実務情報
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2025/10/20 審査事例
その支払利息は、一時所得の計算上、解約返戻金の収入金額から控除できないとした事例(棄却)
【裁決のポイント】一時所得に係る総収入金額から控除される「その収入を得るために支出した金額」は、その収入を生じた行為をするため、又はその収入を生じた原因の発生に伴い直接要した金額に限るとされている。このことから、一時所得に係る収入、支出について、収入を生じた行為又は原因ごとに個別対応的に計算するものと解される。審査請求人が締結した終身保険契約は、最初の5年間で保険料を完納するタイプで、審査請求人は完納した翌年に約款に基づく契約者貸付金を申し込み、保険会社から借り入れを行い、利息の支払いが発生した。契約者貸付金に利用は任意で、また借入金の使用目的に制限なく、審査請求人は投資の資金に使用した。税務署は、審査請求人が受け取った保険の解約返戻金が一時所得として申告されていないとして所得税の更正処分をしたことから、審査請求人は、解約返戻金と支払利息は相殺されている、解約返戻金から支払利息を差し引けるので一時所得は発生しないとして、処分の取消しを求めた。国税不服審判所は、契約者貸付けを利用するか否かは審査請求人の任意である、解約返戻金を得るために本件利息の支払が不可避であったものではない、保険料支払に本件借入金が充てられていないことは明らかだから、本件利息は、本件解約返戻金に係る一時所得の金額の計算上、その収入を得るために支出した金額に該当しないと判断した事例である。(令和2年分の所得税及び復興特別所得税の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分・棄却・令和6年8月23日裁決)【主な争点】契約者貸付金の借入金利息は、保険の解約返戻金に係る一時所得の金額の計算上、「その収入を得るために支出した金額」に含まれるか(所得税法第34条第2項)。【裁決の要旨】本件における一時所得の金額に係る総収入金額は本件解約返戻金の額であり、本件解約返戻金は本件保険契約に係る保険料の支払により生じたものである。他方、本件利息はその元本たる本件借入金の使用の対価であるところ、本件契約者貸付けを利用するか否かは請求人の任意であり、本件解約返戻金を得るために本件利息の支払が不可避であったものではない。そうすると、本件利息が所得税法第34条第2項に規定する「その収入を得るために支出した金額」に含まれるというためには、「収入を生じた行為又は原因」である本件保険契約に基づく保険料の支払に本件借入金が充てられたものであることが必要であり、その充てられた範囲において、個別対応的に計算することとなる。この点、本件借入金が本件保険契約に係る保険料の支払に充てられていないことは明らかである。したがって、本件利息は、本件解約返戻金に係る一時所得の金額の計算上、所得税法第34条第2項に規定する「その収入を得るために支出した金額」に含まれない。審査請求人の主張について、本件借入金及び本件利息と本件解約返戻金が相殺されたのは、請求人が本件借入金及び本件利息を任意で返済していなかったことが原因であり、本件借入金及び本件利息と本件解約返戻金が事実上不可分の関係にあったとか、本件解約返戻金と本件借入金及び本件利息の相殺が事実上拒絶し難いという審査請求人の主張はいずれもその前提を欠く。【参照条文】所得税法第34条《一時所得》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決日以後、裁判所により別の判決が示される場合もございますので、あらかじめご了承ください提供:株式会社日本ビジネスプラン
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関連項目 審査事例 -
2025/10/20 審査事例
青色申告の承認申請書の提出がないため、欠損金額の繰越しは認められなかった事例(棄却)
【裁決のポイント】当該事業年度以後の各事業年度の確定申告書を青色の申告書により提出することについて青色申告の承認を受けようとする内国法人は、当該事業年度開始の日の前日(設立の日の属する事業年度について青色申告の承認を受けようとする場合には、設立の日以後3月を経過した日と当該事業年度終了の日とのうちいずれか早い日の前日)までに、納税地の所轄税務署長に申請書の提出をしなければならない(法人税法第122条)。審査請求人が、設立の日の属する事業年度(令和2年3月期)において生じた欠損金額をその後の事業年度(令和3年3月期)の所得金額の計算上損金の額に算入して白色の確定申告書の別表7(1)を添付して申告したところ、税務署は、審査請求人は青色申告をすることについて所轄税務署長の承認を受けていないから、各事業年度の欠損金額の繰越しはできないなどとして、法人税の更正処分等をしたため、審査請求人が、原処分庁は青色申告についての説明を怠ったなどとして、原処分の全部の取消しを求めた。国税不服審判所は、青色申告の承認申請書をその提出期限までに納税地の所轄税務署長に提出していない、原処分庁の行政サービスとしての情報提供の不足をいうものにすぎないから、本件各更正処分の適法性に影響しないとして、棄却した事例である。