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2025/10/31 経営レポート
退職に関わるトラブル回避(第12回) 内定取消し2
【サマリー】前回は、内定取り消しの法的制約、内定取り消しが認められる主な事由や実務上の課題について解説いたしました。内定を出した時点で、一定の労働契約が成立するため、内定取消にも正当な理由が求められることを確認しました。今回は、内定取り消しに関する実際の重要な裁判例を4件紹介したいと思います。1.重要判例1「外資系コンサルティング会社事件東京地裁令6・7・18判決」中途採用した従業員について、内定後に職歴を確認したところ、職務経歴書には記載されていない会社での勤務歴が判明したため、内定を取り消しました。東京地裁は、この虚偽の申告は退職に関するトラブルを隠す目的によるものであり、従業員の適性に関わる重要な事項であると判断しました。意図的な経歴詐称であり、信頼関係の維持が困難となる不誠実な行為と認められることから、内定取消しは有効とされた事案です。<事案の概要>本件は、コンサルティング業務を主たる事業とするY社から採用内定を受けていたXが、その後の経歴調査により虚偽の申告が判明したことを理由に内定を取り消された事案です。Xは、内定取消しは無効であると主張し、雇用契約上の地位確認や未払い賃金の支払い、さらに精神的損害に対する慰謝料等を求めました。Xは、履歴書や職務経歴書に「平成23年4月から一貫して個人事業主として活動」と記載していましたが、実際には令和3年6月から同年11月までA社(G社)、令和4年3月にはB社(H社)に勤務しており、いずれも紛争を抱えていました。Y社が実施したバックグラウンドチェックによりこうした事実が明らかとなり、令和4年8月30日に内定取消しが通知されました。裁判所は、Xの経歴申告には故意の虚偽が含まれており、特に退職紛争を隠すために勤務歴を秘匿した点は、職務適格性や企業との信頼関係に重大な影響を及ぼすものと認定しました。また、採用活動において経歴の正確性は極めて重要であり、虚偽申告によって信頼関係を維持できない以上、Y社による内定取消しは「合理的な理由に基づくもの」であり、社会通念上相当と判断されました。その結果、第一審および控訴審ともに、内定取消しを有効と認め、Xの雇用上の地位確認や賃金・慰謝料の請求はいずれも棄却されました。<判決のポイント>本件は、Y社がXに令和4年9月1日を入社日とするオファーレターと雇用契約書を交付し、Xが承諾したことで始期付雇用契約は成立していますが、この契約では、入社までにバックグラウンドチェックを含む経歴調査を行い、虚偽が判明した場合にはY社が解約できることが定められていました。ただし、この解約権の行使は無制限ではなく、内定時点で会社が知り得なかった事実であり、その取消しが客観的に合理的かつ社会通念上相当である場合に限られるとされています。調査の結果、Xは平成23年以降一貫して個人事業主として活動していたと虚偽申告し、職務経歴書でも空白期間なく勤務していたと記載していました。しかし実際にはA社やB社に雇用され、いずれの会社とも退職を巡って紛争を抱えていた事実を故意に隠していました。さらに、免責事項への回答や面接時の説明においても「元請け会社」「請負」といった表現を用いて空白期間を巧妙に隠し、準委任契約の社員と称するなど、発覚を避ける意図的な態様が認められました。裁判所は、職歴は労働者の適格性を判断する重要な要素であり、これを虚偽申告した行為は背信的で不正義性が強いと評価しました。そのため、Y社がXを従業員として雇用し続けることは信頼関係の維持が不可能であるとし、内定取消しは客観的に合理的で社会通念上相当と認められると判断しました。結果として、裁判所はY社の内定取消しを有効とし、Xの雇用上の地位確認請求、賃金請求、慰謝料請求はいずれも棄却しました。<学ぶべきポイント>本件は、中途採用における内定取消しの法的リスクを示した重要な事案です。採用段階でバックグラウンドチェックの実施が合意され、虚偽があれば解約権を行使できる仕組みが明確化されていましたが、取消しの有効性は虚偽の内容が職務能力や信頼関係に重大な影響を及ぼすかどうかによって判断されます。裁判所は、単なる形式的な記載漏れではなく、退職紛争を隠すための故意の虚偽申告を問題視し、信頼関係を破壊する重大な背信行為として内定取消しを有効と認めました。この判決からの教訓は二つあります。第一に、企業は内定契約で経歴調査や虚偽申告の取扱いを明確化し、応募者の同意を得ることが重要であること。第二に、虚偽が発覚した場合でも直ちに取消すのではなく、その影響の程度を慎重に検討すべきことです。要するに、企業には透明性と誠実な対応が、労働者には経歴申告の正確性と責任が強く求められることを示した判例です。2.重要判例2「外資系ソフトウエア会社事件東京地裁平9・10・31判決」大手コンピュータ会社に勤務していたXは、別会社Yからスカウトを受けて採用内定を得ましたが、その後、Yが経営悪化を理由に内定を取り消したため、Xはこれを違法として雇用上の地位の保全などを求める仮処分を申し立てました。<事案の概要>A氏は、B社の役員や人事部長らとの複数回の面接を経て、職能資格等級58等級、マネージャー職、基本給60万円などを明記した採用条件提示書および入社承諾書を受領し、平成9年3月31日には大手コンピュータ会社に退職届を提出しました。しかしその後、B社から「当初の条件での採用は困難になる可能性がある」との連絡を受け、会社の組織縮小や営業所閉鎖に伴い、複数の内定者にも辞退勧告が行われていることが説明されました。B社はA氏に対し、①基本給3か月分の補償を支払って入社を見送る、②試用期間終了後に退職する、③マネージャーではなくシステムエンジニアとして勤務する、という3案を提示しました。しかしA氏は「話が違う」と強く抗議し、マネージャーとしての採用を求め、補償を受け入れる場合には基本給24か月分を条件とするなどの対案を示しました。最終的にB社は内定を取り消す意思を明確にしました。裁判所は、採用内定者は実際に勤務していなくても労働契約に拘束され、他に就職する自由を制約されている以上、企業が経営悪化を理由に内定取消を行う場合には整理解雇と同様の基準で有効性を判断すべきであるとしました。すなわち、①人員削減の必要性、②人員削減手段の必要性、③人選の合理性、④手続の妥当性の四要素を総合考慮し、客観的に合理的で社会通念上相当と認められるか否かを判断基準としました。本件について裁判所は、経営悪化により人員削減の必要性が高く、希望退職の募集や内定者への職種変更の打診、補償の提示など一定の努力を尽くしていた点では合理性を認めました。しかし、内定取消に至る経緯に誠実さを欠き、A氏が退職届を提出した後に一方的に条件を変更したことなどによってA氏が著しい不利益を被っていることを考慮し、手続の妥当性が欠けると判断しました。<判決のポイント>裁判所はまず、本件採用内定について、採用条件提示書や入社承諾書のやり取りなどの経緯から「就労開始日を始期とする解約留保権付労働契約」であると認めました。次に内定取消しの有効性については、整理解雇の判断基準に準じ、①人員削減の必要性、②解雇手段の必要性、③対象者選定の合理性、④手続の妥当性を総合考慮し、客観的に合理的かつ社会通念上相当である場合に限り有効としました。その点においては、経営悪化や希望退職の募集などから①〜③は認められましたが、④手続の妥当性に問題があるとされました。A氏はB社の勧誘を受けてIBMを退職したにもかかわらず、入社直前に辞退勧告や職種変更を突然告げられたため、誠実さを欠き著しい不利益を被ったと判断されたのです。その結果、裁判所は「客観的な合理性はあるが手続の妥当性を欠く」として内定取消しを無効としました。本判決の特徴は、①採用内定を労働契約と認め、②経営上の理由による取消しは整理解雇と同じ基準で審査すべきとし、③経営合理性を認めながらも誠実な手続を欠いたため無効とした点にあります。<学ぶべきポイント>本件は、今後増加が見込まれる中途採用における内定取消しの法的リスクを示した重要な事案です。従来は新卒を前提に議論されてきた採用内定の法理が、中途採用者にも「始期付解約権留保付労働契約」として適用されることが確認されました。特に在職中に内定契約を結ぶ場合、二重在職や円満退職の問題が生じうるため、契約内容や条件を明確にする必要性が示されています。さらに、内定取消しの有効性については、新卒と同様に「客観的に合理的な理由」が求められます。ただし、中途採用では旧職との関係や退職時期などが絡み、判断はより複雑になります。本件でも、米国本社の経営悪化や事業部閉鎖といった外資系特有の事情により、整理解雇の4要素のうち人員削減の必要性や合理性は認められました。しかし、問題となったのは「手続の妥当性」です。会社はA氏をスカウトし、長年勤めた会社を退職させておきながら、入社直前に辞退勧告や職種変更を打診しました。このような誠実性を欠いた対応は、労働者の期待を裏切り、著しい不利益を与えるものでした。裁判所は「合理性はあるが社会通念上相当性を欠く」と判断し、内定取消しを無効としました。この判決は、企業が経営上やむを得ない理由を持っていても、従業員に十分な説明を行い、誠意をもって納得を求めることが不可欠とされ、スカウトされた労働者側も、勝訴しても前職を失っているため損失は大きいという現実が浮き彫りになりました。したがって本件は、企業には説明責任と誠実な手続対応を、労働者には転職判断の慎重さを強く求める教訓を与えるものといえます。3.重要判例3「マンション分譲会社事件福岡地裁平22・6・2判決」採用内々定を取り消された学生が、労働契約は既に成立しているとして違法解雇に当たるなどと主張し、損害賠償を求めた事案です。福岡地裁は、内々定は正式な内定に至るまでの間に企業が新卒者を囲い込むための制度にすぎず、労働契約の成立には当たらないと判断しました。ただし、企業が経済悪化を懸念し、正式内定を出す直前に拙速に内々定を取り消したことは、学生の採用に対する合理的な期待を侵害したものと認定し、100万円の損害賠償の支払いを命じました。<事件の事案>原告は平成21年3月にH大学を卒業予定の学生で、平成20年4月に不動産売買・賃貸仲介業などを営む被告会社の説明会に参加し、適性検査や複数回の面接を経て同年5月28日に最終面接を受けました。被告は5月30日ころ、原告に「採用内々定のご連絡」と題する書面を送付し、提出期限付きの入社承諾書とともに「正式な内定通知は同年10月1日授与予定」と記載していました。原告は5月31日付で承諾書に署名押印して返送しました。その後、9月25日には人事担当者から「10月2日に正式内定通知を授与する」との連絡がありましたが、9月29日、被告は突如「採用内々定の取消しのご連絡」を送付しました。取消通知には、建築基準法改正やサブプライムローン問題、原油高騰などの影響で不動産市況が急激に悪化し、事業計画の見直しにより翌年度の新卒採用を取り止めると説明されていました。原告は9月30日に通知を受領し、翌10月1日に抗議メールを送付しましたが、被告から具体的な説明はなく、最終的に正式内定も採用も実現しませんでした。このため原告は、内々定取消しは違法であるとして、債務不履行または不法行為に基づき損害賠償を求めて提訴しました。<判決のポイント>福岡地裁は、まず本件採用内々定について、正式な内定(労働契約の確定的合意)とは性質を異にするものであり、始期付解約権留保付労働契約が成立したとはいえないと判断しました。内々定は、あくまで企業が学生を囲い込み、他社へ流出するのを防ぐための事実上の活動にすぎないと位置付けられました。もっとも、本件では内定通知書授与の日程が具体的に定まっており、その直前の段階であったため、学生側にとっては労働契約が確実に成立するとの期待が高まり、法的保護に値する程度の「採用への期待権」が形成されていたと認定されました。これにもかかわらず、会社は経済環境の悪化に対する一般的な危惧のみを理由に、十分な説明や配慮を欠いたまま直前で内々定を取り消しました。裁判所は、この対応は労働契約締結過程における信義則に反し、不法行為を構成すると判断し、学生の期待利益を侵害したとして100万円の損害賠償を命じました。控訴審である福岡高裁も、内々定は労働契約の成立には至らないとの判断を維持しましたが、企業の対応が不誠実で学生の期待権を侵害した点については、信義則違反による不法行為責任を認め、慰謝料請求を一部認容しました。ただし、内定取消しの場合と同様の精神的損害が生じたとまではいえないとして、損害賠償の範囲については制限しました。<学ぶべきポイント>内々定は正式な内定とは異なり、企業が新卒者を囲い込む事実上の活動にとどまるとして、労働契約は成立していないと判断したことは、以後の判決にも大きな影響を及ぼすことになりました。企業には「内々定は労働契約ではないが、学生に期待権を与えるため安易な取消しは信義則違反となるリスクが高い」ことを、学生には「内々定の法的効果は限定的で、損害賠償が認められても慰謝料など信頼利益にとどまる」ことを教訓として示しました。4.重要判例4「出版・広告宣伝教育指導会社事件東京地裁平17・1・28判決」本件は、採用内定を受けた大学院生が論文審査の準備を理由に入社前研修へ参加しなかったため、会社から試用期間の延長か中途採用として再受験するよう求められ、さらに損害賠償を請求された事案です。東京地裁は、学業への支障は研修不参加の正当な理由であると判断し、使用者には信義則上、研修受講を免除すべき義務があると認めました。そのうえで、会社の主張を退け、損害賠償の支払いを命じました。<事案の概要>Aは東京大学大学院博士課程に在籍し研究を続けていましたが、指導教授の勧めで㈱宣伝会議への就職を希望し、面接を経て平成15年4月1日付の採用内定通知を受け、入社承諾書や誓約書を提出しました。会社の人事担当者Cからは試用期間3か月や定期的な研修参加の説明があり、Aは当初は研究に支障がないと判断し、懇親会や研修会に参加しました。しかし、研修課題が負担となり、論文審査準備に支障をきたすようになったため、Aは教授を通じて会社に研修免除を依頼し、会社も一度は了承しました。