされるため、契約締結前交付書面の交付義務など一部の投資家保護ルールが免除されますし(金商法37条~37条の6、38条4号~6号、40条1号等)、特定投資家向けの金融商品への投資が可能です。特定投資家には、①常に特定投資家として扱われる国、日本銀行及び適格機関投資家、②一般投資家への変更が認められる投資者保護基金、預金保険機構、特定目的会社、上場会社など、③一般投資家から特定投資家への移行が認められたものがあります(金商法2条31項、34条の2~34条の4)。③は法人も個人もあり得ますが、①②は法人のみです。①のうち適格機関投資家とは、第1種金融商品取引業者、投資法人、銀行、保険会社、投資事業有限責任組合、金融庁長官に届出をした信託会社などの最上級のプロ投資家であり(定義府令10条)、金融庁のホームページにリストが掲示されています。株式報酬に係る開示規制の見直しに関する2025年2月21日の金商法施行令及び開示府令の改正については、以下参照。https://www.fsa.go.jp/news/r6/sonota/20250221/03.pdfhttps://www.fsa.go.jp/news/r6/sonota/20250221/04.pdf「臨報特例(臨時報告書特例)」とは、上場企業が役員や従業員にストックオプションや譲渡制限付株式などの「株式報酬」を付与する際、通常義務付けられている「有価証券届出書」の提出を免除し、より作成負担の軽い「臨時報告書」の提出で済ませることができる金商法上の特例制度です。特定譲渡制限付株式(RSU:RestrictedStockUnit)は、会社に対する役務提供の対価として役員等に生ずる債権の給付と引換えに交付される自社又は親会社の株式であり、①一定期間の譲渡制限が設けられていること、②勤務条件又は業績条件が達成されないこと等が会社による無償取得の事由として定められていること、③役務提供を受ける会社又は親会社の株式であることが必要です(法人税法54条1項)。事後交付型株式は、一定期間の勤務や業績目標の達成といった条件を満たした後に、会社から自社株を受け取る権利を付与される株式報酬制度であり、特定譲渡制限付株式の一種です。付与時に現物株式を渡す一定期間の「譲渡制限付株式」(注9)とは異なり、条件達成後に株式が交付されます。会社法改正について、中間試案が公表され、使用人等に対する株式の無償交付に関する提案が公表されています。https://www.moj.go.jp/content/001460088.pdf提供:税経システム研究所
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2026/06/26 topics
株主総会の書面決議の留意点と次期会社法改正による制度見直しのポイント
[要旨]株主総会の書面決議は、株主総会の開催を省略し株主全員の同意により株主総会決議を成立させることができるため、株主数の少ない株式会社で比較的よく利用されています。しかし、会社法の規定が比較的シンプルであるため、その具体的な手続きや方法にやや不明確さがあります。本稿は、制度の安定的利用を確保し法的紛争を避ける観点から、株主総会の書面決議を行う場合の留意点を示すとともに、次期会社法改正で予定されている改正内容にも言及し、関係者の参考に供します。1はじめに株主総会の決議は、基本的には招集権者により法令・定款所定の手続に従って招集された株主総会において、出席株主が必要に応じ所定の定足数の要件を満たした上で必要多数の議決権の行使を行うことにより行われます(会社法309条参照)。その一方で、会社法は株主総会を介さず株主全員の同意を以て株主総会の決議に代えることを認めています(会社法319条)。これが株主総会の書面決議です。株主総会の書面決議では株主総会の開催が省略されるため、招集手続きは行われません(注1)。他方で、株主総会の書面決議に係る決議事項の提案は「取締役又は株主」が行うものとされますが(会社法319条1項)、取締役がその提案を行う場合における提案事項の決定手続きは、会社法に規定されていないため、取締役会設置会社では当該提案につき取締役会の決議を要するのかは明確でありません。また、株主が提案する場合、議決権のない株主でも良いのかも不明です。さらに、提案そのものは書面または電磁的記録によるものとされていないため、取締役または株主が口頭で行った提案に対し議決権のある株主の全員から「提案内容に同意する」旨の書面または電磁的記録を取り付けると、書面決議が成立するのかも問題となります。株主総会の書面決議は、株主数が少ない株式会社で株主総会の決議事項につき機動的な意思決定を可能にするため、実務上広く用いられていると評されていますが(注2)、その具体的運用の方法・手続きが必ずしも明らかでない点が残されています。そこで、本稿は、法的に安定した制度利用を確保する観点から、これらの問題点を始め制度利用上の留意点を概説・検討するとともに、2026年4月に法務省が公表した「会社法制(株式・株主総会等関係)の見直しに関する中間試案」で提案されている書面決議制度の改正についても触れ、関係者の参考に供します。2株主総会決議を書面で済ませる方法の概要—書面決議―会社法319条1項によれば、取締役または株主が株主総会の目的である事項につき提案をした場合において、当該提案事項につき議決権を有する株主の全員が書面または電磁的記録により同意の意思表示をしたときは、当該提案を可決する旨の株主総会の決議があったものとみなされます。また、この措置により定時株主総会の目的であるすべての事項について書面決議が成立した場合は、その時に定時株主総会が終結したものとみなされます(同条5項)。要するに、株主総会の書面決議は、株主総会を開催することなく、取締役または株主から提案された株主総会の目的である事項に対し議決権を持つ株主の全員から同意の意思表示を取り付け、それを以て株主総会の決議に代えるものです(注3)。この場合、株主総会の招集手続きを経る必要がないことはもちろん、取締役または株主からの提案も、書面または電磁的方法により行うことは要求されていません。他方で、提案事項につき議決権を有する株主の同意の意思表示は、書面または電磁的記録によって行うことを要し(同条1項)、株式会社は当該書面等を株主総会決議があったとみなされた時から10年間その本店に備え置き(同条2項)、株主もしくは債権者または親会社社員の閲覧・謄写に供することを要します(同条3項・4項)。3株主総会の書面決議に関する留意点(1)書面決議の対象とすることができる株主総会決議事項の範囲・種類書面決議を行うことのできる株主総会の決議事項の範囲・種類は、会社法では特に制限が設けられていないため、すべての株主総会決議事項がその対象となると解されています(注4)。しかし、例えば、①株式会社が特定の株主から自己株式を有償取得する場合、他の株主を売主に追加することなく、自己株式取得のための株主総会決議を書面決議により行えるか(注5)、②監査役設置会社で取締役が監査役の同意を得ることなく監査役選任を提案し総株主の同意により監査役選任を内容とする書面決議を行うことが可能か、が問題となりそうです。このうち①については、株式会社が特定の株主から自己株式を有償取得する旨の提案が取締役または株主から行われ、議決権を有する株主の全員が同意の意思表示をしたときは、売主となる株主に自己をも加えたものを株主総会の議案とすることを請求する会社法160条3項所定の権利を放棄したと考えることもできるため、書面決議で行うことに問題はない(注6)ものと思われます。これに対し、②は監査役の独立性確保との関係で検討を要する問題であるところ、議決権のあるすべての株主の同意が監査役選任議案の提案に関する瑕疵を治癒すると考えると、当該議案に係る提案も書面決議により適法かつ有効に可決できると解せそうです。しかし、後述(2)での議論との関係では、監査役の同意を得ずに取締役が提案した監査役選任議案を総株主の同意により可決し成立させた株主総会決議は、決議方法の法令違反を理由に取消しの訴え(会社法831条1項)の対象になると考える余地もあり得ます。そのため、実務上は、取締役が監査役選任議案を書面決議に付すときは、予め監査役の同意を得ておいた方が無難であり、監査役の独立性を確保する観点からは監査役の同意を要すると解した方が妥当であると思われます。(2)取締役または株主による株主総会決議事項の提案①取締役が提案する場合の留意点株主総会の書面決議に付す株主総会決議事項の提案は、取締役または株主がこれを行うと規定されています。この場合、株主総会が開催されないため、招集手続きを履践することは要求されませんが、取締役会設置会社において取締役が当該提案を行うに当たり、株主総会の目的である事項を取締役会の決議で決定(会社法298条1項2号・4項参照)する必要がないかは、従来議論があるところです。取締役が複数ある取締役会非設置会社についても、取締役の過半数により決定することを要するかどうかが同様に問題となります。この問題につき、学説上は、会社法319条に定める書面決議が株主全員の同意によって株主総会の開催と議事の省略を認めるにすぎないものであることを理由に、取締役が書面決議に付す株主総会決議事項の提案を行うに当たり、取締役会設置会社では提案事項を取締役会の決議で決定することを要し(会社法298条1項2号・4項)、複数の取締役を擁する取締役会非設置会社ではこれを取締役の過半数の決定より定める必要があると解する見解(注7)が有力です。これによれば、取締役会設置会社では取締役が取締役会の決議を経ずに株主総会決議事項の提案を行った場合、当該提案に対し議決権のある株主の全員が同意の意思表示を行ったとしても、株主総会決議取消しの訴えの対象となる(会社法298条4項、831条1項1号)と解されます(注8)。複数の取締役を擁する取締役会非設置会社で取締役の一人が取締役の過半数の決定を経ずに当該提案をした場合も同様に解することになるでしょう。これに対し、実務の観点から、書面決議の場合は株主総会の開催そのものが省略され、招集手続も不要とされる以上、招集手続に関し定めた会社法の規定が基本的に適用されないと考えるのが自然であるとする解釈(注9)が提唱されています。また、取締役が監査役選任議案を監査役の同意なしに提案した場合の取扱いについても、前者の立場ではやはり決議取消事由(会社法343条1項・831条1項1号)となると解することになると思われます。他方、後者の立場は、監査役の同意が株主総会の招集手続の一環であるとして、監査役の同意を要しないと解するのかもしれません。株主全員の同意は株主の利益保護のために設けられた手続きの不遵守を治癒する効果を伴うので、取締役からの提案に取締役会の決議または取締役の過半数の決定を要すると解しても、その欠缺という瑕疵は治癒され不問に付されると考えて良いでしょう。しかし、監査役の同意は取締役に対する独立性の確保を目的とするため、取締役からの監査役選任議案の提案については株主全員の同意により監査役の同意が不要になると解することには躊躇を覚えます。そのため、監査役の同意を欠く取締役からの監査役選任議案を可決する書面決議は、決議取消事由を帯びると解することが妥当であると考えられることから、取締役が当該議案を書面決議に付すときは事前に監査役の同意を得ることを要し、同意のための書面または電磁的記録にその旨を付記することが適切であると思われます。②株主が提案する場合の留意点書面決議のための提案は、株主もこれを行うことが可能です。法文上は「株主」とされているため、この場合の株主提案権は単独株主権です。他方で、会社法319条1項の提案者としての「株主」は、同意を与える株主と異なり、提案事項についての議決権を有することが法文上は要件とされていないため、議決権のない株主も当該提案を行えると解する余地がありそうです。ちなみに、会社法303条ないし305条に定める株主提案権のうち単独株主権とされるものについては、提案可能な株主総会の目的たる事項は株主が議決権を行使できる事項に限られるため(会社法303条1項・304条・305条1項)、議決権のない株主には提案権は認められないこととなります。これとの対比で考えると、提案株主について同種の制限が付されていない書面決議に関しては、議決権のない株主にも提案権が認められると解する余地があります。しかし、書面決議はあくまで株主総会の決議の一態様であるため、提案者たる株主もやはり提案事項につき議決権を行使できる者に限られると解する(注10)のが合理的であると思われます。(3)株主による同意の意思表示の方法等①同意の意思表示の方法取締役または株主の提案に対し議決権のある株主からの同意の意思表示は、書面または電磁的記録により行うことを要しますが、その際の具体的方法として、当該書面または電磁的記録に同意の対象となる議案の内容とそれに対する株主の同意が記載または記録され、書面決議に付される議案とそれに対する株主の同意が一つの書面または一つのファイルに一体として示される必要があると解されています(注11)。会社法319条1項の前身となった平成17年改正前商法253条1項では、議決権を行使できる株主が「取締役または株主の提案の内容」および「当該提案に同意する旨」を記載または記録した書面または電磁的記録を以て同意することを書面決議の手続きとして定めていたからです。こうした取扱いが求められた理由は、株主の同意がいかなる提案に対しなされたものであるかが一覧して明らかになるようにするとともに、株主の同意の意思表示を記載等した書面等が別の提案事項に係る書面決議に流用されることを防止することにありました(注12)。このことは、会社法上も引き続き妥当するはずです。②判断能力を欠く株主の同意書面決議に必要な株主の同意が有効な意思表示である必要があることはいうまでもありません。そのため、同意を与えた株主が認知症等のため判断能力を欠いていた場合、当該同意は無効となり、書面決議は成立しません。現に、近時の下級審裁判例では、株主の全部または一部が判断能力を欠いていたことを理由に書面決議の効力を否定している(注13)ため、こうした事態を避ける観点からは、成年後見制度等の利用が必要となります(注14)。4次期会社法改正による書面決議の見直し(1)会社法制(株式・株主総会等関係)の見直しに関する中間試案の提案株主総会の書面決議は株主総会の開催を省略して決議を行える点で株主数の少ない株式会社にとっては弾力的対応を可能にするものとして非常に便利な制度です。しかし、他方で、議決権のある株主全員の同意を要件とするため、所在不明の株主がある場合には、当該株主の保有株式の競売または株式会社による有償取得の措置(会社法197条1項~4項または中小企業承継円滑化法15条)(注15)を講じ総株主の同意を取り付けられる状態としたときを除き、書面決議を行うことができず、限界があります。そこで、法務省民事局参事官室が次期会社法改正に向け2026年4月に公表した「会社法制(株式・株主総会等関係)の見直しに関する中間試案」(以下、「中間試案」)は、こうした事態における現行制度の限界を克服するため、書面決議制度の見直しを盛り込んでいます(第2部・第4・2)。すなわち、中間試案は、現行会社法319条1項を、「取締役または株主が株主総会の目的である事項についての提案を株主(当該事項について議決権を行使することができるものに限る。)に対して通知した場合に、以下の①および②のいずれにも該当するとき」は、当該通知を発した日から1週間以内に異議を述べた株主があるときを除き、当該提案を可決する旨の株主総会の決議があったものとみなすという趣旨の規定に改正することを提案するものです。なお、報告事項の報告についても同様の規律を設けることが併せ提案されています(第2部・第4・2(注))。当該提案につき総株主(当該事項について議決権を行使することができない株主を除く。)の議決権の10分の9(これを上回る割合を当該株式会社の定款で定めた場合にあっては、その割合)以上の議決権を有する株主が書面又は電磁的記録により同意の意思表示をしたこと。①の意思表示をした株主が株主総会において当該提案に係る決議に賛成したとすれば株主総会の決議の要件を満たすこと。(2)中間試案による書面決議制度の見直しがもたらす効用と限界中間試案の提案は、総株主(議決権を行使できない株主を除く。)