経営研究レポート
MJS税経システム研究所・経営システム研究会の顧問・客員研究員による中小・中堅企業の生産性向上、事業活性化など、経営に関する多彩な各種研究リポートを掲載しています。
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2026/02/27 人事労務管理
退職に関わるトラブル回避(第14回) 雇止め法理2
【サマリー】今月のレポートでは、前回で取り上げた判例解説を踏まえつつ、企業実務において特に重要性の高い他の裁判例を取り上げます。形式上は有期契約や非常勤とされていても、実際の業務内容や人員配置、更新の経緯によっては、裁判所がその実態を評価するケースは少なくありません。本レポートでは、雇用形態の実質判断、雇止めにおける更新期待の有無、企業側に認められる裁量とその限界といった、現場対応を一歩誤るだけで紛争リスクが顕在化しやすい論点について、裁判所がどのような事実関係を重視し、どのような判断枠組みで結論に至っているのかを整理しました。1.重要判例1「東光高岳事件東京高裁令6.10.17判決」定年後に再雇用された労働者が、最初の契約更新時に、吸収合併後の親会社が提示した賃金減額を受け入れなかったことを理由として雇止めされた事案。第一審は、直前の労働条件と同一内容で契約が更新されるとの期待は認められないと判断しました。これに対し東京高裁は、労働契約法19条2号にいう「更新」は必ずしも同一条件での更新に限定されるものではないとした上で、合併後に労働条件を統一する必要性があることを踏まえ、企業の業績が堅調である点を考慮しても賃金減額には合理性があるとして、雇止めを有効と判断しました。<事案の概要>原告Xは、被告会社において定年前は無期雇用で勤務していましたが、60歳定年後、会社の継続雇用制度に基づき、基本賃金月額30万円の条件で、1年更新の有期雇用契約を締結しました。会社の再雇用規程では「原則65歳まで再雇用する」とされていたものの、同時に「労働条件は更新の都度、個別に決定する」と明記されており、同一条件での更新が制度上保証されていたわけではありませんでした。その後、会社は経営状況の悪化等を背景に、完全親会社へ吸収される形で企業統合が行われました。統合後は、人事制度・再雇用制度を親会社の規程に統一する方針が採られ、再雇用者の処遇についても親会社規程に沿った内容へ変更することが予定されていました。この方針については、事前に説明会等を通じて従業員に周知されていたとされています。契約更新の時期に、Xは従前と同一条件での更新を申し込みましたが、会社はこれを受け入れず、賃金引下げを含む複数の条件案を提示しました。Xはいずれの案にも同意せず、結果として契約は期間満了により終了しました。なお、同時期に再雇用されていた他の従業員約125名は、全員が親会社規程に沿った条件で契約を更新しており、Xのみが旧条件の維持を求めていた状況でした。<判決のポイント>本件の最大の争点は、労働契約法19条における「更新の合理的期待」の内容でした。Xは、「定年後も原則65歳まで再雇用されてきた実績があり、同一条件で更新される合理的期待があった」と主張し、会社が同条件更新を拒否したことは不合理な雇止めに当たると訴えました。これに対し、東京高裁はまず、「更新の合理的期待」について重要な整理を行いました。すなわち、更新期待は、必ずしも従前と全く同一の労働条件で更新されることまでを含むものではなく、労働条件が変更される可能性を前提とした上で、雇用が継続されるという期待も含み得ると判示しました。この点は、更新期待の概念を比較的広く捉えた判断として注目されます。しかし、高裁はその上で、本件では会社が提示した条件変更には合理性があり、同一条件での更新が当然に認められる状況ではなかったと判断しました。その理由として、①再雇用規程上、労働条件は更新の都度、決定されるとされていたこと、②企業統合という経営上の大きな変化があり、人事制度を統一する必要性があったこと、③その方針や経営状況について事前に説明や周知が行われていたこと、④他の再雇用者全員が同一ルールで契約しており、Xのみ旧条件を維持することは公平性を欠くこと、などの事情を総合的に考慮しています。これらを踏まえ、東京高裁は、本件雇止めは労働契約法19条に違反するものではなく、Xの請求は理由がないとして棄却しました。<実務への応用>本判決は、定年後再雇用の実務設計に対して非常に示唆的です。まず、「原則65歳まで再雇用する」と規程に記載していても、それだけで同一条件での更新まで約束したことにはならないことが改めて確認されました。再雇用後の労働条件を毎年見直す可能性があるのであれば、その旨を規程や雇用契約書に明確にし、運用と整合させておくことが重要です。次に、再雇用者の賃金引下げや処遇変更を行う場合には、変更の合理性を裏付ける事情を積み重ねることが不可欠であることが示されています。企業統合や経営環境の変化、職務内容や役割の変化、社内の賃金バランスなどを整理し、なぜその水準になるのかを説明できる状態にしておく必要があります。さらに、本件では「他の再雇用者との公平性」が強く意識されました。例外的な処遇を認めることは、職場の不公平感や人事運営上の混乱を招きかねません。再雇用制度は、個別対応よりも制度としての一貫性・説明可能性が重要であることを示しています。最後に、企業統合や制度改定を伴う場合には、早い段階からの説明と記録が極めて重要です。説明会や個別面談を通じて方針を周知し、その内容を記録として残しておくことが、後の紛争予防や裁判対応に直結します。本判決は、定年後再雇用を「単なる延長雇用」と捉えるのではなく、更新・条件変更を含む契約関係として丁寧に設計・運用すべきであることを、実務に強く示した判例だといえるでしょう。2.重要判例2「東京芸術大学事件東京地裁令4.3.28判決」有期の契約が更新されなかったことによる雇止めは不当であるとして、非常勤講師が地位の確認を求めた事案。当該非常勤講師は、委嘱契約の形で約20年にわたり契約更新を受けていました。東京地裁は、同人はそもそも労働契約法上の「労働者」には該当しないと判断し、請求を棄却しました。その理由として、授業内容の決定等について大学から具体的な指揮命令を受けていなかったこと、遅刻や早退に対する賃金控除や社会保険料の徴収が行われていなかったこと、さらに大学の本来的業務を担う不可欠な労働力として組織に組み込まれていなかった点などが考慮されました。<事案の概要>原告は、東京芸術大学において非常勤講師として長年授業を担当していました。契約は年度ごとの有期契約で、形式上は毎年更新されており、結果として約20年にわたり継続して講義を担当していました。担当授業は大学の正規カリキュラムに組み込まれ、教育活動として一定の継続性がありました。しかし大学側は、学内の任期・非常勤講師制度の見直し等を理由に、契約更新を行わず、契約期間満了により関係を終了させました。これに対し原告は、長期間にわたり更新が繰り返されてきたこと大学教育という恒常的業務を担っていたことを理由に、契約更新への合理的期待があったとして、雇止めは労働契約法19条に反すると主張しました。<判決のポイント>本判決のポイントは、雇止めの当否(労働契約法19条)を論じる前に、「そもそも労働契約法の適用対象となる“労働者”なのか」を正面から判断し、そこで結論を出した点にあります。つまり、原告が「20年更新してきたのだから雇止めはおかしい」と主張しても、裁判所はまず「その主張を支える法律(労契法)を使える立場か?」を問い直し、労働者性がない以上、労契法19条による保護(雇止め規制)自体が及ばないという構図を採りました。1)労働者性(使用従属性)の判断が“入口”で決まった裁判所が見たのは、簡単にいえば「大学が講師を“雇って指揮命令で働かせていた”と言えるか」ということです。非常勤講師という肩書があっても、実態が委任・準委任(専門家への業務委託)に近いなら、労基法・労契法上の労働者とはいえません。判決が重視した方向性(資料の趣旨)は、次の通りです。「大学は授業という枠組み(科目、時間割、成績評価の形式等)を用意するが、授業の具体的内容・方法は講師の専門性に委ねられ、大学が日々の労務提供の仕方を細かく指揮命令していたとは言い難い。したがって、講師は大学組織に使用従属して労務を提供する関係ではなく、労働契約法上の労働者には当たらない。」実務的に重要なのは、ここで裁判所が「長期更新」という事情を、労働者性を補強する決定打とは扱わなかった点です。更新が20年続いていても、指揮命令の密度・従属の程度が弱ければ、労働者とはいえないということです。2)それでも裁判所は“念のため”に更新期待も検討している本判決は入口(労働者性否定)で結論が出ますが、実務上の価値は、裁判所がさらに補足的に「仮に労働者だとしても…」という形で、雇止め法理の更新期待にも触れている点です。東光高岳事件とも共通しますが、更新が繰り返されていても、それが大学の教育課程運営上の必要に応じたものであり、制度上も任期制・有期であることが明確で、将来の継続を保証するような大学側の確約もない以上、「更新されるはずだ」という合理的期待までは認められないということになります。3)判決全体の構造を一文で言うと本件は、結論だけ言えば「雇止めが有効」ということですが、より正確には、第一段階:労契法の適用前提(労働者性)を否定→原告の主張する雇止め規制の枠組みがそもそも乗らない第二段階(補足):仮に労働者でも、任期制・確約なし等から更新期待は認めにくいという二段構えで、原告の主張を退けました。<実務への応用>本判決が実務に与える最大の示唆は、雇止めの適法性は「更新回数」や「勤続年数」ではなく、制度設計と実態の整合性によって決まるという点にあります。特に本件では、雇止めの是非を論じる以前に、「そもそも労働契約法の保護対象となる労働者か否か」という入口段階で結論が出されており、実務上のインパクトは非常に大きいといえます。まず重要なのは、長期間にわたり契約更新が続いていたとしても、それだけで労働契約法上の労働者性や雇止め規制が肯定されるわけではないという点です。大学側は、非常勤講師について、授業内容や方法に関する裁量を講師本人に委ね、勤務時間や業務遂行の細部まで指揮命令する関係にはなかったこと、また専属性も弱く、他大学での活動が自由に認められていたことなどから、「使用従属性」が否定されました。これは、大学や研究機関に限らず、企業が外部専門家や非常勤人材を活用する場面全般に当てはまる考え方です。実務的には、雇用として扱うのか、委任・準委任として扱うのかを最初に明確に決め、その位置づけを契約書・規程・現場運用で一貫させることが極めて重要になります。名目上は業務委託や非常勤であっても、実際には出退勤管理を行い、業務の進め方を細かく指示し、代替も認めず、事実上専属的に働かせていれば、労働者性が肯定されるリスクが高まります。本判決は、「肩書」や「契約書のタイトル」ではなく、実態が重要であることを改めて示しています。また、本判決は、仮に労働者性が認められる場合であっても、更新期待が当然に成立するわけではないことも明確にしています。この点から実務上導かれるのは、更新期待を生まないためには、制度と説明の積み重ねが不可欠だということです。契約書や規程で任期制・有期であることを明確にするだけでなく、更新時の面談や通知においても、「更新は自動ではない」「次年度の業務必要性等を踏まえて判断する」という点を、毎回きちんと伝える運用が重要になります。管理者が善意で発した「来年もお願いします」「長く続けてください」といった言葉が、後に更新期待を基礎づける不利な事情として評価されるリスクがあることにも注意が必要です。さらに、本判決は、雇止め対策は「最後の場面」ではなく、日常の運用設計から始まっていることを示しています。契約終了時だけ合理的理由を整えても、それまでの制度設計や説明が曖昧であれば、防御は困難になります。逆に、制度の趣旨、任期の位置づけ、更新の考え方が一貫していれば、20年という長期更新があっても、雇止めが直ちに違法とされるわけではないことが、本判決から読み取れます。総じて東京芸術大学事件は、非常勤・外部専門家・任期制人材を活用する組織に対し、「雇用か否か」「更新をどう位置づけるか」を曖昧にしたまま長年運用することのリスクと、逆に整理しておけば強力な防御になることを明確に示した判例です。実務においては、「雇止めになったらどうするか」ではなく、「雇止め問題が起きない制度と運用をどう作るか」という視点で、この判決を活用することが重要だといえるでしょう。3.重要判例3「グリーントラストうつのみや事件宇都宮地裁令2.6.10判決」緑地保全事業を担う公益財団法人に勤務する非常勤の嘱託職員が、契約更新の上限である5年に到達したことを理由に、平成30年3月末で雇止めとされた事案。背景として、市から財政状況の悪化を踏まえた人員削減の要請がなされていました。裁判所は、本件について整理解雇に関する法理を適用するのが相当であるとした上で、雇止めを回避するための具体的な検討や、対象者選定の合理性について何ら検討がなされた形跡が認められないとして、当該雇止めを無効と判断しました。あわせて、雇止め後に労働者が申し込んでいた無期転換の効力も認めています。<事案の概要>原告は、被告である公益的性格を有する団体(市の財政援助団体)において、当初は非常勤・臨時的な立場で雇用されました。しかし、契約更新を重ねる中で、原告の業務内容は次第に組織の基幹的業務を担う常用的なものへと変容していきました。