その後Aは複数回の研修を欠席しましたが、入社直前の研修ではCから「参加しなければ入社を取り消す」と告げられ、やむなく参加しました。ところが、Cは研修遅れを理由に「試用期間を6か月に延長するか、中途採用試験を再受験するか選ぶように」と要求しました。Aはこれを拒否し、改めて「試用期間延長は認めない」と伝えましたが、会社側は受け入れませんでした。翌日、Aが会社に確認の電話をした際には、会社は「内定取消しではなく、Aが辞退した」との認識を示しました。その後、Aは「会社が一方的に内定を取り消した」と主張して提訴し、逸失利益や慰謝料等の損害賠償を請求しました。これに対して会社は、「取消しではなく辞退である。仮に取消しだとしてもAが研修義務を果たさなかったため適法である」として争いました。<判決のポイント>内定取消しか辞退か会社の人事担当者が、原告に対して「試用期間の延長」か「中途採用試験の再受験」を選択させようとした行為は、実質的に「内定を取り消す」という意思表示に当たると認められました。内定の法的性質と取消しの可否内定は「始期付解約権留保付労働契約」として成立していたことは当事者間に争いがありませんでした。そのため、解約権の行使が許されるのは、その趣旨・目的に照らして客観的に合理的で、社会通念上相当と認められる場合に限られるとされました。つまり、取消しが有効となるのは、採用決定時には知り得ず、後日の調査で判明した新たな事実により、その人物を雇用するのが不適当と判断できる程度の合理性がある場合に限られるということです。学業と研修の関係学生の本分は学業であり、企業は内定者の生活基盤が学生生活にあることを尊重すべきであるとされました。そのため、学業に支障が生じる場合には、研修参加を免除すべき信義則上の義務を企業は負っています。研修合意の解釈原告は研修への参加に同意していたものの、その合意は「研究と研修の両立が困難になれば、研究を優先し研修参加を取りやめることができる」という留保付きのものと解するのが相当と判断されました。<学ぶべきポイント>本件判決は、採用内定をめぐる法的性質や内定者研修の扱いについて、企業と学生双方に重要な教訓を示しています。まず、企業にとっては、採用内定が「始期付解約権留保付労働契約」として法的に有効な契約である以上、その取消しは客観的に合理的で社会通念上相当と認められる場合に限られることが明確にされた点が重要です。形式的な理由や一方的な都合による取消しは認められず、内定者には雇用されることへの合理的な期待権が生じることを踏まえなければなりません。さらに、内定者の生活基盤が学生生活にあることを尊重し、学業に重大な支障を及ぼすような研修への参加を一律に強制することは信義則上許されず、必要に応じて免除を認める義務があるとされました。研修参加への合意があったとしても、それは学業との両立が可能であることを前提としたものであり、両立困難な状況では免除が前提に含まれていると解されます。一方、学生にとっては、内定が単なる「口約束」ではなく労働契約の成立として扱われることを理解する必要があります。内定者は安易に立場を弱いものと考えるのではなく、合理的な期待権が認められていることを前提に行動すべきです。また、大学院での論文準備など学業を理由とした研修不参加は正当化され得ることから、無理に両立を図るのではなく、正当な理由を説明し企業に配慮を求めることが可能である点も教訓となります。総じてこの判決は、企業に対しては「学生の学業を尊重し、内定取消しや研修強制にあたっては誠実かつ慎重に対応すべきである」という義務を、学生に対しては「内定の法的性質を理解し、自らの権利を認識したうえで慎重に対応することが必要である」という意識を示したものといえます。提供:税経システム研究所
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2025/10/31 経営レポート
企業探検家 野長瀬先生の経営お悩み相談室(第21回)
毎回いろいろな企業経営者のお悩みをテーマとし、その悩みを解決する糸口を企業探検家・野長瀬裕二先生がアドバイス形式で解説していきます。筆者が見てきた様々な企業の成功例や工夫の事例、そこから見えてくる普遍的なノウハウを紹介し、各回のテーマの悩みに寄り添う情報をお伝えします。<相談内容>当社は、コピー機を中心とする事務機器の販売、メンテナンスを主力事業としてきた東北地方を地盤とする中小代理店です。地域の低成長、ペーパーレス化の流れ、大手代理店・メーカー直販部隊・リース業者との競合もあり、業績はここ数年伸び悩んでいます。若手の人材を採用したいのですが、新卒は来てくれないため苦戦しています。中途で40-50代のシニア転職者を採用していますが、社員の平均年齢は上昇しています。若手の採用にさらに力を入れる一方で、シニアの戦力アップによる活躍も促したく考えています。シニア活躍のために、どのように工夫すべきでしょうか。■どのように生き残るか長期的には、競合する大企業・中堅企業と差別化するには、各顧客へのきめ細かい対応力が中小企業としての生命線となります。きめ細かい対応や機動力を生かした中小企業としての生き残り方をするには、いくつかの方法が考えられます。まずは、地方圏では各自治体に重要顧客が限られているという現実があります。特定の企業や公的機関、研究機関等といった存在です。それらをいかに押さえるか。重要顧客を押さえると、その地域における営業マンの生産性が高くなります。そうした重要顧客に対しては大企業が競合として参入しようとする動きもあるでしょう。その場合も、特定の品目やサービスについての強みを発揮するなどの食い込み方があります。例えば、大学が立地している場合、地域の重要顧客であることが多いです。大学本部に納入するビジネスは大企業との競合となるでしょうが、各研究室に「なんでも納入します」という営業方法があります。どこの大学でも研究費を多く獲得している研究者は限られていますので、そうした研究室に食い込むことは、まさにきめ細かい対応です。地域の病院の需要についても、大手の手薄な品揃えを補完し、ICTリテラシーのあるクリニックを押さえるといった方法があります。このように得意な業種を持つことも営業上の強みとなります。また優れた人材がいるなら、高額な複合機の販売+ICTソリューションの提供がオーソドックスな営業戦略となります。RPAやセキュリティシステム、電子契約サービス、CRMの提案を複合機販売と連携して行う方法です。通信環境やオフィス家具といった品ぞろえにより、オフィス環境を提案するといった切り口もあります。売り切り型の営業方法ではなく、クラウドサービス、メンテナンス契約等による継続的収益の比率を高めていくことも重要です。地方圏は人的ネットワークが都市圏より濃厚ですので、既存顧客に満足して頂き、その人脈で次の顧客を紹介してもらうような営業方法が王道となるでしょう。中小企業等をきめ細かく回り顧客としていく方法もあります。地方圏で中小代理店が生き残るには、金融機関における、意欲的な信用金庫と類似したビジネスモデルを目指すことになるでしょう。中小販売代理店である御社の経営戦略をまとめると下記の体系となると思われます。表1中小代理店の戦略体系1.地域の重要顧客を押さえる2.ソリューションの提供3.特色ある品揃え、得意業種4.継続的収益比率の向上5.手間をかけて中小こきゃくをフォロー■経営戦略を遂行する上で何か求められるか次に表1の戦略を実行する上でどのようなマネジメント方法が必要となるかを考えていきましょう。基本的に、どのような顧客をターゲットとして、そこにどのような商品サービスを提供していくかを決めるのは、戦略的意思決定ですからトップマネジメントの仕事です。つまり経営者、あるいは後継者の責任となります。「製品―市場」の組み合わせと商品・サービスのマーチャンダイジングをトップ主導で決めてしまえば、従業員に求めるのは、顧客をきめ細かく掘り下げていく能力、商品・サービスに関する理解力となります。ここで重要な事は、知識の蓄積を個人・組織の両面で実施していくことです。従業員の勤続年数が短いと、知識の蓄積が難しくなります。経営戦略の分野では経験曲線(ExperienceCurve)という概念があり、市場シェアや累積生産量が増えていくと単位コストが下がっていくとみなされます。地域の顧客や商品。サービスについての知識を蓄積していくと、それが参入障壁となります。従業員満足を重視した経営を行い、勤続年数を伸ばしていき、各従業員の知識をグループウェアで組織として蓄積していくのがオーソドックスなマネジメント方法となります。■シニア人材の能力の特徴はどこにあるのかキャッテル(RaymondCattell)らの研究によれば、人間の知能には、「流動的知能(FluidIntelligence)」と「結晶性知能(CrystallizedIntelligence)」があります。前者の知能は短時間に大量の情報を処理する場合等に用いられ、後者の知能は思索や意思決定に用いられます。例えば、前者はソフトウェアを不眠不休で開発するような場合に必要とされ、後者は総合的に適切な判断を下す際に不可欠となります。才能ある企業家が若くして意思決定を下す立場に立つと、結晶性知能が急速に磨かれていき、加齢しても維持されることが多いのです。サラリーマンが上司の指示を受けるだけでは、結晶性知能は磨かれていきません。これらの知能を測定しようとする研究が心理学分野でなされてきましたが、デジタルに誰もが正確に把握できるものではないようです。一般に流動性知能は20台でピークアウトし、結晶性知能はシニアになっても維持されるといわれていますが、流動性知能が何歳でピークアウトするかを測定することは難しいと言われています。図1は加齢学(Gerontology)という分野の生命曲線の概念ですが、キャッテルらの研究と類似した考え方に立脚しています。図1生命曲線(引用:三好功峰:老化と神経疾患.大日本製薬,大阪,1982.)図1は、精神機能はシニアになっても伸びるのに対して、身体機能は早期に低下していくという考え方です。一時期、一部の財界人から「45歳定年」という意見が出ていましたが、これは結晶性知能や精神機能が高いシニア人材を放出するという考え方です。毎年優秀な学生を採用できる大企業ならともかく、地方圏の中小企業ではありえない意見であると思われます。45歳定年論は、加齢して流動性知能が低下していくと、教育訓練投資の効果が低くなるから、若い人だけで組織は回していき、キープヤングしていくということなのでしょう。確かに海外では、若い人がハードワークして組織を回していくという事例が見られますが、限られた期間に高い報酬をもらう仕組みとセットで議論していくべき事項です。地方圏の中小企業の多くにとっては、若手人材の流動性知能とシニア人材の結晶性知能を組み合わせてチームを作っていくことが現実的な選択と言えるでしょう。■シニア人材の戦力化をどうすべきかここで問われるのは、表1の戦略を遂行しようとするときに、シニア人材を戦力化していくうえでどこに留意すべきかということです。1.地域の重要顧客を押さえる地域の重要顧客を押さえるには、社内のエース級人材に担当してもらうこととなります。大企業のB級の人材より、機動的な対応力と情報力で上回る人材であれば、シニア人材の活躍は可能です。知識不足の分野の注文については、社内の他人材を巻き込んだプロジェクトを組成することになります。2.ソリューションの提供単品の商品販売にとどまらず、システムとしてソリューション提供していく営業スタイルには大企業も力を入れています。この方法が確立できると売上高や付加価値が向上していくからどの企業も注力しているのです。中小販売代理店に適した顧客層を対象とすることにより、大企業との棲み分けが可能となります。様々な機器やソフトウェアの商品知識を持つ営業マンを育てていくことが重要です。ソリューション営業人材の層が薄いことは、中小企業にとり泣き所である場合が多いです。シニア人材であっても、商品知識を持っているのであれば、社内の他人材、あるいは外部の技術顧問等が技術支援することで対応することとなります。3.特色ある品揃え、得意な業種ここはトップマネジメントが関与すべき部分です。地域の特定業種に強い営業体制を整備し、そうした顧客に求められる商品・サービスを選定していくことは、まさに戦略的意思決定です。経営資源の乏しい中小企業であっても、他社と連携して自社商品を持ち、差別化していく方法もあります。ここで求められるのは、特定の顧客層に強く食い込み、経験曲線の効果により参入障壁を構築していくことです。営業マンがシニアかどうかより、愚直にコアとなる顧客のニーズを拾い続けていく人材が求められます。4.継続的収益比率の向上物品・ソフトウェアの売り切りから継続的収益を得るようなビジネスモデルへの切り替えが、ICT産業では進んでいます。サブスク(subscription)という月額、年額で代金を頂く方式です。フロー型ビジネスからストック型ビジネスへの転換に成功すると、サブスクで代金を頂いている顧客の数が企業価値となります。契約期間中は顧客の囲い込みに成功し、物販型ビジネスに比べると収益が安定化します。物品であればレンタル・リース、ソフトウェアであれば利用権の販売となり、メンテナンスについてはサービスレベルを複数設定して契約に持ち込みます。ソフトウェア等の比率がアップするとICT技術に疎いシニアの営業マンの中では戸惑いも出るでしょうが、適応できるように教育訓練していくことと並行して、サポートデスク機能を強化していくこととなります。技術的知識はあまりなくとも、ここまでは説明できるというラインを設け、社内で勉強会を行い、社内資格を設定し、やる気のある従業員には国家試験等に挑む支援を惜しまないことです。5.手間をかけて中小顧客をフォロー手間をかけて地域の中小顧客をフォローしていくことは、やる気あるシニア人材に適した業務です。長期雇用により知識を蓄積した営業マンが揃っていることは、参入障壁となります。上記1-5の中では、ソリューション営業、ICT技術知識が必要な商品・サービスの販売は、シニアに多少ハードルが高いと思われますが、大企業の技術知識ある退職者を補強すること等で補うことができます。それ以外の分野では、シニア人材は結晶性知能を生かした愚直な営業活動を行うことで活躍することができます。a.経営者が戦略的意思決定を的確に下し、b.サポート機能も含めたオペレーションの仕組みを構築し、c.教育訓練と人材の補強を行い、d.外部経営資源の活用を併用することが、シニア人材中心の営業部隊を機能させていくことにつながります。これらの整備がシニア人材の活躍につながります。【参考文献】Horn,J.L.,&Cattell,R.B.(1966).Refinementandtestofthetheoryoffluidandcrystallizedgeneralintelligences.JournalofEducationalPsychology,57(5),253–270.三好功峰:老化と神経疾患.大日本製薬,大阪,1982.提供:税経システム研究所