の議決権の10分の9以上の議決権を有する株主の同意が頭数主義を加味する会社法309条3項・4項の特殊決議を含む株主総会の決議の要件を満たしていれば、書面決議の成立を認めるものですが、書面決議に付す提案の通知発出日から1週間以内に異議を述べた株主があるときには書面決議が成立しないこととなります。そのため、この提案は、実質的に株主全員の同意を要件とする現行の書面決議制度を維持しつつ(注16)、所在不明株主から異議が述べられることは考え難いことから、総株主の同意を得られなくとも、所在不明株主以外の株主が総株主の議決権の10分の9以上を保持して取締役または株主からの株主総会決議事項に係る提案に対し書面または電磁的記録により同意し、それが会社法309条に定める株主総会決議の類型ごとの要件を満たしている限り、結果的には多数決型の書面決議を有効に行えるようにするものです。これにより、所在不明株主問題への対処が一定程度可能になります。他方で、中間試案の提案に係る株主総会の書面決議制度の見直しが実現した場合も、同意株主の要件である「総株主の議決権の10分の9以上を有する株主」の10分の9基準は引下げが認められないものとされます。そのため、所在不明株主が行使できる議決権の数が総株主の議決権の10分の1を超えるときは、書面決議を行うことができず、所在不明株主の保有株式の競売等による対応(注17)が必要となることに留意を要します。5おわりに株主総会の書面決議は、中間試案の提案が実現すれば、株主数の少ない株式会社にとっての有用性が増すだけでなく、所在不明株主問題に悩む株式会社にも株主総会の書面決議を成立させる可能性を与える点で効用を拡大することになります。それでも、前述したように、会社法の法文には表れない制度運用上の法的留意点が残されており、対応を誤ると株主総会の書面決議の効力が否認されるおそれがあるため、書面決議制度の安定的な利用を図る観点からは、これらの留意点に適切に対応する必要があります。本稿が、そのための一助となることがあれば、幸いです。<注釈>内田修平「株主総会の書面決議に係る提案事項の決定手続」商事法務2208号(2019年)59頁。内田・前掲(注1)59頁。岩原紳作編『会社法コンメンタール7―機関(1)』(商事法務、2013年)311頁(前田重行)。岩原編・前掲(注3)311頁(前田重行)、江頭憲治郎『株式会社法〔第9版〕』(有斐閣、2024年)379頁。野澤大和「特定の株主からの自己株式の取得と書面決議の利用の可否」商事法務2345号(2023年)72頁、74頁。これに対し、野澤・前掲(注5)74頁~75頁は、書面決議による場合も、会社法160条2項・3項が適用され、会社法施行規則28条但書および同条3号の類推適用により、会社は、株主全員の同意により株主総会の決議があったとみなされる日の1週間前までに株主に対し売主追加議案変更請求の通知を行う必要があり、当該請求の行使期限は書面決議日の3日前までとなるとの解釈論を示した上で、売主となる株主を除く株主の全員が当該会社による特定の株主からの自己株式の有償取得を内容とする提案に適法に同意する限り、売主追加議案変更請求権を放棄したものと考えられるとされます。なお、現実には考えにくいかもしれませんが、当該株式会社が単元株式制度を採用している場合、単元未満株主は議決権を有しませんが(会社法308条1項但書)、会社法160条3項の請求権は行使できるはずなので、議決権のある株主全員の同意により会社法160条3項の請求権が放棄されたとする理論構成を採用できるかの問題は残ります。野澤・前掲(注5)76頁も、単元未満株主が存在する場合を除く旨の留保を付されています。しかし、単元未満株主は会社法192条で株式買取請求権を行使できるため、議決権のある株主全員の同意を以て株式会社による特定の株主からの自己株式の有償取得を可決する株主総会決議があったものとして取り扱っても、株主の機会の平等は確保されていると考えることもできるので、書面決議による処理を認めても良いのではないでしょうか。岩原・前掲(注3)312頁(前田重行)。江頭・前掲(注4)380頁(注6)。内田・前掲(注1)59頁。江頭憲治郎・中村直人『論点体系会社法〈第2版〉2』(第一法規、2021年)711頁(角田大憲)。岩原編・前掲(注3)313頁(前田重行)。龍田節・池田裕彦「書面等による定時株主総会決議」商事法務1664号(2003年)23頁、岩原編・前掲(注3)313頁(前田重行)。東京地判令和6年9月27日LEX/DB文献番号25615825。同判決の評釈として、滿井美江「判批」新・判例解説Watch◆商法No.193(文献番号z18817009-00-051932721)。中村信男「《商事法研究レポート》[topics]高齢化社会と会社運営上の課題:意思能力を欠いた支配株主の議決権行使による株主総会決議への影響と対応策」(2025年)を参照。所在不明株主の保有株式の売却等の措置につき、曽根圭竹「《商事法研究レポート》[論説]所在不明株主の株式の競売及び売却に関する特例制度の紹介(会社法が定める制度の概要と中小企業経営承継円滑化法の改正点を中心に)」(2021年)を参照。法務省民事局参事官室「会社法制(株式・株主総会等関係)の見直しに関する中間試案の補足説明」(2026年4月)90頁。この点につき、曽根・前掲(注15)が参考になります。提供:税経システム研究所
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2026/05/08 論説
グループ会社のガバナンスと親会社取締役の責任
1はじめに純粋持株会社を核とした企業グループの形成が可能になったのは、平成9(1997)年の独占禁止法改正を受けてのことですが、今では、持株会社による企業グループ運営が一般化しつつあります。会社法においては、平成26(2014)年の改正によって、大会社である親会社の取締役会には、企業集団の内部統制システム(内部統制体制)を構築し、運用することが求められるようになりました。しかしながら、この法改正の後も、裁判所は、親会社の取締役について、子会社管理上の責任を認めることに謙抑的であるといわれています。どのような場合に、子会社の不祥事等に関連して親会社取締役の責任(親会社に対する損害賠償責任)が認められているのでしょうか。従来の判例・裁判例の傾向を確認した上で、近時公表されたTOYOTIRE事件判決(大阪地判令和6・1・26金判1697号21頁)を取り上げて、少し詳しく検討してみたいと思います。この事件は、技術的に根拠のない数値を用いて、本来であれば技術的基準に適合しない免震積層ゴムを、子会社が製造・出荷していた場合に、親会社の取締役に、親会社に対する損害賠償責任が認められたものです。また、この事実の監督官庁への報告と一般への公表が遅れたことについても、親会社取締役の親会社に対する責任が認められています。2親会社取締役の子会社管理上の責任会社法362条4項には、取締役会は、同項の各号に掲げる事項その他の重要な業務執行の決定を行うべきことが定められており、その6号には、「取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他株式会社の業務並びに当該株式会社及びその子会社から成る企業集団の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備」が掲げられています。ここにいう体制は、一般に、企業集団内部統制システム(あるいは企業集団内部統制体制)と呼ばれます。この条項は、前述のように、平成26年の会社法改正によって、それまで法務省令で定められていた内容の一部が、会社法本体に「格上げ」されたものですが、同条5項は、大会社である取締役会設置会社では、取締役会は、同条4項6号に掲げる事項を決定しなければならない、と定めており、これを内部統制システムの整備義務といいます(注1)。したがって、大会社である親会社の取締役には、会社法上、取締役会の構成員として、子会社を含む企業集団について、内部統制システムを整備(構築・運用)することが義務づけられており、換言すれば、企業集団の内部統制システムを構築し、それを実際に機能させること(運用すること)は、親会社の取締役の善管注意義務の内容となります。また、金融商品取引法においても、上場会社であれば、内部統制報告書の提出が義務付けられています(金融商品取引法24条の4の4)が、その内容も企業集団の内部統制に関するものです。ここにいう内部統制システムの構築については、同システムの水準と経営判断の原則との関係が、そして、その運用については取締役等の信頼の保護が問題になる、といわれています(注2)。これらの会社が整備すべき内部統制システムの水準としては、通常想定される不正行為を防止しうる程度の管理体制を整えることが求められると考えられており、また、内部統制システムの整備には相応の費用がかかる以上、費用対効果を考えて決定する必要があるともいわれています(注3)。つまり、どのような内部統制システムを整備するかについては、取締役に広い裁量が認められる経営判断事項ということになります。また、内部統制システムの運用に際しては、特段の問題や疑念が生じていない限り、当該システムに対する信頼は、保護されるものと考えられます。そして、これらのことは、親会社取締役の子会社に対する監督義務や、企業グループとしての内部統制システムにも当てはまる、ということができます。さらに、子会社株式は親会社の資産であり、親会社の取締役は、親会社の企業価値を向上させるために、企業グループの統括・運営について経営戦略を立案して実行することを、親会社の業務執行上、求められるとも考えられます。このような観点からは、親会社取締役には、必要に応じて子会社の業務に関わり、子会社の業務を監視・監督することが求められる場合もあり得ます。以上のことを、関連判例・裁判例から、確認してみましょう。3関連判例・裁判例(1)子会社管理に関する親会社取締役の責任①東京地判平成13・1・25(判時1760号144頁)は、孫会社に生じた損害について親会社の取締役の責任が否定された事例です。事案は、野村證券の米国における100%孫会社が、ニューヨーク証券取引所に対して、米国証券取引委員会規則の違反を理由に合計118万米ドルの課徴金を納付したことについて、野村證券の取締役Yらの責任が、株主代表訴訟によって追及されたものです。東京地裁は、次のような基準を示して、親会社取締役の責任を否定しています。「親会社と子会社(孫会社も含む)は別個独立の法人であって、子会社(孫会社)について法人格否認の法理を適用すべき場合の他は、財産の帰属関係も別異に観念され、それぞれ独自の業務執行機関と監査機関も存することから、子会社の経営についての決定、業務執行は子会社の取締役(…)が行うものであり、親会社の取締役は、特段の事情のない限り、子会社の取締役の業務執行の結果子会社に損害が生じ、さらに親会社に損害を与えた場合であっても、直ちに親会社に対し任務懈怠の責任を負うものではない」とした上で、「もっとも」と続けて、「親会社と子会社の特殊な資本関係に鑑み、親会社の取締役が子会社に指図をするなど、実質的に子会社の意思決定を支配したと評価しうる場合であって、かつ、親会社の取締役の右指図が親会社に対する善管注意義務や法令に違反するような場合には、右特段の事情があるとして、親会社について生じた損害について、親会社の取締役に損害賠償責任が肯定されると解される。」と判示しています。この立場によれば、親会社の取締役が子会社(孫会社も同様)に生じた損害について親会社に対して責任を負うのは、その者が指図して実質的に子会社の意思決定を支配した場合で、かつ、その指図が親会社に対する善管注意義務や法令に違反する場合に限られるということになるので、かなり限定的なものと理解されていたようです。②福岡高判平成24・4・13(金判1399号24頁。原審:福岡地判平成23・1・26金判1367号41頁)では、A社の100%子会社B社が、A社を含む仕入業者に対して、一定の預かり期間内に売却できなければ、期間満了時に在庫商品を買い取る旨を約した上で、魚(冷凍食品等)を輸入して貰う仕入れ方法(ダム取引)をとっていたところ、平成14年春頃から、預かり期間満了時までに売却できなかった在庫商品を一旦買い取り、当該仕入れ業者または別の仕入れ業者に対して、一定の預かり期間に売却できなければ期間満了時に買い取る旨を約して当該商品を再度買い取って貰い、その後、同期間満了時までに売却できなければ同じことを繰り返す取引(グルグル回し取引)を行っていました。これを繰り返すと、手数料や在庫保管料等が付加されて商品の簿価は上がりますが、商品の品質は劣化し、時価が簿価を下回って含み損が発生します。不良在庫を抱えてB社が破綻し、B社に対してA社に高額の融資をさせるなどした点で、A社の元取締役でB社の役員でもあったYらの責任が追及されました。福岡高裁は、Yらは、B社に「不明瞭な多額の在庫があるとの報告を受け、その後も、在庫や借入金が急速に増加し、その状況が一向に改善しない等の状況を認識していながら、何ら有効な措置を講じ」ず、また、B社の「再建にはその経営困難に陥った原因解明が必要不可欠であったのに」それをしないで、「現実の経営回復の裏付けがないため回収不能による多大な損失が出ることが当然予測されることが認識できたのに、本件貸付けなどの支援を」B社に対して行ったことは、「A社の取締役としての経営判断として合理性はなく、正当なものであったなどとは言い得ないことは明らか」であるとして、YらのA社に対する責任を認めています。①判決ほど限定的ではありませんが、責任が認められた役員は、子会社Bの取締役や監査役を兼務していた者に限られています。なお、整備すべき内部統制システムの水準について、③日本システム技術事件の最高裁判決(最判平成21・7・9判時2055号147頁)は、通常想定される架空売上げの計上等の不正行為を防止しうる程度の管理体制を整えていた場合に、通常容易に想定し難い方法により不正行為(架空売上の計上)が行われ、「以前に同様の手法による不正行為が行われたこと」もなく、当該不正行為の発生を予見すべき特別な事情もなく、さらに、売掛金の回収遅延について挙げられていた理由が合理的で、関連する紛争が過去に生じたこともなく、監査法人の適正意見も表明されていた場合に、財務部が「直接販売会社に売掛金債権の存在等を確認しなかったとしても、……財務部におけるリスク管理体制が機能していなかったということではできない」旨を判示しています。(2)報告・公表義務販売する食品への未認可添加物の混入(食品衛生法違反)が問題となった④ダスキン事件の大阪高裁判決(大阪高判平成18・6・9判例タイムズ1214号115頁)では、「消極的な隠ぺいとみられる方策を重ねることは、ことが食品の安全性にかかわるだけに、企業にとっては存亡の危機をもたらす結果につながる危険性があることが、十分に予測可能であった……そのような事態を回避するために、そして現に行われてしまった重大な違法行為によってダスキンが受ける企業としての信頼喪失の損害を最小限度に止める方策を積極的に検討することこそが、このとき経営者に求められていたことは明らかである。……『自ら積極的には公表しない』などというあいまいで、成り行き任せの方針を、手続き的にもあいまいなままに黙示的に事実上承認したのである。それは、到底、『経営判断』というに値しない」と述べて、取締役らの善管注意義務違反を認めています。4TOYOTIRE事件(1)事実の概要A社はタイヤ事業とダイバーテック事業を営む大規模会社で、ダイバーテック事業のうち加工品の製造・開発・販売部門を、平成25年1月に完全子会社B社に移管し、B社を通じて免震積層ゴムを製造・販売していました。免震積層ゴムは、建築基準法により、国土交通大臣の認定により定められた技術的基準に適合する品質が必要でした。平成26年5月12日、A社の取締役Y1(ダイバーテック事業本部長・B社取締役を兼務)は、免震積層ゴムの1つG0.39について、出荷の際に技術的根拠のない数値を用いたことで技術的基準に適合しない可能性がある旨の報告を受けました。