にもかかわらず、雇用期間の定めは形式的に維持され、更新を含めた当初予定の3年間を大きく超えて契約は継続していました。裁判所は、この時点で、雇用期間の定めは「財源確保の必要性」よりも、使用者側が雇止めを容易にするための名目的なものになりつつあったと評価しています。また、契約更新の手続自体も、実質的な能力評価や業務必要性の検討はほとんど行われず、原告の意向確認を行うだけの形式的なものに変質していました。その後、被告は財政悪化を理由に、更新期間を5年までとする運用に転じ、無期転換申込権が発生する直前のタイミングで契約を更新せず終了させました。原告はこれを不当な雇止めとして、労働契約法19条に基づき地位確認等を求めて提訴しました。<判決のポイント>判決のポイントは、次の3点にまとめられます。1)更新期待を強く肯定した点(労契法19条2号該当)本判決の最大の特徴は、有期契約労働者における「雇用継続への期待」を極めて強く肯定した点にあります。裁判所は、形式的には有期雇用契約が繰り返し締結されていたものの、その実態に着目し、原告の就労状況は当初想定されていた臨時的・補助的業務から、法人の基幹的かつ常用的業務へと質的に変化していたと評価しました。また、雇用期間の定めについても、更新が当然視される運用が長期間継続していたことから、実質的には雇止めを容易にするための名目的なものに過ぎなくなっていたと指摘しています。加えて、契約更新時の手続についても、能力評価や業務必要性といった実質的な審査は行われず、形式的な意思確認にとどまっていた点が重視されました。これらの事情を総合すると、原告が「契約期間満了後も更新される」と期待することには合理的な理由があるとして、裁判所は本件契約が労働契約法19条2号に該当すると明確に認定しています。2)「人員整理的雇止め」として整理解雇法理を適用した点次に裁判所は、本件雇止めの性質について、単なる更新拒否ではなく、人員削減を目的とする「人員整理的雇止め」であると位置づけました。そのうえで、雇止めの有効性を判断するにあたっては、整理解雇と同様に、①人員整理の必要性、②雇止め回避努力の有無・程度、③対象者選定の合理性、④手続の妥当性、という、いわゆる整理解雇の4要件を総合的に考慮すべきと判断しています。しかし本件では、被告法人が市(人事課)からの指導をそのまま受け入れただけで、自らの経営状況や人員体制について主体的な検討を行った形跡が認められないこと、配置転換や契約条件の調整といった雇止め回避の努力が一切なされていないこと、さらに原告を雇止め対象とした合理的な理由や基準が検討されていないことなどが、厳しく指摘されました。また、事前の説明や協議といった手続面についても十分とはいえず、裁判所は、本件雇止めには客観的合理性も社会的相当性も認められないとして、労働契約法19条柱書にいう「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないとき」に該当すると判断し、雇止めを無効としました。3)更新みなしと無期転換の連動を認めた点さらに注目されるのは、雇止め無効の効果として、更新みなし(労契法19条)と無期転換(労契法18条)を連動させて判断した点です。裁判所は、雇止めが無効である以上、被告は従前と同一の労働条件で契約更新を承諾したものとみなされるとしたうえで、原告がすでに無期転換の申込みを行っていたことから、平成31年4月1日以降は期間の定めのない労働契約が成立したものと解するのが相当と判断しました。これは、形式的な契約期間にとらわれず、実質的な雇用関係の継続性を重視する姿勢を明確に示した判断といえます。<実務への応用>本判決は、有期雇用を長期間・常用的に使い続けることのリスクを、最も端的に示した判例といえます。第一に、業務実態が基幹的・恒常的であるにもかかわらず、有期契約を形式的に更新し続ける運用は、実質的に雇止めを容易にするための名目にすぎないと見なされ、裁判所はその形式を容易に排斥し、労働者の更新期待を強く保護します。第二に、更新手続の「形式化」です。更新のたびに実質的な審査を行わず、単なる意向確認に終始していれば、それは「更新が当然視されていた」ことの裏返しとして評価され、更新期待を補強する事情となります。第三に、無期転換を回避する目的での雇止めは、人員整理的雇止めとして極めて厳格に審査されるという点です。財政事情や上位団体の指導があったとしても、それだけで合理性は認められません。雇止め回避努力、対象者選定の合理性、説明・協議といったプロセスを欠けば、整理解雇と同様に無効と判断されます。実務上は、有期雇用を5年近く継続させる場合、無期転換を前提に制度設計する基幹業務を担わせるのであれば、早期に無期雇用へ転換するやむを得ず雇止めを検討する場合でも、整理解雇に準じた検討・記録・手続を行うといった対応が不可欠になります。総じてグリーントラストうつのみや事件は、「有期雇用を便利に使い続けた結果、最も重い法的責任を負う」という実務上の警告として、無期転換・雇止め対応を考える際に必ず参考にすべき判例といえるでしょう。提供:税経システム研究所
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2026/02/27 企業経営
企業探検家 野長瀬先生の経営お悩み相談室(第23回)
毎回いろいろな企業経営者のお悩みをテーマとし、その悩みを解決する糸口を企業探検家・野長瀬裕二先生がアドバイス形式で解説していきます。筆者が見てきた様々な企業の成功例や工夫の事例、そこから見えてくる普遍的なノウハウを紹介し、各回のテーマの悩みに寄り添う情報をお伝えします。<相談内容>当社は、祖父の代から東北地方の県庁所在地でニット製品の製造を行っている中小企業です。これまで、商社経由で百貨店・専門店で製品販売を行ってきました。1着丸ごと立体的に編み上げるホールガーメント技術を取り入れ、地場ニット企業として生き残っています。しかし、商社ルートの売上高が大手アパレルチェーン店との競合で低下を続けています。私の代になってから自社製品の直販を工場併設店舗で始めましたが、トータルの売上高は微減状況を続けています。今、工場が町中と郊外に二か所あり、そのうちどちらかに仕事を集約し、空いた方の工場を不動産として有効活用しようと考えています。不動産事業についてどのように考えればよいでしょうか。■ニット業界の状況地場のニット産業は、大手チェーン店の成長もあり、全国的に厳しい状況にあります。ここ数年、廃業の事例も増えている業種です。御社の場合、自社製品の開発を行い、直販しているということで努力している地場企業と言えると思います。御社は、国内メーカーが開発した縫い目のないホールガーメント技術を取り入れるなど努力していますが、大手チェーン店も同様の機能を持つ設備を海外協力工場に導入しています。大手は、企画から製造・販売までを統合したSPA(SpecialitystoreretailerofPrivatelabelApparel)という業態を確立してグローバルに販売体制を整備しています。商社を介した既存の間接販売ルートは衰退しており、さらに直接販売ルートを強化するには企画・開発力が問われます。また、商社ルートの製品と競合した自社製品を販売することは業界慣習的に難しいです。そのため、用途や機能の面で商社ルートの製品とは明確に異なるものを企画・開発する必要があります。その意味では、この市場環境下でニット事業が微減で踏みとどまっているのは、御社は努力している中小企業であると言えます。■繊維系企業の第二創業のパターン繊維系の産業には、社歴が長い企業が多く、編物、織物、紡績など様々なものがあります。すでに淘汰された企業も数多くありますが、新事業により事業構造を変革し、生き残っている事例から学ぶ必要があります。ここでは、経営情報が公開されているSUMINOE株式会社、日清紡ホールディングス株式会社、帝国繊維株式会社、サイボー株式会社の事例を見てみましょう。表1SUMINOE株式会社の事業構造の変化祖業現在の事業構造、2025年5月期1883年、堺緞通(床敷物)で創業1891年、旧議事堂に高級カーペット納入鉄道、自動車用シート、内装材納入インテリア事業(カーペット等)自動車・車両内装事業(内装材):収益の柱機能資材事業(ホットカーペット等):赤字表1に示されている通り、SUMINOEは床敷物で創業した後、高級カーペット分野で地位を確立し、その後、繊維や素材の取り扱い能力を生かして自動車・車両内装事業に参入しています。現在の収益の柱は、自動車・車両内装事業となっていますから、製造業としての第二創業に成功していると言えるでしょう。表2日清紡ホールディングス株式会社の事業構造の変化祖業現在の事業構造、2025年5月期1907年、紡績業で創業、高分子に進出1995年、日清紡都市開発設立(不動産)日本無線、新日本無線子会社化無線・通信(日本無線等):売上最大マイクロデバイス(日清紡MD):赤字ブレーキ(日清紡ブレーキ)精密機器(日清紡メカトロニクス)化学品(日清紡ケミカル)繊維(日清紡テキスタイル)不動産(日清紡都市開発):収益の柱表2に示されている通り、日清紡HDは、短繊維を撚り合わせて長繊維を作る紡績業で創業後、高分子技術を取り入れて化学繊維に力を入れてきました。M&Aを繰り返し、無線・通信事業、素材技術を応用したブレーキ事業等に多角化し、1995年に不動産子会社を設立しています。事業規模は無線・通信事業が大きいのですが、決算を見る限り収益の柱は不動産事業です。なぜ不動産事業に参入するかというと、工場等の遊休不動産の活用の余地が事業のリストラクチャリングを通じて生じたからです。グループが保有する遊休資産の活用や事業所跡地の再開発、オフィス・商業施設の賃貸、宅地分譲に取り組んできました。東京都足立区の西新井社宅跡地を賃貸マンションへ再開発した事例、古い事務所ビルをオフィスビルへ再開発した品川シティビルの事例等があります。歴史ある企業の場合、利便性の高い地域に遊休不動産を保有している場合もあり、その利活用の余地があったのだと言えるでしょう。表3帝国繊維株式会社の事業構造の変化祖業現在の事業構造、2025年5月期1884年、紡績業で創業1902年、消防ホース参入1981年、不動産業に進出防災(消防ホース等):収益の柱繊維(高機能炭素素材等)不動産(SC向け土地賃貸等)表3に示されている通り、帝国繊維の場合も紡績業としての創業ですが、その後、消防ホースというニッチ市場を見つけ、事業機会をつかみ現在の収益の柱としています。不動産事業は、工場跡地をイオンタウン大垣にする等の遊休資産活用を行ったものです。不動産業も収益を計上していますが、利益構造的には製造業として生き残っていると言えます。表4サイボー株式会社の事業構造の変化祖業現在の事業構造、2025年5月期1948年、紡績業で創業、化繊に進出1984年に不動産業に進出繊維事業(原料、ユニフォーム等):赤字不動産業(商業施設、病院施設):収益の柱その他(ゴルフ練習場)表4に示されている通り、サイボーは紡績業として創業し、その後、ユニフォームに力を入れてきたのですが、繊維事業は収益面で苦しいようです。現在の収益の柱は不動産事業となっています。不動産事業では商業施設・病院施設に埼玉県川口市の遊休土地を貸し出しています。商業施設としては、イオンモール川口前川、イオンモール川口があり、病院施設としては、かわぐち心臓呼吸器病院、かわぐちレディースクリニック、2021年に医療モールとしてメディパーク川口前川Ⅱを開発し、支援事業としてビルメンテナンス業務も行っています。これらの事例を見てわかるとおり、戦前・戦後に創業した繊維産業は、二度のオイルショックを経て、他産業より先に縮小し、多角化を進めてきたのです。事業リストラクチャリングの一環で、工場や社宅、ビル等の遊休資産が生じ、その有効活用策として不動産事業が立ち上がっています。ここに掲げた4事例のうち、1.製造分野でより大きい市場をつかんだ事例(SUMINOE)、2.製造分野の新事業も確立されているが不動産事業が収益の柱となっている事例(日清紡HD)、3.不動産業にも進出しているが製造事業の方が収益の柱となっている事例(帝国繊維)、4.不動産業が主力事業となっている事例(サイボー)と分類できます。このように繊維産業では、不動産事業で稼いでいる事例が一定数あることが見て取れます。■不動産をどのように活用するかここまで述べたように繊維産業では不動産業に進出して成果を上げている事例が多いということが言えるでしょう。一方、御社が不動産事業をうまく立ち上げるには課題がいくつかあります。表5不動産事業を立ち上げる際の諸課題1.東北地域の人口減少への配慮2.用途の決定(商業、住宅、他)3.ビジネスパートナーの選定まず、御社は不動産事業に目を向けるのが時期的には少し遅かったかもしれません。先に記した不動産に進出している3事例を見ると、その進出時期は、繊維産業の退潮とまだ日本の人口成長の重なっていた1980年代から1990年代に集中しています。この時期に長期の賃貸借契約を結び、そこで得た資金を県外の成長地域の不動産に投入しておけば、今頃キャピタルゲインを得ることが出来ていたでしょう。今遊休資産の有効活用により不動産業を始める際に重要なのは、御社の立地している東北地方の県では人口減少が全国トップクラスで生じている現状を勘案することです。宮城県仙台市とその周辺に東北の人口は引き寄せられており、それ以外の地域は急減が続いています。御社は、仙台市ではありませんが県庁所在地に立地しているということでまだ人口の減り方は相対的にマイルドです。しかし、投資に対するリターンの面で、人口状況に依存する事業計画の場合リスクがあります。