(〇〇〇〇年〇〇月〇〇日から令和2年3月31日までの事業年度の法人税の更正処分、他・棄却・令和4年4月18日裁決(非公開))【主な争点】各更正処分の適法性【裁決の要旨】審査請求人は、令和2年3月期の法人税について、青色申告の承認申請書をその提出期限までに納税地の所轄税務署長に提出しておらず、令和2年3月期において青色申告の承認を受けていないから、青色申告書である確定申告書を提出したとは認められない。そのため、令和2年3月期において生じた欠損金額があるとしても、法人税法57条10項に規定する「欠損金額の生じた事業年度について青色申告書である確定申告書を提出」した場合に該当しないから、同条1項の規定を適用することはできず、令和3年3月期の所得金額の計算上、別表1の「確定申告」欄の「繰越欠損金の当期控除額」欄の金額を損金の額に算入することはできない。青色申告でなければ欠損金の繰越控除が認められない旨説明をしていなかった原処分庁の業務に対する取組姿勢に問題があるという主張については、原処分庁にそのような説明義務があることを明らかにした法令の規定はない上、申告納税制度の下では、課税標準及び税額等の計算並びにこれらの前提となる制度の利用は、納税者の判断と責任において適正に行われるべきものである。そうすると、上記審査請求人の主張は、結局のところ、原処分庁の行政サービスとしての情報提供の不足をいうものにすぎないから、本件各更正処分の適法性に影響しない。【参照条文】法人税法第57条《青色申告書を提出した事業年度の欠損金の繰越し》、第121条《青色申告》、第122条《青色申告の承認の申請》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決日以後、裁判所により別の判決が示される場合もございますので、あらかじめご了承ください提供:株式会社日本ビジネスプラン
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2025/10/10 商事法レポート
従業員株主の退職時における全株式を会社に譲渡する旨の合意の有無と有効性
1.はじめに同族会社のような非公開会社においては、会社にとって好ましくない者が株主となることがないように、すべての株式の譲渡について会社の承認を要する譲渡制限を設ける会社があります(会社法107条1項1号)。このような会社は、上場会社のように株式の市場価格がないため、株主が株式を譲渡することが難しいという問題があります。従業員株主への福利の一環として従業員に自社の株式を付与する会社もありますが、従業員が退社する場合に、株式の譲渡制限が設けられている会社では株価が明らかではないため、その株式を会社に売り渡す際の株価が問題となります。そこで、従業員が退職する時には、その保有する株式を発行会社に一定額で売り渡す旨の契約を、事前に会社と取り交わしておく会社もあります。もっとも、会社の業績がよく、事前契約で定めた売渡価額よりも1株当たりの株式の価格が高まることもあります。会社の業績向上に尽力した従業員は、株式の価値を高めたにもかかわらず退職時には約定価額による売渡価格となることに不満を覚えることもあります。そこで、退職時に、株式売渡の事前契約の有無やその有効性について紛争が生じることもあります。その点が問題となった近時の裁判例に、東京地判令和6年4月25日(令和4年(ワ)第8590号)LLI/DB判例番号L07931041があります。本稿はこの裁判例を紹介してゆきます。2.東京地判令和6年4月25日の概要それでは、前掲東京地判令和6年4月25日について事実の概要と判旨をみて行きます。(1)事実の概要(一)当事者Y社(被告)は、平成20年2月1日に設立された不動産売買等を目的とする、取締役会設置会社ではない株式会社であり、Aが代表取締役を務めています。Y社の発行済株式の総数は1万4000株であり、定款の定めにより、Y社の株式を譲渡するには取締役の承認を要するとされています。X1(原告)はY社の元従業員です(平成20年2月1日入社、令和3年5月31日退社)。X2(原告)もY社の元従業員です(平成21年1月入社、令和3年11月30日退社)。株式会社Bは、平成22年10月に設立された、不動産の売買、仲介、賃貸、管理及び鑑定等を目的とする株式会社であり、Aが代表取締役を務めています。(二)XらによるY社株式の取得Y社は創業時からのY社従業員に新株を発行し、X1は平成20年4月7日にY社株式60株を、X2は平成21年2月1日Y社に株式20株をそれぞれ取得しました。Aは、平成21年10月頃、X1に対し、株式譲渡に係る覚書(本件覚書)のひな型を作成させ、Xらを含む従業員株主の全員から覚書を取得しました。本件覚書には、1項「当該株式の売買・譲渡は取締役会の承認なしには行えず、取締役会の承認なしに行った売買・譲渡は無効となること」、3項「当社従業員が当該株式を引き受け、退職等の理由にて従業員の地位を失った場合は、Y社がその従業員が株式を引き受けた価格で全株買い取るものとすること」等が定められていました。その後のY社の新株発行により、X1は平成21年11月1日にY社株式10株を、X2は平成21年11月1日にY社株式3株を取得しました。さらに、XらはY社の平成24年1月30日の新株発行や、平成26年1月10日Aが代表取締役を務めるB社からY社株式を譲り受けました。その際、本件覚書に署名押印しています。Xらの持株は増加し、X1がY社の退職時(令和3年5月31日)において株式800株を、X2がY社の退職時(令和3年11月30日)において株式280株を、保有していました。(三)Xらの退社X1は、令和3年3月20日、Aに対し、Y社を退職する意思を伝えました。