Y1の指示により調査が行われ、Y2(取締役・技術統括センター長、品質保証を担当する委員会委員長)は同年7月からこの調査に加わり、Y3(代表取締役社長・前タイヤ事業本部長)とY4(取締役・コンプライアンス関係業務を担当)は、同年8月にこの問題を知りました。調査結果を受けて、同年9月16日に開催された会議(Y1~Y4出席)では、本製品の出荷停止の方針が一旦は決定されましたが、これまでの検査方法で得られた実測値に補正等を行うことで技術的基準への適合が可能であるとのCの報告を受け、同日午後の会議(Y1・Y2出席)では、出荷停止の方針が撤回されました。しかし、同年10月23日には、弁護士から国土交通省(以下「国交省」といいます。)への報告が必要である旨の助言を受け、またC報告によっても大臣評価基準への適合性が否定される状況に至りました。しかしA社は、引き続き社内調査等を継続し、翌年2月なって出荷停止を判断し、国交省への報告を行い、3月13日に免震積層ゴムの一部が技術的基準に適合していなかったことを公表しています。A社の株主Xは、①出荷停止を判断すべき善管注意義務等の履行と、②平成26年9月以降、この問題の国交省への報告と一般への公開を判断すべき善管注意義務等の履行を怠ったとして、Y1らの損害賠償責任を追及する株主代表訴訟を提起しました。(2)裁判所の判断大阪地裁は、①について、Y1とY2に約1億3828万円、②についてY1~Y4に約2000万円の範囲で、A社に対する損害賠償請求を認容しています。1)一般論「当該会社が大規模で分業された組織形態となっている場合には、取締役が各種の業務を分担する各部署で検討された結果を信頼してその判断をすることは、取締役に求められる役割という観点からみても合理的なものということができ、そのような場合には、当該取締役の地位及び担当職務、その有する知識及び経験、当該案件との関わりの程度や当該案件に関して認識していた事情等を踏まえ、下部組織から提供された事実関係やその分析及び検討の結果に依拠して判断することに躊躇を覚えさせるような特段の事情のない限り、前記の基準〔技術的基準のこと:筆者加筆〕に適合するとの認識ないし評価に至る過程は合理的なものということができる」。2)出荷停止の判断「当時、A社のダイバーテック事業本部長」であり、B社を担当する「取締役として、B社による免震積層ゴムの出荷業務等についての一般的な指揮監督を行う立場にあったY1は、本件出荷の停止を判断すべき注意義務を負っていた…」が、「…かかる義務を怠り、一旦行った出荷停止の判断を覆し、本件出荷を行う判断をして前記義務に違反し、その任務を懈怠したということができる」。「B社は、A社のグループ会社内での組織上、化工品ビジネスユニットの一部門に位置づけられていたこと……、また、B社の代表取締役ないし取締役であるD及びEは、A社の従業員としての地位を有し、毎月1回、A社の化工品ビジネスユニットの幹部会議に出席して、A社のダイバーテック事業本部長等から事業方針等について指揮監督を受けていたこと……、そして、B社で製造する免震積層ゴムの大臣評価基準への適合性が問題となった際も、……Y1及びY2は……B社の担当者から報告を受けるとともに調査を指示して……、B社の担当者の報告に基づいてG0.39の出荷の可否を検討し、Y1及びY2が参加した会議において、本件出荷が決定され……、本件出荷による損害賠償金もA社が支払っている……」。「本件出荷に係る判断は、A社の業務執行の一環として行われたものというべきであ」る。「当時、A社の技術統括センター長及びQA委員会の委員長として、本件出荷品の大臣評価基準への適合性について必要があればその権限を行使し更なる調査を求めるなどして大臣評価基準に適合しない製品が出荷されないように取り組むべき責任を負う立場にあったY2は、本件出荷の停止を判断すべき注意義務を負っていたというべきである」が「Y2は、かかる義務を怠り、一旦行った出荷停止の判断を覆し、本件出荷を行う判断をして前記義務に違反し、その任務を懈怠した」。なお、Y3・Y4については、その立場や本件への関わりを考慮するとY1・Y2を信頼することに躊躇を覚えるような特段の事情は認められないとし、任務懈怠はないと判断しています。3)国交省への報告と公表G0.39は、建物に対する地震力の低減機能を有する指定建築材料として建物の耐震性能の維持に直結する機能を有するもので「かかる製品を販売する企業の取締役としては、出荷済みの製品が大臣評価基準に適合しないものであった場合には、可及的速やかに国交省に報告するとともに」事実の一般への公表が求められるところ、平成26年10月23日の時点では、Y1らの間で「G0.39の中に大臣評価基準に適合しないものがあることは明らか」となっており、「既に相当数の建物で現に使用されていたこと、かつ、G0.39やこれを用いる建物の改修方法等を示して報告・公表するには今しばらく時間を要するような状態であり、これを待って報告・公表していてはいつ公表できるか全く明らかでない状況であったこと」からすれば、Y1らは、国交省に報告する判断をすべき義務(報告義務)と一般に公表する判断をすべき義務(公表義務)を負っていたが、Y1らはこれらの「各義務に違反したものである」。(3)本件の特徴本件では、免震積層ゴムの製造・販売は元々A社が行っており、これを分社化して子会社B社に行わせていること、B社に移管後も引き続きA社が一定の権限を留保しており、本件の出荷の決定もA社の取締役らが行い、この製品のために納入先等が行った改修工事の費用や対応費の支払もA社が行っていた、という特徴があります。そのため、争われている論点に関する限り、裁判所は、子会社管理の在り方ではなく、親会社の業務執行上の判断に関する先例の一つと位置づけている、との指摘もあり(注4)、適切な指摘であると考えられます。親会社取締役の親会社に対する任務懈怠を認める結論に特に違和感はない、とも評されており(注5)、この点に関する限り、批判的な見解はみられないようです。また、公表等との関係についていえば、安全にかかわる基準への適合性を判断する際の慎重な検討の要請や、エンドユーザーに対する安全への配慮を重視する判示は、④ダスキン事件判決にもみることができます。本件の場合、社会的影響(当該製品使用者等の生命・身体・財産に対する危険)と、会社の利益への影響(会社の信頼を大きく損ない多額の賠償責任を負うこと)とを比べると、ポイントは後者にあるとの指摘もあます(注6)。また、報告・公表義務自体について明文の規定がないことから、公表義務についての判示に対しては、会社の損害の最小化を義務づけの根拠と考えることが説得的であると述べる学説もみられます(注7)。5おわりに-実務の動向以上のように、現在までのところ、親会社の取締役が、子会社の不祥事や法令違反行為について親会社に対して法的責任を負うのは、当該取締役が当該子会社の業務の担当取締役である場合や当該子会社の取締役等を兼務している場合に限られるようです。とはいえ、本稿でみたように、従来の事案には、親会社が純粋持株会社である例や中間持株会社を利用している例は含まれていません。そのような場合に、持株会社の取締役について、裁判所が同様の立場を維持するのかは明らかではありません。本年3月末にも、KDDIの子会社による巨額の不正会計が公表されており、経営責任の問題も指摘されています(注8)。また、法的責任の問題とは別に、持株会社のトップやトップ経験者が、社会的な非難から、子会社等の企業不祥事を契機として辞任に追い込まれる例も散見されます。さらに、備えるべき内部統制システムの水準についても、当該システムにおいて自社で特段の問題や疑念が生じていなくても、近時の企業を取り巻く状況を勘案すれば、同業他社に生じた事案を参考に、内部統制システムの強化に取り組む必要があると考えられる場合もあるでしょうし、サイバーセキュリティーなど新たなリスクへの対応も必要となるでしょう。加えて、海外子会社については、国内とは異なる現地の商習慣や法令等を把握し、不祥事や違法行為等の防止に努めることが求められると考えられます(注9)。これらのことも加味しつつ、企業集団において備えるべき内部統制システムの水準等を不断に見直していくことが有用であるといえます。<注釈>同様の規制は、取締役会を設置しない大会社の取締役に加えて、指名委員会等設置会社と監査等委員会設置会社の取締役会にも設けられていますが(会社法348条3項4号・4項、399条の13第1項1号ハ、416条1項1号ホ)、本稿では、これらの機関構成の場合については言及を省略します。江頭憲治郎『株式会社法〔第9版〕』(有斐閣・2024年)427頁。例えば、田中亘『会社法〔第5版〕』(東京大学出版会・2025年)295頁。齊藤真紀「グループ・ガバナンス」ジュリスト1618号(2026年)56頁。舩津浩司「判批」ジュリスト1598号(2024年)3頁。舩津浩司「判批」資料版商事法務483号(2024年)150頁。なお、山下徹哉「判批」商事法務1898号(2010年)105頁。笠原武朗「判批」私法判例リマークス71(2025年)97頁。一般への公表義務は必須ではないとする見解として、藤林大地「判批」法学セミナー838号(2024年)109頁。例えば、2026年3月28日付日本経済新聞朝刊18面。例えば、EUの企業サステナビリティ・デューディリジェンス指令について、齊藤・前掲(注4)59頁。提供:税経システム研究所
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2026/04/10 topics
所在不明取締役をめぐる問題
1.はじめに公開会社は取締役会設置会社なので(会社法327条1項1号)、3人以上の取締役が必要ですし(会社法331条5項)、その中から代表取締役を選定しなければなりません(会社法362条3項)。それに対して、非公開会社であれば、取締役会は必要ではなく、取締役1人で足りますし、複数いる場合でも、特に代表取締役を定めなければ、取締役各自が会社を代表します(会社法349条1項~3項)。しかし、会社法制定前は、株式会社では3人以上の取締役が必要とされていたため(2005年改正前商法255条)、法定数を確保するための名目的な取締役も少なくなかったようです(注1)。名目的な取締役ですと、何年も経つと所在不明になる可能性もあります。所在不明株主がいる場合の対応策については、以前に取り上げました(注2)。株式会社の役員は、株主と異なり、任期満了や死亡によってその地位を失うので、役員の所在が不明であっても時間が解決してくれそうです。しかし、役員の所在が不明の場合には、会社運営に重大な支障が出るため、速やかな対応が必要です。特に代表取締役の所在が不明な場合、速やかに新しい代表者を選任しないと、契約や銀行手続きができなくなります。また債務者会社の取締役が所在不明になった場合には、債権回収が著しく困難になるおそれがあります。そこで所在不明取締役をめぐる問題を検討します。なお本稿では指名委員会等設置会社や監査等委員会設置会社は除外しますし、種類株式発行会社も除外します。2.取締役の退任(1)取締役の退任事由株式会社と取締役の間の関係は委任に関する規定に従うので(会社法330条、民法653条)、取締役の①死亡、②辞任、③任期満了、④解任、⑤欠格事由の発生(会社法331条3号・4号)、⑥破産手続開始決定と、⑦会社の解散によって取締役は退任します。所在不明取締役について問題が生じるのは、主に①②③の場合でしょう。(2)会社の解散・破産手続開始決定株式会社が解散すると、会社の清算事務を行うための清算人が選任され、通常の事業活動を行う取締役はその地位を失いますが、多くの場合はそれまでの取締役が清算人に就任します(会社法478条)。会社が解散したときは、2週間以内に解散の登記をしなければなりません(会社法926条)。株式会社が破産手続開始決定を受けると、会社は解散しますが(会社法471条5号)、会社財産の管理処分権が破産管財人(破産法2条12項)に移り、取締役は会社財産を処分できなくなるため、通常は退任すると考えられます。しかし、判例(最判平成21年4月17日裁判集民事230号395頁)は、株式会社の取締役又は監査役の解任又は選任を内容とする株主総会決議不存在確認の訴えの係属中に当該株式会社が破産手続開始の決定を受けても、破産財団の管理処分権は破産管財人に移るものの、取締役らの地位は当然には終了せず、上記訴訟についての訴えの利益は当然には消滅しないと判示しています。いずれにせよ破産手続開始の決定をしたときは、裁判所は直ちにその公告をするので、所在不明という事態は生じないでしょう。(3)取締役の破産手続開始決定・欠格事由発生取締役が個人的に自己破産した場合、会社との委任契約が終了するため、退任しなければなりません(民法653条、会社法330条)。しかし、自己破産は取締役の欠格事由ではないため(会社法331条参照)、取締役の破産手続き開始後であっても、株主総会で選任されれば、再び取締役に就任できると解されます。欠格事由はいずれも刑罰であり(同条3号・4号)、これも会社が知らないということはありえないでしょう。(4)解任・死亡会社はいつでも取締役を株主総会の決議により解任することができます。解任は原則として普通決議事項です(会社法339条1項、309条1項・2項7号)。定款で変更することもできますが、定足数を総株主の議決権の3分の1未満にすることはできません(会社法341条)。解任に正当事由のないときは、解任された取締役は会社に対して損害賠償を請求することができます(会社法339条2項)。所在不明の取締役の解任は、取締役としての職務を放棄して音信不通になっており、会社に対する善管注意義務に著しく違反するため正当な理由に該当すると考えられます(注3)。また取締役解任の訴えもあります。取締役の職務の執行に関し不正の行為又は法令定款に違反する重大な事実があったにもかかわらず、当該取締役の解任議案が株主総会において否決されたときは、議決権総数又は発行済株式総数の100分の3以上の議決権を6か月前から引き続き有する株主は、当該株主総会の日から30日以内に当該取締役の解任を請求する訴えを提起できるというものです(会社法854条)。取締役は死亡すれば直ちに退任します。ただ会社が死亡通知を受けていないと所在不明となるおそれはあります。連絡が取れない場合には、その取締役を解任して、後任者を選任すべきでしょう。株主総会の招集権者である取締役が不在の場合は、株主全員の同意で招集手続きを省略することができます(会社法300条)。あるいは裁判所に仮取締役(後述)の選任を申し立てることもできます。(5)辞任・任期満了と取締役権利義務者・仮取締役取締役はいつでも辞任できます(民651条1項)。会社に対して辞任の意思を表示するので、会社は当然辞任の事実を把握しているはずです。取締役の任期は、原則として選任後2年以内に終了する定時株主総会の終結時までですが、定款又は株主総会決議によって短縮することができます(会社法332条1項)。また非公開会社では、定款で2年を10年まで延長することができます(同条2項)。任期満了により取締役に欠員が生じなければ、当該取締役は退任しますが、欠員が生じる場合には、後任者の選任によって旧取締役は任期満了により退任となります。それに対して、欠員のまま後任取締役の選任が行われない場合には、任期の満了又は辞任により退任した取締役は、新たに選任された取締役が就任するまで、なお取締役としての権利義務を有するとされています(会社法346条1項)。自己の取締役登記は自動的には消えませんし、取締役としての職責から解放されるためには、会社に後任者の選任をしてもらう必要があります。欠員が補充されれば、取締役権利義務者は自動的に退任します。しかし、会社が欠員の補充をしない場合には、裁判所に仮取締役を選任してもらうという方法があります。これは、利害関係人の申立てにより、裁判所は必要があると認めるときに、一時取締役の職務を行うべき者(仮取締役)を選任することができるというものです(同条2項)。取締役権利義務者は利害関係人に該当すると解されます。なお仮取締役に対して会社が支払う報酬額は、裁判所が定めることができます(同条3項)。3.登記義務の懈怠と休眠会社の整理取締役が退任したときは、2週間以内に退任の登記をする必要があります。