そのリスクに配慮して事業展開していくことになります。長期的収益が確実に見込める場合ですと、「大きく投資して大きく儲ける」というスタイルの事業計画が可能です。一方、リスクが見込まれる場合は、他の企業と連携してリスク分散していくなどの投資方法を考慮することが有益となります。次に考えるべき課題は、商業施設、住宅等の用途から、地域ニーズに合致するのはどれかを明らかにする必要があるということです。サイボーの事例のように、ショッピングモール等に土地を貸して、長期契約を締結し安定した地代が長期的に入ってくるのは魅力です。サイボーが不動産事業に進出していた当時、埼玉県南部は人口が増加していて、減少傾向が見られるようになったのは最近のことです。御社の現在とは事業環境が明らかに異なっています。また土地の大きさと立地次第で、何が向いているかは異なってきます。二つの工場のどちらが、どの事業に適しているかを専門家とディスカッションして考えていく必要があります。また、商業施設の場合、テナントの競争力があるかどうかに依存します。人口減少が進む地方圏では、中小の地場スーパーの廃業も各地で見られます。それに対して、食品スーパー大手は連結売上高1兆円を目指した戦いをしています。国内の人口が減少していく中で、勝ち組として生き残る企業と組まなければなりません。市場競争に敗れて倒産する脆弱なテナントを入れてしまうと収入が途絶えてしまうので、そこに注意が必要です。住宅の分譲や賃貸を選ぶ場合は、高齢化社会では徒歩圏に色々な施設が集中していること、集合住宅の場合は共有部分の機能や公共機関との連携が優れていることが魅力となります。最終的には、人口減少地域においても人が集まるような魅力を持つ施設を作るためのビジネスパートナーを連れてくることが最も重要となります。繊維産業による遊休不動産の利活用には成功例が多数ありますので、それらの成功要因を理解し、その上で表5に示される諸課題を意識して新事業を検討することが求められるでしょう。提供:税経システム研究所
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2026/02/27 人事労務管理
昨今労務事情あれこれ(219)
1.はじめにスマホひとつで簡単に借りることができるシェアサイクルが街角で多く見られるようになり、日頃から便利に使っている方もいらっしゃることと思います。自転車は老若男女を問わず手軽に扱える乗り物でもあり、企業においても、通勤時に最寄りの駅や職場まで自転車を利用している従業員は少なくないと思われます。自転車は法令上「軽車両」、つまり車両の一種です。免許は不要でも自転車乗車中は「ドライバー」。しかし、あまりに手軽すぎるが故に、傘やスマホを手にした片手運転や信号無視、歩道を高速で走り抜けるなど、マナーや法令遵守の自覚なき自転車ドライバーを多く目にすることは残念なことです。自転車というと、これまでは歩行者と同様に「交通弱者」として保護され、常に事故の被害者となってしまうようなイメージもありました。しかし、近年の電動アシスト自転車の普及に伴い、従来よりも速い速度での走行が可能となったことや車体の重量が大きく増加したために、停止中の自動車や歩行者との接触・自転車同士の衝突時には双方に与えるダメージが大きくなり、重大事故の加害者となるケースも多くみられています。このような状況に伴い、令和5年4月の道路交通法改正により、いわゆる「ながらスマホ」の禁止と罰則化、自転車乗車時のヘルメット着用(努力義務)などが行われてきましたが、令和8年4月1日からは自転車の交通違反に対し「交通反則通告制度」が開始されます。自動車を運転する方の中には、駐車違反や一時停止違反などの軽微な交通違反で青色の告知書(青切符)を交付されたという経験がある方もいらっしゃると思いますが、自転車に対しても、違反時には同様の取り扱いが開始されることになります。それに伴い、「信号無視」「一時不停止」「右側通行」など歩行者や他の車両にとって危険性・迷惑性が高い違反行為は青切符の交付により検挙される可能性があります。今回の自転車による交通違反の取り締まり厳格化をきっかけとして、通勤時や業務中などに事故が発生した場合をはじめ、注意しなければならない点がいくつか浮かびあがってきます。企業側としてどんな点に注意をしなければならないかを考えてみたいと思います。2.自転車事故の発生状況警察庁が発表した交通事故に関する統計(注1)によると、令和6年に発生した自転車関連事故件数は67,531件であり、10年前(平成26年)の約109,269件と比べると約40%減少しています。一方で、交通事故全体に占める自転車関連事故の割合は23.2%(令和6年)となっており、令和に入って以降は、毎年、交通事故件数の2割以上を自転車関連事故が占めるという状況が続いています。また、令和6年に発生した「自転車乗用中の死亡・重傷事故」のうち約75%(5,375件)は自転車側に法令違反があり、その態様は80%以上が「出会い頭」「右左折時」といった交差点での事故となっています。自社の従業員が事故の被害者となった時のことはもちろんですが、自転車を使用した業務中や自転車通勤の際に事故の加害者となってしまった時の対応も想定しておかなければなりません。どのような対応を考えておくべきなのでしょうか。3.自転車事故にまつわる企業としての対応【自転車を使用して業務中に加害者となった事故の場合】従業員が自転車を使用して業務を行っていた際に人身・物損など第三者に損害を与えてしまった場合には、会社は民法に定める「使用者責任」(715条)を問われることになります。使用者責任は、非常に幅広く適用されるものとされており、仮に会社側に何の落ち度がなかったとしても、多くの判例において免責は認められていません。例えば、日頃、徒歩や公共交通機関による移動で業務を行っている従業員が、会社に知らせることなく出先でシェアサイクルを利用して移動していた時に事故の加害者となった場合でも、客観的に見て「業務に関連する行為」とされれば、会社は損害賠償を免れることができません。死亡事故などの場合、5,000万円を超える賠償が命じられた例もありますので、もし、自社が使用者責任に基づいて賠償する義務を負うとなれば金銭的にも甚大なダメージを負うことになります。こうした事態を想定して、自転車事故でも賠償をカバーできる保険に加入しておくだけでなく、日頃から従業員にも十分に安全意識を高める教育を徹底しておきましょう。【自転車通勤の際に事故の加害者となった場合】先述の通り、自転車は法令上「軽車両」であることから、走行に当たっては多くのルールが定められているのですが、気軽な乗り物故にルールやマナーの周知が徹底されておらず、それが原因で事故の加害者となってしまうことがあります。通勤途中に第三者に損害を与えてしまった場合、上記の「使用者責任」が問われることになるのかが気になるところです。一般的には通勤時(=業務外)であれば、第一義的には当事者である従業員に賠償責任があると考えられます。しかし、当事者である従業員が十分な賠償をすることができないとなった場合に、被害者が「使用者責任」を持ち出して会社側に賠償を求めてくる、という事態は十分に考えられることです。会社が賠償に応じるか否かはその時々の判断となりますが、そもそも、従業員が金銭的な賠償を十分にできない…といった事態を避けるため、自転車通勤を行う従業員に対して、相応な金額の「個人賠償責任保険」に加入することを条件に、自転車通勤を許可する等の方策が考えられます。【業務中・通勤中に事故の被害者となってしまった場合】業務中の事故により従業員がケガを負ってしまった場合は労働災害として、労災保険の各種給付が行われます。また、自転車通勤をしている従業員が通勤途中で事故の被害者となった場合も、原則的には通勤災害として労災保険の各種給付が行われます。この場合、通勤災害として認められるためには労災保険法で明示されている「通勤」の定義に当てはまるかどうかによって判断されることになります。労災保険における「通勤」の定義「就業に関し」「①住居と就業の場所との間の往復②就業の場所から他の就業の場所への移動③住居と就業の場所との間の往復に先行しまたは後続する住居間の移動」を「合理的な経路および方法により行うこと」をいい、業務の性質を有するものを除く一言でいえば、「自宅と会社の往復以外は通勤として認められない」が原則ですが、実際の取り扱いは、出退勤途中に病院に立ち寄る、生活必需品の購入のためスーパーに立ち寄る等の経路の逸脱については、通院や買い物終了後に通常の経路に戻れば、戻った後は再び「通勤」として認められることとなっています。一方、いわゆる「寄り道」として、退勤時に習い事やスポーツジムなどに立ち寄る、または飲酒等により経路を逸脱した場合については、その後に通常の経路に戻ったとしても、逸脱後は通勤とは扱われません。そもそも飲酒後の自転車運転は飲酒運転ですので絶対NGです。また、自転車通勤をするか否かに関わらず、会社に通勤経路等を届出させることは通常行われていることと思いますが、仮に、ここで届出をした経路と違う場所で事故に遭ったとしても、それが一般的に考えうる合理的な経路であれば通勤災害として認められることになります。また、通勤手段として公共交通機関を届出していた社員が勝手に自転車通勤をして被害にあったような場合でも、その経路が上記の定義に合致していれば通勤災害として認定されます。(届出していた経路と方法で通勤していなかったという別の問題は残りますが、それは通勤災害の判断とは無関係です)さらに、通勤や業務で自転車を使用する際の社内規定を整備しておくようにしましょう。以下のような項目を中心に明文化しておくことにより、万一事故が発生した場合の責任の所在が明確になります。1.運行管理自転車の使用が認められるのはどのような場合か。その場合の手続きはどのようにするのか、賠償に備えた保険の内容(通勤に使用する場合)2.安全運転管理交通関係法令や交通ルールの遵守日頃の安全運転指導の方法など3.事故が発生した時の対応事故現場で取るべき行動通勤中・業務中の場合の社内での連絡先・連絡方法など4.規定に違反した場合の罰則規定に違反した場合にどのような制裁・処分が行われるかの明確化「自転車でここまでやるの?」と思われる向きもあるかもしれませんが、事が起きてから慌てることのないよう、十分な対策を整えておきたいものです。<注釈>自転車ポータルサイト「事故違反の発生状況」(警察庁)https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/bicycle/portal/accident.html提供:税経システム研究所
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2026/01/30 企業経営
昨今の経済情勢を背景に地域企業経営はどう対処するのか
【サマリー】研究開発支援のGo-Tech補助金をご紹介します。歴史が長くメリットも大きい反面、申請が難解で採択率が50%という補助金です。申請にあたっての必要情報が開示されていないので動いて問い合わせを重ね、指導を受けながらかなりの工数を割いて申請書を作成することになります。その申請初動や審査のポイントなどをご紹介します。助成金補助金の請負業者が以前に比べてたくさん登場しています。経産省、中企庁の補助金の中には請負業者に外注することが難しいものがあります。その代表的なものがGO-TECH補助金です。現在筆者が旧来からのクライアントの依頼でGO-TECHの申請を代行している状況をふまえて、GO-TECH補助金と申請についてご紹介します。(1)GO-TECH補助金の特徴(メリットと注意点)GO-TECHとは:中小企業が、大学・公設試験研究機関等と連携して行うものづくり基盤技術の高度化につながる研究開発やその事業化にかかる費用を補助する経済産業省の事業です。研究開発にかかる費用(一方的キャッシュアウト)を補助してくれる補助金額が大きい人件費も補助対象2~3年に渡るプロジェクト開発最終段階の技術課題にのみ対応外部機関(大学や想定顧客など)との連携(共同体)で申請申請に関する情報がわかりにくく調べにくい(筆者作成)上記は研究開発や新事業に適応する補助金で、3つ全部を申請できます。採択が決まったらどれか1つを選んで他は辞退することになります。対象技術分野は、「特定ものづくり基盤技術12分野」として指定されています。デザイン、情報処理、精密加工、製造環境、接合・実装、立体造形、表面処理、機械制御、複合・新機能材料、材料製造プロセス、バイオ、測定計測の12分野ですが、実際の申請にあたっては12分野にシンプルに当てはまらない場合でも申請可能です。中小企業者の付加価値額及び給与支給総額等の向上、最低賃金保証に関する目標値の設定が必要です。採択後も、技術ノウハウ(機密事項)の公表の義務はありません。(2)GO-TECH補助金における共同体とは(中小機構の資料もとに筆者作成)自社単独では申請できない。大学等研究機関と指定の「事業管理機関」と共同体を形成して申請する形事業管理機関は経産省に指定されている。本補助金は歴史が15年ほどになるが、GO-TECHの前身制度では、事業管理機関が申請までの計画作成等と申請実務を請け負っていたが、関西では中小機構が計画作成等を指導し、事業支援機関は申請のみを行う分業化になっている。地域で異なっているため該当地区の経産局担当部署にどこに相談に行けばよいか問い合わせることが必要です。