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2025/10/28 経営レポート
日本の出生率の下落と外国人比率の増加
1自分が厚生省年金局年金課課長補佐になった1976年7月に、各紙一面トップを「日本の特殊出生率(女性が一生に産む子供の数)が1975年(昭和50年)に戦後初めて2を割って1.91となった」という記事がのった。この頃は、日本をあげて高福祉高負担の社会を目指すとして国民皆保険、国民皆年金を叫んでいた時代だ。特殊出生率が2を維持していれば、若い世代が高齢世代を支えられるが、2を割ってしまうと若い世代が減少して、高齢世代を支えきれなくなる。したがって、社会的扶養が成り立たなくなるため、当時目指していた高福祉高負担社会は成立しなくなる。そこで、聞きなれなかった「特殊出生率」という言葉が一躍脚光をあびて、日本人の将来に暗い陰が走った。当時、厚生省に出向したばかりだった自分は、まったく知識がなかったために、人口問題研究所に行ってほぼ一週間にわたって人口問題を勉強した。そこで得た結論は「出生率は決して上昇せず、今後長期的に下落していく」というものだった。当時、厚生省の同期だったO補佐も同意見だった。しかし、当時は政府も自民党も高福祉高負担で国民皆保険と国民皆年金を推奨していたので、自分たちの悲観的予測は打ち消されてしまった。以来、自分は人口問題をライフワークの一つとしたのだが、残念ながら我々の悲観的予測のほうが適中してしまった。世間はスウェーデンのような高福祉が実現できれば、出生率は2を回復して人口は減少しないと主張していた。そこで、社会福祉施策が次々と打ち上げられていくのだが、その後も出生率は回復せず、2024年の出生数は初めて70万人を下回り、68.6万人となり出生率も過去最低の1.15となった。当時、日本がモデルとしていたスウェーデンも各種社会福祉施策をしても、2023年には出生率は1.45にまで下落している。当時、我々が人口問題研究所での研究で得た結論は「豊かになった国民は、自分の利益を考えると後継者を作るより自分の生活を第一にするため、子供を作らなくなる」というものだった。貧しい時代は短命であったこともあり、自分が死んでも後継者が生き残ることにより種族を維持するという考え方になるが、豊かになると自らの個体維持が第一になり、種族を残すという考え方が乏しくなるのが先進各国で起きていることだった。日本も高度成長により、各人の生活が豊かになって、しかも長寿化が進んだために、個人の生活がより豊かになり、長寿化が進むと、長寿社会を自ら生き残る方向へと進んだ。国や社会は高福祉をかかげたが、それは長寿化を促進する方向に進み、種族維持の方向へは働かなかった。そのため、社会保障費が急増して財政を圧迫し、現役世代の重荷になってしまった。結果として、皮肉なことに貧しいアフリカの国々と(ニジェール等)では出生率は5~6と極めて高いが、豊かになった国々ではアジアでも2023年にはベトナム1.91、フィリピン1.92と軒並み2を割り始めている。2日本は1975年以降も全体として出生率は低下していき、2005年1.26と過去最低を記録、2023年には1.20と更に過去最低を更新し、ついに2024年には1.15と更に過去最低となった。その要因としては、子育てコストの高さや、30年続く経済不況等の経済的要因と、働き方やライフスタイルの変化(晩婚化・晩産化)等、若年層の価値観の変化があげられる。また、一時的要因としてコロナ禍の影響も主張されるが、コロナが終息した2024年に1.15と過去最低を更新したことから、これからも出生率の低下は進んでいくと思われる。特に自分は、上記要因よりも経済発展により都市化が進み、「ムラ社会」の連帯感が喪失した影響が大きいと思う。そもそも、ムラ社会では仲間外れになった人たちは「村八分」という掟が適用された。「村八分」とは葬式と火事の二分は村落共同体の助けが適用されるが、他の八分には適用されなくなる。その八分の中には「子育て」と「介護」が入っていた。したがって、村八分になった村人は仲間外れとなり生活できず、子供も育てられず老人も介護を受けられず、結局死に絶えていった。今や、都会のマンション等に住む方々は、まさに「村八分」を適用されているようなものだ。「子育て」も「介護」もムラの共同体による共助を受けられず、社会福祉施設や児童施設等の公助に頼るしかなくなっている。今でも、沖縄のやんばる地区国頭郡金武町には、共同売店が残っているようにムラ社会の共助が残っている。したがって、この地区の出生率は低下してきているとはいえ、他の地域より高い出生率(2.47)となっている。したがって、出生率を増加させていくには「共助」の復活しか解決策は見当たらない。しかし、経済発展し更にスマホ等が普及した結果、人間社会の個人化は一層進んできており、ムラ社会の復活等は考えられない状況になってきている。3西欧の国々を見ると、2023年にフランスは1.66、イギリス1.56、2022年にドイツ1.46、スペインは1.12等、皆2を割って人口減少へ向かっている。日本がモデルとした北欧の国々も2023年にスウェーデン1.45、デンマーク1.50、フィンランド1.26と皆2を下回っている。大国を見ると2023年にアメリカ1.62、ロシア1.41、中国1、ブラジル1.62とやはり2を下回っている。しかし、違った視点で見ると少し状況は変わってくる。西欧の国々で出生率が比較的高く、1.5を上回っているフランスは外国人比率10.7%(2023年)であり、イギリス14%(2023年)、ドイツ27.2%(2021年)と外国人比率が高い国々では出生率が相対的に高い状況となっている。特にドイツでは「ドイツ国民の出生率よりも移民の出生率が高く、移民の増加が人口減少を止める動きをしている」と付記されている。移民の方々の出生率は相対的に高い傾向にあり、日本でもこのことが明示されている。令和5年の将来推計人口(令和5年推計)では、2015年の出生率1.45に対して、日本人女性だけの出生率は1.43、2020年の出生率1.33に対して、日本人女性だけの出生率1.31となっていて、日本人全体の出生率を移民女性の出生率が上昇させていることが分かる。このため、令和5年の将来推計について見ると、外国人の人口超過数が2016年~2019年の平均が、年16万人になったため、この16万人が毎年入国するという前提にした推計をしたことから、前回推計より外国人人口が増加して、2040年では中位推計で586万人、低位推計で578万人と想定されており、外国人数とその比率は2020年外国人275万人、全体人口の2.2%から大幅に増加し、2040年には全体人口の5.2%となっている。更に、令和5年推計では外国人入国超過数も2041年以後は人口減少と同じ比率で減少すると推計しているが、それでも2070年には人口8217万人中、外国人865万人で10.5%が外国人となる。日本女性の出生率は1.29まで下がるが、外国人の高い出生率によって1.36になると推計されている。4このことから2つのことが見えてくる外国人の移民を増やさないと、もっと急速に人口減少が進み、労働力不足が一層顕在化して経済も落ち込むこと令和5年推計を前提にすると、2027年には少なくとも10人に1人は外国人との子供が日本人になっていることしかも、この推計のように2041年以後は移民数16万人も減っていくという前提になっていても、2070年に10人に1人が外国人と外国人の子供ということだから、実際はもっと急速に外国人移民が増加し、その方々との間の子供が増えていく可能性がある。その時は、今は当たり前と思っている日本語すら、当たり前ではない可能性もある。これからの日本社会を考えると、人口減少を止めるには外国人移民を増やしていく以外に道はないと思われるが、移民の方々およびその子供に、日本文化と日本語教育を積極的に行っていかないと、今では当たり前としている日本文化や日本社会が崩れ、そして日本そのものが崩れていくと思われる。何としても、移民の方々とその子供に対する日本文化と日本語の教育の充実が不可欠と思われる。しかし、欧米の移民先進国を見ると移民の増加により、国論は分断され、国民の多くが移民排斥に傾斜していっている。今や英、仏、独、米国等の国々では、移民排斥を主張する政党が台頭して、国民の移民排斥の行動も目立ちはじめている。このようなことを避けるためにも、今こそ移民の方々に対する日本文化と日本語教育が不可欠ではないかと思われる。提供:税経システム研究所
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2025/10/27 審査事例
当初から、特定の株式の全取得を目的として締結した仲介契約後に支出された費用であると判断された事例(棄却)
【裁決のポイント】子会社株式取得の付随費用の扱いは、会計上と税務上で異なる部分があり、税務上は「購入手数料その他購入のために要した費用」は株式の取得価額に含まれるとされている(法人税法施行令第119条《有価証券の取得価額》)。実務においては、特定の有価証券を取得することを決定した時点以前の調査費用は損金算入処理する、特定の有価証券を取得することを決定した時点以降の調査費用は取得価額に加算する、と整理されている。そのため、取得の意思決定をした時点やその目的の見極めに慎重な判断が求められる。審査請求人(買収途中でグループ会社内の他法人の各契約上の地位を継承した)は、M&A仲介会社から、全株式の取得による買収希望の企業概況書を提案され、提携仲介業務を委託する契約を締結した。契約では、業務の報酬として、情報提供料(返金されない業務着手金を含む)、基本合意等締結後に中間報酬、最終契約の締結時に成功報酬の支払いが定められていた。買収は成功し、買収交渉が進む過程で顧問弁護士に支払った法務調査費等も含めて、審査請求人は、それらの費用(本件費用)の全額を、雑費として損金算入して申告したところ、税務署は株式の取得価額に算入すべきとして更正処分を行った。審査請求人は、株式購入の意思決定時点は、臨時株主総会で株式譲渡契約の締結が承認された時点である、情報提供料は返還されないから、取得価額に算入されないと主張した。国税不服審判所は、提携仲介契約は、企業概要書の提示を受け、当初から株式の購入を目的として締結されていること、情報提供料は提携仲介契約を締結するか否かの意思決定の参考にするための費用であったとは認められないとして、請求を棄却した事例である。(平成29年3月期まで及び令和2年3月期の各事業年度の法人税の各更正処分及び過少申告加算税の各賦課決定処分、他・棄却・令和4年10月5日裁決(非公開))【主な争点】本件費用は、法人税法施行令第119条第1項第1号に規定する「その有価証券の購入のために要した費用」に当たるか。【裁決の要旨】M&A仲介業者から、企業概要書の提供を受けるとともに、全株式の譲渡を希望している旨伝えられたことを契機として、本件提携仲介契約の締結に至ったと認められる。そして、本件提携仲介契約書の記載からすると、企業提携の実現のための仲介業務を委託し、その対価として、企業提携の進行状況に応じて定められた報酬を支払うというものであったと認められる。そうすると、本件提携仲介契約は、当初から買収先会社の株式という特定の株式の取得を目的として締結されたものと認められ、また、当該契約に基づいてM&A仲介業者が実施した各種の業務が、トップ面談の実施や買収条件の調整など、株式譲渡契約の成立に必要なものであったことからすると、その対価は、株式の購入に関して支払われるものであったと認められる。法務調査の内容が株式の購入に係る資料及び譲渡契約書の検討であったことからすると、その対価は、株式の購入に関して支払ったものと認められる、財務調査の内容が、企業精査に係る報告書の作成であったことからすると、その対価は、株式の購入に関して支払ったものと認められるから、それらの費用は、株式の購入のために要した費用であると認めることが相当である。審査請求人の主張について、本件提携仲介契約が、当初から買収先の株式の各譲渡契約の成立のために締結されており、その締結後になされた業務の内容が当該株式譲渡契約の成立に必要なものであったことは、臨時株主総会の開催前後で変わるものではないから、審査請求人の主張には理由がない。また、情報提供料は、本件提携仲介契約締結後に支払うものであること、また、返還不可の条件が付されていることからすると、当該契約を締結するか否かの意思決定の参考にするための費用であったとは認められない。【参照条文】法人税法施行令第119条《有価証券の取得価額》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決日以後、裁判所により別の判決が示される場合もございますので、あらかじめご了承ください提供:株式会社日本ビジネスプラン
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2025/10/24 商事法レポート
事業承継と信託の活用