取締役の退任により欠員が生じるときは、後任の取締役を選任し、選任及び退任の登記をする必要があります(会社法915条1項、911条3項13号)。登記を怠っていると、100万円以下の過料が科される可能性があります(会社法976条1号)。さらに連絡が取れないからといって必要な登記をしないで放置しておくと、休眠会社のみなし解散の対象となります。休眠会社とは、最後の登記があった日から12年を経過した株式会社をいいます。法務大臣が休眠会社に対し2か月以内に本店所在地の管轄登記所に事業を廃止していない旨の届出をすべき旨を官報に公告した場合に、その届出もせず、その期間内に登記もしないときは、その2か月の期間の満了時に解散したものとみなされます(会社法472条1項)。ただし、解散したものとみなされてから3年以内であれば、株主総会の決議により、当該会社を継続することができます(会社法473条)。この場合には、登記義務を怠ったことが明白ですから、過料が科される可能性は高いでしょう。なお特例有限会社では、取締役の任期もありませんし、休眠会社のみなし解散の制度もありません(注4)。4.債務者会社の取締役の所在不明債務者会社の取締役(特に代表取締役)が所在不明で連絡が取れない場合、債権回収は困難な状況に陥ります。どのような法的な手段を用いれば、債権回収手続きを進めることが可能でしょうか。まず所在不明の代表取締役の所在を調査すべきです。代表取締役の氏名住所は登記事項とされているので(会社法911条3項14号)、商業登記簿を確認して、登記事項証明書を取得します。しかし、2024年10月1日から「代表取締役等住所非表示措置」が施行され商業登記簿には最小行政区画までしか記載されません(令和6年商業登記規則等の一部を改正する省令)(注5)。代表取締役等住所非表示措置が講じられた場合には、登記事項証明書等によって会社代表者の住所を証明できないため、金融機関から融資を受ける際に不都合が生じたり、不動産取引等の際に必要な書類(会社の印鑑証明書等)が増えるなどの影響が生じることが想定されます。債務の履行を求めて訴訟を提起する場合、通常、裁判書類は相手方に直接送達する必要がありますが、住所が不明な場合、裁判所の掲示板に訴状を掲示することで、送達されたとみなす公示送達の制度を利用できます(民事訴訟法110条以下)。公示送達により、相手が出席しなくても裁判を進め、判決をもらうことができるため、相手方の所在が不明でも、裁判を進めて債務名義(強制執行に必要な書類)の取得は可能です。代表取締役が不在で契約や法的対応ができない場合、債権者は利害関係人として裁判所に仮取締役の選任を申し立てることができます。残っている取締役がいる場合は、その取締役を代表者として交渉・法的手続きを行います。役員の住所が分からなくても、会社の資産(銀行口座、事務所の不動産など)を特定できれば、強制執行が可能です。いずれにせよ役員が逃げている状況での回収は専門的な法知識が必要であり、弁護士に相談すべきです。5.終わりに取締役の所在不明は、当該会社の運営上の問題だけでなく、当該会社の他の取締役や債権者にも重大な影響が出る可能性があります。実質的な経営者の雲隠れによって、残された取締役、特に名目的な取締役が対第三者責任を追及されるリスクも少なくありません(注1参照)。役員の所在不明を漫然と放置せず、速やかな対応が必要です。<注釈>最大判昭和44年11月26日民集23巻11号2150頁は、代表取締役が他の代表取締役等に会社業務の一切を任せきりにし、業務執行になんら意を用いないで、ついにはそれらの者の不正行為ないし任務僻怠を看過するにいたるような場合には、自らもまた悪意・重過失により任務を怠ったものとして、会社法429条1項(旧商法266条ノ3第1項前段)の責任を認めました。また最判昭和48年5月22日民集27巻5号655頁は、株式会社の取締役会は会社の業務執行につき監査する地位にあるから、取締役会を構成する取締役は、会社に対し、取締役会に上程された事柄についてだけ監視するにとどまらず、代表取締役の業務執行一般につき、これを監視し、必要があれば、取締役会を自ら招集し、あるいは招集することを求め、取締役会を通じて業務執行が適正に行なわれるようにする職務を有するとして、社外重役として名目的に就任した取締役についても同条の責任を認めました(同旨、最判昭和55年3月18日判例タイムズ420号87頁)。河内隆史「所在不明株主への対応」MonthlyReportNo.205所在不明ではありませんが、持病が悪化したため、療養に専念するため代表取締役を辞任した取締役の解任が正当事由ありとされた判例があります(最判昭和55年3月18日判例タイムズ420号87頁)。2006年に会社法が施行され、有限会社法が廃止されました。それ以降は新たに有限会社を設立することができません。それ以前に設立された有限会社は、会社法施行後も「有限会社」の商号のまま「株式会社」として存続が認められています。このような有限会社を「特例有限会社」と呼びます。通常の株式会社に変更することも可能ですが、一旦変更すると、有限会社に戻ることはできません。しかし、特例有限会社では、従来の有限会社と同様に、役員任期に法律上の定めがありませんし、休眠会社のみなし解散の制度もありません(会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律18条、32条)。相澤哲編著『一問一答新・会社法』(商事法務、2005年)169頁。代表取締役等住所非表示措置を希望する者は、登記申請と同時に登記官に対してその旨申し出る必要があります。この申出は、設立登記、代表取締役等の就任登記、代表取締役等の住所移転による変更登記など、代表取締役等の住所が登記されることとなる登記の申請と同時にする場合に限り認められます。非上場会社がこの申出をする場合は、登記申請書に、①代表取締役等住所非表示措置を希望する旨、②代表取締役等住所非表示措置の対象となる者の資格、氏名及び住所、③申出に当たって添付する書面(実質的支配者リストの保管の申出をしている場合は、その旨及び申出先)を記載します。参照https://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_00210.html#2-2提供:税経システム研究所
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2026/03/27 topics
議決権行使助言会社をめぐる規制の動向 −トランプ政権による直接的規制に向けた動きと影響−
1はじめに2025年12月11日、アメリカのドナルド・トランプ大統領は、「外国の所有であり、かつ、政治的に動機づけられたプロキシ・アドバイザー(議決権行使助言会社)からの米国投資家の保護(PROTECTINGAMERICANINVESTORSFROMFOREIGN-OWNEDANDPOLITICALLY-MOTIVATEDPROXYADVISORS)」と表する大統領令(注1)(以下、「本大統領令」とします)を発出し、あわせて付随するファクト・シート(注2)を公表しました。議決権行使助言会社は、一般的に上場会社などの株主総会における機関投資家の議決権行使判断に関連し、一定の推奨ないしリサーチを提供することを事業としている会社です(注3)。本大統領令は、議決権行使助言会社の中でも、代表的なInstitutionalShareholderServicesInc.(ISS)およびGlass,Lewis&Co.,LLC(GlassLewis)の2社を名指ししたうえ(注4)、議決権行使助言会社に対して、様々な観点から規制を強化し、その活動に対して一定の縛りをかけようとしています。具体的には以下に述べていきますが、それら2社に代表される議決権行使助言会社は、これまで、上場会社の株主総会において、会社や時期によっては非常に大きな影響力を持っている場合もある一方、少なくとも法律上は、直接的な規制を受けてきませんでした。それが今後、本大統領令や以下に述べるトランプ政権の動きをきっかけとして大きく流れが変わる可能性があり、日本の上場会社や証券市場関係者にも影響を与える可能性があります。本稿では、近時における以上の動向を整理したうえで、証券市場における議決権行使助言会社の位置づけおよび今後のあり方について、若干の検討を行いたいと思います。2アメリカにおける議決権行使助言会社に対する規制の変遷アメリカにおいて、議決権行使助言会社は、2010年代後半に至るまで、原則として1934年証券取引所法(SecuritiesExchangeActof1934)、とくにその中の委任状(勧誘)規制において「勧誘(solicitation)」行為を行っているとは捉えられてきておらず、また、同法を所管する証券取引委員会(SecuritiesExchangeCommission:SEC)による法執行の対象にもなってきませんでした。その後、トランプ第1次政権下であった2019年9月、SECは「議決権行使助言に対する委任状規則の適用に関する解釈およびガイダンス」を公表し(注5)、また、2020年7月には、関連する規則14a-1(l)、14a-2(b)および14a-9の改正を採択しました(注6)。これらをもって、議決権行使助言行為は、原則として規則14a-1(l)に定義される「勧誘(solicitation)」に該当するとされ、さらに、それまで議決権行使助言事業者がしばしば援用してきた、委任状規則における情報提供義務および提出義務という2つの免除に関して、それら免除を受けるために、①顧客に対して助言を提供するのと遅くとも同時までに対象企業にも助言内容がわかるようにすること、および②顧客が対象会社による書面での反論・見解にアクセスできる手段を提供すること、といった新たな条件を追加する規則14a-2(b)(9)を採択し、さらに規則14a-9の注記(Note)の改正を通じて、議決権行使助言会社に対して重要な虚偽表示または重要事項の不記載について責任が認められる可能性が含められました。この規則改正は、2020年11月2日に施行されましたが、他方で、SECは議決権行使助言事業を行う者らについて、それらの遵守を2021年12月1日までは求めない旨を表明しました。その後、バイデン政権下となった2022年7月、SECは2020年の規則改正等による議決権行使助言事業者に対する規制を撤回または緩める旨のリリースを発出しました(注7)。そして、さらに2024年になり、今度は第5巡回区連邦控訴裁判所が、2022年のSECによる規則撤回の一部について、それを無効とする判断を下しました(注8)。このように、近年、議決権行使助言を行う事業者(議決権行使助言会社)に対する規制については、政権が変わる度に、規制強化の動きと緩和の動きが行政だけでなく、司法も含めて繰り返されてきました。こうした中、トランプ政権が議決権行使助言会社に対する規制強化を明確に打ち出したのが本大統領令です。3本大統領令の概要本大統領令の概要は以下の通りです。⑴目的本大統領令はISSおよびGlassLewisについて、株主による議決権行使を通じて、アメリカにおける最大級の企業の政策および優先事項の形成に重要な役割を果たしており、株主提案、取締役会の構成、役員報酬を含むコーポレート・ガバナンスに関する事項に加え、資本市場およびアメリカ人の投資商品(401(k)、IndividualRetirementAccountその他の退職投資手段を含む)の価値に対し、極めて大きな影響力を有しているとしています。そのうえで、本大統領令は、議決権行使助言会社が、本来は投資家へのリターンを最大化することが何よりも優先されるべき事項であるにもかかわらず、「多様性・公平性・包摂性(diversity,equity,andinclusion:DEI)」や「環境・社会・ガバナンス(environmental,social,andgovernance:ESG)」のような、急進的かつ政治的な動機に基づくアジェンダを推進し、かつ、優先するために、その強大な権限を恒常的に用いていると指摘します(例えば、議決権行使助言会社は、米国企業に対して人種的公平性についての監査の実施や温室効果ガス排出の大幅な削減を求める株主提案を支持し、取締役会の人種または民族的多様性に基づく指針を継続して提供し続けているとしています)。そのうえで、こうした議決権行使助言会社の慣行は、利益相反および推奨内容の質に関して重大な懸念を生じさせているとしています。こうしたことを踏まえ、本大統領令は、とくに以下の3つの観点に関して、それぞれ連邦機関の長に要請を行っています。⑵投資家保護本大統領令は、SECの委員長に対し、議決権行使助言会社に関するあらゆるルール、レギュレーション、ガイダンス、ブリティン(Bulletin:SECの職員が発出するテクニカルな見解)、およびメモランダム(内部通達)を見直すべきとしています。そのうえで、SECの委員長は、アメリカの行政手続法(AdministrativeProcedureAct:APA)に従い、本大統領令の目的と整合しない規則や規制等、なかでも「DEI」と「ESG」に関する政策に関連するものについて、それらの改正または撤廃を検討することを求めています。加えて、議決権行使助言会社が行う、議決権行使に関する推奨において含まれる重要な虚偽記載等または重要事項についての不記載について、SEC委員長に、連邦証券法の詐欺防止規定に基づく法執行を行うことを求めるとともに、議決権行使助言会社について、1940年投資助言業者法(InvestmentAdvisersActof1940)に基づいて、登録投資助言業者(RegisteredInvestmentAdvisers)としての登録を義務付けるべきか否かについてレビューを行うことを要請しています。さらに、登録投資助言業者が、投資における非金銭的要素(non-pecuniaryfactors)について助言するため、議決権行使助言会社を関与させる慣行(適切な場合には「DEI」および「ESG」要因を含む)」が、受託者責任(fiduciaryduties)と整合しないものであるか否かを検討するよう、SECスタッフに指示することも求めています。⑶不公正、欺罔的、または反競争的な慣行への対応本大統領令は、連邦取引委員会(FederalTradeCommission:FTC)の委員長に対し、司法長官(theAttorneyGeneral)と協議したうえ、議決権行使助言会社について、反トラスト法の観点から、議決権行使助言会社が米国の消費者に害を与える不公正な競争方法(unfairmethodsofcompetition)または不公正もしくは欺罔的な行為・慣行(unfairordeceptiveactsorpractices)に従事しているか否かについて調査すること命じています。このようなことを命じている背景には、トランプ政権が、下記に述べるようにISSおよびGlassLewisが議決権行使助言会社のマーケットの90%超を支配していると認識しており、そのことを問題視していることがあると思われます。⑷従業員年金および退職制度などに対する保護本大統領令は、労働長官(TheSecretaryofLabor)に対しても、1974年従業員退職所得保障法(EmployeeRetirementIncomeSecurityActof1974:いわゆるERISA法)の適用を受ける制度(プラン)が保有する株式について、それに付随する権利(議決権行使および企業とのエンゲージメントを含む)を管理する者、または議決権行使助言会社のようにその管理者に助言する者に関する、「受託者(fiduciary)としての地位」に関するあらゆる規則やガイダンスについて、それらが本大統領令の政策と整合するよう改正するための措置を講じることを命じています。なお、アメリカにおけるERISA法は、従前から、従業員福利厚生プラン(employeewelfarebenefitplan)や従業員年金プラン(employeepensionbenefitplan)等のプランの運営・管理に関与する者に対し、厳格な受託者責任(fiduciaryduty)を課すことにより、プラン参加者および受益者の利益保護を図ろうとしています。