Aは、令和3年5月上旬、X1に対し、報酬付きで1年間以上休暇を取ることや病気療養による3か月程度の有給休暇を与えることなどを提案したほか、退職する場合でも取得価格での株式の買取りに併せて、出勤不要で月額100万円を支払う内容の1年間の顧問契約を締結することを提案しましたが、X1はこれらを固辞しました。X1は、令和3年5月31日、Y社を退社しました。X2は、令和3年9月頃、Aに対し、Y社を退職する意思を伝えたところ、Aから、半年間の月額100万円の顧問契約を締結すること等の申出を受け、その顧問料にはY社株式の買取価格も含まれるとの説明を受けましたが、Y社株式を取得価格で売却するつもりがない旨を話したところ、上記申出は撤回されました。X2は、令和3年11月30日、Y社を退社しました。(四)配当金額の推移Y社は、設立時からしばらくは配当を行いませんでしたが、平成24年2月から令和3年1月までの間、Xらの保有するY社株式について、Y社から、X1は合計1209万5000円、X2は合計420万6600円の配当を受けました。(五)本件覚書に基づくY社によるXら株式の取得Y社は、令和4年1月12日付けで、X2に対し、本件覚書に基づき、同人の保有するY社株式280株を242万5000円で買い取る旨を通知しました。また、Y社は、令和4年2月7日付けで、X1に対し、本件覚書に基づき、同人の保有するY社株式800株を610万円で買い取る旨の通知をしました。Xらは、令和4年1月31日付けで、Y社に対し、Xらの保有するY社株式を一般社団法人C機構(一般社団法人同族会社ガバナンス推進機構)に対して譲渡することについて、会社法136条に基づく譲渡承認請求をしました(以下「本件譲渡承認請求」といいます)。Y社は、令和4年2月11日開催の臨時株主総会において、①X1の退職に伴い、同人との本件覚書に基づき、同総会終結の日から1か月以内にX1の保有するY社株式800株を取得価格610万円で取得する旨の自己株式の取得について、②X2の退職に伴い、同人との本件覚書に基づき、同総会終結の日から1か月以内にX2の保有するY社株式280株を取得価格242万5000円で取得する旨の自己株式の取得について、いずれも出席株主の議決権の3分の2以上の賛成をもって可決しました。Xらが受領を拒絶したため、Y社は、令和4年2月14日、受領拒絶を理由に、Xらに対する本件覚書に基づく支払債務として、被供託者X1のために610万円、被供託者X2のために242万5000円をそれぞれ供託しました。Y社は、令和4年2月14日付けで、Xらに対し、本件譲渡承認請求について、同月11日付け臨時株主総会決議を経て本件覚書に基づきXらが保有するY社株式の全部の買取りをし、同月14日に売買代金を供託したため、XらはY社の株主ではなく、本件譲渡承認請求に効力はない旨を回答しました(注1)。(六)Xらの主張Xらは、①Y社との間で、Xらが退職等の原因でY社の従業員の地位を失った場合にはその時点でXらが保有するY社株式の全部を、Y社又はその指定する者が、Xらが取得した価格で買い取るとの合意(以下「本件合意」という)は存在しないことを主張しました。また、➁仮にXらとY社との間において本件合意がされていたとしても、本件覚書は、株主が譲渡承認請求制度を利用して公正な価格で投下資本を回収する道を閉ざす点において、会社法が認めた譲渡承認請求制度を否定するものであるから、本件覚書の内容による本件合意は、強行法規である譲渡承認請求制度に反し無効であり、会社と株主との間で、株式譲渡制限契約が締結された場合において、上記契約の内容が、株主の投下資本回収に対する正当な目的による相当程度の制限であると評価できない場合は、公序良俗に反し無効であると解すべきである、等と主張して争いました。(2)判旨前掲東京地判令和6年4月25日は、次のように述べてXらの請求を棄却しました。(一)争点1XらとY社との間の株式譲渡合意(本件合意)の有無について本件「覚書は、平成21年11月の新株発行…の直前に作成されたものであるが、同新株発行により新たに株式を引き受ける従業員株主に限らず…同年11月の新株発行より前に従業員株主が引き受けたY社株式も対象に含めて本件覚書が作成されたものと認めるのが相当である。…本件覚書3項の『全株』とは、従業員株主が従業員の地位を失った時点で当該従業員株主が保有するY社株式の全部と解するのが相当である。」「従業員株主であるXらとY社との間で、遅くともXらが本件覚書を作成した平成21年10月26日頃までに、本件覚書の内容による合意、すなわち、Xらが退職等の理由によりY社の従業員の地位を失った場合には、その時点でXらが保有するY社株式の全部をXらが取得した価格でY社が買い取る旨の合意(以下『本件株式譲渡合意』という。)が成立したと認められる。」(二)争点2本件合意の有効性について「Xらが退職時に譲渡承認請求をする機会がないのは、XらがY社との間で、XらがY社の従業員の地位を失った場合にXらが保有するY社株式の全部をY社に対して譲渡する旨を合意したことによるものにすぎず、このことにより本件覚書の内容による合意が無効となるとはいえない。」