1はじめに同族会社にとって、事業承継が大きな問題となって久しいです。事業承継は、経営、資産、知的資産の承継を総合的に考える必要があります。後継者を予定していても、何も決めずに経営者が亡くなった場合、内部で後継者争いが起こることが考えられます。法定相続になれば、株式の準共有に伴って、権利行使者の指定をめぐる争いが生じる可能性があります。後継者に株式を相続させる遺言をする場合も、他に法定相続人がいれば、遺留分を配慮する必要があります。後継者の候補がいても経営能力を身につけるまで時間がかかるときは、後継者が育つまで、おいそれと引退もできません。事業承継が適切に進まないと、企業の業績悪化につながる可能性があります。後継者がいない場合には、会社の解散や事業譲渡などをせざるを得ないかもしれません。そこで最近、事業承継に信託を利用することが注目されています。そこでまず信託について概観し、その上で事業承継信託について見ていきます。2信託の意義と種類信託には、「委託者」、「受託者」及び「受益者」の三者がいます。信託とは、委託者が自己の財産を受託者に託し、受益者のためにその財産(信託財産)を管理・運用してもらう制度です。委託者は「誰のために」「どういう目的で」ということを定めて、自己の財産の管理・運用を信頼できる受託者に託す者であり、①委託者と受託者間の信託契約、②委託者の遺言(信託遺言)又は③委託者が受託者を兼ねる自己信託(信託宣言)のいずれかの方法により信託を設定します(信託法2条4項、3条)。受託者は、信託行為の定めに従い、信託財産に属する財産の管理・処分その他の信託の目的の達成のために必要な行為をすべき義務を負う者をいいます(同条5項)。受益者は信託によって利益を受ける者であり、受益権を有する者です(同条6項)。信託により、信託財産が「信託受益権」という権利となり、信託目的に応じてその財産の属性や数、財産権の性状などを転換することができます。受益権は、信託行為に基づいて受託者が受益者に対し負う債務であって信託財産に属する財産の引渡しその他の信託財産に係る給付をすべきものに係る債権(受益債権)及びこれを確保するために信託法の規定に基づいて受託者その他の者に対し一定の行為を求めることができる権利をいいます(同条7項)。信託の対象となるのは財産なので、信託財産は、金銭に見積もれるものでなければならず(金銭換算性)、かつ、プラスの財産(積極財産)でなければなりません(積極財産性)。また受託者が委託者から財産を切り離して管理する制度ですから、その財産は委託者から移転・分離が可能でなければなりません(処分・移転可能性)(注1)。信託財産は、委託者の名義ではなく、受託者の名義に属するので(同条3項)、委託者の倒産の影響を受けません。他方で、信託財産は受託者自身の固有財産とは分離・独立して管理されるため(信託法34条)、受託者の相続財産にはなりませんし、受託者の債権者による強制執行が禁じられ(信託法23条)、受託者が破産手続開始決定を受けた場合でも破産財団に属しません(信託法25条)。信託財産は委託者の意向が明確に反映されるように、信託法などの法律で厳格かつ安全に管理・運用されます。信託の種類としては、第1に、「自益信託」と「他益信託」があります。受益者が委託者自身である場合が「自益信託」、家族、社会など委託者以外である場合が「他益信託」です。信託の主な役割は、専門家である受託者が持っているノウハウを活用した資産の管理(まもる)・運用(ふやす)であり、資産承継や社会福祉や学術研究などの社会貢献にも利用できます。図表1自益信託と他益信託出所:筆者作成第2に、「民事信託」と「商事信託」があります。民事信託は営利を目的としない信託契約です。家族信託ともいわれ、受託者は信頼できる個人や法人であれば、誰でもなれます。信託業法の適用を受けず、個別の信託契約に基づいて財産を管理します。信託財産の範囲、信託の目的、財産管理の方法など、柔軟性と自由度が高いといえます。それに対し、商事信託は、許認可を受けた信託銀行や信託会社等の金融機関が受託者となり、信託業法に基づいて営利目的で行う信託業務です。受託者には信託報酬を支払う必要があり、信託財産は、金銭、金融資産、収益用不動産が中心です。図表2信託の種類出所:筆者作成3信託法と信託業法の改正日本で信託制度が確立したのは1922年(大正11年)に「信託法」と「信託業法」が制定されて以降であり、その後、80年以上も信託法と信託業法の実質的な改正がありませんでした。第二次世界大戦以降、信託銀行による商事信託(貸付信託、年金信託など)を中心に発展をしてきましたが、信託法はもともと個人間の財産管理を念頭に置いていました。そこで、信託業法が2004年(平成16年)に改正・施行され、信託法が2006年(平成18年)に改正され、2007年(平成19年)に施行されました。信託法の改正により、民事信託の幅が大きく広がりました。また信託業法の改正により、知的財産権等を含む財産権一般の受託が可能となるとともに、信託業の担い手が拡大され、金融機関以外の事業会社の参入などが可能になりました。また、信託契約代理店制度と信託受益権販売業者制度が新たに設けられ、信託サービスの利用者の窓口が拡大されました。2006年の信託法改正により、多様な信託の利用形態に対応するための制度が整備されています。委託者と受託者及び受益者の合意による信託の併合・分割の制度が創設されました(信託法151条~162条)。また新しい類型の信託である受益証券発行信託(信託法185条以下)、限定責任信託(信託法2条12項)、自己信託(信託法3条3号)、受益者の定めのない信託(目的信託。信託法258条1項)、担保権の信託(信託法55条)、遺言代用信託(信託法90条)、受益者連続型の信託(信託法91条)に関する規定の整備や制度の創設がなされています(注2)。4事業承継信託事業承継信託は、事業承継を目的とした信託であり、経営者の死亡後の後継者問題を解決する方法の一種です。2006年の信託法改正と信託税制の整備により、事業承継対策として信託を活用できるようになりました。事業承継信託と自社株承継信託は、どちらも事業承継に活用される信託です。自社株承継信託は、自社株を円滑に後継者に移転させることを目的としていますが、事業承継信託は、自社株のほかに、事業に属する財産や債務等も委託されます。事業承継信託では、資産と債務の集合体である対象会社の事業そのものが信託の対象となります。前述したように、信託財産は積極財産性が求められ、債務そのものを信託財産とすることはできません。しかし、信託契約の定めにより、信託前に生じた委託者の負担する債務を、受託者が積極財産の信託と合わせて、「信託財産責任負担債務」として債務引受けをすることにより(信託法21条1項3号)、実質的に事業の信託をしたのと同様の状態を作り出すことができます。限定責任信託とは、信託の受託者が信託に関する債務の責任を負う際に、信託財産に属する財産のみに限定される信託です。通常の信託では受託者の固有財産にも責任が及ぶことがありますが、この制度では受託者の固有財産が保護されるので、受託者となることへのハードルが下がります。その設定には、信託契約における限定責任信託の明記、登記、取引相手への明示などの手続きが必要です(注3)。事業承継信託には、「遺言代用信託」「他益信託」「後継ぎ遺贈型受益者連続信託」の3種類を利用するのが一般的です。以下、これらを見ていきます。(1)遺言代用信託図表3遺言代用信託出所:信託協会「資産承継信託」ページ(https://www.shintaku-kyokai.or.jp/products/individual/assetsuccession/business_succession.html)を参考に筆者作成遺言代用信託は、信託法90条に規定されており、遺言書の代わりに、委託者が信託銀行などを受託者として、自身の有する会社の株式を対象とする信託行為において、受益者となるべき後継者や特定の相続人を指定しておき、①委託者の死亡時に信託受益権を受益者に承継させる類型(同条1項1号)、又は②委託者の死亡時以後に受益者が信託財産からの給付を受ける類型(同条項2号)です。経営者自身が生前に信託を設定し、当初の受益者となるので(自益信託)、経営者の意思を反映しやすいのが特徴です。そして、受益者である経営者の死亡時に議決権行使の指図権と受益権を後継者が取得します。これにより、後継者が経営権を確実に取得できるので、事業承継における経営の空白期間を避け、スムーズな事業承継を可能にします。また原則として受益者を変更できるので、後継者の資質を見極めることも可能です。また信託設定時に信託契約で定めていれば、信託受益権を分割できるので、後継者が複数の場合にも対応できます。受益権の分割には、受益権の口数を増やす量的な分割(例えば、1口を2口にする)と、内容の異なる複数の権利に分ける質的な分割(例えば、信託から生じる収益を受け取る収益受益権と、信託の元本を受け取る元本受益権に分ける)があります。なお受託者の退任事由を信託契約で定めることで、他の受託者への自動的な移行も可能ですし(信託法56条)、委託者及び受益者はいつでも合意により受託者を解任することができます(信託法58条1項)。また委託者と受益者の合意により、いつでも信託を終了させることができます(信託法164条1項)。(2)他益信託前述の他益信託(図表1参照)を事業承継に利用することもできます。委託者が自身の有する会社の株式を信託し、受益権を後継者に与えます。これにより、後継者に地位を保証するという安心感を与えられますし、経営者が議決権を保持したままで財産権を後継者に取得させることができるため、権利を分けて活用したい場合に有効です。なお前述した自己信託も他益信託の一種です。この方法では、自社株の価値が受益権として後継者に移転され、贈与税が課税されますが、株価が低いタイミングで信託設定をすれば、将来株価が上昇し、経営者の死亡時点で多額の相続税が課せられるリスクを回避できます。また、信託設定後も経営者が議決権や代表権は従来通り維持することができるため、すぐに引退せずに会社経営を行うことが可能です。(3)後継ぎ遺贈型受益者連続信託図表4後継ぎ遺贈型受益者連続信託出所:信託協会「資産承継信託」ページ(https://www.shintaku-kyokai.or.jp/products/individual/assetsuccession/business_succession.html)を参考に筆者作成跡継ぎ遺贈型受益者連続信託とは、受益者の有する受益権を、受益者が死亡してしまった場合に備え、予め指定された者に順次承継することができる信託のことです。2006年の信託法改正により、それまで民法では無効とされていた「後継ぎ遺贈」と呼ばれる数次相続における財産承継を実質的に可能にする手段として、この信託が認められました(注4)。経営者が自身の有する会社の株式を対象として信託を設定し、後継者を受益者としますが、受益者である後継者が死亡した場合には、その次の後継者が受益権を取得する旨を定めておきます。この定めは、経営者が現後継者の次の後継者まで指定しておくことができるので、後継者が死亡した際に、後継者問題でトラブルになるリスクを下げることが目的です。なお、委託者である経営者が後継者を定められる範囲は、現後継者とその次の後継者までです。また受益者の死亡による受益権の承継を定めた信託は、信託の開始から30年が経過した後に新たに受益権を取得した者が死亡するか、又は受益権が消滅するまで効力を有します(信託法91条)。したがって、30年を経過した後は、受益権の新たな承継は1度しか認められません。5事業承継信託のメリットと注意点(1)事業承継信託のメリット事業承継信託のメリットは、第1に、経営者であるオーナーの意向を反映しやすいことです。「信託の受益者を誰に設定するか」「事業承継の条件はどうするか」などの会社経営に関わる内容を経営者が柔軟に条件をつけて決められます。例えば、経営者が事業承継の実行される条件まで設定しておくことで、意に反する経営を避けることが可能です。また、経営者が議決権行使の指図権を保持できる信託なら、自分が会社経営に支障をきたすようなトラブルが起こった場合でも、受益者に議決権のみ託し、自分が会社経営の主導権を手放さずに済みます。いずれも相続では得られないメリットです。第2に、後継トラブルを避けることができます。経営者が急に亡くなった場合、後継トラブルでもめることがあります。信託を利用すれば、契約で経営者が後継者を定めているので、後継者が経営権を確実に取得でき地位が確立できます。第3に、経営者不在による会社経営の空白期間が生まれません。相続の場合、遺産分割の手続きに時間を要するので空白期間が生まれるので、経営者がいない間に経営が傾くなどのトラブルが起こる可能性も考えられます。それに対し、信託契約で後継者を決めておけば、経営者が亡くなっても、契約で定める後継者にスムーズに議決権行使の指図権と受益権が引き継がれるので、経営者不在という事態を回避でき、会社経営の安定のためにも、信託は有効な手段です。(2)事業承継信託の注意点第1に、信託設定の内容によってはトラブルに発展する可能性があります。民事信託は、契約締結後の10年、20年後を見据えて設計することが一般的なため、委託者の意思に即した内容で柔軟に対応できる設定を行う必要があります。信託設定の数年後に後継者が不適切と判断される場合、オーナーの意思で信託契約を解除できる条項がなければ、経営者の希望と異なる状況が生じるというトラブルも考えられます。柔軟な設定ができる信託だからこそ、その内容を十分検討しましょう。第2に、後継者以外の遺留分に配慮すべきです。遺留分に関しては法的見解が確定していないので、十分に配慮すべきです。後継者だけに財産を残せば、遺留分侵害額請求を受けて大きなトラブルに発展する恐れがあります。例えば、配偶者と長男、次男を残して経営者が亡くなった場合、長男を受益者に設定しておけば会社の資産全て長男に引き継がれます。この時、特定の相続人にのみ有利な遺産分配がされたとみなされることがあります。後継者以外の相続人のことも考えて、慎重に信託の条件を設定すべきです。事業承継に信託を利用するのは新しい方法なので、親族の中には知らない人がいるかもしれませんし、手間がかかっても説明は欠かせません。後継者問題でトラブルにならないよう周囲の理解を得てから利用すべきでしょう。また事業承継信託は複雑なスキームですし、節税になるかどうかも含めて、専門家への相談が不可欠です。信託の基本理念やメリット・デメリット・注意点を理解して、事業承継信託を有効に活用し円滑な事業承継を行ってください。<注釈>神田秀樹=折原誠『信託法講義』(弘文堂、2014年)34頁。信託法及び信託業法の改正については、以下参照。https://www.fsa.go.jp/access/19/200708b.htmlhttps://www.shintaku-kyokai.or.jp/trust/history/trusts_modern.html今川嘉文『事業承継法の理論と実際』(信山社、2009年)192頁。丸山秀平=坂田純一『事業承継特例法と事業承継の法務・税務』(三協法規出版、2009年)124頁。提供:税経システム研究所