1988年には、労働省(DepartmentofLabor:DOL)が発出した、いわゆる「AvonLetter(エイボン・レター)」を通じ、企業年金が保有する株式の議決権行使について、「議決権は株式保有に内在する重要な権利であり、その行使はプランにおける資産管理の一部を構成する」ことが明確にされました。こうした理解は、その後のDOLの解釈・規則においても踏襲されてきており、現在では、議決権行使のみならず、企業とのエンゲージメントや、それらに付随する判断の過程も含めて、受託者責任の範疇に含まれるものと整理されてきています。以上を踏まえますと、今回の本大統領令が、労働長官に対して議決権行使助言会社を含む関係主体の「受託者としての地位」に関する規則およびガイダンスの見直しを命じている点は、ERISA法とそれに関連する伝統的な解釈を前提としつつ、その運用のあり方を再調整しようとする試みとして理解することができます。4本大統領令の影響ところで、本大統領令では、ISSおよびGlassLewisが議決権行使助言会社のマーケットの90%超を支配しており、投資信託および上場投資信託(ETF)を通じて数百万人の米国人のために顧客が保有・運用する莫大な数の株式について、機関投資家等の顧客に対し、どのように投票すべきかを助言しており、顧客の保有株式は、米国最大の上場企業において重要な持分比率を構成することが多く、また顧客は議決権行使助言会社の助言に従うことがしばしばある、ということも述べられています。トランプ政権は、こうした認識を前提として、機関投資家、証券市場ならびにそこに上場している会社とその子会社等に対し、議決権行使助言会社が非常に大きな影響力を持っている(または持ちすぎている)という認識にたち、証券規制、反トラスト法および従業員保護の観点から、規制を策定または強化しようとしていると言えます。客観的にみても、近時の証券市場では、機関投資家の中でも、いわゆるインデックスファンド等、パッシブ運用(日経平均株価やTOPIX、S&P500総合指数など、特定の市場指数・ベンチマークに連動する形で投資運用を行い、市場全体の動きに合わせて安定的な投資成果を得ようとする投資手法)を行うものが非常に多い状況です。そして、そうした機関投資家は、信託報酬のレベルがアクティブ運用を行う機関投資家と比較して低く、スチュワードシップ活動等に割くコストを捻出しづらいことが想定されることから(注9)、議決権行使を含む様々な株主権の行使や投資先企業とのエンゲージメントにおいて、機関投資家が議決権行使助言会社を利用することが相当に多いことが考えられます。そうなりますと、問題は、本大統領令を受け、SEC等の連邦機関がそれに従った規則改正等の対応を行った場合、ISSおよびGlassLewisを中心とする議決権行使助言会社の行動の態様が変化する可能性があるか、そしてそのことが証券市場やそこに投資している機関投資家、さらに上場会社に対してどのような影響を与えるか、ということになります。この点、GlassLewisは、すでに2025年10月の段階で、2027年からは、これまで同社が行っていた独自の単一の視点に依拠した調査および議決権行使の推奨(singularly-focusedresearchandvoterecommendations)から脱却し、顧客機関投資家の多様な見解を反映した複数の視点(multipleperspectivesthatreflectthevariedviewpointsofclients)を提供する方向へ、推奨の方針・スタンスを移行することを表明しています(注10)。そして、こうした動きの背景には、アメリカにおいて、本大統領令の発出以前の段階で、共和党がGlassLewisの推奨がESG寄りであるといった批判を行っていたことがあるとされています(注11)。このGlassLewisの動きに対しては、複数の視点から議決権行使の推奨がなされたとしても、多くの機関投資家にとっては、最終的な判断を自ら行う体制が整っていないため、現状のままですと「・・・ISSへの依存度が高まるかもしれないが、仮にそうなったとしても、それはISSとしても決して望ましいものではなく、ISSという1社の影響力が大きくなることによって、さらなる批判や規制強化の要望を招くことになるかもしれない」といった予測もみられています(注12)。いずれにしても、機関投資家にとっては、これまで以上に、議決権行使助言会社に頼らず、自ら議決権の行使や投資先企業へのエンゲージメントについて考えたり、行動するようなプレッシャーが増してくる可能性があります。一方で、仮に機関投資家が、そうしたプレッシャーに応えられないとしますと、これまで高まってきていた機関投資家のエンゲージメントや上場企業の株主総会における存在感が薄まってしまう可能性もあり、今後の証券市場や上場会社を取り巻く状況が混沌とすることも想定されます。そして、その結果、とくにDEIやESGに関する政策の推進といった動きが後退する可能性も出てくるように思います。翻って、わが国をみますと、近年のわが国の証券市場において、外国法人等の持株比率は30%を超えており(下記の【投資部門別株式保有比率の推移】の図を参照)、こうした外国法人等のうち、議決権行使等を行う機関投資家の多くが、ISSやGlassLewisの助言を利用・参照しているものと思われます。また、筆者は、国内の機関投資家についても、とくにパッシブ運用を行う機関投資家については、投資先企業の実情をみて議決権を行使するというよりも、自らが設定した議決権行使基準や、議決権行使助言会社から助言された議決権行使に関する推奨内容に沿う形で議決権を機械的に行使する傾向が強い、という分析を行いましたが(注13)、こうしたことも踏まえますと、ISSやGlassLewisの影響力はわが国でも相当程度強いものと思われます(注14)。【投資部門別株式保有比率の推移】株式会社東京証券取引所ほか「2024年度株式分布状況調査結果の概要」9頁よりその上で、わが国の規制の面についてみますと、議決権行使助言会社に対しては、それを法的に捕捉し、何らかの規制をしようとする動きは現在までのところみられてきていません。いわゆる日本版スチュワードシップ・コード(最終改訂:2025年6月26日)では、議決権行使助言会社を含む機関投資家向けサービスに対して、利益相反が生じ得る局面を具体的に特定し、そうした局面についてどのように実効的に管理するのかに関して明確な方針を策定して、利益相反管理体制を整備するとともに、それらの取組みを公表すべきである旨や、助言にあたり、企業の開示情報に基づくほか、必要に応じて、自ら企業と積極的に意見交換しつつ、助言を行うべき旨などが定められている程度です(原則8およびその指針参照)。おそらく、今後、近い将来において、本大統領令の内容に沿う形で議決権行使助言会社に対して同様の規制を行っていく可能性は、まったくのゼロではないものの、現時点では少ないと思われます。とは言え、わが国の上場会社に投資している機関投資家等に影響がないかと言うと、必ずしもそういうわけでもないように思います。なぜなら、ISSやGlassLewisの議決権行使に関する推奨方針の変更は、アメリカの上場会社に対するもののみではなく、日本を含む他国の上場会社に対するものにも及ぶ可能性もある(むしろ、及ぶ可能性が高い)と見るのが自然だからです(注15)。また、そもそものところで、議決権行使助言会社が上場会社の株主総会における議決権行使において実質的に大きな影響力を有するようになっているのは、アメリカにおけるERISA法や、日本を含む各国のスチュワードシップ・コードが、機関投資家に対し、議決権行使を含む様々な株主権の適切な行使や投資先企業とのエンゲージメントを法的に義務付けたり、強く要請していることが関係しています。つまり、多くの機関投資家は、そうした義務付けや要請にきちんと応える、または、応えている体裁を整えるために、議決権行使助言会社の推奨や助言を利用している面が少なからずあります。そのため、機関投資家に対して株主権の行使や投資先企業とのエンゲージメントを義務付けることや、要請することが本当に市場に対して本当にプラスの影響があるのか、ということも中長期的な視点では考えていく必要があるように思います。いずれにしても、証券市場に関わる方々におかれては、証券市場、機関投資家および上場会社のあり様や行動についての変容があり得るということを踏まえ、今般の議決権行使助言会社に関する本大統領令とそれを取り巻く状況の変化をウォッチしつつ、直近において真にそうした変容があるかどうか、さらに、仮に変容があった場合に、どのような影響が出てくるのかということについて継続的に動向を注視していく必要があるでしょう。むろん、私のような証券市場に関する研究者にとっても、証券市場やそこに関わる会社や人々に変化が生じる可能性が高いことから、同様にウォッチしていく必要があると考えています。<注釈>https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/12/protecting-american-investors-from-foreign-owned-and-politically-motivated-proxy-advisors/https://www.whitehouse.gov/fact-sheets/2025/12/fact-sheet-president-donald-j-trump-protects-american-investors-from-foreign-owned-and-politically-motivated-proxy-advisors/高橋真弓「米国委任状勧誘規則による議決権行使助言会社の規制」一橋法学20巻1号(2021年)103頁参照。ISSは、DeutscheBörseGroup(フランクフルト証券取引所の運営および関連する金融サービスの提供を行う企業)が支配株主であり、GlassLewisは、カナダの公的年金投資家(OntarioTeachers’PensionPlanなど)が支配的株主と言われています。そのため、本大統領令では「外国所有であり・・・」というタイトルが付けられていると思われます。CommissionInterpretationandGuidanceRegardingtheApplicabilityoftheProxyRulestoProxyVotingAdvice,84Fed.Reg.47,416(Sep.10,2019).ExemptionsfromtheProxyRulesforProxyVotingAdvice,85Fed.Reg.55,082(Sep.3,2020).https://www.sec.gov/newsroom/press-releases/2022-120また、https://www.whitecase.com/insight-alert/sec-amends-proxy-voting-advice-rules-rescinds-portions-2020-rules?utm_source=chatgpt.comも参照。https://www.reuters.com/world/us/us-appeals-court-voids-sec-rollback-proxy-voting-advice-rule-2024-06-26/?utm_source=chatgpt.com和田宗久「スチュワードシップ・コードは機関投資家の行動を変え、日本企業にインパクトを与えているか?−生成AIを用いて集めたデータを通してみる現在の状況」MJS税経システム研究所MonthlyReport198号(2025号)14頁。https://www.glasslewis.com/news-release/glass-lewis-leads-change-in-proxy-voting-practices「ScrambleGlassLewisの方針変更とその影響」商事法務2408号(2025年)58頁参照。前掲注⑾58頁。和田・前掲注⑼16頁。なお、アメリカや日本と同様、証券市場に大株主・支配株主が少なく、株式分布において分散傾向がみられ、ファンドや機関投資家の保有比率の高いイギリスについては、事情が異なるとの分析がみられています。すなわち、イギリスでは、保険業における英国保険協会、年金基金におけるPLSA、投資運用業の投資会社協会、投資協会などの業界団体が、議決権行使助言会社と同等以上の機能を果たしてきたため、議決権行使助言会社の役割が相対的に小さいとの分析もあります。梅本剛正「なぜイギリスでは議決権行使助言会社の影響力がアメリカほど大きくないのか」日本証券経済研究所証券レポート1729号(2021年)39頁参照。前掲注⑾58頁参照。提供:税経システム研究所
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2026/03/13 論説
アルゴリズムカルテル - AI時代のカルテルの新しいかたち -
1.はじめに経済のデジタル化が進展し、その利活用によって企業競争がますます激化する中で、多くの企業が最先端技術であるアルゴリズム(algorithm:計算手順)とAI(ArtificialIntelligence:人工知能)を活用して事業活動を行うようになってきています。いまやアルゴリズムとAIは、企業の事業展開や商業的・戦略的な意思決定にも影響を及ぼすに至っています。そのなかでも、企業は価格決定の迅速化と最適化を目指して、アルゴリズムとAIを用いた動的価格決定(ダイナミック・プライシング)を活用しています。これが現代の企業の競争力の源泉となりつつあります。ここでアルゴリズムとは、特定の問題を解く方法や目標を達成する方法を示した一連の「手順・計算方法」をいいます。公正取引委員会経済取引局「デジタル市場における競争政策に関する研究会報告書」(令和3年3月公表。以下「研究会報告書」といいます)(注1)によると、「アルゴリズム」の概念自体はコンピューターが誕生する以前から存在しているものの、普遍的な定義はまだないといわれており、「アルゴリズム」という用語は、デジタル分野に限って使用されるものではなく、多義的な意味を持つとされています。このアルゴリズムの経済活動における活用は、市場効率性を高める有益なものであるとともに、他方において新たな競争法上の問題を惹き起こすに至っています。特にアルゴリズムを利用した情報プラットフォームの開発や運用についてカルテル(不当な取引制限)が問題になっています。2.アルゴリズムカルテルとは前述のように、競争事業者の価格の調査や自社商品・サービスの価格決定にアルゴリズムやAIが活用されるようになっており、カルテルの合意や実施がこれまで以上に容易になったり、新たな形態の協調的行為が出現するようになってきています。それがアルゴリズムカルテルと呼ばれるものです(注2)。アルゴリズム・AIとカルテルの問題については既に海外においてはOECDや欧州競争当局をはじめ諸外国において活発に議論がされており、デジタルカルテルの出現が予見されていました。いまやそれが現実のものとして企業社会の公正な競争への新たな障害となりつつあるのです。上述の研究会報告書によると、アルゴリズムカルテルに分類されるものとして、①監視型アルゴリズム、②アルゴリズムの並行利用による協調的行為、③シグナリングアルゴリズムを利用する行為、④自己学習アルゴリズムによる協調的行為に分けられます。〈図表1.アルゴリズムカルテルの分類〉①監視型アルゴリズム競争事業者間で価格カルテルなどの合意が行われている場合に、その合意の実効性を確保する目的で、競争事業者の価格情報等を収集したり、合意からの逸脱がある場合に報復したりするために価格調査アルゴリズムを用いる類型②アルゴリズムの並行利用による協調的行為アルゴリズムが競争事業者間の価格を同調させる役割を果たす類型。さらに競争事業者以外の第三者が慣用するかどうかにより、ⅰ)競争事業者間で価格カルテルなどの合意が行われている場合にその合意に従って価格を付けるように設定されたアルゴリズムを当該事業者間で用いる場合、ⅱ)複数の競争事業者が同一の第三者(価格アルゴリズムベンダーなど)が提供するアルゴリズムを利用することにより価格が同調する場合とに分けられる。