「①Y社においては、定款の定めにより、Y社株式を譲渡するには取締役の承認を要するとされており…、Y社株式には元々市場性がないこと、②本件覚書3項は、従業員株主が従業員の地位を失った場合にその保有するY社株式をY社に対して譲渡する価格を当該従業員株主がその保有するY社株式を取得した価格と定めるものであるところ…、従業員株主が従業員の地位を失った時点におけるY社株式の価値にかかわらず(当該従業員株主がY社株式を取得した価格より低額であったとしても)、当該従業員株主がY社株式を取得した価格での譲渡が保証されていること、③Y社は、本件株式譲渡合意がされた時点(平成21年10月26日頃までの時点)において配当を行っていなかったが、その後、第5期(平成24年2月1日~平成25年1月31日)から第13期(令和2年2月1日~令和3年1月31日)まで配当を行っており…、その配当の額が不当に低い額であったとはうかがわれず、Y社が本件株式譲渡合意がされた時点で殊更にY社の従業員株主の投下資本の回収を制限する意図を有していたとは解されないこと…本件覚書の内容による合意(本件株式譲渡合意)が、従業員株主であるXらの投下資本の回収を著しく制限するものと評価することはできず、公序良俗に違反するものとはいえない。なお、本件株式譲渡合意におけるY社株式の譲渡価格(従業員株主であるXらがY社株式を取得した価格)が、従業員株主であるXらがY社の従業員の地位を失った時点におけるY社株式の価値と乖離していたとしても、本件株式譲渡合意がされた後の事情にすぎず、Y社が本件株式譲渡合意がされた時点において上記乖離を予想してXらを不当に害することを企図していたものと認めるに足りる証拠はないから、そのことによって本件株式譲渡合意が公序良俗に違反するものであることが基礎付けられるとはいえない。」3.東京地判令和6年4月25日の意義前掲東京地判令和6年4月25日は、非公開会社で従業員株主が退職時に全株式を会社に譲渡する旨の本件合意の有無とその有効性が争われました。非公開会社でも、会社の価値が高まれば1株あたりの株式の価値は高まり、それが株価にも影響することになります。従業員株主が退職時において、株式の出資価額を限度として全株式を会社に譲渡する旨の合意をした場合、退職時の株式の価値を反映させない本件規定は有効といえるかどうかが問題です。本件の事案を考えるにあたり、(1)定款による株式の譲渡制限、(2)譲渡制限株式の譲渡方法、(3)契約による譲渡制限(本件覚書)について説明し、その後、従業員が退職時に従業員持株会に株式を譲渡する旨を契約で定めた場合の効力について考えてゆきます。(1)株式譲渡自由の原則と株式譲渡の制限株式会社は、一般公衆から広く資金を集めるために、株式を発行します。株主は、株式の引受価額を限度とした出資義務を負うだけであり(これを株主有限責任の原則といいます(会社法104条))、それ以上の出資義務を負いません。株式会社への株式投資を行いやすくするための制度がとられています。株主から株式会社が集めた出資金を会社に確保させるために、株式については、原則として出資の払戻しが認められません。その代わりに、株主は株式を第三者に自由に譲渡して出資した資金をいつでも間接的に回収できることができます(これを株式譲渡自由の原則といいます(会社法127条))。同族会社のような非公開会社においては、株主の個性が重視され.会社にとって好ましくない者が株主となって会社経営の安定が害されるおそれがあります。そこで会社法は、すべての株式または一部の種類株式の譲渡について会社の承認を要する旨を定款で定めることにより、譲渡制限の定めを設けることができることとしました(会社法107条1項1号、108条1項4号)。会社が、定款に譲渡制限の定めを設けることができるのは、会社設立時に限られず、会社設立後に定款を変更して譲渡制限の定めを設けることもできます。そのような場合には、株主総会において議決権を行使することができる株主の議決権の過半数を有する株主が出席し、議決権を行使することができる株主の半数以上かつ、当該株主の議決権の3分の2以上の賛成を要します(特殊決議:会社法309条3項)(注2)。ただし、定款に譲渡制限の定めがある一人会社では、株主が保有する株式を他に譲渡した場合には、定款所定の取締役会の承認がなくてもその譲渡は会社に対する関係でも有効であると解されています(最判平成5年3月30日民集47巻4号3439頁)。(2)譲渡制限株式に関わる株主の投下資本回収(1)で述べた会社に対する譲渡の承認請求をすることができる者は、譲渡制限株式の所有者である株主(譲渡人)および株式の取得者(譲受人)です(会社法136条・137条)。ここでは、株主(譲渡人)からの請求を取り扱いましょう。定款による株式譲渡制限を設ける会社でも、投下資本の回収のため、株式の譲渡を希望する株主は、一定の場合にその株式の譲渡をすることが認められます。譲渡制限株式の株主は、その有する譲渡制限株式を他人(当該譲渡制限株式を発行した株式会社を除く)に譲り渡そうとするときは、当該株式会社に対し、当該他人が当該譲渡制限株式を取得することについて承認するか否かの決定をすることを請求することができます(会社法136条)。これに対し、株式会社が承認をしない旨の決定をする場合には、譲渡制限株式の株主は会社または指定買受人による当該株式の買取りを請求することができます(会社法138条1号ハ)。譲渡制限株式を有する株主からの譲渡等承認請求には、①譲渡する譲渡制限株式の数(種類株式発行会社にあっては、譲渡制限株式の種類および種類ごとの数)、②譲渡制限株式の譲受人の氏名または名称、③会社が承認をしない旨の決定をする場合において、当該会社または指定買取人による買取りを請求する旨をそれぞれ明らかにしなければなりません(会社法138条1号イ~ハ)。株式会社が承認等の決定をした場合は、譲渡等承認請求者に対し、承認等の通知をしなくてはなりません(会社法139条2項)。(3)契約による譲渡制限(1)で述べた定款に譲渡制限の定めを設けるほか、株主間、株主と第三者間の契約等によって、株主の保有する株式について譲渡制限を設ける場合があります。