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2025/10/23 会計レポート
企業が生き残るための製品・サービスの原価計算の勘所(21)
1.岡本[2000]による販売費及び一般管理費の分類と販売費分析という意味前々々々回の(17)で、販売費及び一般管理費を分類するにあたり、一橋大学岡本清名誉教授の名著『原価計算』の最新版である六訂版[岡本,2000]では、まず、販売費及び一般管理費を、文字どおり販売費と一般管理費に分類し、さらに、販売費を注文獲得費、注文履行費、販売事務費に分けて説明していますが、一般管理費については勘定科目を例示しているものの、本文において説明はしていません。また、前々回の(19)で、岡本[2000]では、販売費は、これを経常的に製品へ配賦されることはなく、一般管理費とともに、期間原価として当該会計期間の収益と対応して計算するので、販売費の計算では、販売費会計(marketingcostaccounting)とはいわずに、販売費分析(marketingcostanalysis)というほうが普通である[p.700]と述べていることを説明しました。そして、岡本[2000]は、一般的に行われる販売セグメント別分析として、①製品品種別分析、②販売地域別分析、③顧客種類別分析、④注文規模別分析、⑤販売経路別分析の5項目をあげています[p.700]。2.岡本[2000]による製品品種別分析(その2)(1)純益法の計算例岡本[2000]が示す純益法の計算例は、図表1のとおりです。図表1を見ると、これは全部原価計算にもとづいた、A製品とB製品という2種の製品のセグメント別損益計算書の形式です。計算法は、売上高から売上原価を差し引いて売上総利益を計算し、売上総利益から販売費と一般管理費を差し引いて営業利益を計算しています。金額の右側には、売上高の金額に対する各項目の金額の割合を記載しています。その点についていうと、百分率損益計算書の形式であるともいえます。図表1は、販売費の分析をするための表ですから、販売費については項目ごとに金額と売上高に対する比率を記載しています。図表1を概観すると、売上総利益率はA製品が42.00%でB製品は34.00%です。製品品種別の販売費の各項目の金額をみると、すべてA製品の金額のほうが多くなっています。販売費を製品品種別に分析するにあたり、製品品種別に販売費の各項目の金額を把握するためには、販売間接費を製品品種別に配賦する必要があります。前回の(20)で、岡本[2000]による販売間接費を機能別に分類した項目ごとの配賦基準の例を紹介しました。その例では、販売間接費の各項目の費用を製品品種別に配賦するときの配賦基準として、多くの販売費の項目で製品品種別の売上高や売上原価を用いることがあると説明しています。図表1でも、直接販売費および販売事務費は、製品品種別の売上高に対してそれぞれ1%となっています。直接販売費と販売事務費が、製品品種別の売上高の1%ということから、この2項目については製品品種別の売上高を配賦基準としていると推測できます。他の販売費の項目について、どのような配賦基準を採用しているのかは、推測できませんが、何らかの基準によって販売費の各項目の金額を配賦していることは間違いありません。このことが、のちに述べる純益法のデメリットにもつながります。図表1製品品種別損益計算書の例出典:岡本[2000,p.702,表13-1]を修正(2)純益法による分析の長所岡本[2000]は、「純益法の長所および短所は、全部原価計算の長所および短所に由来する」[p.700]と述べています。岡本[2000]は、表1のような純益法による製品品種別損益計算書を作成している企業の経営者が、すべての原価が売上高によって回収できることが確認できると主張していることを紹介しています[pp.702-703]。確かに、売上原価と販売費及び一般管理費を売上高でカバーしていれば、営業損益の段階で利益を得ることができます。岡本[2000]も、「純益法による製品品種分析データは、あらゆる原価の回収を図るという意味において、長期の価格決定に役立つ資料となる」と述べています。(3)純益法による分析の短所一方、岡本[2000]は、純益法で得られたデータの信頼性について、懸念を述べています。その論点は、製品品種別の収益性情報の信頼性が、販売費を製品品種別に配賦するときの配賦基準の合理性に依存しており、売上高や売上原価など便宜的、恣意的な配賦基準が多く用いられると、この分析の信頼度は低くなる[岡本,2000,p.703]というのです。販売費の各項目が適切ではない配賦基準によって製品品種別に配賦された場合、図表1でいえば、製品品種別の営業利益額の信頼性が低いのであれば、この分析の意義に疑問をもたざるをえません。また、岡本[2000]は、純益法によると、製品品種に割り当てられたすべての原価を回収する能力がなければ、直ちにそれは、会社全体の利益に全く貢献していないかのように誤解する危険がある[p.703]と述べています。この論点は、ある製品が、営業損益で赤字になっていたとしても、売上総利益を稼いでいるのであれば、その製品は部分的ではあれ販売費の回収に貢献しているという考え方に依拠していると理解できます。そのため、岡本[2000]は、販売セグメントが責任センターであるとき、責任センターの管理者の業績測定に純益法を用いることは不適当であると指摘しています[p.703]。岡本[2000]が指摘するように、図表1のような純益法の計算による分析の短所は、全部原価計算の短所に由来している[p.702]という論点はうなづけます。参考文献伊藤嘉博・目時壮浩、2021『異論・正論管理会計』中央経済社。大蔵省企業会計審議会、1962「原価計算基準」大蔵省企業会計審議会。岡本清、2000『原価計算』六訂版、国元書房。岡本清・廣本敏郎、2024a『検定簿記講義/1級工業簿記・原価計算下巻』〔2024年度版〕中央経済社。岡本清・廣本敏郎、2024b『検定簿記講義/2級工業簿記』〔2024年度版〕中央経済社。岡本清・廣本敏郎・尾畑裕・挽文子、2008『管理会計』中央経済社。小林啓孝、1997『現代原価計算講義』第2版、中央経済社。小林啓孝・伊藤嘉博・清水孝・長谷川惠一、2017『スタンダード管理会計』第2版、東洋経済新報社。清水孝、2006『上級原価計算』第2版、中央経済社。清水孝、2014『現場で使える原価計算』中央経済社。清水孝・長谷川惠一・奥村雅史、2004『入門原価計算』第2版、中央経済社。園田智昭、2021『プラクティカル原価計算』中央経済社。谷武幸、2022『エッセンシャル管理会計』第4版、中央経済社。提供:税経システム研究所
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2025/10/20 審査事例
その支払利息は、一時所得の計算上、解約返戻金の収入金額から控除できないとした事例(棄却)
【裁決のポイント】一時所得に係る総収入金額から控除される「その収入を得るために支出した金額」は、その収入を生じた行為をするため、又はその収入を生じた原因の発生に伴い直接要した金額に限るとされている。このことから、一時所得に係る収入、支出について、収入を生じた行為又は原因ごとに個別対応的に計算するものと解される。審査請求人が締結した終身保険契約は、最初の5年間で保険料を完納するタイプで、審査請求人は完納した翌年に約款に基づく契約者貸付金を申し込み、保険会社から借り入れを行い、利息の支払いが発生した。契約者貸付金に利用は任意で、また借入金の使用目的に制限なく、審査請求人は投資の資金に使用した。税務署は、審査請求人が受け取った保険の解約返戻金が一時所得として申告されていないとして所得税の更正処分をしたことから、審査請求人は、解約返戻金と支払利息は相殺されている、解約返戻金から支払利息を差し引けるので一時所得は発生しないとして、処分の取消しを求めた。国税不服審判所は、契約者貸付けを利用するか否かは審査請求人の任意である、解約返戻金を得るために本件利息の支払が不可避であったものではない、保険料支払に本件借入金が充てられていないことは明らかだから、本件利息は、本件解約返戻金に係る一時所得の金額の計算上、その収入を得るために支出した金額に該当しないと判断した事例である。(令和2年分の所得税及び復興特別所得税の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分・棄却・令和6年8月23日裁決)【主な争点】契約者貸付金の借入金利息は、保険の解約返戻金に係る一時所得の金額の計算上、「その収入を得るために支出した金額」に含まれるか(所得税法第34条第2項)。【裁決の要旨】本件における一時所得の金額に係る総収入金額は本件解約返戻金の額であり、本件解約返戻金は本件保険契約に係る保険料の支払により生じたものである。他方、本件利息はその元本たる本件借入金の使用の対価であるところ、本件契約者貸付けを利用するか否かは請求人の任意であり、本件解約返戻金を得るために本件利息の支払が不可避であったものではない。そうすると、本件利息が所得税法第34条第2項に規定する「その収入を得るために支出した金額」に含まれるというためには、「収入を生じた行為又は原因」である本件保険契約に基づく保険料の支払に本件借入金が充てられたものであることが必要であり、その充てられた範囲において、個別対応的に計算することとなる。この点、本件借入金が本件保険契約に係る保険料の支払に充てられていないことは明らかである。したがって、本件利息は、本件解約返戻金に係る一時所得の金額の計算上、所得税法第34条第2項に規定する「その収入を得るために支出した金額」に含まれない。審査請求人の主張について、本件借入金及び本件利息と本件解約返戻金が相殺されたのは、請求人が本件借入金及び本件利息を任意で返済していなかったことが原因であり、本件借入金及び本件利息と本件解約返戻金が事実上不可分の関係にあったとか、本件解約返戻金と本件借入金及び本件利息の相殺が事実上拒絶し難いという審査請求人の主張はいずれもその前提を欠く。【参照条文】所得税法第34条《一時所得》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決日以後、裁判所により別の判決が示される場合もございますので、あらかじめご了承ください提供:株式会社日本ビジネスプラン
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2025/10/20 審査事例
青色申告の承認申請書の提出がないため、欠損金額の繰越しは認められなかった事例(棄却)
【裁決のポイント】当該事業年度以後の各事業年度の確定申告書を青色の申告書により提出することについて青色申告の承認を受けようとする内国法人は、当該事業年度開始の日の前日(設立の日の属する事業年度について青色申告の承認を受けようとする場合には、設立の日以後3月を経過した日と当該事業年度終了の日とのうちいずれか早い日の前日)までに、納税地の所轄税務署長に申請書の提出をしなければならない(法人税法第122条)。審査請求人が、設立の日の属する事業年度(令和2年3月期)において生じた欠損金額をその後の事業年度(令和3年3月期)の所得金額の計算上損金の額に算入して白色の確定申告書の別表7(1)を添付して申告したところ、税務署は、審査請求人は青色申告をすることについて所轄税務署長の承認を受けていないから、各事業年度の欠損金額の繰越しはできないなどとして、法人税の更正処分等をしたため、審査請求人が、原処分庁は青色申告についての説明を怠ったなどとして、原処分の全部の取消しを求めた。国税不服審判所は、青色申告の承認申請書をその提出期限までに納税地の所轄税務署長に提出していない、原処分庁の行政サービスとしての情報提供の不足をいうものにすぎないから、本件各更正処分の適法性に影響しないとして、棄却した事例である。(〇〇〇〇年〇〇月〇〇日から令和2年3月31日までの事業年度の法人税の更正処分、他・棄却・令和4年4月18日裁決(非公開))【主な争点】各更正処分の適法性【裁決の要旨】審査請求人は、令和2年3月期の法人税について、青色申告の承認申請書をその提出期限までに納税地の所轄税務署長に提出しておらず、令和2年3月期において青色申告の承認を受けていないから、青色申告書である確定申告書を提出したとは認められない。そのため、令和2年3月期において生じた欠損金額があるとしても、法人税法57条10項に規定する「欠損金額の生じた事業年度について青色申告書である確定申告書を提出」した場合に該当しないから、同条1項の規定を適用することはできず、令和3年3月期の所得金額の計算上、別表1の「確定申告」欄の「繰越欠損金の当期控除額」欄の金額を損金の額に算入することはできない。青色申告でなければ欠損金の繰越控除が認められない旨説明をしていなかった原処分庁の業務に対する取組姿勢に問題があるという主張については、原処分庁にそのような説明義務があることを明らかにした法令の規定はない上、申告納税制度の下では、課税標準及び税額等の計算並びにこれらの前提となる制度の利用は、納税者の判断と責任において適正に行われるべきものである。そうすると、上記審査請求人の主張は、結局のところ、原処分庁の行政サービスとしての情報提供の不足をいうものにすぎないから、本件各更正処分の適法性に影響しない。【参照条文】法人税法第57条《青色申告書を提出した事業年度の欠損金の繰越し》、第121条《青色申告》、第122条《青色申告の承認の申請》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決日以後、裁判所により別の判決が示される場合もございますので、あらかじめご了承ください提供:株式会社日本ビジネスプラン