③シグナリングアルゴリズムを利用する行為値上げのシグナリングを行うとともに、それに対する競争事業者の反応を確認するためにアルゴリズムを用いる類型。シグナリングを行う事業者は継続的に将来の値上げの意図に係る情報などのシグナルを送るとともにそれに反応して他の事業者が送るシグナルを監視する。④自己学習アルゴリズムによる協調的行為各競争事業者が機械学習や深層学習を利用して価格設定を行った結果、互いに競争的な価格を上回る価格に至る類型。各事業者は自己学習アルゴリズムを利用して価格設定を行うだけで相互に価格を同調させる意思がなくても自己学習アルゴリズム間の相互作用により競争的な価格を上回る価格に至る可能性がある。〈図表2.アルゴリズムカルテルの分類(図解)〉(デジタル市場における競争政策に関する研究会報告書「アルゴリズム/AIと競争政策」(概要)より)以上の類型のうち特に重要なものは、アルゴリズムの並行利用による協調的行為(類型②)であり、さらにそのうちの第三者が関与する場合ⅱ)が問題とされています。前述のとおり、第三者が関与する場合としては、複数の競争事業者が価格設定アルゴリズムのベンダーなどの同一の第三者が提供するアルゴリズムを利用することによって価格が同調する場合が問題です。たとえば、複数の競争事業者が、特定のアルゴリズムベンダーにそれぞれの価格を同調させるような価格設定アルゴリズムを開発させ、そのアルゴリズムを利用する場合などです。また、利用事業者間に価格を同調させる意思はないものの、特定の市場において利用される価格設定アルゴリズムの大半を提供しているベンダーが、利用事業者に知らせずに、利用事業者間の価格を同調させるアルゴリズムを提供する場合も、協調的な価格設定をもたらすといわれています。3.アルゴリズムカルテルと独占禁止法⑴不当な取引制限(カルテル)規制の概要独占禁止法は、複数の事業者が相互に連絡を取り合い、各事業者が個別に自主的に決めるべき商品の価格や販売・生産数量などを共同で取り決める行為を不当な取引制限として禁止しています(カルテルの禁止)。独占禁止法はカルテルを共同行為として禁止行為としているため、他の事業者と「共同して」行うことが要件とされています。「共同して」行うとは、複数の事業者に相互に「意思の連絡」があることが必要であるとされています。ただし、合意は「明示」に行われる場合だけではなく、相互に他の事業者の対価の引上げ行為を認識して、これを暗黙で認容する「黙示」による意思の連絡をも含むと解されています。すなわち、競争者間の明示的な合意は認められなくとも、各事業者による独立の価格設定(後記の意識的並行行為)とは評価できないような場合には、並行的な価格の引上げといった外形的な事実に加え、それが独立の行動によって行われたことを排除する事実等によって、黙示による意思の連絡が推認されます。また、事業者が競争事業者の価格引上げを観察して、自らも追随することが利益になると判断して、自らも値上げをすることを決定する場合など、事業者間にコンタクトがなく、それぞれが独立して価格決定した結果、同じ価格水準に至ることもあり得ますが、このような行為は意識的並行行為と呼ばれて、カルテル規制の対象とはされていません。このように、独占禁止法のカルテル規制では、競争事業者間の相互の意思の連絡が要件とされていることには注意が必要です。この点、アルゴリズムカルテルにおいては、競争事業者間の意思の連絡の認定に関して、アルゴリズムを介した協調行為であって、従前のカルテルのように人間同士の会話や文書による合意が存在しないために立証が困難であるといわれています。そこで、黙示的意思の連絡の認定が問題となり、同一アルゴリズムや同一データソースを利用することで、結果的に競争事業者間の価格戦略が一致することで意思の連絡が推認される場合があります。その際、価格変動の同期性、アルゴリズム設計の共通性、ベンダーを介した情報共有などが意思の連絡を推認する際の間接事実となります。⑵ハブアンドスポーク型カルテルの意義ところで、前述したような第三者である同一のアルゴリズムベンダーを複数の事業者が利用することによって価格が同調する場合は、当該第三者を中心(ハブ)として価格が同調することから、ハブアンドスポーク型カルテルと呼ばれています。アルゴリズムベンダーを介したハブアンドスポーク型の価格協調行為は、スポーク(アルゴリズム利用事業者)間で情報交換を行わない場合やスポークが価格を同調させるアルゴリズムの存在を知らない場合であっても(結果的に)価格の同調がもたらされることがあります。そして、競争事業者間に意思の連絡が要件とされている独占禁止法のカルテル規制の適用において、アルゴリズムを利用した価格協調的行為については、競争事業者間の意思の連絡が明確ではなくその適用に困難を伴うことが少なくありません。特にアルゴリズムベンダーを介したハブアンドスポーク型カルテルにおいては、アルゴリズムを利用する競争事業者間で情報交換を行わなくても、それぞれの価格を同調させることができるため、価格の協調はあくまで結果に過ぎないともいえます。また、値上げを公に発信するシグナリングアルゴリズム(図表1③)においても、競争事業者に向けた価格引上げの勧誘とみるかあるいは通常の事業活動であるかの区別は困難です。さらに、自己学習アルゴリズム(図表1④)の場合、アルゴリズム利用の結果として価格の協調がもたらされているにすぎず、事業者間に協調的意思が存在しない場合もあります。またハブアンドスポーク型において、競争事業者間で情報交換を行わずに価格を同調させるためにはハブであるアルゴリズム提供者の役割が重要となり、アルゴリズム提供者が協調的行為において積極的役割を担うこともあります。⑶アルゴリズムカルテルに対する独占禁止法適用上の問題点さらに、アルゴリズムカルテルに対する独占禁止法適用上の問題点について検討します。ここでは特に問題の大きい、監視型アルゴリズム(図表1①)と並行利用型アルゴリズム(図表1②)について説明をします。アまず、監視型アルゴリズムについてです。ここにおいて、合意の実施を監視するためにアルゴリズムを用いる場合および合意に従った価格設定を自動で行うためにアルゴリズムを並行利用する場合においては、アルゴリズムを利用して合意の実施状況を監視したり、合意に従った価格設定を行っているものの、アルゴリズムの利用以前に一定の行動を取ることについて複数事業者の合意が存在するためにカルテルとなり得るとされています。これらの場合において、アルゴリズムは、合意参加者の合意からの逸脱の監視や逸脱に対する報復、合意に従った価格設定を自動化するなど、合意の実施を促進する役割を果たしているものです。イ次に、並行利用型アルゴリズムについてですが、これは前述したハブアンドスポーク型になります。ハブアンドスポーク型については、競合関係にある複数のアルゴリズム利用事業者が、同一の第三者から提供されるアルゴリズムを用いることにより価格が同調することについて共通の認識がある場合と、利用事業者には当該アルゴリズムを利用することにより価格が同調するという認識はないものの、同一の第三者が、複数の利用事業者にそれぞれの価格を同調させるようなアルゴリズムを提供する場合とに分けることができます。前者の利用事業者間に価格が同調することの共通の認識がある場合については、複数の競争事業者が、同一のベンダーや事業者団体といった同一の第三者が提供する価格設定アルゴリズムを利用することによって相互に価格が同調することを認識しながら当該アルゴリズムを用いる場合や、価格設定アルゴリズムを提供するプラットフォーム事業者がすべての利用事業者の販売価格に同じ割引率の上限を課すことを利用事業者に周知し、利用事業者がそれを認識しながら利用する場合などは、利用事業者間において直接・間接の情報交換はない場合でも、利用事業者間で価格が同調することの共通の認識があると考えられます。そのような認識のうえで当該アルゴリズムを利用している場合には、利用事業者による独立の価格設定とは評価できず、利用事業者間に意思の連絡が認められ、カルテルとして独占禁止法違反となり得ると考えられます(注3)。また、後者の利用事業者には価格が同調することの認識はないものの、アルゴリズムの提供事業者が複数の利用事業者の価格を同調させる場合、たとえば、特定の市場において利用される価格設定アルゴリズムの大半を提供している事業者が、利用事業者に知らせずに、利用事業者間の価格を同調させるアルゴリズムを提供するような場合には、利用事業者間の意思の連絡を認めることはできませんが、利用事業者間の価格の同調を主導したアルゴリズム提供事業者の行為は、一定の場合には独占禁止法違反(支配型私的独占)となり得ると考えられます。4.アルゴリズムと独占禁止法(競争法)に関する国内外の動向⑴国内の動向について-食べログ事件価格アルゴリズムと独占禁止法に関する最近の事例として食べログ事件があります。これは、飲食店のポータルサイトの一つである食べログを運営する株式会社カカクコムが実施した(価格)アルゴリズムの変更が独占禁止法に違反するかが問題となった事案です。すなわち被告が食べログにおける飲食店の点数(評点)を算出するためのアルゴリズムに同一運営主体が複数店舗を運営している飲食店(チェーン店)の評点を下方修正する変更を実施したのに対し、ユーザーである原告が被告によるアルゴリズムの変更が優越的地位の濫用に当たるとして、独占禁止法違反を理由とする損害賠償請求ならびにアルゴリズムの使用差止請求をし、一審は、被告の行為は優越的地位の濫用に当たるとして損害賠償請求を認容し、差止請求を認めませんでした(東京地判令和4・6・16LEX/DB【文献番号】25593696)。これに対し、控訴審は、控訴人(原審被告)の敗訴部分を取消しています(東京高判令和6・1・19裁判所WEBhttps://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/890/092890_hanrei.pdf)。なお、本事件はわが国で初めてのアルゴリズム変更の独禁法違反性を争点としたもので社会的にも大きな注目を集めました。本稿は判例評釈ではないので同事件を巡る諸検討については各評釈を参照いただくこととして詳細には触れませんが、いわゆるデジタルプラットフォームが優越的地位に該当することならびにアルゴリズムベンダーによるアルゴリズム変更が独占禁止法違反の可能性を生じ得ることを判示した点で重要な意義を有すると考えます。⑵海外の動向米国においては既にアルゴリズムが価格決定や取引条件に何らかの形で影響することによって競争の制限が生じたとして、市民または連邦政府もしくは州政府によって、ソフトウェア運営事業者や当該事業者と取引を行っていた関係者に複数の訴訟が提起されるとともに、各州などにおいて一定のアルゴリズムによる価格決定を禁止する法律または条例が制定されるに至っています。特にアルゴリズムを用いた値付けが反トラスト法(シャーマン法)に違反するかどうかが多くの訴訟の争点となっています。アルゴリズム価格設定が問題とされている業界としては、ホテル事業(ホテルの客室価格の設定)、医療保険業界(医療報酬の設定)、賃貸マンション事業(賃料の価格設定)などがあります。アルゴリズム価格設定に係る訴訟のうち最も注目を集めている事件としてはRealPage事件があります。同事件は、RealPage社のソフトウェアを利用する家主から、アパートの賃料等の非公開かつ競争上重要な情報を、当該ソフトウェアの訓練等のために収集した上で、賃料価格や他の条件を含む「推奨値(recommendations)」を共通のアルゴリズムを用いて生成し、算出した推奨価格に従ったことが価格固定の合意とみなされたというハブアンドスポーク型の事案です。現時点(2026年1月)においてまだ裁判所による重要な判断はされていない状態です(注4)。5.おわりにアルゴリズムカルテルに関する議論が本格化してまだ間もなく、明確な基準が示されているというわけではありません。この点、公正取引委員会が2025年6月20日に公表した「実効的な独占禁止法コンプライアンスプログラムの整備・運用のためのガイド」(令和7年6月改訂版)(注5)においてアルゴリズムカルテルについて、「競争事業者の価格の調査や自社の商品・役務の価格設定にアルゴリズムが活用されるようになっていることに伴い、カルテルの合意や実施がより容易になったり、新たな形態の協調的行為が出現」しているとして注意喚起をしています。確かにAIの進歩により様々なアルゴリズムベンダーから次々と提供されるサービスは事業者にとって利便性が高く、競争力の強化にも資する魅力あるものではありますが、そのようなサービスを活用した事業活動には独占禁止法違反のリスクも伴い、いつの間にか自社が、例えばハブアンドスポーク型カルテルに関わっていたなどということがないように、平時から高い独占禁止法コンプライアンス意識を持ちながら利活用をするように努める必要があります。<注釈>https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2021/mar/210331_digital.html矢吹公敏「実務解説『事業者間の協調行為』となるケースとは『アルゴリズムカルテル』による独禁法違反リスク回避の留意点」経理情報1756号(2025年10月)58頁以下アルゴリズム・AIによる意思の連絡があり得るか、という点については、これをハブアンドスポーク問題の一つとして捉えられるものの、アルゴリズム・AIを道具として用いて伝統的な意味での意思の連絡が行われるということはあるが、人や組織の作用があるわけではないのにアルゴリズム・AIが独自に動いて価格の斉一化などをもたらした、というに過ぎない場合は、意思の連絡と扱って人や組織を法的に非難するというコンセンサスは、まだない、という指摘があります(白石忠志『独占禁止法〔第4版〕』(有斐閣・2024年)234頁)。しかし、その後の技術の進歩状況を見ると、アルゴリズムベンダーによるアルゴリズム等の設定が恣意的に行われることへの懸念は払拭し切れず、法的対応の可能性については引き続き検討が必要と思われます。池田武義・浅尾昇太・赤川圭「海外紛争解決トレンド(59)米国におけるアルゴリズムによる価格設定に関する訴訟の動向」JCAジャーナル73巻1号(2026年1月)47頁以下https://www.jftc.go.jp/dk/250620_compliance_tougoguide.pdf提供:税経システム研究所
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2026/02/27 論説
親会社取締役の子会社管理責任