ある株主Aが株主ではないBに株式を譲渡するには、他の当事者Cの承認が必要であり、それがなければその株式の譲渡の効力は認めないとする約定がその一例です。従業員持株会制度を設ける会社において、従業員が退職する場合には、その株式を従業員持株会に譲渡することは認めますが、株主ではない者への譲渡は認めないとするケースがこれに該当します。このような契約による譲渡制限については、会社法には明文の規定がありませんが、契約による譲渡制限が会社を当事者としないものである場合について、当事者間では有効であると解されています(最判平成7年4月25日集民175号91頁)。4.従業員株主の退職時における全株式を会社に譲渡する旨の合意の有無と有効性(1)判例・学説の状況本件の事案分析の参考になるのは、3(3)で述べた従業員持株会の事例です。契約による譲渡制限にもとづき、従業員が退職時に従業員持株会に株式を譲渡する旨を契約で定めた場合の効力をみてゆきます。伝統的な多数説は、株主相互間の契約、または第三者と株主との間でなす契約は、会社法127条および定款による譲渡制限の制度の関知しないところであり、原則として有効であるが、それが会社が契約当事者となる契約の脱法手段と認められる場合には例外的に無効となると考えてきました(注3)。すなわち、売渡の強制自体は、通常譲渡の困難な閉鎖型のタイプの会社の株式の投下資本回収に寄与する面があるので、原則は有効と解すべきだからです(注4)。近時は民法90条違反がある場合等を除いて、当事者が契約内容を十分に承知した上で合意した場合には、その効力を制限すべき理由は、取引安全保護の必要がある場合を除き、見出しがたいとして、契約による譲渡制限を認める見解が有力です(注5)。このような契約による株式の譲渡制限について、裁判例(前掲最判平成7年4月25日等)の多くは、契約の有効性を肯定する判断をしています(注6)。裁判例の傾向をまとめると、①自由意思で合意していること、②市場性がない株式にとっては、投下資本の回収に役立つこと、③キャピタルゲインは否定されるものの、利益配当が相応に行われているので不当に投下資本の回収を妨げているとは言えないこと、④株式の譲渡価格が取得価格を下回ることによる損失を被るおそれがないこと、⑤非上場会社においては、退職の都度、株式譲渡価格を定めることは実際には困難であること、と分析されています(注7)。(2)本判決の検討前述(1)の議論は従業員持株会における裁判例を念頭に置きながら、契約による譲渡制限を認めています。本判決の争点1は、XらとY社との間の株式譲渡合意(本件合意)の有無について問題とされています。Xらが最初に引き受けた株式については本件覚書がなかったのですから、本件合意の効力は及ばず、その後引き受けた新株についてのみ本件合意の効力が及ぶと考えたようです。もっとも、本件覚書はA代表取締役の指示に基づき、X1が作成し、全ての従業員との間で締結していますから、本件覚書の効力は持株全体に及ぶと考えるのが妥当でしょう。次に、争点2の本件合意の有効性についてです。Xらは、退職後に株式をCに譲渡し、会社法136条にもとづく譲渡承認請求を行っています。定款に基づく譲渡制限の効力と、契約に基づく譲渡制限の効力(本件覚書の効力)とが問題となります。Y社は、臨時総会において本件覚書の効力に基づき、Xらの株式を取得しました。これについて、本判決は、「Xらが退職時に譲渡承認請求をする機会がないのは、XらがY社との間で、XらがY社の従業員の地位を失った場合にXらが保有するY社株式の全部をY社に対して譲渡する旨を合意したことによるものにすぎず、このことにより本件覚書の内容による合意が無効となるとはいえない」と判示しています。本判決は、市場性がないY社の株式を取得価格で会社が取得することで会社からの退出の機会を保障していること、Y社はXらの保有するY社株式について利益配当を相当程度行っていること(X1には合計1209万5000円、X2は合計420万6600円)(注8)、Y社は、Xらの退社時に、顧問の地位や報酬を与える旨の提案をしましたが、Xらはこれを断っているという事情があります。(1)で述べた裁判例の傾向(前記①②③④)や学説の状況に鑑みても、本判決の立場は妥当と考えられます。5.結びに代えて本判決のように従業員に対して新株を付与するのは、会社の業績向上が株式を通じた株主の財産形成に寄与するからでしょう。非公開会社において、本件同様の理由で新株を付与する会社もあると考えられます。その際、本判決のようなトラブルを未然に避けることが重要であり、そのために本稿の議論が参考になれば幸いです。<注釈>3(2)で後述しているとおり、Xらは、Y社を退社した時点ではまだY社の株式(譲渡制限株式)の所有者ですから、Y社に対して譲渡の承認請求をすることができ(会社法136条)、株式会社は譲渡の承認等の決定をした場合は、譲渡等承認請求者(Xら)に対し、承認等の通知をしなくてはなりません(会社法139条2項)。Xらからの譲渡の承認請求の日から2週間以内に、Y社が会社法139条2項の通知をしない場合は、Xらの譲渡の承認請求を承認するという決定をしたものとみなされます(会社法145条1号)。その場合には、XらからCへの譲渡をY社が承認したこととなり、CがY社の株主となります。Xらによる会社法136条に基づく譲渡承認請求は令和4年1月31日付けです。Y社は、本件譲渡承認請求を認めず、Y社がXらの全株式買取り(自己株式取得)をし、その売買代金を供託したという回答(通知)を、令和4年2月14日付け行っています。