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2025/10/10 商事法レポート
従業員株主の退職時における全株式を会社に譲渡する旨の合意の有無と有効性
1.はじめに同族会社のような非公開会社においては、会社にとって好ましくない者が株主となることがないように、すべての株式の譲渡について会社の承認を要する譲渡制限を設ける会社があります(会社法107条1項1号)。このような会社は、上場会社のように株式の市場価格がないため、株主が株式を譲渡することが難しいという問題があります。従業員株主への福利の一環として従業員に自社の株式を付与する会社もありますが、従業員が退社する場合に、株式の譲渡制限が設けられている会社では株価が明らかではないため、その株式を会社に売り渡す際の株価が問題となります。そこで、従業員が退職する時には、その保有する株式を発行会社に一定額で売り渡す旨の契約を、事前に会社と取り交わしておく会社もあります。もっとも、会社の業績がよく、事前契約で定めた売渡価額よりも1株当たりの株式の価格が高まることもあります。会社の業績向上に尽力した従業員は、株式の価値を高めたにもかかわらず退職時には約定価額による売渡価格となることに不満を覚えることもあります。そこで、退職時に、株式売渡の事前契約の有無やその有効性について紛争が生じることもあります。その点が問題となった近時の裁判例に、東京地判令和6年4月25日(令和4年(ワ)第8590号)LLI/DB判例番号L07931041があります。本稿はこの裁判例を紹介してゆきます。2.東京地判令和6年4月25日の概要それでは、前掲東京地判令和6年4月25日について事実の概要と判旨をみて行きます。(1)事実の概要(一)当事者Y社(被告)は、平成20年2月1日に設立された不動産売買等を目的とする、取締役会設置会社ではない株式会社であり、Aが代表取締役を務めています。Y社の発行済株式の総数は1万4000株であり、定款の定めにより、Y社の株式を譲渡するには取締役の承認を要するとされています。X1(原告)はY社の元従業員です(平成20年2月1日入社、令和3年5月31日退社)。X2(原告)もY社の元従業員です(平成21年1月入社、令和3年11月30日退社)。株式会社Bは、平成22年10月に設立された、不動産の売買、仲介、賃貸、管理及び鑑定等を目的とする株式会社であり、Aが代表取締役を務めています。(二)XらによるY社株式の取得Y社は創業時からのY社従業員に新株を発行し、X1は平成20年4月7日にY社株式60株を、X2は平成21年2月1日Y社に株式20株をそれぞれ取得しました。Aは、平成21年10月頃、X1に対し、株式譲渡に係る覚書(本件覚書)のひな型を作成させ、Xらを含む従業員株主の全員から覚書を取得しました。本件覚書には、1項「当該株式の売買・譲渡は取締役会の承認なしには行えず、取締役会の承認なしに行った売買・譲渡は無効となること」、3項「当社従業員が当該株式を引き受け、退職等の理由にて従業員の地位を失った場合は、Y社がその従業員が株式を引き受けた価格で全株買い取るものとすること」等が定められていました。その後のY社の新株発行により、X1は平成21年11月1日にY社株式10株を、X2は平成21年11月1日にY社株式3株を取得しました。さらに、XらはY社の平成24年1月30日の新株発行や、平成26年1月10日Aが代表取締役を務めるB社からY社株式を譲り受けました。その際、本件覚書に署名押印しています。Xらの持株は増加し、X1がY社の退職時(令和3年5月31日)において株式800株を、X2がY社の退職時(令和3年11月30日)において株式280株を、保有していました。(三)Xらの退社X1は、令和3年3月20日、Aに対し、Y社を退職する意思を伝えました。Aは、令和3年5月上旬、X1に対し、報酬付きで1年間以上休暇を取ることや病気療養による3か月程度の有給休暇を与えることなどを提案したほか、退職する場合でも取得価格での株式の買取りに併せて、出勤不要で月額100万円を支払う内容の1年間の顧問契約を締結することを提案しましたが、X1はこれらを固辞しました。X1は、令和3年5月31日、Y社を退社しました。X2は、令和3年9月頃、Aに対し、Y社を退職する意思を伝えたところ、Aから、半年間の月額100万円の顧問契約を締結すること等の申出を受け、その顧問料にはY社株式の買取価格も含まれるとの説明を受けましたが、Y社株式を取得価格で売却するつもりがない旨を話したところ、上記申出は撤回されました。X2は、令和3年11月30日、Y社を退社しました。(四)配当金額の推移Y社は、設立時からしばらくは配当を行いませんでしたが、平成24年2月から令和3年1月までの間、Xらの保有するY社株式について、Y社から、X1は合計1209万5000円、X2は合計420万6600円の配当を受けました。(五)本件覚書に基づくY社によるXら株式の取得Y社は、令和4年1月12日付けで、X2に対し、本件覚書に基づき、同人の保有するY社株式280株を242万5000円で買い取る旨を通知しました。また、Y社は、令和4年2月7日付けで、X1に対し、本件覚書に基づき、同人の保有するY社株式800株を610万円で買い取る旨の通知をしました。Xらは、令和4年1月31日付けで、Y社に対し、Xらの保有するY社株式を一般社団法人C機構(一般社団法人同族会社ガバナンス推進機構)に対して譲渡することについて、会社法136条に基づく譲渡承認請求をしました(以下「本件譲渡承認請求」といいます)。Y社は、令和4年2月11日開催の臨時株主総会において、①X1の退職に伴い、同人との本件覚書に基づき、同総会終結の日から1か月以内にX1の保有するY社株式800株を取得価格610万円で取得する旨の自己株式の取得について、②X2の退職に伴い、同人との本件覚書に基づき、同総会終結の日から1か月以内にX2の保有するY社株式280株を取得価格242万5000円で取得する旨の自己株式の取得について、いずれも出席株主の議決権の3分の2以上の賛成をもって可決しました。Xらが受領を拒絶したため、Y社は、令和4年2月14日、受領拒絶を理由に、Xらに対する本件覚書に基づく支払債務として、被供託者X1のために610万円、被供託者X2のために242万5000円をそれぞれ供託しました。Y社は、令和4年2月14日付けで、Xらに対し、本件譲渡承認請求について、同月11日付け臨時株主総会決議を経て本件覚書に基づきXらが保有するY社株式の全部の買取りをし、同月14日に売買代金を供託したため、XらはY社の株主ではなく、本件譲渡承認請求に効力はない旨を回答しました(注1)。(六)Xらの主張Xらは、①Y社との間で、Xらが退職等の原因でY社の従業員の地位を失った場合にはその時点でXらが保有するY社株式の全部を、Y社又はその指定する者が、Xらが取得した価格で買い取るとの合意(以下「本件合意」という)は存在しないことを主張しました。また、➁仮にXらとY社との間において本件合意がされていたとしても、本件覚書は、株主が譲渡承認請求制度を利用して公正な価格で投下資本を回収する道を閉ざす点において、会社法が認めた譲渡承認請求制度を否定するものであるから、本件覚書の内容による本件合意は、強行法規である譲渡承認請求制度に反し無効であり、会社と株主との間で、株式譲渡制限契約が締結された場合において、上記契約の内容が、株主の投下資本回収に対する正当な目的による相当程度の制限であると評価できない場合は、公序良俗に反し無効であると解すべきである、等と主張して争いました。(2)判旨前掲東京地判令和6年4月25日は、次のように述べてXらの請求を棄却しました。(一)争点1XらとY社との間の株式譲渡合意(本件合意)の有無について本件「覚書は、平成21年11月の新株発行…の直前に作成されたものであるが、同新株発行により新たに株式を引き受ける従業員株主に限らず…同年11月の新株発行より前に従業員株主が引き受けたY社株式も対象に含めて本件覚書が作成されたものと認めるのが相当である。…本件覚書3項の『全株』とは、従業員株主が従業員の地位を失った時点で当該従業員株主が保有するY社株式の全部と解するのが相当である。」「従業員株主であるXらとY社との間で、遅くともXらが本件覚書を作成した平成21年10月26日頃までに、本件覚書の内容による合意、すなわち、Xらが退職等の理由によりY社の従業員の地位を失った場合には、その時点でXらが保有するY社株式の全部をXらが取得した価格でY社が買い取る旨の合意(以下『本件株式譲渡合意』という。)が成立したと認められる。」(二)争点2本件合意の有効性について「Xらが退職時に譲渡承認請求をする機会がないのは、XらがY社との間で、XらがY社の従業員の地位を失った場合にXらが保有するY社株式の全部をY社に対して譲渡する旨を合意したことによるものにすぎず、このことにより本件覚書の内容による合意が無効となるとはいえない。」「①Y社においては、定款の定めにより、Y社株式を譲渡するには取締役の承認を要するとされており…、Y社株式には元々市場性がないこと、②本件覚書3項は、従業員株主が従業員の地位を失った場合にその保有するY社株式をY社に対して譲渡する価格を当該従業員株主がその保有するY社株式を取得した価格と定めるものであるところ…、従業員株主が従業員の地位を失った時点におけるY社株式の価値にかかわらず(当該従業員株主がY社株式を取得した価格より低額であったとしても)、当該従業員株主がY社株式を取得した価格での譲渡が保証されていること、③Y社は、本件株式譲渡合意がされた時点(平成21年10月26日頃までの時点)において配当を行っていなかったが、その後、第5期(平成24年2月1日~平成25年1月31日)から第13期(令和2年2月1日~令和3年1月31日)まで配当を行っており…、その配当の額が不当に低い額であったとはうかがわれず、Y社が本件株式譲渡合意がされた時点で殊更にY社の従業員株主の投下資本の回収を制限する意図を有していたとは解されないこと…本件覚書の内容による合意(本件株式譲渡合意)が、従業員株主であるXらの投下資本の回収を著しく制限するものと評価することはできず、公序良俗に違反するものとはいえない。なお、本件株式譲渡合意におけるY社株式の譲渡価格(従業員株主であるXらがY社株式を取得した価格)が、従業員株主であるXらがY社の従業員の地位を失った時点におけるY社株式の価値と乖離していたとしても、本件株式譲渡合意がされた後の事情にすぎず、Y社が本件株式譲渡合意がされた時点において上記乖離を予想してXらを不当に害することを企図していたものと認めるに足りる証拠はないから、そのことによって本件株式譲渡合意が公序良俗に違反するものであることが基礎付けられるとはいえない。」3.東京地判令和6年4月25日の意義前掲東京地判令和6年4月25日は、非公開会社で従業員株主が退職時に全株式を会社に譲渡する旨の本件合意の有無とその有効性が争われました。非公開会社でも、会社の価値が高まれば1株あたりの株式の価値は高まり、それが株価にも影響することになります。従業員株主が退職時において、株式の出資価額を限度として全株式を会社に譲渡する旨の合意をした場合、退職時の株式の価値を反映させない本件規定は有効といえるかどうかが問題です。本件の事案を考えるにあたり、(1)定款による株式の譲渡制限、(2)譲渡制限株式の譲渡方法、(3)契約による譲渡制限(本件覚書)について説明し、その後、従業員が退職時に従業員持株会に株式を譲渡する旨を契約で定めた場合の効力について考えてゆきます。(1)株式譲渡自由の原則と株式譲渡の制限株式会社は、一般公衆から広く資金を集めるために、株式を発行します。株主は、株式の引受価額を限度とした出資義務を負うだけであり(これを株主有限責任の原則といいます(会社法104条))、それ以上の出資義務を負いません。株式会社への株式投資を行いやすくするための制度がとられています。株主から株式会社が集めた出資金を会社に確保させるために、株式については、原則として出資の払戻しが認められません。その代わりに、株主は株式を第三者に自由に譲渡して出資した資金をいつでも間接的に回収できることができます(これを株式譲渡自由の原則といいます(会社法127条))。同族会社のような非公開会社においては、株主の個性が重視され.会社にとって好ましくない者が株主となって会社経営の安定が害されるおそれがあります。そこで会社法は、すべての株式または一部の種類株式の譲渡について会社の承認を要する旨を定款で定めることにより、譲渡制限の定めを設けることができることとしました(会社法107条1項1号、108条1項4号)。会社が、定款に譲渡制限の定めを設けることができるのは、会社設立時に限られず、会社設立後に定款を変更して譲渡制限の定めを設けることもできます。そのような場合には、株主総会において議決権を行使することができる株主の議決権の過半数を有する株主が出席し、議決権を行使することができる株主の半数以上かつ、当該株主の議決権の3分の2以上の賛成を要します(特殊決議:会社法309条3項)(注2)。ただし、定款に譲渡制限の定めがある一人会社では、株主が保有する株式を他に譲渡した場合には、定款所定の取締役会の承認がなくてもその譲渡は会社に対する関係でも有効であると解されています(最判平成5年3月30日民集47巻4号3439頁)。(2)譲渡制限株式に関わる株主の投下資本回収(1)で述べた会社に対する譲渡の承認請求をすることができる者は、譲渡制限株式の所有者である株主(譲渡人)および株式の取得者(譲受人)です(会社法136条・137条)。