1はじめに親子関係にある会社において、子会社に不祥事が生じた場合、子会社の役員に子会社に対する責任問題が生じるのは当然のことです。では親会社の役員は、子会社の不祥事に関し、親会社に対し責任を負うことになるのでしょうか。親会社は、本来、子会社の株主にすぎず、これだけでは、子会社において不祥事が生じないよう注意すべき義務は負ってはいません。しかし、現行会社法は、取締役会の義務として、自社(親会社)・子会社からなる企業集団における内部統制の整備を義務づけています(会362条4項6号)。したがって子会社に不祥事が生じても、親会社の取締役は常に漫然とこれを看過していて良い訳ではありません。しかし、親会社の取締役が一般的に子会社を管理・監督する責任を負っているか否かに関しては、会社法上明確な規定がありません。そこで、本稿では、どのような場合に親会社の取締役が子会社の管理責任を負うことになるのかについて、学説・判例の状況を概観したいと思います。2親会社取締役における子会社管理義務の有無本来、株主が、自己の株主としての権利を行使するか否かは自由です。したがって、従来は、親会社の取締役が子会社管理のために株主権を行使しなかったとしても、原則的には責任は生じないとするのが多数説でした。その代表例である東京地判平成13・1・25判例時報1760号144頁(野村證券株主代表訴訟)は、親会社の米国100%孫会社が、ニューヨーク証券取引所に米国証券取引委員会規則違反を理由として課徴金を納付した事案です。親会社の株主が親会社の取締役に損害賠償を求めた株主代表訴訟においては、以下のように判示されています。すなわち、「親会社の取締役は、特段の事情のない限り、子会社の取締役の業務執行の結果子会社に損害が生じ、さらに親会社に損害を与えた場合であっても、直ちに親会社に対し任務懈怠の責任を負うものではない」。もっとも「親会社と子会社の特殊な資本関係に鑑み、親会社の取締役が子会社に指図をするなど、実質的に子会社の意思決定を支配したと評価しうる場合であって、かつ、親会社の取締役の右指図が親会社に対する善管注意義務や法令に違反するような場合には、右特段の事情があるとして、親会社について生じた損害について、親会社の取締役に損害賠償責任が肯定されると解される」というものです。しかし平成9(1997)年の独占禁止法の改正により純粋持株会社が解禁されたことを契機として、純粋持株会社の取締役は、対外的な事業活動を行わず、株式所有を基礎にして他の会社(子会社・孫会社)を支配しこれを統括管理することになるため、持株会社の株主の利益保護のために子会社を支配し管理する義務を負うことになると解されるようになりました。平成26(2014)年改正会社法における法制審議会会社法制部会では、会社法中に株式会社は子会社を管理・監督しなければならない旨の明文規定を置くか否かで積極・消極双方の立場の意見が厳しく対立しました。反対意見は、この場合の監督義務の範囲は不明確であり、これを明文化することはグループ経営に萎縮効果をもたらすと主張しており、結局、明文規定の設置についてはコンセンサスが得られず、明文規定の設置は見送られ、かわりにコンセンサスが得られた多重代表訴訟制度が創設されました(注1)。しかし、この部会では、親会社の取締役には、会社の資産である子会社の株式の価値を維持するために必要・適切な手段を講ずべき善管注意義務が要求されており、取ることのできる手段を適切に用いて対処するのは、当然この義務の内容に含まれるとする見解もあり、現在では、むしろこれが一般的な考え方となっています(注2)。3親会社取締役の責任類型子会社の取締役の不正行為に関して親会社の取締役が親会社に責任を負う場合は、①当該不正行為が親会社の取締役の違法または不当な指図に基づく場合(親会社取締役関与類型)、②親会社の取締役が子会社に対する監視・監督を怠った場合(企業グループにおける内部統制システムの整備を怠った場合も含まれる)(親会社取締役不作為類型)、③親会社取締役が不正行為を行った子会社取締役に対する責任追及を不当に怠った場合があります(親会社取締役懈怠類型)(注3)。そして、②は、さらに、(ⅰ)グループ内部統制システムの構築・運用を怠った場合(内部統制システム構築・運用懈怠類型)と、(ⅱ)不正な業務執行に対する必要な調査・是正の対応を怠った場合(調査・是正措置懈怠類型)に分かれます(注4)。これらの場合、親会社の取締役は親会社に対し善管注意義務違反による損害賠償責任を問われることになります。4子会社管理の手法親会社取締役における子会社管理の手法は多様であり、①子会社の人事から経営全般について親会社が強力な支配力を行使するか、それとも子会社の独立性を尊重するか、②子会社側の経営判断上の意思決定にまで深く介入するか、あるいは子会社の取締役の自主的判断に委ねるが、その意思決定についての適法性や妥当性の面で逸脱して親会社側に不利益が及ばないよう監視・監督システムを構築するかなどの区別が可能とされています。そしてこれらの手法のうち、どれが適切かを判断する場合には、以下の諸事情が考慮の対象となってきます。すなわち、①子会社の業種(事業リスクの高低、親会社と同業の事業か、金融機関等の規制業種であるか)、②子会社の規模(管理部門の有無等)、③子会社の数(多数の子会社を抱えているか、数は限定的か)、④株式の保有形態(直接保有か、間接保有か)、⑤株主構成(完全子会社か、合弁会社か等)、⑥上場・非上場の別、⑦国内子会社・海外子会社の別(所在国がどこかを含む)、⑧沿革(自社で設立した会社か、M&Aによって取得した会社か等)、⑨親会社ブランド(商号・ブランド等)の使用の有無、⑩親会社の形態・業態(純粋持株会社か事業会社か等)です。これらの諸要素を検討した上で子会社管理の手法を決定することには高度な経営上の知見・経験が必要であり、具体的な子会社管理の手法を決定する親会社取締役には幅の広い経営判断が尊重されるべきであると解されています(注5)。5内部統制の構築平時における親会社の子会社の業務に対する監督は、グループ全体の内部統制システムの構築・運用を通じて行われます。会社法によれば、大会社等は「株式会社およびその子会社から成る企業集団の業務の適正を確保するために必要なものとして法務省令で定める体制の整備」の決定を義務づけられています(会362条5項)。したがって、親会社の取締役は、善管注意義務の内容として、グループ全体の内部統制システムを構築しこれを運用しなければなりません。そして親会社の取締役は、子会社において不正な業務執行事実が発覚した場合やこれを疑わせる事実が発覚した有事の場合には、不正の疑惑の重要性等に応じて、自らまたは子会社をして事実関係の調査や、不正の是正につとめなければなりません。6海外子会社の管理海外子会社の取締役には、経営者としての一般的能力に加えて、現地の法制度や法慣習を熟知していることが求められます。したがって、誰を子会社の取締役とするかについては、親会社の取締役の経営判断事項であり、広範な裁量権が認められるとされています(注6)。大会社の取締役会は、子会社を含む企業集団における業務の適正を確保する体制について決定しなければならず(会362条4項6号、会社則100条1項5号)、この子会社には外国会社たる子会社も含まれます。そのため、海外子会社における業務の適正を確保するための議決権行使の方針、海外子会社の役員・使用人を兼任する親会社の役員・使用人による海外子会社との協力体制についても決定することが必要です。子会社株主として議決権や事実上の影響力を行使することについても、親会社の取締役には広範な裁量権が認められるとされています(注7)。73つの裁判例(1)福岡高判平成24・4・13金融商事判例1399号24頁(福岡魚市場株主代表訴訟)A社は、水産物・その加工品の販売受託業者であり、その100%子会社であるB社は食料品の購入・販売・あっせん業者です。平成14年11月、A社は取締役会において公認会計士から在庫管理に関する指導を受けました。平成15年12月頃、B社取締役Cから、B社の在庫が多く何か変であると報告を受けたA社専務取締役兼B社取締役会長のY1は、平成16年3月上旬、これをA社代表取締役兼B社非常勤取締役のY2に報告しました。Y2は、Y1を含む在庫問題を調査する調査委員会を立ち上げ、B社に報告書を提出させました。この調査委員会は、B社の担当者から聞き取り調査を行っていましたが、具体的な書類の確認作業は行っておらず、聞き取り調査を信頼しただけで、それ以上に踏み込んだ調査はしていませんでした。B社は、この調査報告書に基づき、最終的にはB社の特別損失額を14億円余りとする再建計画案をA社に提出しました。A社は、平成16年6月取締役会においてB社に対する20億円の貸付枠の設定を承認し、同年12月までにB社に総額19億1000万円を貸し付けるとともに、平成18年2月、本件貸付金中15億5000万円の債権を放棄し、さらにB社に対し、追加で3億3000万円を貸し付けました。本件は、A社の株主Xが、Y1らに対し、①本件グルグル回し取引(注8)についての監視義務違反、②本件貸付に関する善管注意義務・忠実義務違反を理由にして、A社への損害賠償を求めた株主代表訴訟です。第1審(福岡地判平成23・1・26金融商事判例1367号41頁)は、Y1らはA社への損害賠償責任を負うと認定しました。ついで訴審判決もこれと同旨でして、以下のように判示しています。すなわち「グルグル回し取引は、‥‥例外的な場合に限って行われたものでない限り、会社経営上において違法、不当なものであることは明らかである。」「A社の元役員であり、‥‥B社の役員でもあったY1らは、‥‥本件調査委員会を立ち上げて調査したのであるから、その不良在庫の発生に至る真の原因等を探求して、‥対処すべきであった。‥‥Y1らは、‥‥B社の不良在庫問題の実態を解明しないまま、‥‥A社の取締役として安易にB社の再建を口実に、むしろその真実の経営状況を外部に隠蔽したままにしておくために、業績に回復の具体的目処もなく、経済的に行き詰まって破綻間近となっていたことが明らかなB社に対して、資金の回収は当初から望めなかったのに、‥‥本件貸付けを実行して‥‥本件債権放棄‥‥さらに、‥‥本件新規貸付けを行ったものである。‥‥その経営判断には、‥‥取締役の忠実義務ないし善管注意義務違反があったことは明らかである」というものです。本件は、親会社から子会社への融資の回収不能から生じた直接損害について親会社取締役の親会社への賠償責任が認められた事案でして、子会社に生じた損害が親会社の株式の減価をもたらした間接損害について責任が認められたものではありません。しかし、子会社から情報を収集して、子会社に対し是正措置を講じえたにもかかわらず、これを怠ったことを認定していることから、一般に、本判決は親会社取締役における子会社の業務執行に対する監視監督義務を認めたものと理解されています(注9)。(2)東京地判令和2・2・27日金融法務事情2159号60頁(みずほフィナンシャルグループ株主代表訴訟)本件は、銀行持株会社であるA社(親会社(みずほフィナンシャルグループ))の完全子会社B銀行(みずほ銀行)とその関連会社C社との間の包括業務提携に基づく提携ローン(キャプティブローン)の中に反社会的勢力との取引が多く存在していたことに関する事案です。金融庁長官は、B銀行に対し業務改善命令を発出し、その後、一定期間本件キャプティブローンの新規取引を停止する業務改善命令を発出しました。また、A社の取締役会に対しても、グループ一体となって取り組むべき反社取引排除という課題を子会社の各部署任せにし、適切にグループ経営管理機能を発揮していなかったことを指摘して業務改善命令を発出しました。A社の株主Xは、A社の取締役Yらに対し、①新たに反社会的勢力との取引が発生することを防止するための体制を構築する義務、および、②B銀行に対し認識した当該反社会的勢力との取引を解消するために具体的措置を講ずるよう求める義務を怠った善管注意義務違反を理由に、A社に対する損害賠償を求めて株主代表訴訟を提起しました。しかし以下のような理由で、Xは敗訴しています。すなわち、「銀行持株会社であるA社の取締役であるYらは、‥‥Aグループ全体として顧客の属性判断を行う体制を内部統制システムとして構築する義務、そしてこれが適正かつ円滑に運用されるように監視する義務を負っていた‥‥。具体的には、A社において子会社の業務に関して反社会的勢力への対応に関する基本方針を定め、この基本方針が遵守されているかを監督し、必要に応じて是正を求めることをA社の取締役会で決議することなどの義務を負っていた。‥‥具体的な反社会的勢力排除の方法は種々考えられるため、このような組織体制の整備に当たっては、取締役の判断に一定の裁量が認められる」。「A社の取締役としてYらは、‥‥子会社の業務において上記のグループとしての内部統制システムの円滑な運用に支障を来すような事情が見受けられないにもかかわらず、子会社である銀行に対して具体的な業務を直接指導するなどの義務を負うことはない」。「Yらに求められる体制構築義務、監視・是正義務に加え、‥‥Yらにおいて、子会社であるB銀行に対し、本件キャプティブローンにおける反社会的勢力との取引に関して、具体的な取引解消のための措置‥‥をさせることをA社の取締役会で決議する義務を負担していたとまで認めることはできない」というものです。本件では、親会社はグループとしての内部統制システムを構築していることを認め、子会社の銀行における反社会的勢力との取引に関してまでは具体的に対策を指導する義務はなかったとしています。しかし、金融庁が親会社・子会社に対して業務改善命令を発出している事情を考慮すれば、疑問の残る判決です。(3)大阪地判令和6・1・26資料版商事法務482号130頁(東洋ゴム免震偽装株主代表訴訟)A会社はタイヤ事業・ダイバーテック事業を営む大規模会社ですが、完全子会社のB社の設立に伴い、それまでA社に置かれていた建築用免震積層ゴムの製造・開発・販売部門が同社に移管されました。本件は、B社が建築基準法所定の技術的基準(大臣評価基準)に適合しない建築用免震積層ゴムを販売したことに関し、A社の取締役4名に対し、①建築基準法所定の技術的基準に適合しない免震積層ゴムの出荷を停止する判断、および、②免震積層ゴムに関する問題を国土交通省に報告し一般に公表する判断を怠った善管注意義務違反を理由に、A社の株主がA社取締役Y1~Y4に株主代表訴訟を提起した事案です。以下のような判旨により、原告が勝訴しており、学説も結論を支持しています(注10)。すなわち、「A社のダイバーテック事業本部長の地位にあるとともにB会社の担当取締役として、B社による免震積層ゴムの出荷業務等についての一般的な指導監督を行う立場にあったY1は、本件出荷の停止を判断すべき注意義務を負っていた」。「Yらは、B会社の担当者の報告に基づいて(本件出荷品)の出荷の可否を検討し、Y1及びY2が参加した会議において、本件出荷が決定され、‥‥、本件出荷による損害賠償金もA社が支払っている」。「本件出荷に係る判断は、A社の業務執行の一環として行われたものというべきである」。「本件出荷品の大臣評価基準への適合性について必要があればその権限を行使し更なる調査を求めるなどして大臣評価基準に適合しない製品が出荷されないように取り組むべき責任を負う立場にあったY2は、本件出荷の停止を判断すべき注意義務を負っていた」というものです。本件の免震積層ゴムの製造・開発・販売事業は、本来は親会社の事業であり、それが子会社に移管されたものであって、実質的には親会社の事業の一部といえるものです。Yら親会社の取締役は子会社の取締役を兼ねており、子会社の当該業務を一般的に指導監督する立場にあり、本件の事情を十分知りえました。本件出荷を停止させるべき判断を怠ったことは、実質的には親会社の事業上の判断ミスとも言えるわけでして、親会社株主からの株主代表訴訟で善管注意義務違反を問われるのは当然のことでしょう。8完全子会社の損害と親会社の損害の関係親会社の取締役がなした子会社の代表取締役としての行為により、子会社が損害を被り、それにより親会社にも損害が生じた場合、親会社取締役としての義務違反と親会社の損害との間に相当因果関係が認められるならば、親会社取締役は親会社に対して損害賠償責任を負うことになります。判例は、①完全親会社には、完全子会社に生じた損害と同額の資産の減少が損害として生ずると解するものと(最判平成5・9・9民集47巻7号4814頁、東京地判令和3・11・25金融商事判例1642号44頁)、②親会社の損害は、同社が有する子会社株式の評価損と同額であるとするものに(東京高判平成6・8・29金判954号14頁)分かれていて、学説は②を支持しています(注11)。9むすび親会社取締役が子会社管理義務を負うからといって、親会社取締役は子会社の意思決定や業務の執行に逐一干渉すべきものではなく、一般には、具体的な管理システムや管理方法の運用にあたっては、親会社取締役には広範な裁量権限があるとされています。したがって、平時においては、企業グループに係る内部統制システムを整備し、このシステムにのっとって活動していればよいといえるでしょう。他面、有事においては、親会社取締役が子会社の業務が違法または不当になされていることまたはその兆候を察知した場合には、合理的な調査や適切な是正措置を講じて、事態に対応することが求められます。このことは海外の子会社における不祥事についてもいえることです。取締役の裁量権限とは、取締役が会社経営において自身の判断で業務を遂行できる権限をいいますが、取締役の作為・不作為行為が裁量権限内の行為として適法とされるか、裁量権限外の行為として違法とされるかの判断にあたっては、経営判断の原則が適用されます。すなわち、子会社管理の当該判断につき、十分に資料を収集しており、当該判断の過程および判断内容に著しく不合理な点がない限り、親会社取締役には親会社に対する善管注意義務違反はないと認定されます。しかし、安易な認定に流されず、具体的な諸般の状況をよく考慮したうえでの判断であることが求められます。特に、当該取締役が親会社と子会社の取締役を兼任している場合には、慎重な認定作業が必要です。<注釈>坂本三郎編著「一問一答平成26年改正会社法〔第2版〕」Q143、239頁。前掲「(注1)240頁。渡辺邦広・草原敦夫「親会社取締役の子会社管理責任」商事法務2158号33頁、太子堂敦子・藤井祐輔「親会社取締役の子会社管理責任に関する裁判例の現状と分析」監査役776号48頁以下。前掲(注2)渡辺・草原同頁。前掲(注2)太子堂・藤井49頁。前掲(注2)渡辺・草原35頁。大阪株式懇談会編「会社法実務問答集Ⅱ」(商事法務、2018)379頁(前田雅弘)。同上380頁。複数の企業が共謀して商品の転売や役務の提供をくりかえし、あたかも正当な取引が存在するかのように仮装して、売上げや利益を水増しする行為の総称(循環取引ともいう)。不正会計に該当する(日本公認会計士協会)。会社法判例百選[第4版]51事例「子会社管理に関する取締役の責任」(船津浩司)。船津浩司「判批」ジュリスト1598号2頁。田澤元章「判批」法学教室504号121頁。提供:税経システム研究所