以前は、アドバイザーとして製品が完成したら購買しますと意思表示している企業団体が参画することが必要だったが、GO-TECHでは条件から外されている。(3)申請書の概要と審査について審査は自社事業や技術の専門家が当たるわけではないため、論理整合を見られます。「これ」(技術や機能)があれば○○の業界が購買します。なぜなら□□だからです。→なるほど!というところが結論になっている必要があります。また業界の専門用語を使わず申請書を作成しなければなりません。「わかっている人が見る」のではなく「わからない人が見る」前提がないと、簡単に不採択になります。図表を多用し、文章主体の申請書にしないように気を付けます。特に技術内容は図表を使って見せるようにします。論文調に技術内容を文書で記述すると審査員が理解できないリスクがあるからです。25年度の全国採択率は49%です。3年平均で52%となっており、半数は不採択になる補助金です。門外漢(高卒の新入社員)が読んでも、80%は理解でき、なおかつ該当分野の世界的権威が読んでも素晴らしいと思うようにと意識して書く必要があります。ライティング能力を問われるということです。(4)申請スケジュール(令和7年度参照)GO-TECHを調べて一番困るのはいつ申請すればよいのかオープンにされていないことです。スケジュールは公募開始と提出期限のみ決まっています。(5)まとめGO-TECH補助金申請にあたって申請書を作成するのであれば、新事業進出促進補助金、ものづくり補助金もほぼ同じ内容で申請できるので、すべて申請することをお薦めします。どの地域の企業でも申請の相談に乗ってくれて計画策定の指導をしてくる機関はありますので、まずは最寄りの経産局にお電話していただいて「GO-TECHを申請したのだがどうすればよいか教えてほしい」とお尋ねください。親切に連絡先を教えてくれます。ただし、共同体が形成できる状況が整っていないとGO-TECH補助金は申請できませんのでご注意ください。自社だけでクローズに研究開発されている場合は、相談先機関から大学や研究機関を紹介していただける可能性がありますが、自社だけで単独申請はできません。1億円から3億円程度の高額な補助金で、人件費も補助対象で、補助率も2/3と高いので新事業、新製品開発の製品化フェーズではチャレンジの価値があります。提供:税経システム研究所
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2026/01/30 人事労務管理
昨今労務事情あれこれ(218)
*本稿は2026年1月15日時点の情報に基づいて作成しています。1.はじめに2026年を迎えて早1カ月。今年の干支は「午(うま)」。力強く駆け抜ける馬の姿から、活力・前進・情熱の象徴とされ、新たな挑戦や大きな成長・発展に最適な年とされています。皆様のビジネスが飛躍・躍進を遂げる年となるよう祈念しております。2025年秋に高市政権が発足しました。自民党総裁に選出された直後に高市氏が発した「働いて働いて……」は高市氏の「国民のために懸命に働いていく」覚悟を示す言葉として、2025年の新語・流行語大賞にも選ばれるほどの象徴的な言葉となりましたが、「過労死を助長する」「働き方改革に逆行する」といった批判や抗議の声も上がっていました。「働き方改革」に代表されるように、多様な働き方、テレワークや副業の拡大、少子高齢化に伴う労働力不足など近年、我が国の労働環境は急速に変化しています。そうした状況の中、労務管理の基本とも言える労働基準法が対応しきれていないとして改正に向けた議論が行われています。この後は、2026年の通常国会への提出による法制化を念頭に置いていた模様ですが、高市早苗首相が指示を出した「労働時間規制の緩和検討」などの議論を踏まえる必要があるとの判断から、厚生労働省は2026年の改正案提出は先送りする方針を示しました。このように、一旦立ち止まった格好にはなりましたが、この大きな改正案の内容について、どういった項目の変更が議論されているのかを知り、改正後の自社対応をシュミレーションしておくことには大いに意味があります。今回は、改正議論のポイントとしてあげられていた項目について、その内容の紹介と対処法を考えていきます。2.議論されている項目は?労働基準法の改正案は、本稿執筆時点ではまだ国会提出はされていませんが、厚生労働省の労働政策審議会(以下「審議会」)で具体的な議論が進められている主な項目は以下の内容です。副業・兼業時の労働時間通算制度の見直しフレックスタイム制の部分活用とテレワークの際の新たな「みなし労働時間制」の創設連続勤務の上限見直し法定労働時間週44時間特例の廃止法定休日の特定義務勤務間インターバル制度の義務化年次有給休暇取得時の賃金算定方法変更「つながらない権利」の明確化管理監督者・裁量労働対象者の適用見直しこれらの項目のうち、重要度が高いとされているのが1.~5.の項目です。具体的に各項目の内容を見ていきます。1.副業・兼業時の労働時間通算制度の見直し(38条)現行では、一人の労働者が複数の企業で働く場合、複数の雇用先の労働時間を通算し、法定労働時間を超えた場合、後から雇用した会社が割増賃金を支払うとされていますが、例えば、副業先が本業先の労働時間を正確に把握することは極めて難しく、また、変形労働時間制やフレックスタイム制などが関係してくると、事実上、通算は困難となるなど企業側の負担があまりにも大きな制度となっています。この点に関し、審議会は「健康確保のため労働時間の通算は維持するも、割増賃金の支払いについては通算不要」とする方向性を示しています。これにより、複数企業間での割増賃金算定は不要となり、企業も副業を認めやすくなるものと見込まれています。2.フレックスタイム制の部分活用とテレワークの際の新たな「みなし労働時間制」の創設(38条)現行では、フレックスタイム制を部分的に適用することは認められておらず、テレワークする日と通常通り職場に出勤する日が混在する場合は、フレックスタイム制が活用しにくくなっています。この点について審議会は、「テレワークに限らず、特定の日については、あらかじめ就業規則で定められた始業・終業時刻に出退勤することを可能にすることにより、部分的にフレックスタイム制を活用できる制度の導入を進めることが考えられる」と提言しています。また、「みなし労働時間制」については、具体的に対象業務が定められており、テレワーク等についてもみなし労働時間制を適用することが可能ですが、適用条件や制度的制約が多く、「多様な働き方」への対応が課題とされています(注1)。この点に関し、テレワークや在宅勤務に限定した、「新たなみなし労働時間制」を創設するなどの方向性が検討されています。3.連続勤務の上限見直し(35条)現行では4週間で4日以上の休日を確保していれば、最大で48日間の連続勤務が可能です。しかし、長期にわたる連続勤務は過労やメンタル不調に直結する要因であり、労災保険における精神障害の認定基準でも、「2週間以上の連続勤務が心理的負荷となる」と例示されています。この点に関し、審議会は「13日を超える連続勤務の禁止」を提言しています。4.法定労働時間週44時間特例の廃止(40条)現行では、原則的な法定労働時間は「1日8時間週40時間」ですが、卸売・小売などの商業・病院などの保険衛生業・旅館、ゴルフ場などの接客娯楽業など特定の業種で従業員数が常時10人未満の事業所については、特例として法定労働時間を「1日8時間週44時間」まで延長できることになっています。しかし、対象となる事業場の約87%がこの特例措置を利用していないことから、審議会は「特例の撤廃に向けた検討に取り組むべき」と提言しています。5.法定休日の特定義務(35条)現行では「法定休日」(使用者が少なくとも週に1回与える義務のある休日)について、どの日を法定休日とするのか、明示する義務はありません。週休二日制やシフト制、変形労働時間制など勤務形態が多様化する中で、「法定休日」と「所定休日」(法定休日以外の休日)が混在することにより、休日労働の割増賃金や代休について労使間でトラブルが散見されています。この点に関し審議会は「法定休日をあらかじめ就業規則などで特定することを義務付けるべき」と提言しています。上記の5項目以外の項目も順次改正の対象とされることから、議論の推移が注目されるところです。3.改正が議論されている段階での備えとは労働基準法の改正は、本稿執筆時点では、厚生労働省・審議会内で議論中の段階ですが、先々改正が決まった場合は、就業規則をはじめとした社内規定を、早々に改正後の内容に対応するよう改めなければなりません。これに備えるために、企業側としてどのように備えておくべきなのでしょうか。○現行制度の見直しと再確認改正が議論されている内容は「労働時間」や「休日」に関連した項目が多くなっています。就業規則で定めている労働時間・休日について再確認し、どのような内容となっているのかを把握しておくことは必須の対応です。また「36協定」(時間外・休日に関する労使協定)の内容にも関係してきますので、こちらも内容を確認しておきましょう。○自社の労務実態の確認残業時間や年次有給休暇の取得状況、シフトの組み方など労務の実態を再確認してみましょう。労働時間や休日に関する条項が改正されることにより、休日・時間外の割増賃金など労務コストに直接跳ね返ってくる可能性があります。また、現状で長期の連勤が恒常的になっている場合などは、人員増やシフトの再編などにより対応が可能かどうかを検証しておきましょう。40年ぶりの改正が現実のものとなった場合、その対応はかなりの負担となることが予想されます。その一方で、先述の通り「労働時間」や「休日」に関連する項目が多い=労働者の健康や休息時間の確保、働きやすさの向上が主眼とされていると考えられることから、自社の魅力を訴求し、採用や定着率の向上に繋げていくチャンスでもあります。早期に準備を進め、自社に最適な対応策を打ち出せるようにしていきましょう。<注釈>「事業場外労働に関するみなし労働時間制」の適正な運用のために(東京労働局)https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/library/tokyoroudoukyoku/jikanka/jigyougairoudou.pdf提供:税経システム研究所
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2026/01/29 企業経営
中小企業のM&Aと企業価値評価(第21回)
【サマリー】前回まで中小企業におけるM&Aと企業価値評価の実務について解説しました。本稿より今までの投稿のまとめとして、最近の中小企業のM&Aについての国(中小企業庁)の働きかけ、具体的には中小企業のM&Aガイドラインについて解説していきます。1.中小企業庁が公表している中小企業のM&Aガイドラインについて中小企業庁は、近年の中小企業のM&Aに対する関心の高まりや事業承継のツールとしてのM&Aに対する留意点の啓蒙を目的として、2015年3月にM&Aの手続きや手続毎の利用者の役割・留意点、トラブル発生時の対応等を記載した「事業引継ぎガイドライン」を策定しました。その後、2020年3月には、後継者不在の中小企業のM&Aを通じた第三者への事業の引継ぎを促進するために、同ガイドラインを全面改訂した「中小M&Aガイドライン-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」(以下「初版」という。)を策定しました。初版の趣旨は以下のとおりです。「M&A業者の数は年々増加しているが、中小企業にとって適切なM&A支援の判別が困難でありM&Aを躊躇する原因の1つとなっているため、中小M&Aガイドラインにより、M&Aの基本的な事項や手数料の目安を示すとともに、M&A業者等に対して適切なM&Aのための行動指針を提示した」続いて2023年9月に初版を改訂し、「中小M&Aガイドライン(第2版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」(以下「第2版」という。)を策定しました。第2版の趣旨は以下のとおりです。「初版策定から約3年が経過し中小M&Aに関する行政・民間の取組にも一定の進展がみられ中小企業のM&Aは定着してきたが、仲介者・FA(フィナンシャル・アドバイザー)に関して、契約のわかりにくさや担当者による支援の質のばらつき、手数料体系のわかりにくさ(最低手数料の適用)等の課題が見受けられるようになったため、当該課題に対応するため、第2版においては、特にM&A専門業者向けの基本事項を拡充するとともに、中小企業向けの手引きとして仲介者・FAへの依頼における留意点等を拡充した」近年では2024年8月に第2版を改訂し、「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」(以下「第3版」という。)を策定しました。第3版の趣旨は以下のとおりです。「M&A支援機関の支援の質を確保する観点から、仲介業者・FAが実施する営業・広告に係る規律や仲介業者において禁止されている利益相反取引の具体化、当事者間におけるトラブルに発展するリスクやその対応策について解説した」以上、中小企業庁がここ5年で矢継ぎ早にガイドライン及びその改訂版を公表したことは、中小企業のM&Aに対する社会の関心が高まっている一方で、高度な知識や倫理観、十分な経験を有していない仲介業者の増加に対する危機感の表れと見てよいでしょう。