ここでは、株主(譲渡人)からの請求を取り扱いましょう。定款による株式譲渡制限を設ける会社でも、投下資本の回収のため、株式の譲渡を希望する株主は、一定の場合にその株式の譲渡をすることが認められます。譲渡制限株式の株主は、その有する譲渡制限株式を他人(当該譲渡制限株式を発行した株式会社を除く)に譲り渡そうとするときは、当該株式会社に対し、当該他人が当該譲渡制限株式を取得することについて承認するか否かの決定をすることを請求することができます(会社法136条)。これに対し、株式会社が承認をしない旨の決定をする場合には、譲渡制限株式の株主は会社または指定買受人による当該株式の買取りを請求することができます(会社法138条1号ハ)。譲渡制限株式を有する株主からの譲渡等承認請求には、①譲渡する譲渡制限株式の数(種類株式発行会社にあっては、譲渡制限株式の種類および種類ごとの数)、②譲渡制限株式の譲受人の氏名または名称、③会社が承認をしない旨の決定をする場合において、当該会社または指定買取人による買取りを請求する旨をそれぞれ明らかにしなければなりません(会社法138条1号イ~ハ)。株式会社が承認等の決定をした場合は、譲渡等承認請求者に対し、承認等の通知をしなくてはなりません(会社法139条2項)。(3)契約による譲渡制限(1)で述べた定款に譲渡制限の定めを設けるほか、株主間、株主と第三者間の契約等によって、株主の保有する株式について譲渡制限を設ける場合があります。ある株主Aが株主ではないBに株式を譲渡するには、他の当事者Cの承認が必要であり、それがなければその株式の譲渡の効力は認めないとする約定がその一例です。従業員持株会制度を設ける会社において、従業員が退職する場合には、その株式を従業員持株会に譲渡することは認めますが、株主ではない者への譲渡は認めないとするケースがこれに該当します。このような契約による譲渡制限については、会社法には明文の規定がありませんが、契約による譲渡制限が会社を当事者としないものである場合について、当事者間では有効であると解されています(最判平成7年4月25日集民175号91頁)。4.従業員株主の退職時における全株式を会社に譲渡する旨の合意の有無と有効性(1)判例・学説の状況本件の事案分析の参考になるのは、3(3)で述べた従業員持株会の事例です。契約による譲渡制限にもとづき、従業員が退職時に従業員持株会に株式を譲渡する旨を契約で定めた場合の効力をみてゆきます。伝統的な多数説は、株主相互間の契約、または第三者と株主との間でなす契約は、会社法127条および定款による譲渡制限の制度の関知しないところであり、原則として有効であるが、それが会社が契約当事者となる契約の脱法手段と認められる場合には例外的に無効となると考えてきました(注3)。すなわち、売渡の強制自体は、通常譲渡の困難な閉鎖型のタイプの会社の株式の投下資本回収に寄与する面があるので、原則は有効と解すべきだからです(注4)。近時は民法90条違反がある場合等を除いて、当事者が契約内容を十分に承知した上で合意した場合には、その効力を制限すべき理由は、取引安全保護の必要がある場合を除き、見出しがたいとして、契約による譲渡制限を認める見解が有力です(注5)。このような契約による株式の譲渡制限について、裁判例(前掲最判平成7年4月25日等)の多くは、契約の有効性を肯定する判断をしています(注6)。裁判例の傾向をまとめると、①自由意思で合意していること、②市場性がない株式にとっては、投下資本の回収に役立つこと、③キャピタルゲインは否定されるものの、利益配当が相応に行われているので不当に投下資本の回収を妨げているとは言えないこと、④株式の譲渡価格が取得価格を下回ることによる損失を被るおそれがないこと、⑤非上場会社においては、退職の都度、株式譲渡価格を定めることは実際には困難であること、と分析されています(注7)。(2)本判決の検討前述(1)の議論は従業員持株会における裁判例を念頭に置きながら、契約による譲渡制限を認めています。本判決の争点1は、XらとY社との間の株式譲渡合意(本件合意)の有無について問題とされています。Xらが最初に引き受けた株式については本件覚書がなかったのですから、本件合意の効力は及ばず、その後引き受けた新株についてのみ本件合意の効力が及ぶと考えたようです。もっとも、本件覚書はA代表取締役の指示に基づき、X1が作成し、全ての従業員との間で締結していますから、本件覚書の効力は持株全体に及ぶと考えるのが妥当でしょう。次に、争点2の本件合意の有効性についてです。Xらは、退職後に株式をCに譲渡し、会社法136条にもとづく譲渡承認請求を行っています。定款に基づく譲渡制限の効力と、契約に基づく譲渡制限の効力(本件覚書の効力)とが問題となります。Y社は、臨時総会において本件覚書の効力に基づき、Xらの株式を取得しました。これについて、本判決は、「Xらが退職時に譲渡承認請求をする機会がないのは、XらがY社との間で、XらがY社の従業員の地位を失った場合にXらが保有するY社株式の全部をY社に対して譲渡する旨を合意したことによるものにすぎず、このことにより本件覚書の内容による合意が無効となるとはいえない」と判示しています。本判決は、市場性がないY社の株式を取得価格で会社が取得することで会社からの退出の機会を保障していること、Y社はXらの保有するY社株式について利益配当を相当程度行っていること(X1には合計1209万5000円、X2は合計420万6600円)(注8)、Y社は、Xらの退社時に、顧問の地位や報酬を与える旨の提案をしましたが、Xらはこれを断っているという事情があります。(1)で述べた裁判例の傾向(前記①②③④)や学説の状況に鑑みても、本判決の立場は妥当と考えられます。5.結びに代えて本判決のように従業員に対して新株を付与するのは、会社の業績向上が株式を通じた株主の財産形成に寄与するからでしょう。非公開会社において、本件同様の理由で新株を付与する会社もあると考えられます。その際、本判決のようなトラブルを未然に避けることが重要であり、そのために本稿の議論が参考になれば幸いです。<注釈>3(2)で後述しているとおり、Xらは、Y社を退社した時点ではまだY社の株式(譲渡制限株式)の所有者ですから、Y社に対して譲渡の承認請求をすることができ(会社法136条)、株式会社は譲渡の承認等の決定をした場合は、譲渡等承認請求者(Xら)に対し、承認等の通知をしなくてはなりません(会社法139条2項)。Xらからの譲渡の承認請求の日から2週間以内に、Y社が会社法139条2項の通知をしない場合は、Xらの譲渡の承認請求を承認するという決定をしたものとみなされます(会社法145条1号)。その場合には、XらからCへの譲渡をY社が承認したこととなり、CがY社の株主となります。Xらによる会社法136条に基づく譲渡承認請求は令和4年1月31日付けです。Y社は、本件譲渡承認請求を認めず、Y社がXらの全株式買取り(自己株式取得)をし、その売買代金を供託したという回答(通知)を、令和4年2月14日付け行っています。これに関して、民法140条によれば、日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は算入しない(初日不算入)と定められています。1月31日を不算入とした場合、2週間目は2月14日ですから、会社法145条1号に定める2週間以内の期間制限を遵守しています。このため、本件では、XらからCへの株式の譲渡承認請求(会社法136条)が認められず、本件覚書に基づきY社によるXらの保有株式取得が認められるか否かが争われたのです。譲渡制限株式の譲渡の承認機関は、原則として株主総会ですが、取締役会設置会社においては取締役会です(会社法139条1項)。また、定款で別段の定めを置くことで、代表取締役等の他の者に委ねることも認められています(同項ただし書・107条2項1号ロ・108条2項4号)。取締役会設置会社において承認機関を株主総会と定めることができるのは、株主等の請求の日から2週間以内に会社として決定・通知することを要する関係上(会社法145条1号)、株主総会招集に2週間を要しない全株式譲渡制限会社(会社法299条1項)のみです。山下友信編『会社法コンメンタール(3)株式(1)』(商事法務、2014年)305~306頁〔前田雅弘〕。江頭憲治郎『株式会社法(9版)』(有斐閣、2024年)249頁注(5)。飯田秀総「株式に関する合意」田中亘編=森・濱田松本法律事務所編『会社・株主間契約の理論と実務』(有斐閣、2021年)282頁。最判平成21年2月17日集民230号117頁等。裁判例の分析については、高橋均「本件判批」ジュリスト1613号(2025年)123頁。ただし、尾形祥「本件判批」ジュリスト1604号(2024年)4頁は、配当が行われているものの、従業員持株制度目的の目的の合理性が明らかではないため、本件覚書に基づく本件株式譲渡合意の目的の合理性をより慎重に認定した上で、その有効性を判断すべきであったと指摘する。提供:税経システム研究所
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2025/10/10 経営レポート
2025年重点計画が示すデジタル社会実現の方向性
1.はじめに2025年6月13日に、2025年度版「デジタル社会の実現に向けた重点計画(注1)(以下重点計画)」が閣議決定された。重点計画は、デジタル社会形成基本法(注2)、情報通信技術を活用した行政の推進等に関する法律(注3)、官民データ活用推進基本法(注4)に基づいて策定され、2021年から毎年改定されているものであり、我が国がデジタル化を強力に進めていく際に政府が迅速かつ重点的に実施すべき施策を明記することで、各府省庁がデジタル化のための構造改革や個別の施策に取り組み、また、それを世界に発信・提言する際の羅針盤とするものである。今年度の重点計画では、人口減少や労働力不足といった課題に対し、デジタルを最大限活用して社会変革をもたらし、産業競争力の強化・経済成長の実現、中長期的な公共サービスの維持・強化を目指すとしており、最終的には、質の高いデータによってAIの性能が向上し、高性能AIがより多く使用されることで、さらに性能が向上するという「データとAIの好循環」を確立し、一人ひとりの生活の質向上を通して、個人の幸福・自由、Well-Beingを達成する「データ駆動社会」を実現することを目指している。本稿では、今年度の重点計画の詳細を解説するとともに、従来の重点計画との変化を調べることで、我が国のデジタル政策の今後の方向性を見ていきたい。2.2025年度重点計画の概要重点計画が示すデジタル社会とは、「デジタルの活用により、一人ひとりのニーズに合ったサービスを選ぶことができ、多様な幸せが実現できる社会」であり、具体的には、場所や時間を問わず、国民一人ひとりのニーズやライフスタイルに合ったサービスの享受や働き方ができる社会、そして自然災害や感染症等の事態に対して強靱な社会が挙げられている。これは「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」の推進につながるものであり、単なる「行政のデジタル化・デジタルトランスフォーメーション(DX)」だけでなく、「社会全体のデジタル化・DX」を推進することを目指している。ここで、我が国は、デジタル社会の実現に向けて以下のような深刻な課題に直面している。人口減少と労働力不足2070年には総人口が現在の約7割に減少し、生産年齢人口も2050年には25%減少する見込みであり、行政サービスの維持が困難になることが懸念されている。サイバー空間における脅威の増大DXやAI・量子技術の進展に伴い、サイバー攻撃の質・量が向上し、重要インフラの停止等、経済社会や国民生活、安全保障への影響が深刻化している。国際情勢の変化とデジタル化の遅れ国際的な不透明感が高まる中、データ利活用が新たな付加価値創出に重要であり、DFFT(DataFreeFlowwithTrust:プライバシーやセキュリティ、知的財産権に関する信頼を確保しながら、ビジネスや社会課題の解決に有益なデータを国際的に自由にデータ流通させること)の重要性が一層高まっている。また、スイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表した2024年世界デジタル競争力ランキング(注5)では日本は67か国中31位、アジア太平洋地区においても14か国中10位と大きく出遅れており、AI・デジタル技術の活用を阻害する制度の見直しや、AIフレンドリーな環境整備が急務となっている。これを受けて、本計画では、これら課題に対応するために、以下の点を中心に取り組みを進めるとしている。1)AI・デジタル技術等の徹底活用による社会全体のデジタル化の推進政府におけるAIの積極的利活用政府等におけるAI基盤(ガバメントAI(仮称))をクラウド上に構築し、AI機能の高度化に向けて政府保有データの整備・普及を行う。また、「AIアイデアソン・ハッカソン」を通じたユースケースを発掘やAI検証事業を実施する。さらに、2025年度中には、AIを活用して、パブリックコメント業務における意見の整理・集約を行うプロトタイプを開発し、各府省庁での利用を目指す。地方創生2.0(注6)の実現地方創生2.0の基本的な考え方(注7)に基づき、デジタル公共財の共同利用・共同調達を促し、地域の社会課題解決や新しい地方経済の創出を図る。特に、地域のデータを集約し、行政手続や交通、防犯、観光等の様々なサービスに活用するシステムであるエリアデータ連携基盤を共同利用する団体数を200団体とする目標を掲げており、エリアデータ連携基盤を用いて個人に最適化されたサービスの実現を推進する。また、市民の「暮らしやすさ」と「幸福感(Well-being)」を図る指標としてデジタル庁が導入している地域幸福度(Well-Being)指標(注8)の活用自治体数を2026年度末までに180件とすることを目指し、これを用いた分野横断的な政策立案や住民を巻き込んだまちづくりを進める。デジタルライフライン全国総合整備計画の推進ドローン航路の整備や自動運転サービス支援道の設定等、デジタルインフラの全国整備を加速する。