これに関して、民法140条によれば、日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は算入しない(初日不算入)と定められています。1月31日を不算入とした場合、2週間目は2月14日ですから、会社法145条1号に定める2週間以内の期間制限を遵守しています。このため、本件では、XらからCへの株式の譲渡承認請求(会社法136条)が認められず、本件覚書に基づきY社によるXらの保有株式取得が認められるか否かが争われたのです。譲渡制限株式の譲渡の承認機関は、原則として株主総会ですが、取締役会設置会社においては取締役会です(会社法139条1項)。また、定款で別段の定めを置くことで、代表取締役等の他の者に委ねることも認められています(同項ただし書・107条2項1号ロ・108条2項4号)。取締役会設置会社において承認機関を株主総会と定めることができるのは、株主等の請求の日から2週間以内に会社として決定・通知することを要する関係上(会社法145条1号)、株主総会招集に2週間を要しない全株式譲渡制限会社(会社法299条1項)のみです。山下友信編『会社法コンメンタール(3)株式(1)』(商事法務、2014年)305~306頁〔前田雅弘〕。江頭憲治郎『株式会社法(9版)』(有斐閣、2024年)249頁注(5)。飯田秀総「株式に関する合意」田中亘編=森・濱田松本法律事務所編『会社・株主間契約の理論と実務』(有斐閣、2021年)282頁。最判平成21年2月17日集民230号117頁等。裁判例の分析については、高橋均「本件判批」ジュリスト1613号(2025年)123頁。ただし、尾形祥「本件判批」ジュリスト1604号(2024年)4頁は、配当が行われているものの、従業員持株制度目的の目的の合理性が明らかではないため、本件覚書に基づく本件株式譲渡合意の目的の合理性をより慎重に認定した上で、その有効性を判断すべきであったと指摘する。提供:税経システム研究所
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2025/10/10 経営レポート
2025年重点計画が示すデジタル社会実現の方向性
1.はじめに2025年6月13日に、2025年度版「デジタル社会の実現に向けた重点計画(注1)(以下重点計画)」が閣議決定された。重点計画は、デジタル社会形成基本法(注2)、情報通信技術を活用した行政の推進等に関する法律(注3)、官民データ活用推進基本法(注4)に基づいて策定され、2021年から毎年改定されているものであり、我が国がデジタル化を強力に進めていく際に政府が迅速かつ重点的に実施すべき施策を明記することで、各府省庁がデジタル化のための構造改革や個別の施策に取り組み、また、それを世界に発信・提言する際の羅針盤とするものである。今年度の重点計画では、人口減少や労働力不足といった課題に対し、デジタルを最大限活用して社会変革をもたらし、産業競争力の強化・経済成長の実現、中長期的な公共サービスの維持・強化を目指すとしており、最終的には、質の高いデータによってAIの性能が向上し、高性能AIがより多く使用されることで、さらに性能が向上するという「データとAIの好循環」を確立し、一人ひとりの生活の質向上を通して、個人の幸福・自由、Well-Beingを達成する「データ駆動社会」を実現することを目指している。本稿では、今年度の重点計画の詳細を解説するとともに、従来の重点計画との変化を調べることで、我が国のデジタル政策の今後の方向性を見ていきたい。2.2025年度重点計画の概要重点計画が示すデジタル社会とは、「デジタルの活用により、一人ひとりのニーズに合ったサービスを選ぶことができ、多様な幸せが実現できる社会」であり、具体的には、場所や時間を問わず、国民一人ひとりのニーズやライフスタイルに合ったサービスの享受や働き方ができる社会、そして自然災害や感染症等の事態に対して強靱な社会が挙げられている。これは「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」の推進につながるものであり、単なる「行政のデジタル化・デジタルトランスフォーメーション(DX)」だけでなく、「社会全体のデジタル化・DX」を推進することを目指している。ここで、我が国は、デジタル社会の実現に向けて以下のような深刻な課題に直面している。人口減少と労働力不足2070年には総人口が現在の約7割に減少し、生産年齢人口も2050年には25%減少する見込みであり、行政サービスの維持が困難になることが懸念されている。サイバー空間における脅威の増大DXやAI・量子技術の進展に伴い、サイバー攻撃の質・量が向上し、重要インフラの停止等、経済社会や国民生活、安全保障への影響が深刻化している。国際情勢の変化とデジタル化の遅れ国際的な不透明感が高まる中、データ利活用が新たな付加価値創出に重要であり、DFFT(DataFreeFlowwithTrust:プライバシーやセキュリティ、知的財産権に関する信頼を確保しながら、ビジネスや社会課題の解決に有益なデータを国際的に自由にデータ流通させること)の重要性が一層高まっている。また、スイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表した2024年世界デジタル競争力ランキング(注5)では日本は67か国中31位、アジア太平洋地区においても14か国中10位と大きく出遅れており、AI・デジタル技術の活用を阻害する制度の見直しや、AIフレンドリーな環境整備が急務となっている。