このような仲介業者を排除しないと中小企業の社長のM&Aに対する不信感、ひいては日本の中小企業の円滑な事業承継の停滞につながることになりますので、中小企業庁の一連のガイドラインの公表と改訂は評価に値するものと考えます。2.中小M&Aガイドライン(第3版)の解説上記の通り第3版ではM&A支援機関の支援の質を確保する観点からの記述となっておりますが、中小企業の社長向けの留意事項も述べております。本稿では「M&Aに向けた事前準備」を解説します。①支援機関への相談支援機関への相談について、ガイドラインは以下のようにアドバイスします。「譲り渡し側経営者(以下、売り手サイドの社長)が中小M&Aの意思決定を行うに当たっては、様々なポイントを検討することになる。しかしながら、売り手サイドの社長が単独で検討していても日々の業務への対処等が優先してしまい、なかなか検討が進まないことが多い。また、専門的な知見を有しない中で検討を続けることで誤った判断を行うおそれもある。そのため、売り手サイドの社長がまず行うべきことは、身近な支援機関への相談である。具体的には、商工団体、士業等専門家(公認会計士・税理士・中小企業診断士・弁護士等)、金融機関、M&A専門業者のほか、事業承継・引継ぎ支援センターといった公的機関があり、まずはこういった支援機関に相談することが望まれる。実際には、まず顧問の士業等専門家(特に顧問税理士)に相談することも多いと思われるが、自身が相談しやすいと考えられれば、所属する商工団体、取引金融機関等に相談してもよい。公的機関である事業承継・引継ぎ支援センターや、政府系金融機関である日本政策金融公庫でも相談を受けている。その際には、まず、直近3年分の税務申告書・決算書(損益計算書・貸借対照表を含む。)・勘定科目内訳明細書の写しを用意すれば十分である。可能であれば会社案内や自社ホームページの写し等といった売り手サイドの事業の概要が分かる資料も用意できるとよい。これら以外の詳細な資料は、支援機関からの指示を受けてから準備すれば足りる。中小M&Aの意思決定がまだ済んでいないから相談を控えるのではなく、むしろ、意思決定がまだ済んでいないからこそ相談することが必要である。なお、支援機関への相談の際には、自分にとってマイナスな情報や後ろめたい情報ほど先に伝えておく真摯な姿勢が望まれる。これにより支援機関も課題への対応策や解決方法等を早期に検討しやすくなり、円滑な中小M&Aに資することになる。」売り手サイドの社長は、周辺から見ると意外と孤独な環境に身を置いています。そのため、事業承継等の重要な意思決定事項については身近に相談相手がいないのが現状と思われます。ガイドラインでは社長の意思決定が未了の段階での、専門家への相談を勧めておりますが筆者も同感です。②後継者不在であることの確認後継者不在であることについて、ガイドラインは以下のようにアドバイスします。「売り手サイドの社長は、親族内・社内に後継者候補がいないこと(つまり後継者が不在であること)を確認しておく必要がある。具体的には、親族内承継を実施しないことにつき身近な親族(特に子や兄弟)から了解を得ておくこと、社内に後継者候補がいないこと(従業員承継が不可であること)を確認しておくことが必要である」売り手サイドの社長の子供に事業を円滑に継承できれば、売り手サイドの社長は恵まれた環境にいることになります。しかし、現実ではスムースに事は運びません。売り手サイドの社長に後継者が不在の場合、身近な親族(売り手サイドの社長の兄弟やその周辺)や会社の従業員に早めに相談することが望ましいと考えます。③引退後のビジョンや希望条件の検討引退後のビジョンや希望条件の検討について、ガイドラインは以下のようにアドバイスします。「売り手サイドの社長は、引退後のビジョンを含む希望条件を事前によく考えておく必要がある。例えば、当面は売り手サイド側もしくは買い手サイド側の事業に関わり続けたいのか、別の事業に進出したいのか、それとも社会貢献活動や余暇を楽しむといった全く別のことを行いたいのか等、引退後にどのような過ごし方を選択するかといった点は、本人のその後の人生にとって重要な要素である。また、希望条件についても、代金(譲渡対価)の金額や従業員の雇用継続は売り手サイドの社長として懸念することの多い重要な要素の1つではあるが、希望条件として検討すべき要素はこれに限定されるものではない。売り手サイドの社長は、中小M&Aにおける希望条件を明確化し、可能な限りで優先順位を付しておくことが望ましい。中小M&Aは相手があることであり、売り手サイドの希望が確実に受け入れられるわけではないが、そのような場合に譲歩できない点を固めておくことは、買い手サイドとどのような点を交渉すべきかを明確化することになり、円滑な交渉の実現にも資するものである。」売り手サイドの社長は引退後に何をしたいのかを明確化して、買い手サイドとの交渉に臨むべきと考えます。苦労して築き上げた事業をM&Aにより他社へ譲渡することは、感情的に複雑なことであることは筆者も理解できます。しかし、売り手サイドの社長の残りの人生に加えて既存の従業員の今後の処遇などを考えると、引退後のビジョンや希望条件については早めに自分なりの結論を出しておくのが望ましいと考えます。④中小M&Aに先立つ株式・事業用資産等の整理・集約中小M&Aに先立つ株式・事業用資産等の整理・集約について、ガイドラインは以下のようにアドバイスします。「中小M&Aに先立つ株式・事業用資産等の整理・集約は一般的に、事業承継においては、経営状況・経営課題等の現状把握と、事業承継に向けた経営改善等が必要とされる。中小M&Aの実行のためには、その中でも最低限、株式・事業用資産等の整理・集約が必要である。まず重要なことはまず支援機関に相談することである。売り手サイドの社長だけでは株式・事業用資産等の整理・集約が困難な場合もあるため、顧問税理士等の身近な支援機関に相談することが望ましい。なお、株式や事業用資産等の整理・集約については、法的な論点等についての検討や交渉を要することもあるので、この場合には法務の専門家である弁護士の助言を得ることが望まれる。◆株式の整理・集約普段は意識する機会が少ないものの、会社にとって株式は非常に重要なものである。仮に、株式が分散していたり、一部株主の所在が不明であったりする場合、中小M&Aを実行する際に重大な障害となるおそれもある。基本的に、総議決権の過半数の株式があれば株主総会決議は確実に可決することができるが、特に重要な事項(例えば、全事業の譲渡)については特別決議(出席株主の議決権の3分の2以上の賛成が必要な決議)が必要となることがあるため、これを確実に可決できるように総議決権の3分の2以上の株式を保有しておくことが望ましい。仮に売り手サイドの社長が買い手サイド側に対して会社の全株式を譲渡する場合(株式譲渡)には、基本的に、売り手サイドの社長が全株式を保有しておく必要がある。そのためには、他の株主からの株式の買取り(及びそのための買取り資金の調達)が必要なケースもある。また、株主名簿が正しく整備されているか、実際に出資していない親族・知人等の名義になっている株式(いわゆる名義株)がないか、(株券発行会社の場合)株券が適切に管理されているかといった点も確認が必要である。◆事業用資産等の整理・集約重要な事業用資産等(不動産や機械設備等)について、第三者の名義である、担保が設定されている、遺産分割の対象として争われている、第三者との間で係争中の物件である等の状況の場合、譲り渡し後の事業継続に支障が生じ得るため、これらについても確認が必要である。また、中小M&Aにおいては、家族経営の企業が多いことから、売り手サイドの会社財産と売り手サイドの社長個人の財産が明確に分離されていないケースも多い。そのようなケースでは、譲渡する事業用資産等を譲り受け側にスムースに譲り渡せないこともあるため、この点も明確に区別して整理・集約しておく必要がある。」売り手サイドの社長は、M&Aの実行に当たって株式の整理・集約と事業用資産等の整理・集約が必要となります。株式の保有状況が分散化している場合、M&Aの意思決定に際して障壁となるケースを筆者は見てきました。従って、売り手サイドの社長はM&Aの意思決定の前に株主の状況を把握して、必要であれば少数株主の株式を買い取って総議決権の3分の2以上の株式を確保する必要があります。また事業用資産等の整理・集約については当該資産の所有権(会社なのか社長なのか)や処分に対する制限条項などを整理する必要性を説明しております。事業用資産等は買い手サイド側にとって今後のキャッシュ生成の源泉なので、ネガティブな情報があれば、それらを誠実に買い手サイド側に伝えることが重要と考えます。提供:税経システム研究所
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2026/01/29 医療経営
戦略的医療機関経営 その168
【サマリー】本レポート執筆現在(2025年12月)、来年度の診療報酬改定に向けての議論が佳境を迎えている。次回のレポート執筆するころには改定の内容が明らかになっているだろう。このタイミングで前回までのレポート内容だと、若干タイムラグが起きる懸念があるため、今回のレポートは、現在の医療機関が置かれている状況をまとめた。この内容は厚生労働省の資料をまとめたものであるため、今回の改定の前提条件として認識されているものである。1.2023年度・2024年度病院類型別の経営状況/収支構造の比較上記表は、一般病院、療養型病院、精神科病院の2023年度と2024年度の経営状況を比較したものです。一般病院は最も多い形の病院で我々が受診する可能性が高い病院の形式です。療養型病院は、特に(合併症や併存症などがある)高齢者など長期の入院期間が予想される患者や最期を迎えるために入院する形式の病院です。最後の精神科病院は、精神科の患者が入院する病院です。最初に注目していただきたいのは、医業収益です。一般病院は2023年度に比べ、2024年度の医業収益は増加しています。しかし、療養型病院と精神科病院では、いずれも減少しているのが分かります。2023年5月に新型コロナウイルスが2類感染症から5類感染症に移行しました。したがって、コロナ感染症のパンデミックも終息し始めた2023年度であり、コロナ後の2024年度といった見方ができると考えられますが、当研究会でも再三ご報告していますが、コロナ後とはいえ、コロナ前のように患者が医療機関に戻ってこないという状況です。そのような状況の中でも一般病院は何とか収益を伸ばし、療養型病院と精神科病院はコロナ前のような収益に至らなかったと言えます。一方で、費用を確認すると、いずれの形式の病院でも、材料費と給与費が増加しています。医療機関の性質上、この二つの費用科目で、60%から75%程度占めてしまいますので、非常に影響の大きい科目の費用が増加していたことになります。さらに材料費と給与費は2025年度に入ってからも(収益以上に)上昇し続けているのは、下グラフの通りです。一般病院は、2023年度に比べて、2024年度は、1.8%伸びましたが、医業費用は収益の伸びを上回る2.1%のびました。中でも、前述した材料費と給与費の伸びの影響が大きいです。機能別にみても、回復期を除き、すべての分類でマイナスとなっています。特に急性期機能については、経常利益率でも平均値がマイナスとなっているのが分かります。医業利益率の平均値は回復期を除き全ての機能でマイナスとなっており、特に高度急性期・急性期B・精神・慢性期においては△5~0%が最頻階級となっています。■急性期機能の収支構造他の機能と比較して、急性期機能が高いほど相対的に入院診療収益比率が高く、材料費比率が高い傾向にあります。この理由は急性期機能が高いほど、重症度の高い救急患者が集まります。さらに急性期疾患の中でも手術を行う患者が多く、どちらも医療材料をたくさん使用します。■地域分類別経営状況いわゆる大都市と地方都市にある医療機関の経営状況を見てみると、下グラフのようになります。2024年度の病院の利益率については、いずれの地域でも医業利益率は平均値・中央値ともにマイナスとなっています。特に人口少数地域型は62.1%と医業利益の赤字割合が大きいですが、大都市型や地方都市型においても医業利益の赤字割合は過半数を超えており、地域に限らず経営状況が厳しいことがうかがえます。しかし、人口少数地域型の地域の病院の利益率が低く、赤字割合も大きいとの報告もあり、そもそも患者である地域住民の人口を考えると、やはり大都市に比べて、地方都市の医療機関のほうが経営的な環境は厳しいと考えられます。今後(現在でも)特に地方都市の医療機関の規模縮小、合併、廃止などが進むと思われます。■病院のみ経営の医療法人における現預金回転期間病院のみ経営の医療法人において、現預金回転期間が2023年度から2024年度にかけて平均値・中央値ともに低下し、平均値は3.6か月・中央値は2.5か月となっています。特に0.0~1.0か月、1.0~2.0か月の法人が増加しており、資金繰りが悪化している可能性がうかがえます。■2024年度の医科診療所の経営状況医業利益率、経常利益率について、いずれの区分でも平均値・中央値ともにプラスです。また入院収益ありの診療所は医科診療所全体、入院収益なしの診療所と比較して利益率が相対的に低い傾向にあります。医業利益が赤字の診療所の割合を見ると、医科診療所全体と入院収益なしの診療所は約40%、入院収益ありの診療所は約50%が赤字です。診療所は相対的に病院より、黒字である傾向が高いことが分かります。これらのデータを用いて財務省は診療報酬改定において、診療所領域の診療点数を引き下げて、病院領域の診療点数を引き上げるという発言に繋がります。