具体的には2025年度以降に東北自動車道に約40kmの自動運転サービス支援道を設定し、2027年度を目途に送電網上空の1万km、2033年度までに4万kmのドローン航路を整備する。2)マイナンバーカードの普及・利活用とマイナポータルの利便性向上マイナンバーカードの「市民カード化」最も信頼性の高い身分証であるマイナンバーカードを、「デジタル社会のパスポート」と位置づけ、更なる普及と利活用を推進する。具体的には、健康保険証や運転免許証、在留カード等との一体化を推進するとともに、2025年度中には全国の消防本部で救急業務にマイナンバーカードを活用した実証事業(マイナ救急)を実施し、2026年度以降の全国展開を目指す。また、自治体・医療機関等をつなぐ情報連携システム(PublicMedicalHub:PMH)(注9)を活用し、マイナンバーカードを健診の受診券として利用する取り組みを拡大するとともに、2025年度には「電子版母子健康手帳ガイドライン(仮)」(注10)を策定する。災害時には、マイナンバーカードを活用して避難所での受付や健康医療情報の取得、罹災証明書のオンライン申請等を実施し、被災者の利便性向上を促進する。各種行政手続のオンライン化・デジタル化2025年の法改正により、マイナンバーの利用可能事務が追加されたことから、更なる行政手続のデジタル完結を推進し、「デジタルファースト」「ワンスオンリー」「コネクテッド・ワンストップ」の原則に基づき、添付書類の省略やオンライン本人確認手法の見直しや利便性向上策を検討する。具体的には、2025年度中には就労証明書のデジタル化および保活情報連携基盤への機能実装を、2026年度を目途に出生届のオンライン化を目指した検討を行う。また、マイナポータルとe-Taxの連携を充実させ、「日本版記入済み申告書」(書かない確定申告)の実現を図る。行政機関サービス等で利用されるスマートフォン向け個人向けデジタル認証アプリサービス(2024年6月から運用開始)については、2026年夏頃にマイナポータルアプリと統合し、更なる利便性向上を目指す。3)競争・成長のための協調地方公共団体情報システムの統一・標準化、ガバメントクラウドの活用人口減少社会に対応するため、自治体の基幹20業務の標準化に取り組み、原則として2025年度までに標準準拠システムへの移行を目指す。また、更なるガバメントクラウドの利用拡大を図るとともに、国以外の機関(地方公共団体、独立行政法人、民間公共SaaS事業者等)についてもガバメントクラウド利用料割引制度等を導入することでその利用を促進する。ベース・レジストリ(公的基礎情報データベース)の整備・運用、データ利活用制度の抜本的見直しワンスオンリー等の実現を通じて、法人ベース・レジストリ、不動産登記ベース・レジストリ、アドレス・ベース・レジストリの整備を推進する(ベース・レジストリとは、公的機関等が正当な権限に基づいて収集し、正確性や完全性等の観点から信頼できる情報を元にした、最新性、標準適合性、可用性等の品質を満たすデータのこと。また、官民サービスの共通基盤として利活用できるものを指す。例えば、住所に関しては、誰もが参照できるマスターデータが存在せず、不動産登記データとの連携が図られていないことから、現時点では引っ越し手続きのオンラインでの完結は不可能であるとされている)。官民の連携を進めるため、官民データ活用推進基本法の抜本的改正や個人情報保護法の改正、新法制定を検討し、次期通常国会への法案提出を目指す。また、データ連携プラットフォーム機能の整備に向けた法的な規律整備を含め、必要な検討を行う。4)安全・安心なデジタル社会の形成に向けた取組偽・誤情報等対策:生成AIに起因する偽・誤情報を始めとした、インターネット上の偽・誤情報の流通・拡散に対応するための技術開発、利用者のリテラシー向上、情報流通プラットフォーム対処法による制度的対応を進める。サイバーセキュリティ対策の強化:政府機関等のサイバーセキュリティ確保のため、セキュリティ・バイ・デザイン(情報セキュリティをシステム等の企画、設計段階から確保するための対策を取っていく考え方)やDXwithCybersecurity(セキュリティを確保しつつ,DXを進めるという考え方)といった考え方を踏まえ、PDCAサイクルによる継続的な政策改善とOODAループによる機動的なオペレーション強化を進める。また、地方公共団体のサイバーセキュリティ対策の向上に取り組み、全ての自治体情報セキュリティクラウドの円滑な更新を行う。災害時におけるデジタル活用の推進:2025年12月までに防災デジタルプラットフォーム(注11)を構築し、災害対応機関が迅速に災害情報を集約・共有できる環境を整備する。また、2025年度に「災害派遣デジタル支援チーム(仮称)」制度を創設し試行運用を開始する。5)デジタル人材の確保・育成と体制整備デジタル人材の確保・育成:日本のDX推進力を強化するため、デジタル人材の確保・育成と体制整備を進める。具体的には、2026年度までに230万人のデジタル人材の育成を目指すこととし、文理を問わず、全ての大学生・高専生が数理・データサイエンス・AIを習得することを目指す。このために、「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」の認定を受ける大学等を、2025年度末までにリテラシーレベルで約50万人/年、応用基礎レベルで約25万人/年の規模に拡大することを目指す。また、AI活用に不可欠なデータマネジメント等の充実を図るべく「デジタルスキル標準」を改訂するとともに、2025年度には「セキュリティ・キャンプ」で特定の分野に特化したサイバーセキュリティ対策の実装を担う人材の育成プログラムを新たに設置する。そのほかに本計画では、デジタル原則:「デジタル完結・自動化原則」、「アジャイルガバナンス原則」、「官民連携原則」、「相互運用性確保原則」、「共通基盤利用原則」の5つの原則に基づき、デジタル時代にふさわしい政府への転換を進める。利用者視点:行政サービスの提供において、利用者である国民のニーズや利便性を最優先に考慮する「利用者視点」を徹底する。情報アクセシビリティの確保:「誰一人取り残されない」デジタル社会を実現するため、障害者等を含む全ての利用者がデジタル機器・サービスを利用しやすい環境整備を進める。等も施策として盛り込まれており、日本のデジタル社会をより強靱で、より人間中心のものにするために必要となる2028年度までのロードマップが示されている。3.2025年度重点計画の主な変更点とこれからの方向性2025年度版重点計画では、日本のデジタル社会構築を加速させるため、2024年度版に多岐にわたる変更が加えられており、日本のデジタル社会実現に向けた新たな方向性が示されている。まず、マイナンバーカードの利活用が大きく拡大する。2025年の法改正で利用可能な行政事務が追加されたほか、健康保険証との一体化は2025年12月までに完全移行が進み、2025年9月からは順次スマートフォンでの利用も可能となる。また、運転免許証との一体化も2025年3月から運用が開始され、2025年度中には全国の消防本部で「マイナ救急」の実証事業が展開される。デジタル庁が、令和5年11月~12月に実施したアンケート調査では、マイナンバーカードの携行率は5割とされているが、2026年秋には、iPhone同様に、Androidスマートフォンへのマイナンバーカード全機能の搭載が予定されており、マイナンバーカードとマイナンバーカード相当のスマートフォンを合わせた携行率は、大きく上昇すると予想される。このため、今後は、ほぼすべての住民が、マイナンバーカードを携行していることを前提とした社会システムの検討が進められることになると想定される。また、2025年度版では、AI、特に生成AIの活用が日本のデジタル社会構築の中心的な要素になるとされている。これは、生成AIをはじめとするAI技術の社会実装の進展と、国際的なデジタル競争力向上の必要性があるとされるためである。人口減少や労働力不足といった社会課題に対応するためにも、AIを含むデジタル技術の活用は不可避とされており、これまでの「データの蓄積・利活用が進んでいない」「生成AI等の活用が進んでいない」といった課題を克服し、経済成長につなげることを目指している。具体的には、先に挙げた政府AI基盤(ガバメントAI(仮称))の構築することで、プライバシーデータや機密データを含む多様なデータを基盤上に安全に蓄積しそれらを安全に連携させる最適化AI技術の確立、地方公共団体へのAIサービス展開支援の実施、ベース・レジストリ等のデータ連携を促進するための官民協議会の設置、生成AIとセキュリティに関するガイドラインの策定が計画されている。これらの取り組みは、行政分野におけるAI技術の可能性を最大限に引き出しつつ、その安全性と信頼性を確保し、国民生活の利便性向上と行政の効率化を両立させることを目指すものである。さらに、行政分野・準公共分野のデジタル化と効率化も進められる。地方公共団体の基幹20業務は、原則として2025年度までに標準準拠システムへ移行することとなっており、その基盤となるガバメントクラウドの利用についても2025年2月時点で2024年8月と比較して335%増加するなど、これらの利用が大幅に拡大している状況にある。この流れを加速するために、公共SaaSの整備に関する基本的なガイドラインが2025年度中に提供され、ガバメントクラウド上での開発環境も2025年中に開発・提供される予定となっている。また、医療分野では、マイナ保険証への移行と共に、電子カルテ情報共有サービスや介護情報基盤を含む全国医療情報プラットフォームの本格稼働を目指しており、医療と介護の切れ目ない連携を目指す包括ケアシステムの構築を目指す。これらの取り組みは、行政の効率化だけで無く、国民の利便性向上、そして安全で信頼性の高いデジタル社会の実現を推進するものであり、特に、官民連携による共通基盤の活用や健康・医療・介護のデジタル化による新たな民間サービスの創出は、新たな産業の創出や国民生活の向上に直接関与するものとして期待される。4.終わりに本稿では、2025年重点計画が示す今後の日本のデジタル化の方向性を見てきた。この重点計画は、日本が抱える様々な課題に対し、デジタル技術の徹底活用によって社会全体の変革を目指す包括的な戦略であると言える。特に、「作るより使う」という発想で、世の中、特に公共分野の情報システムの共通化やモジュール化を進めることで、効率的かつ再利用可能なデジタル環境を構築しようとしている点は重要であり、認証基盤としてのマイナンバーカードの活用拡大や政府全体で使うことのできるAI基盤の構築、官民で利用できるベース・レジストリの構築等はそのための一歩として評価できる。今後は、技術の急速な進展、特に生成AIの社会実装の進展に対応するため、官民が一体となって柔軟かつ粘り強くデジタル改革を推進することが、豊かで持続可能な社会の実現の鍵になると考えられる。これらの取り組みを通じて、「誰一人取り残されない人に優しいデジタル化」が実現されることを期待したい。<注釈>デジタル社会の実現に向けた重点計画2025年(令和7年)6月13日(デジタル庁)https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/173b3039/20250613_policies_priority_outline_08.pdfデジタル社会形成基本法(デジタル庁),https://laws.e-gov.go.jp/law/503AC0000000035情報通信技術を活用した行政の推進等に関する法律(デジタル庁),https://laws.e-gov.go.jp/law/414AC0000000151官民データ活用推進基本法(デジタル庁),https://laws.e-gov.go.jp/law/428AC1000000103IMDWorldDigitalCompetitivenessRanking(IMD:InstituteforManagementDevelopment),https://imd.widen.net/s/xvhldkrrkw/20241111-wcc-digital-report-2024-wip地方創生2.0基本構想(内閣官房),https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_chihousousei/pdf/20250613_honbun.pdf地方創生2.0の基本的な考え方(内閣官房),https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_chihousousei/pdf/honbun.pdf地域幸福度(Well-Being)指標(デジタル庁),https://well-being.digital.go.jp/自治体・医療機関等をつなぐ情報連携システム(PublicMedicalHub:PMH)(デジタル庁),https://www.digital.go.jp/policies/health/public-medical-hub電子版母子健康手帳ガイドライン(仮称)策定に向けた検討会取りまとめ(こども家庭庁),https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/1ceca2fc-2bfe-4657-bf45-ac8aec94171e/2c01fddc/20250312_councils_shingikai_seiiku_iryou_1ceca2fc_14.pdf防災デジタルプラットフォーム(内閣府),https://www.bousai.go.jp/kyoiku/ideathon/pdf/ideathon_gaiyo.pdf提供:税経システム研究所
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関連項目 経営レポート,行政DX
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