これを受けて、本計画では、これら課題に対応するために、以下の点を中心に取り組みを進めるとしている。1)AI・デジタル技術等の徹底活用による社会全体のデジタル化の推進政府におけるAIの積極的利活用政府等におけるAI基盤(ガバメントAI(仮称))をクラウド上に構築し、AI機能の高度化に向けて政府保有データの整備・普及を行う。また、「AIアイデアソン・ハッカソン」を通じたユースケースを発掘やAI検証事業を実施する。さらに、2025年度中には、AIを活用して、パブリックコメント業務における意見の整理・集約を行うプロトタイプを開発し、各府省庁での利用を目指す。地方創生2.0(注6)の実現地方創生2.0の基本的な考え方(注7)に基づき、デジタル公共財の共同利用・共同調達を促し、地域の社会課題解決や新しい地方経済の創出を図る。特に、地域のデータを集約し、行政手続や交通、防犯、観光等の様々なサービスに活用するシステムであるエリアデータ連携基盤を共同利用する団体数を200団体とする目標を掲げており、エリアデータ連携基盤を用いて個人に最適化されたサービスの実現を推進する。また、市民の「暮らしやすさ」と「幸福感(Well-being)」を図る指標としてデジタル庁が導入している地域幸福度(Well-Being)指標(注8)の活用自治体数を2026年度末までに180件とすることを目指し、これを用いた分野横断的な政策立案や住民を巻き込んだまちづくりを進める。デジタルライフライン全国総合整備計画の推進ドローン航路の整備や自動運転サービス支援道の設定等、デジタルインフラの全国整備を加速する。具体的には2025年度以降に東北自動車道に約40kmの自動運転サービス支援道を設定し、2027年度を目途に送電網上空の1万km、2033年度までに4万kmのドローン航路を整備する。2)マイナンバーカードの普及・利活用とマイナポータルの利便性向上マイナンバーカードの「市民カード化」最も信頼性の高い身分証であるマイナンバーカードを、「デジタル社会のパスポート」と位置づけ、更なる普及と利活用を推進する。具体的には、健康保険証や運転免許証、在留カード等との一体化を推進するとともに、2025年度中には全国の消防本部で救急業務にマイナンバーカードを活用した実証事業(マイナ救急)を実施し、2026年度以降の全国展開を目指す。また、自治体・医療機関等をつなぐ情報連携システム(PublicMedicalHub:PMH)(注9)を活用し、マイナンバーカードを健診の受診券として利用する取り組みを拡大するとともに、2025年度には「電子版母子健康手帳ガイドライン(仮)」(注10)を策定する。災害時には、マイナンバーカードを活用して避難所での受付や健康医療情報の取得、罹災証明書のオンライン申請等を実施し、被災者の利便性向上を促進する。各種行政手続のオンライン化・デジタル化2025年の法改正により、マイナンバーの利用可能事務が追加されたことから、更なる行政手続のデジタル完結を推進し、「デジタルファースト」「ワンスオンリー」「コネクテッド・ワンストップ」の原則に基づき、添付書類の省略やオンライン本人確認手法の見直しや利便性向上策を検討する。具体的には、2025年度中には就労証明書のデジタル化および保活情報連携基盤への機能実装を、2026年度を目途に出生届のオンライン化を目指した検討を行う。また、マイナポータルとe-Taxの連携を充実させ、「日本版記入済み申告書」(書かない確定申告)の実現を図る。行政機関サービス等で利用されるスマートフォン向け個人向けデジタル認証アプリサービス(2024年6月から運用開始)については、2026年夏頃にマイナポータルアプリと統合し、更なる利便性向上を目指す。3)競争・成長のための協調地方公共団体情報システムの統一・標準化、ガバメントクラウドの活用人口減少社会に対応するため、自治体の基幹20業務の標準化に取り組み、原則として2025年度までに標準準拠システムへの移行を目指す。また、更なるガバメントクラウドの利用拡大を図るとともに、国以外の機関(地方公共団体、独立行政法人、民間公共SaaS事業者等)についてもガバメントクラウド利用料割引制度等を導入することでその利用を促進する。ベース・レジストリ(公的基礎情報データベース)の整備・運用、データ利活用制度の抜本的見直しワンスオンリー等の実現を通じて、法人ベース・レジストリ、不動産登記ベース・レジストリ、アドレス・ベース・レジストリの整備を推進する(ベース・レジストリとは、公的機関等が正当な権限に基づいて収集し、正確性や完全性等の観点から信頼できる情報を元にした、最新性、標準適合性、可用性等の品質を満たすデータのこと。また、官民サービスの共通基盤として利活用できるものを指す。例えば、住所に関しては、誰もが参照できるマスターデータが存在せず、不動産登記データとの連携が図られていないことから、現時点では引っ越し手続きのオンラインでの完結は不可能であるとされている)。官民の連携を進めるため、官民データ活用推進基本法の抜本的改正や個人情報保護法の改正、新法制定を検討し、次期通常国会への法案提出を目指す。また、データ連携プラットフォーム機能の整備に向けた法的な規律整備を含め、必要な検討を行う。4)安全・安心なデジタル社会の形成に向けた取組偽・誤情報等対策:生成AIに起因する偽・誤情報を始めとした、インターネット上の偽・誤情報の流通・拡散に対応するための技術開発、利用者のリテラシー向上、情報流通プラットフォーム対処法による制度的対応を進める。