診療所においても入院ベッドを有している有床診療所は、無床診療所に比べて赤字になる確率が高いです。やはり、入院患者を受け入れるための費用の負担が重いと考えられます。実際に全国の有床診療所は現在減少を続けています。有床診療所は特に地方においては、非常に重要なポジションにある医療機能です。特に地方都市の病院が減少している現在、ますますその機能は重要になるのですが、地方の有床診療所の減少によって助かる命が助からないなどとならないように願うばかりです。■2024年度の医科診療所の経営状況/診療科分類別おおむねどの診療科でも、令和5年度以降の受診延日数の水準は高く、一方で1日当たり医療費の伸びはマイナスとなっています。2.まとめ病院の2024年度の医業利益率は、平均値△1.1%、中央値△1.2%といずれもマイナスとなっており、医業利益の赤字割合は58.9%と過半数を超えています。機能別の2024年度の医業利益率(平均値)では、急性期に分類される病院が他の分類と比較して低い傾向にあり、高度急性期は△1.0%、急性期Aは△2.4%、急性期Bは△2.3%となっています。地域分類別の2024年度の医業利益について、特に人口少数地域型の赤字割合が62.1%と高いものの、大都市型は56.3%、地方都市型は59.3%といずれも赤字割合が過半数を超えており、地域に限らず病院の経営状況が厳しいことがうかがえますが、今後のことを考えるとやはり都市部より地方部のほうが経営環境は一層厳しいと思われます。2023年度と2024年度両年度のデータがある病院について、病院類型別では全ての類型で、機能大分類別では回復期以外で、地域分類別では全ての地域分類で、医業利益の赤字割合が上昇しています。また、2023年度と2024年度両年度のデータがある病院のみ経営する医療法人において、現預金回転期間が中央値・平均値ともに低下しています。特に、0.0~1.0か月・1.0~2.0か月の法人が増加しており、資金繰りが悪化している可能性がうかがえます。診療所においては、2024年度の医業利益率、経常利益率について、全体、入院収益ありの診療所、入院収益なしの診療所いずれも平均値・中央値ともにプラスである。一方で入院収益ありの診療所は他の診療所と比較して利益率が相対的に低く、約半数で医業利益が赤字です。2カ年でデータがある診療所に絞って経年で見ると、全体、入院収益ありの診療所、入院収益なしの診療所いずれも医業利益率、経常利益率の平均値・中央値ともに2023年度から2024年度にかけて低下しており、医業利益が赤字の診療所の割合も拡大しています。その要因として、2023年度から2024年度にかけて医業収益が減少する一方で、医業費用は増加していることが見て取れます。診療科別に見ると、多くの診療科で2023年度から2024年度にかけて利益率が低下しており、医業利益が赤字の診療所の割合も拡大しています。その要因として、医業収益が減少し、医業費用が増加している場合や医業収益・医業費用ともに増加しているが、医業費用の増加の方が上回っている場合等が存在します。地域分類別に見ると、いずれの地域分類においても2024年度の医業利益率・経常利益率は平均値・中央値ともにプラスです。2カ年でデータがある診療所に絞って経年で見ると、いずれの地域分類の医科診療所においても医業利益率・経常利益率の平均値・中央値が、2023年度から2024年度にかけて低下しており、医業利益が赤字の診療所の割合も拡大しています。その要因として、2023年度から2024年度にかけて医業収益が減少する一方で、医業費用は増加していることが見て取れます。本レポートの出典は、中医協に提出された資料に基づいています。したがって、厚生労働省は現在の医療機関の経営状況について、本レポートのような状況であると認識しているということになります。この認識を踏まえての来年度の診療報酬改定ということになります。次回レポート執筆時に診療報酬改定の内容も明らかになっていると思われます。提供:税経システム研究所
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2026/01/23 行政DX
デジタル時代の新しい「身分証明」
1.はじめにマイナンバーカードの普及により、私たちの「身元」を証明する手段のデジタル化は大きく進展している一方で、世の中で多くやり取りされているのは、卒業証明書や在籍証明、納税証明書といった、個人の「資格や属性」を証明する書類であり、これらのデジタル化こそが、社会全体の効率と安全性を引き上げる鍵となる。ここで、この課題を解決する技術として、今注目を集めているのが「VerifiableCredential(VC:検証可能な資格情報)」と「DigitalIdentityWallet(DIW:デジタルアイデンティティウォレット)」である。これらは、個人の資格や属性に関する情報を、デジタル署名によって「本物であること」を保証し、個人の管理下に置くことを可能にするものである。2025年10月23日にデジタル庁が開催した「属性証明の課題整理に関する有識者会議」(注1)の第1回会合では、このVCおよびDIWを活用したデジタル属性証明の社会実装に向けた課題と方向性が議論された。デジタル技術を用いて安全な属性証明の仕組みを構築することは、今後の社会基盤にとって極めて重要であることから、引き続き同会議ではVC・DIWという技術を用いて各種証明書の電子化・高度化を推進するために必要なガイドライン等の整備について、行政手続のデジタル完結やデータ利活用の将来像を踏まえた議論が行われる予定である。本稿では、VC・DIWについて、その詳細と、どのように使われるかを解説するとともに、この新しい社会インフラを築く上での課題や論点について触れていく。2.VerifiableCredential(VC)とDigitalIdentityWallet(DIW)1)VCとDIWとは何かデジタルで発行される証明書として、現在多くの機関でPDFが利用されているが、これには2つの大きな問題があるとされる。1つは、なりすましの危険性であり、PDFファイルは専門的な知識がなくても比較的簡単に編集できてしまうため、悪意のある第三者が内容を書き換えて偽造の証明書を作成し、ローン審査や銀行口座の開設に悪用するという「なりすまし」のリスクが存在する。これについては、デジタル署名を付与する対策も進められているが、広く普及しているとは言い難い状況にある。2つ目は、PDFはあくまで紙の見た目をデジタルで再現したものであり、証明書の規格が定まっているわけでないために、書かれている文字や数字をシステムがデータとして自動で読み取ることが困難な点である。このため、証明書を受け取った担当者は、内容をシステムに反映するためにPDFを見て内容を手入力することになり、業務効率化やAI活用の大きな妨げになっている。こうした偽造と非効率という問題を解決するために開発された仕組みが、VC・DIWという新しいアーキテクチャである。現実社会で例えると、VCは、財布の中に入っている免許証や保険証といった「個々の証明書」に、DIWは、それらの証明書をまとめて安全に保管しておくための財布にあたるが、これらについて詳しく見ていくことにする。・VerifiableCredential(VC)-検証可能な資格情報VCとは、「本物であることが保証されたデジタル証明書」のことであり、氏名や住所、資格情報といった属性情報を記載した、デジタル署名によって真正性と非改ざん性が確保された機械可読なデータ形式のことをさす。署名により、その情報がたしかにその組織から発行されたものであること(真正性)と、発行後に改ざんされていないこと(非改ざん性)が保証される。また、VCを発行する機関や組織のことをIssuer(発行者)と呼び、例えば、「卒業証明書VC」であれば大学が、「住民票の写しVC」であれば自治体がIssuerとなる。Issuerは、デジタル証明書の内容に対して責任を持つ、信頼の基点となる存在である。・DigitalIdentityWallet(DIW)-デジタルアイデンティティウォレットデジタルアイデンティティウォレット(DIW)は、発行されたVCを安全に保管し、管理するための「スマートフォンのアプリ」や「デジタル上の入れ物」のことを指している。物理的な財布に免許証や保険証を入れて持ち歩くように、DIWを使えば、住民票の写しVCや卒業証明書VCなどをスマートフォン上で一元管理し、必要な時に必要な相手にだけ、安全に提示することができる。この時、発行されたVCを自身のDIWで管理し、利用する「本人」のことを、Holder(保有者)と呼び、VCは、IssuerやDIW提供者ではなく、常にこのHolderの管理下に置かれる。また、Holderから提示されたVCが本物であるか、内容が正しいかを確認する相手のことをVerifier(検証者)と呼ぶ。就職活動のシナリオであれば、卒業見込証明書VCを受け取る採用企業がVerifierにあたる。Verifierは、VCに付与されたデジタル署名を検証することで、その証明書が改ざんされておらず、信頼できるIssuerから発行されたものであることを即座に確認できる。次にVCとDIWがどのように使われるのかを、「大学が発行する卒業見込証明書VCを、就職活動で企業に提出する」というシナリオを例に見ていくことにする。発行(VCの入手)まず、Holderである学生が、Issuerである大学のウェブサイトなどから「卒業証明書VC」の発行を申請する。大学側は、ID・パスワードや学生証ICカードを用いて申請者が本人であることを確認した上で、学生の卒業見込情報を記録したVCを作成し、大学のデジタル署名を付与して発行する。これにより、このVCが「確かにこの大学が発行した、改ざんされていない卒業見込証明書である」ことが保証される。保管(VCをウォレットに格納)発行された卒業見込証明書VCは、学生のスマートフォンにインストールされたDIWに安全に送信され、保管される。一度DIWに保管されれば、学生はいつでも自分の証明書を自身の管理下で確認・利用できるため、物理的な証明書のように紛失の心配は無い。提示(VCの提示)学生は就職活動で応募先の企業(Verifier)に、自身のDIWを通じて卒業見込証明書VCを提示する。これは、オンラインの応募フォームから提出することも、対面での面接時にQRコードなどを介して見せることも可能である。企業側は受け取ったVCのデジタル署名を検証することで、その証明書が本物であり、内容が正しいことを自動で確認できるため、採用プロセスの効率化と信頼性の向上が両立される。図1VC/DIWを用いた新型コロナワクチン接種証明書の運用(参考文献(注2)より引用)また、VCとDIWの技術を活用した身近な実例の一つに、多くの人が利用した「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」がある(図1)。ここでは、自治体がIssuerとして、利用者(Holder)に「この人はワクチンを接種済みです」というVCを発行し、そのVCをスマホの接種証明書アプリ(DIW)に保存していた。利用者は、海外渡航時やイベント会場で、VCをアプリ上でQRコードとして提示し、Verifierである航空会社やイベント開催者は、これを読み取ることで接種の事実を確認した。ここでのVCは、SMARTHealthCards等の国際規格を用いて発行されたため国内だけではなく海外での利用も可能であったが、VCのコピーが可能であったため、接種証明書単体では提示した本人がVCの所有者であることが確認できず、パスポート等の身元を証明する証明書との併用が必要であった。また、本年6月にiPhoneで開始された「マイナンバーカードのスマートフォン搭載」も、実例の一つである。ここでは、氏名、住所、生年月日、性別、顔写真、マイナンバーを含む身分証明情報VCを国際規格(ISO/IEC18013-5、通称mdoc)に準拠した非常にセキュアな形式で発行し、Appleが提供するDIWであるAppleWalletに格納する。AppleWalletは、利用者本人のiPhoneを用いてVCが提示されたことを証明する仕組みが搭載されているため、VCをコピーして利用することは不可能であり、確実に本人と結びついた利用が可能となっている。このように、VCとDIWは「発行」「保管」「提示」という3ステップを通じて、安全で効率的な証明書のやり取りを実現できるが、それを実現するためのいくつかの技術的方策が存在しているため、特に民間分野での活用を想定した安価で利便性の高いエコシステムをどのように構築していくかが重要な課題となっている。2)VC・DIWがもたらすメリットと課題このVC・DIWの仕組みが社会に広がると、私たちの生活に大きく3つのメリットをもたらすと期待されている。利便性の向上スマートフォン1台あれば運転免許証や保険証、社員証、資格証明書など、たくさんの物理的なカードを持ち歩いたり、紙の書類を印刷したりする必要がなくなる。全ての証明がスマートフォン一つで完結するため、手続きもスムーズになると想定される。プライバシーの保護VC・DIWは、必要な情報だけを見せる「選択的情報開示」に対応しており、不必要な情報を開示しなくてよいためプライバシーの保護につながる。例えば、コンビニでお酒を買う際の年齢確認では、今までは運転免許証を提示し、生年月日だけではなく、名前や住所、顔写真などを店員に見せる必要があった。VCを使えば、「20歳以上である」という事実だけを証明でき、他の個人情報を一切見せる必要がない。