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2026/02/20 topics
事業承継が進まない高齢経営者・高齢株主を抱える会社の備え方
1.はじめに本稿は、中小企業の経営者や筆頭株主が高齢化した際に起こりえる会社運営上の法的な問題について、中村信男先生による「高齢化社会と会社運営上の課題:意思能力を欠いた支配株主の議決権行使による株主総会決議への影響と対応策」で示された法的リスクやその対応策から発想を得て、実務における経験をもとに、中小企業が現場で備えておくべきポイントを制度ごとにまとめたものとなります。2.本稿における高齢とは高齢とは何歳以上を指すかという点については、様々な考え方があり、一義的に定まっているわけではありません。一つの考え方として、現在、世界保健機関(WHO)では65歳以上を高齢者としていますが、日本では目的によって異なった考え方が採られています。例えば、「改正道路交通法」では70歳以上を「高齢者」として、高齢者講習の受講や高齢運転者標識の表示を課していますが、「高齢者の医療の確保に関する法律」では、65歳以上を高齢者とした上で、65-74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と分けて定義しています(注1)。本稿では、健康保険法の適用がなくなる75歳以上を高齢と定義することにしたいと思いますが、中小企業庁が公表する2024年版「中小企業白書(注2)」によれば、経営者の年齢が75歳を超える中小企業は、全体の13.7%存在しているとされており、概ね6社に1社は本稿でいう高齢者が会社運営を行っていることを示唆しています(図1参照)。これを75歳以上の者が筆頭株主を務める会社でみた場合のデータは公表されていませんが、株式という財産権を生前に移動させることには様々な税負担や資金調達が必要になることに鑑みれば、高齢者である経営者以上に高齢者である株主の方が多く存在しているのではないかと予想することができ、中小企業が抱える現代社会における重要な検討課題といえます。図13.高齢経営者・高齢株主がいる会社が抱える問題と対処すべきこと75歳以上の経営者や株主(以下、本稿では、それらを「高齢経営者・高齢株主」と表示し、高齢経営者は代表権を有する業務執行取締役をいい、高齢株主は当該会社の議決権の過半数を有している株主である者を指すこととします)がいる会社が抱える問題は、高齢経営者・高齢株主が認知症等により判断能力を欠くことでそれらの者が行う意思表示が単独では完全に有効と言えない状態になり、結果として法的安定性を欠く事業運営が行われることになってしまう点にあります。したがって、実務上、備えておくべき視点は高齢経営者・高齢株主が単独で有効な意思表示ができなくなった時に会社運営を滞らせないための準備をしておくということに尽きます。(1)高齢経営者が採るべき対処法高齢経営者を抱える会社が採るべき具体的な対処法としては、高齢経営者以外にも業務執行ができる者を準備しておくことであり、高齢経営者以外に取締役がいない場合には取締役を選任することから始まります。他方、すでに取締役が複数名いる場合には、高齢経営者において正常な判断ができなくなった時の権限行使について明確な規定・順序を設けることで、いざその時においても会社運営を滞らせることなく事業を継続でき、正式に後継者が決まるまでの間に何かしらの問題が生じたとしても、会社の存続にかかわるような問題になることは回避できるといえるでしょう。なお、実務においては、高齢経営者の他に業務執行権限を有する取締役が、高齢経営者の意に反して単独で権利行使できないような仕組みをどのように構築するかいう点が問題になることがしばしありますが、本稿では議論が逸れることなるため、割愛することとします。(2)高齢株主としての対処法これに対し、高齢株主を抱える会社が採るべき具体的な対処法については、会社運営において空白期間を生まないようにするために、高齢株主が主導して、高齢株主が意思能力を欠いた場合に代わりに議決権行使ができるように、中村論文(注3)で指摘されたような任意後見制度や信託制度を活用し、万が一に備えておくことが望まれます。ただし、万が一に備える対応がうまく進まない場合には、会社の側から実際に高齢株主が判断できなくなった時点で強制的に株主が変更できるような仕組みづくりを行うことも、事業継続の点からは有益な発想でしょう。具体的には、実際に高齢者株主が判断できなくなった時に、当該高齢株主の株式を取得できるとする取得条項付種類株式にしておくことがあげられますが詳細については後述することといたします。(3)高齢経営者・高齢株主がいる場合における実務上の注意点前述のとおり高齢経営者や高齢株主がいる場合には、会社運営を滞らせないようにするための準備を講じることのほか、通常以上に積極的に高齢経営者や高齢株主と対話をし、それらの者の様子を常に把握しておくことは会社において強く求められる姿勢となるでしょう。例えば、高齢株主が存在する会社においては、株主名簿を整理する過程で当該高齢株主と積極的な対話を進め、緊急時の対応策について高齢株主の意向の把握に努めるなどしておくことや、生じうる問題点について共有の認識をもつことには一定の意味が存在するといえます。また、役員の任期管理をする中で、高齢経営者の任期満了後の再任の意向を確認しておくことも効果はありますが、実務においては、“誰がその対応や確認を行うのか”不確かなため具体的に対応できないことが問題となることもあります。この手の問題は、相当数が親族間において生じるものであり、その中でも親子間の問題であることが多く、次世代の当事者(この場合の子)から、先代の当事者には言いづらい側面があることもあるように思います。当事者としては、このような背景が存在することも強く意識しながら、税理士・弁護士・司法書士などの専門家を間に挟むなどして、これらの問題に対処していくことも有効な一つの策となるものと思います。高齢経営者や高齢株主を抱える会社の関係者は、高齢経営者・高齢株主のかかりつけ医(特に認知機能について診断できる医師)と顔なじみになっておき、認知機能の低下の兆候が見られたときにはすぐに対応できるようにしておくことも実務においては地味ながらも重要な視点であると思われます。4.実務の視点で見る会社を守るための選択肢の特徴(1)高齢経営者の場合の備え前述のとおり、高齢経営者を抱える会社が備えることとしては、高齢経営者以外に業務執行を行える人物を準備しておくことですので、(人選の問題はありますが)一見するとシンプルで実行自体もそれほど難しくありません。また、(あまり想定できないかもしれませんが)経営者は高齢であっても、株主自体が高齢ではない場合には、別途経営者を選任することで解決できる問題となりますので、実際のところ、そこまで問題とはならないでしょう。(2)高齢株主の場合の備えこれに対し、高齢株主を抱える会社が備えるべき対応策として会社が準備できることには限界があり、準備を進めるのは高齢株主自身です。もちろん、高齢株主自身においても認知機能が減退しないよう日々努力することも必要ですが、むしろ、衰えることを防ぐことは不可能と考え、時間の経過とともに自身の判断能力が低下していくことを理解した上で事業運営に空白が生じないように準備していくことが望まれます。(3)高齢株主が採りえる主な方策具体的に、高齢株主が採りえる方策として最も容易な対応策は、やはり高齢株主自身が保有する株式を次代に引き継ぐことでしょう。ただし、これができるのであれば、高齢になる前に行っていることが多く、高齢になっても株式の移動ができていない点には何らかの理由があるといわれています(注4)。そこで本稿では株式を引き継ぐことができないことを前提として検討しますが、その際に高齢株主として使いやすいのは、①民事信託、②任意後見の二つです。なお、成年後見制度(法定後見制度)の活用も検討の余地はありますが、会社運営において適切な制度とは考えませんので、本稿では最後に少し触れる程度にしたいと思います。民事信託や任意後見の制度の概要については、前述の中村論文に詳細が記載されていますので、ここでは実際に民事信託を組成する際に注意すべき点や任意後見制度を利用する場合における実務的な視点からそれぞれの課題を挙げたうえで、その課題の対処方法について触れていきます。①民事信託初めに①民事信託を利用する場合には、信託契約の内容として株主の共益権の行使の方針について、高齢株主の意思を理解し、(信託契約の内容とすることができるように)言語化することが求められます。すなわち、受託者としては、高齢株主が株主として重視すべき点や権利行使に際して重要視している点などを把握し、また、自身も株主がどのような存在であるかなどの知識も必要になるため、信託契約の締結までに負担が大きいことが実務においては課題と言えます。この点については複雑な信託契約書を作成しようとすればするほど、高齢株主にとって、契約締結時の意思能力の問題に発展しやすく、また、受託者自身も複雑な契約書を理解し実行できるのかという問題に行き着くことになります。その他にも契約書の作成に専門家の協力を得ることになりやすいため、契約書作成にコストや時間がかかることも課題となりえます。これらに対応するため、抽象的な表現を用いた契約書にしてしまうと高齢株主の真意が達成できず、そもそも契約締結ができないということにもなりかねないため、どこまで詳細な内容の契約書を作成するかという点には一定の課題が存在していると言えます。②任意後見次に②任意後見を利用する場合には、任意後見人自体が広範な代理権を有することになるため、その適任者を探すことに一定の困難が生じることが考えられます。ただし、任意後見人として知人の会社経営者を選任することも可能であり、任意後見人として信頼できる人物を見つけることができれば、株主としての共益権の行使については、問題解決も視野に入れることができそうです(ただし、任意後見人として、私生活上の支援を求められることも多いことから、株主としての権限行使と私生活における金銭管理の権限を分掌するなどして、複数人の任意後見人を選任した方が無難となる事例に発展することも想定され、その場合には、複数人分の任意後見人の報酬が発生する点には注意が必要です)。なお、任意後見制度は判断能力が存在している時に任意後見契約を締結し、任意後見委任者の判断能力が低下した際に、家庭裁判所が任意後見監督人を選任することで、任意後見契約の効力が発生します。すなわち、任意後見受任者(=株主として権利行使を任された者)は、任意後見委任者の判断能力の低下について細心の注意を払いながら、日々接していくことが求められます。③取得条項付種類株式最後に、実際に高齢者株主が判断できなくなった時に、当該高齢株主の株式を取得できるとする取得条項付種類株式について触れてみたいと思います。会社法は、「取得条項付株式」の定義を、株式会社がその発行する全部または一部の株式の内容として当該株式会社が一定の事由が生じたことを条件として当該株式を取得することができる旨の定款の定め(会107条1項3号・同条2項3号・会108条1項6号・同条2項6号)を設けている場合における、当該株式をいう(会2条19号)としており、単一株式の種類だけでなく、種類株式の一つとして、取得条項付種類株式の発行を認めています。高齢者の株主が認知症等の精神上の障害により意思表示ができない場合において、成年後見人等の法定後見人が選任された場合には、成年後見人等が当該株主の財産を管理し、生活や療養に必要な契約を本人に代わって締結するなどして、本人の生活を支えることになるため、当該株主の財産を管理する観点から、当該株主が有する株式の議決権行使を成年後見人等が行うこと自体には、法的な制限はないでしょう。ただし、成年後見人等は、議決権の行使にあたっては、被後見人の意思を尊重しながらも、善管注意義務に従い、被後見人の財産を減少させないよう注意しなければならないと解され、リスクを抑えた財産管理が求められます(注5)。その点からしても成年後見人等の判断は会社運営上においても、消極的な判断となり、株主が本来持つべき利益を追求するための姿勢とは正反対なものになりやすいことから、私見としては成年後見人等が議決権を行使することには疑問を感じます。その面からも、高齢株主が存在する場合には、会社として、高齢株主の認知機能低下(例えば、いずれかの成年後見等の制度の開始の審判を受けること)を取得条項として、当該株主が保有する株式を会社が取得し、『当該株式を無議決権株式に転換させる』ことで会社の事業運営に空白が生じないようにすることも対応策の一つとして検討の余地があるように感じます。ただし、当該会社が会社法上の公開会社の場合には、議決権制限株式の数が発行済株式総数の2分の1を超えることはできない(会115条)ため、この方法を用いる場合には、高齢株主の議決権割合を十分考慮した上で、種類株式の設計を行うことに注意が必要です。5.終わりに多くの会社では経営者や株主が高齢化する前に事業承継に取り掛かり、実施されていますが、事業承継先が見つからずに経営者や筆頭株主が高齢化している中小企業も存在しています(図2参照)。図2経営者からすると「会社」は我が子のようなもので誰に託すかを決めることは容易なことではありません。他方、本稿で触れたような問題が生じることもまた現実ですので、慎重に事業承継を進めている高齢経営者や高齢株主としては、事業承継が遅れれば遅れるほど、本稿のような問題が生じることも肝に銘じ、心置きなく事業承継が進むことを実務の面から見守っていきたいと思います。<注釈>厚生労働省「健康日本21アクション支援システム」https://kennet.mhlw.go.jp/information/information/dictionary/hale/ya-032中小企業庁「2024年版中小企業白書」https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/2024/chusho/b1_3_6.html中村信男「高齢化社会と会社運営上の課題:意思能力を欠いた支配株主の議決権行使による株主総会決議への影響と対応策」(TVS)https://tvs.mjs.co.jp/working/commercial/businesslaw/detail/article/r69250733af76c.html(GWP)https://goodwill.mjs.co.jp/working/commercial/businesslaw/detail/article/a6925092833f0b.html実務において株式を承継できない(事業承継が進まない)理由の多くは、後継者が決まらない(承継先が決まらない)ことが最たる理由であるとされています。今川嘉文『中小企業オーナーのための財産・株式管理と承継の法律実務』5頁(弘文堂・2020年)提供:税経システム研究所
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