手続きのデジタル完結VCは機械が読み取れるデータなので、これまで人の目で確認し、手入力していた作業が不要になる。これにより、行政や企業は事務処理コストを大幅に削減でき、利用者も待ち時間が減り、手続きが迅速に進むようになる。将来的には、AIエージェントがVCを使って様々な手続きを自動で行うといったことも可能になると想定される。一方で、VC・DIWエコシステムの社会実装を達成するためには、利便性だけでなく、潜在的な脅威とリスクを事前に特定し、分析することが不可欠である。有識者会議では、VCのライフサイクル(発行・保持・提示・保存)に沿って脅威を整理し、それらが引き起こす主要なリスクを以下の4類型に集約した(表1)。正規VCの盗用や再利用による詐称・なりすまし偽造VCや派生VCの受け入れ被害VCに起因するプライバシーの侵害VCの可用性や利便性の低下また、VC・DIWのリスクを考えるにあたっては紙とデジタルの間では脅威モデルが根本的に変化する点を認識する必要がある。紙の証明書では、社会的に問題となるのは「本人自身による偽造」が主な脅威であった。一方で、デジタル環境では、脅威は「悪意ある第三者によるVCの窃取」や「事業者間の結託による大規模な名寄せ」など、より多様化するため、この脅威モデルの変化を前提とした対策設計が不可欠となる。表1VCのライフサイクルにおける主要リスクと対策案3.ガイドライン策定によるエコシステム構築の推進VC・DIWの普及においては、「安価・簡便・迅速に実施できること」を最重要視し、規制を最低限に留めることが基本的な考え方とされており、原則として、国のルールや制度が存在しなくても、エコシステムが円滑に機能することが理想とされている。一方で、有識者会議では、エコシステムが自律的に機能することを理想としながらも、制度的な枠組みが必要となる要因や懸念点が複数指摘されている。例えば、制度やルールが不在の状態では、悪用や消費者被害、プライバシー侵害が発生する恐れがあり、これが社会的不信を広げ、結果的に普及を妨げる可能性がある。また、「安価・簡便・迅速」の追求は重要であるが、ユーザー中心のデジタルID管理というDIWの目指す姿を達成するためには、利用者の権利や利益の保護、すなわち「安全」性の確保も重要であり、これを軽視すべきではないという意見もある。さらに、ルールがない状態では、大手IT企業などのWalletに利用が集中し、寡占化が進むリスクがあるとされる。このため、デジタル庁からは、これらのバランスを取るため、現時点では、直ちに法の縛りを設けるのではなく、ガイドラインを整備することで、VC・DIWの普及を促すことを優先する方針が示されている。まずは、技術面・運用面の対策について推奨要件を示すガイドラインを策定し、証明書の発行機関などが適切な標準や仕様に従ってシステムを構築・運用する環境を整えることで、早期の社会実装を進め、利用者を増やしていく。その上で、複数のユースケースで活用できる共通的なガバナンスを検討しつつ、リスクの高いユースケース(例えば、公的かつリスクの高い個人向けのサービスなど)を念頭に適切な制度面の対策を議論していく方針である。このように、VC・DIWの普及においては、「安価・簡便・迅速」というエコシステム機能の実現を追求しつつ、その機能を安全に維持するために、法制度に頼る前に技術的・運用的な対策をガイドラインで明確化し、真に法律が必要な領域(例えば、利用者の権利保護、データポータビリティ、独禁法上の課題)を特定していくことで、将来の法整備に繋げるという段階的なアプローチが取られようとしている。これは、e-Japan時代の電子署名法の策定など、法律の施行によって普及が停滞した過去の教訓を踏まえ、まずは住民票の写しのような重要書類のVC化だけではなく、図書館の利用カードのような私たちの身近なリスクの低いユースケースの社会実装を進めて成功事例を積み重ねていくことで、多様なユースケースの創出につなげ、社会全体のデジタル変革の加速を目指すものと言える。4.終わりにVCとDIWは、単なる証明書のデジタル化技術ではなく、プラットフォームに集約されがちであった個人データのコントロールを個人の手に取り戻し、社会全体のデジタル取引における信頼性と効率性を向上させるための、重要社会インフラとなるべきものである。その実現には本稿で述べたような様々なリスクや課題を乗り越えなければならないが、この新しいインフラが社会に根付いたとき、私たちはより安全で、個人の権利が尊重される便利なデジタル社会を手にすることができるだろう。有識者会議の中で、デジタル庁の担当者は、2025年をAIがユーザーの代わりにウェブを操作する「エージェンティックブラウザ元年」になると指摘している。AIが私たちの代理人として安全に活動するためには、そのAIが「誰から、何を許可されているのか」を確実かつデジタル的に証明する仕組みが不可欠である。VC・DIWに関する現在の取り組みは、まさに今後10年、20年と我々がAIを安全に活用していくための基盤整備になると言えるだろう。官民一体となってこの取り組みを推進することで、誰もが信頼し、安心して参加できるデジタル社会の実現が加速することを期待したい。<注釈>属性証明の課題整理に関する有識者会議(デジタル庁)https://www.digital.go.jp/councils/vc-diw-governance属性証明の課題整理に関する有識者会議(第1回)事務局説明資料(デジタル庁),https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/2c9c78e4-4cb5-4ef0-a3e5-6fd461d0ef84/1e25a76b/20251023_meeting_vc-diw-governance_outline_02.pdf提供:税経システム研究所
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2026/01/13 日本経済と世界経済
トランプ関税交渉の決着とその内容
1米国時間2025年9月4日に我が国に対する関税措置に関する大統領会への署名が行われた。(1)相互関税の追加関税は、当初25%とされたものが15%に引下げられた。最恵国税率が15%以上の品目は追加関税は課されず、15%未満の品目は一律15%となり、いわゆる「上乗せなし」となった。適用は2025年8月7日から遡及して適用されることとなった。(2)自動車、自動車部品関税も、既存の最恵国税率(2.5%)を含めて15%となった。なお、米国と韓国の間はFTAにより関税は0%であったが、日本同様15%となった。(3)航空機、航空機部品(ただし無人機は除く)の追加関税は15%であったが無税となった。(4)米国において入手不可能な天然資源とジェネリック医薬品(その原材料および化学前駆体を含む)について、相互関税から除外して無税となった。なお、半導体や医薬品についても日本は最恵国待遇となり、EU同様15%となった。(当初、アメリカは200%を主張していた。)2EUも相互関税の扱いは日本同様最恵国待遇となり15%となったが、EUの各国はそれぞれの対米輸出品の関税が引下げさせられた。例えば、フランスはワイン等の対米関税が引下げられ、EU委員長のフォン・デア・ライエン氏は各国から相当突き上げられているようだ。他方、日本は自国の対米輸出物品の関税は全く引下げさせられなかった。その結果、アメリカのUSTR通商代表のグリア氏は、今回の最終交渉の際には出席さえしていなかった。その代わり、日本は韓国と共にアメリカへの戦略的投資イニシアティブに参加することになった。これにより、日本は5500憶ドル、韓国は3500憶ドルの投資をアメリカ政府と一緒に投資することになった。その概要は、日本側は国際協力銀行(JBIC)からの出融資と日本貿易保険(NEXI)の保証付きの民間金融機関からの融資で投資法人に資金を流し、その投資法人が日米両国で構成する協議委員会で協議して、戦略的及び法的に適合するプロジェクトを選好し、米国商務長官を議長とする投資委員会がプロジェクトを大統領に推薦して、大統領が具体的プロジェクトを選定することになる。そのプロジェクトは半導体や医薬品、エネルギー等の経済安全保障上重要な分野が対象となり、そのプロジェクトには日本企業も参画する。米国は、そのプロジェクトの遂行のため、土地・水・電力・エネルギー・オフテイク契約規制面の対応等を担当する。特に許認可等については、米国政府が迅速に対応することも定められているので、事業リスクはほとんどない。しかも、製品を引きとる客は米国側が探すという。この共同で行う特別目的事業体(SPV)から得られる資金は、日本が提供した資金の元利返済担当分(保証料含む)を確保するまで日米が50対50で分配する。それ以上の収益が出る分については、米国側の様々な貢献に鑑みて米国90%、日本10%で分配することになる。日本の一部マスコミはこの一層の利益について日本側は10%しかこないことや、プロジェクト選定を大統領が行うことについて批判していたが、日本側出融資分が返済されるまでは50%対50%で日本に返済される上、日本の法律で日本側のそもそも利益をのぞめないプロジェクトには融資できないし、プロジェクト選定の協議会には日本は構成メンバーに入っているため、マスコミの批判は当たらないと思われる。むしろ、このような形で米国の国家安全保障上、重要な分野に日本政府及び日本企業が参画できることは日本の国家安全保障にとっても極めて有効と思われる。3今回の関税交渉と並行して行われた「為替レート」に関する協議において、日米財務大臣の共同声明が2025年9月1日に発表された。その声明において「為替市場における介入が検討されるような場合、介入は過度な変動を伴う、または無秩序な減価、増価への対応として等しく適切と考えられるとの想定の下、為替レートの過度の変動や、無秩序な動きに対処するものに留保されるべきことで一致した」とされた。この文言は大して脚光を浴びなかったが、「介入もできる」と明記されたのは初めてで、今後、円安でも円高でも過度な変動や無秩序な動きについては、日米は為替介入して良いこととなった。4以上のように、日本では今回交渉について語られていないが、他の国々、特にイギリス等からは日本は「大したものだ!」との声があがっている。イギリスは早々と自動車等の関税交渉でトランプ大統領から15%を勝ちとったとされたが、そもそもイギリスは自動車等は対米赤字国であるし、イギリスにとって最大の対米輸出品の薬については全く決着がついていない。このような状況について、イギリス側やEUから「日本はアメリカが敵対する中国の隣国だから日本には甘い?」といった声も聞こえてくる。この指摘が当たっているか否かは分からないが、日本の地勢学的重要性、逆に言えば、それだけ戦争にまきこまれる恐れが強いということも見えてきたと言えよう。5今回の交渉を見て、明らかなことは赤沢大臣、山田アメリカ大使、三村財務官が粘り強く交渉し、トランプの30年来の友人でもあるラトニック商務長官を味方につけて、交渉したことが良かったと思われる。トランプ関税がアメリカの最高裁判所で違憲判決が出る可能性はあるが、ここまで両国が対話を行い、共同作業を続けてきたことは高く評価されてしかるべきと思う。提供:税経システム研究所
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2025/12/26 人事労務管理
退職に関わるトラブル回避(第13回) 雇止め法理1
【サマリー】前回は、内定取消に関する主要判例を通じて、内定段階でも労働契約が成立し、取消には正当な理由と手続が必要であることを確認しました。今回は、有期労働契約の「雇止め」をテーマに、労働契約法19条の趣旨と判例法理を解説します。契約更新が繰り返され実質的に無期雇用と同視できる場合には、解雇と同様の合理性と社会的相当性が求められます。さらに、実務に大きな影響を与えた2つの重要判例を紹介し、企業が雇止めを行う際の判断基準と留意点を整理します。1.「雇止め法理」の確立従来、日本の労働法制においては、正社員など期間の定めのない労働契約については「解雇権濫用法理」(労働契約法16条)が適用され、使用者による解雇には合理的理由と社会的相当性が求められてきました。しかし、有期労働契約については、契約期間が満了すれば当然に雇用関係が終了するとの形式的理解が一般的であり、更新拒否(雇止め)は一見自由であると思われています。ところが、実際の雇用現場では、有期契約が形式的に繰り返し更新され、結果的に長期的な雇用関係が継続するケースが多数存在します。こうした場合に契約満了を理由に一方的に契約を打ち切ることは、実質的には「解雇」と同じ効果をもたらします。この点については1970年代以降、判例を通じて「雇止めに一定の合理性や相当性が求められる」という法理が確立されました。そして、こうした裁判例の積み重ねを条文化したものが労働契約法19条です。同条は、いわゆる「雇止め法理」を明確に法律として位置づけたものであり、現在の雇用実務において極めて重要な役割を果たしています。2.労働契約法19条労働契約法19条は、使用者が有期労働契約の期間満了を理由として労働者を雇止めしようとする場合に、次のいずれかに該当する場合には、その雇止めが無効となる可能性があると定めています。第1に、過去に契約が反復更新されており、実質的に期間の定めのない労働契約とみなされる場合です。第2に、労働者が当該契約が更新されるものと期待することについて合理的理由がある場合です。これらのいずれかに該当する場合に、使用者が契約期間の満了を理由に更新を拒否する場合、もしその雇止めが「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない」と判断されれば、当該雇止めは権利の濫用として無効とされます。つまり、この規定は、従来「解雇」に適用されていた合理性・相当性の原則を、有期契約の「雇止め」にも準用する趣旨を明文化したものです。形式的には期間満了で契約終了とされていても、実態として継続的な雇用関係が存在する場合には、無期契約と同様の保護が及ぶことになります。(有期労働契約の更新等)第十九条有期労働契約であって次の各号のいずれかに該当するものの契約期間が満了する日までの間に労働者が当該有期労働契約の更新の申込みをした場合又は当該契約期間の満了後遅滞なく有期労働契約の締結の申込みをした場合であって、使用者が当該申込みを拒絶することが、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、使用者は、従前の有期労働契約の内容である労働条件と同一の労働条件で当該申込みを承諾したものとみなす。一当該有期労働契約が過去に反復して更新されたことがあるものであって、その契約期間の満了時に当該有期労働契約を更新しないことにより当該有期労働契約を終了させることが、期間の定めのない労働契約を締結している労働者に解雇の意思表示をすることにより当該期間の定めのない労働契約を終了させることと社会通念上同視できると認められること。二当該労働者において当該有期労働契約の契約期間の満了時に当該有期労働契約が更新されるものと期待することについて合理的な理由があるものであると認められること。3.雇止め法理の概要労働契約法19条の背景には、複数の最高裁判例で確立された法理があります。これらの判例は、有期契約であっても更新の実態や雇用継続への期待がある場合には、雇止めに一定の制約を課すべきであるとする方向で積み重ねられてきました。雇止めについて争われた実際の判例を見ると、有期雇用契約を4つのタイプに分けることができ、各タイプに雇止めの可否について一定の傾向が見られます。(図表1参照)今回は、数ある判例の中から、「雇止め法理」の基本的な考え方を確立させた2つの判例を基に解説させていただきます。まず、「東芝柳町工場事件最高裁昭49.7.22判決」(詳細は「4.重要判例1」を参照)です。この事件では、期間2カ月の契約を繰り返し更新して働いていた従業員の雇止めが問題となりました。最高裁は、雇用関係が長期間にわたり継続しており、労働者が契約更新を期待することに合理的理由がある場合には、使用者が期間満了を理由に契約更新を拒否することは、客観的合理性と社会的相当性を欠けば無効になると判断しました。これにより、雇止めにも解雇に準じた制約が及ぶという「雇止め法理」が初めて明確に示されました。この「雇止め法理」は、労働契約法19条1号に明文化され、実質無期契約タイプ(期間の定めのない契約と異ならない状態に至っている)に分類されます。次に、「日立メディコ事件最高裁昭61.12.4判決」(詳細は「5.重要判例2」を参照)では、いわゆる嘱託社員の雇止めが問題となりました。最高裁は、労働者が契約更新を合理的に期待していたか否かを判断する際には、①契約更新の回数・通算勤務期間、②更新手続きの形式、③使用者の言動や説明内容、④職務内容や勤務実態、などを総合的に考慮すべきであると示しました。そして、本件では短期契約の反復更新であり、かつ景気悪化に伴う事業上の必要性が明確であったことから、雇止めを有効としました。この判決は労働契約法19条2号の、期待保護タイプ(相当程度の反復更新の実態から雇用継続への合理的期待が認められる)、に分類されます。(図表1)※厚生労働省「参考3雇止めに関するこれまでの裁判例の傾向」より雇止めがいずれかの類型に該当する場合には、その雇止めについて客観的な合理性や社会的な相当性があるかどうかが判断されます。そして、これらの合理性や相当性が認められない場合には、使用者が労働者による有期労働契約の更新または締結の申込みを承諾したものとみなされ、結果として従前と同一の労働条件による有期労働契約が成立したものと扱われます。このように、雇止めの有効性は、契約書の文言よりも、実際の勤務実態や使用者の対応を重視して判断される傾向が確立しています。4.重要判例1「東芝柳町工場事件最高裁昭49.7.22判決」<事案の概要>この事件は、有期労働契約で採用された臨時工の労働者が、契約期間の満了を理由に更新を拒否された、いわゆる「雇止め」をめぐって争われた事案です。労働者は短期間の契約を複数回にわたって更新し、恒常的な業務に長期間従事していました。東芝柳町工場では、繁忙期の人員確保を目的として「臨時工」という形態を用いていましたが、実際には同じ職場で、正社員とほとんど同じ業務に継続的に従事していたのです。原告である労働者は、4年以上にわたり反復して契約更新され、工場の恒常的業務を担っていました。しかし会社側は、経営上の整理を理由に「契約期間満了」をもって更新を打ち切り、雇止めを行いました。これに対し労働者は、「実質的には正社員と同じであり、契約更新を当然に期待できた」と主張して、雇止めの無効を訴えました。この事件の中心的な争点は、「期間満了」という形式を理由に、使用者が自由に雇止めを行えるのか、それとも実態として雇用が継続している場合には、解雇と同様の制約が及ぶのかという点でした。<判決のポイント>最高裁判所は、この事件を通じて、後に「雇止め法理」と呼ばれる重要な判断基準を初めて示しました。まず最高裁は、有期契約であっても、反復して更新されることで、実質的に期間の定めのない雇用契約と同じ状態に至っている場合には、期間満了を理由として当然に雇止めができるわけではないと判断しました。また、反復更新の回数がそれほど多くなくても、労働者が契約更新を期待することに合理的な理由がある場合には、同様に雇止めの自由は制約されるとしました。このような場合には、雇止めが「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でない」と認められれば、権利の濫用として無効になるという法理を明確に示したのです。最高裁は、合理的期待や無期的性格があるかどうかを判断するために、次のような要素を挙げました。それは、①契約更新の回数や通算勤務期間、②業務の性質が臨時的か恒常的か、③正社員との勤務実態の類似性、④契約締結・更新時の会社の説明や職場慣行、⑤他の同種労働者との比較、などです。このように、形式上の契約期間よりも雇用実態の継続性や合理的期待の有無を重視する姿勢が明確に示されました。結果として、最高裁は本件において、原告が長期にわたり更新を繰り返していたこと、業務が恒常的であったこと、会社側から合理的な雇止め理由の説明が十分になされていなかったことを踏まえ、雇止めを無効と判断しました。この判決は、「有期契約であっても実質的に無期契約に近い場合には、雇止めにも解雇と同様の合理性・相当性が求められる」という原則を確立した、その後の裁判にも大きな影響を与える重要な判例となりました。5.重要判例2「日立メディコ事件最高裁昭61.12.4判決」<事案の概要>この事件は、反復して更新されてきた有期契約において、解雇に関する法理(いわゆる解雇権濫用法理)をどのように類推適用するかを示したものであり、のちの労働契約法19条の基礎となった判例として、現在でも極めて重要な意義を持っています。本件の舞台は、医療機器メーカーである株式会社日立メディコ(現・日立製作所ヘルスケア事業部)の柏工場でした。原告である労働者は、2か月間の有期労働契約を結び、更新を5回繰り返して勤務していました。勤務態度は良好であり、仕事の内容も恒常的な生産業務の一部を担うものでした。しかし、当時、工場は独立採算制を採っており、医療機器市場の不況によって業績が悪化していました。会社は、生産調整とコスト削減のために人員を整理する必要があると判断し、契約期間満了時に更新を打ち切る、すなわち雇止めを行いました。会社側は「業績不振という事業上の都合」を理由に挙げましたが、労働者は「契約を何度も更新しており、今後も継続雇用されると期待していた」と主張して、雇止めの無効を訴えました。この事件の中心的な争点は、①有期労働契約が複数回更新された場合に、解雇法理を類推適用すべきかどうか、②本件の雇止めが社会通念上相当といえるかどうか、の二点でした。<判決のポイント>最高裁判所はまず、「有期労働契約であっても、反復更新がなされている場合や、労働者が契約の更新を期待することに合理的な理由がある場合には、解雇に関する法理を雇止めにも類推適用すべきである」と明確に述べました。つまり、形式上は期間満了であっても、実質的には雇用が継続しており、労働者に更新を期待する合理的根拠がある場合には、解雇と同様に「客観的合理性」と「社会的相当性」が必要であるという考え方を示したのです。もっとも、最高裁は同時に、有期労働契約はその本質上、期間を定めて締結されるものであるため、無期契約とは異なる性格を有すると指摘しました。したがって、解雇法理の類推適用を認めつつも、無期雇用労働者(正社員)と同等の保護を全面的に与えるものではなく、契約の性質や目的、更新の実態などを踏まえたうえで判断すべきであるとしました。その上で最高裁は、本件雇止めについて次のように判断しました。当該労働契約は短期間(2か月)ごとに更新されるものであり、更新の際には会社の判断を経て継続の可否が決定されていました。また、契約書には「期間満了により退職する」と明記されており、会社には独立採算制のもとでの経営悪化という客観的な事情が存在しました。さらに、臨時従業員制度自体が、景気や業務量の変動に弾力的に対応することを目的として設けられていたことも重視されました。これらの点を総合して、最高裁は「本件雇止めは事業上やむを得ない理由に基づくものであり、社会通念上相当である」と判断し、雇止めを有効と認めました。すなわち、本件では、反復更新があったとはいえ契約期間が短く、更新手続きも形式的な自動更新ではなく会社側の判断に基づいて行われていたこと、そして不況に伴う業務上の必要性が明確であったことから、労働者の「合理的期待」は否定され、雇止めの合理性が肯定されたのです。この判決の意義は、単に雇止めが有効であると結論づけた点にとどまりません。最高裁は、本件を通じて「雇止めの判断枠組み」を理論的に整理しました。すなわち、①有期契約であっても反復更新や合理的期待がある場合には解雇法理を類推適用する、②ただし、有期契約である以上、保護の範囲は正社員と同一ではなく、契約の性質や運用実態を踏まえて柔軟に判断する、③事業上の必要性が明確であり、雇止めの合理性が認められる場合には、有効とされるという三段階の考え方を示した点にあります。この法理は、労働契約法19条にそのまま取り入れられ、現代の雇止め実務の基本原則となっています。6.実務上の留意点両判例(東芝柳町工場事件・日立メディコ事件)が示している最も重要な教訓は、「有期契約であれば期間満了を理由に自由に終了できる」という考え方は、現代の人事労務管理では通用しないという点です。契約が反復更新され、労働者に雇用継続への合理的期待が生じている場合、雇止めには客観的な合理性と社会的相当性が求められ、企業はその理由と手続の正当性を説明できる準備をしておく必要があります。そのため、企業側としてはまず、契約書や労働条件通知書に契約期間、更新の有無、更新回数の上限、更新を判断する基準(業務量、勤務成績、健康状態など)を明確に記載しておくことが欠かせません。曖昧な表現や慣行的な更新は、労働者に合理的期待を与え、後の紛争の原因となる可能性があります。また、更新手続きを形式的に行うのではなく、毎回の更新時に面談や評価を実施し、その記録を残しておくことで、自動更新ではなく会社が毎回継続の可否を判断していることを客観的に示すことができます。さらに、雇止めを行う際には、事業上の必要性、業務の消滅、勤務態度や能力に関する問題など、合理的な理由を資料や記録で裏づけられるよう社内体制を整えておくことが求められます。加えて、労働契約法18条の無期転換制度も踏まえ、通算5年を超える反復更新が生じないよう、雇止め管理と無期転換管理を一体的に運用することが現在の実務では不可欠です。一方で、労働者側の留意点としては、自身の雇用継続への合理的期待を裏づける証拠を日常的に確保しておくことが重要です。過去の契約書や更新通知、上司の発言記録、勤務表、評価記録、他の契約社員の更新状況などは、裁判で「更新を期待する合理的理由」を立証するうえで有力な資料となります。不当な雇止めだと感じた場合は、まず会社に理由の説明を求め、納得がいかない場合には労働局のあっせんや労働審判などの公的手続きを検討することが有効です。裁判所は形式よりも実態を重視しますので、日常の勤務実態を示す客観的資料が救済の可否を左右することになります。以上のとおり、両判例に共通するポイントは、有期契約の雇止めが「形式的な契約期間」ではなく「雇用関係の実質」に基づいて判断されるという点にあります。そのため、企業側には契約内容や更新運用を明確にし、適切な記録を残すことが求められ、労働者側も、雇用継続への合理的な期待を裏付ける資料を確保しておくことが、後の紛争防止に大きく寄与します。次回は「雇止め」に関する、その他の判例をいくつか紹介したいと思います。提供:税経システム研究所
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