サイバーセキュリティ対策の強化:政府機関等のサイバーセキュリティ確保のため、セキュリティ・バイ・デザイン(情報セキュリティをシステム等の企画、設計段階から確保するための対策を取っていく考え方)やDXwithCybersecurity(セキュリティを確保しつつ,DXを進めるという考え方)といった考え方を踏まえ、PDCAサイクルによる継続的な政策改善とOODAループによる機動的なオペレーション強化を進める。また、地方公共団体のサイバーセキュリティ対策の向上に取り組み、全ての自治体情報セキュリティクラウドの円滑な更新を行う。災害時におけるデジタル活用の推進:2025年12月までに防災デジタルプラットフォーム(注11)を構築し、災害対応機関が迅速に災害情報を集約・共有できる環境を整備する。また、2025年度に「災害派遣デジタル支援チーム(仮称)」制度を創設し試行運用を開始する。5)デジタル人材の確保・育成と体制整備デジタル人材の確保・育成:日本のDX推進力を強化するため、デジタル人材の確保・育成と体制整備を進める。具体的には、2026年度までに230万人のデジタル人材の育成を目指すこととし、文理を問わず、全ての大学生・高専生が数理・データサイエンス・AIを習得することを目指す。このために、「数理・データサイエンス・AI教育プログラム認定制度」の認定を受ける大学等を、2025年度末までにリテラシーレベルで約50万人/年、応用基礎レベルで約25万人/年の規模に拡大することを目指す。また、AI活用に不可欠なデータマネジメント等の充実を図るべく「デジタルスキル標準」を改訂するとともに、2025年度には「セキュリティ・キャンプ」で特定の分野に特化したサイバーセキュリティ対策の実装を担う人材の育成プログラムを新たに設置する。そのほかに本計画では、デジタル原則:「デジタル完結・自動化原則」、「アジャイルガバナンス原則」、「官民連携原則」、「相互運用性確保原則」、「共通基盤利用原則」の5つの原則に基づき、デジタル時代にふさわしい政府への転換を進める。利用者視点:行政サービスの提供において、利用者である国民のニーズや利便性を最優先に考慮する「利用者視点」を徹底する。情報アクセシビリティの確保:「誰一人取り残されない」デジタル社会を実現するため、障害者等を含む全ての利用者がデジタル機器・サービスを利用しやすい環境整備を進める。等も施策として盛り込まれており、日本のデジタル社会をより強靱で、より人間中心のものにするために必要となる2028年度までのロードマップが示されている。3.2025年度重点計画の主な変更点とこれからの方向性2025年度版重点計画では、日本のデジタル社会構築を加速させるため、2024年度版に多岐にわたる変更が加えられており、日本のデジタル社会実現に向けた新たな方向性が示されている。まず、マイナンバーカードの利活用が大きく拡大する。2025年の法改正で利用可能な行政事務が追加されたほか、健康保険証との一体化は2025年12月までに完全移行が進み、2025年9月からは順次スマートフォンでの利用も可能となる。また、運転免許証との一体化も2025年3月から運用が開始され、2025年度中には全国の消防本部で「マイナ救急」の実証事業が展開される。デジタル庁が、令和5年11月~12月に実施したアンケート調査では、マイナンバーカードの携行率は5割とされているが、2026年秋には、iPhone同様に、Androidスマートフォンへのマイナンバーカード全機能の搭載が予定されており、マイナンバーカードとマイナンバーカード相当のスマートフォンを合わせた携行率は、大きく上昇すると予想される。このため、今後は、ほぼすべての住民が、マイナンバーカードを携行していることを前提とした社会システムの検討が進められることになると想定される。また、2025年度版では、AI、特に生成AIの活用が日本のデジタル社会構築の中心的な要素になるとされている。これは、生成AIをはじめとするAI技術の社会実装の進展と、国際的なデジタル競争力向上の必要性があるとされるためである。人口減少や労働力不足といった社会課題に対応するためにも、AIを含むデジタル技術の活用は不可避とされており、これまでの「データの蓄積・利活用が進んでいない」「生成AI等の活用が進んでいない」といった課題を克服し、経済成長につなげることを目指している。具体的には、先に挙げた政府AI基盤(ガバメントAI(仮称))の構築することで、プライバシーデータや機密データを含む多様なデータを基盤上に安全に蓄積しそれらを安全に連携させる最適化AI技術の確立、地方公共団体へのAIサービス展開支援の実施、ベース・レジストリ等のデータ連携を促進するための官民協議会の設置、生成AIとセキュリティに関するガイドラインの策定が計画されている。これらの取り組みは、行政分野におけるAI技術の可能性を最大限に引き出しつつ、その安全性と信頼性を確保し、国民生活の利便性向上と行政の効率化を両立させることを目指すものである。さらに、行政分野・準公共分野のデジタル化と効率化も進められる。地方公共団体の基幹20業務は、原則として2025年度までに標準準拠システムへ移行することとなっており、その基盤となるガバメントクラウドの利用についても2025年2月時点で2024年8月と比較して335%増加するなど、これらの利用が大幅に拡大している状況にある。この流れを加速するために、公共SaaSの整備に関する基本的なガイドラインが2025年度中に提供され、ガバメントクラウド上での開発環境も2025年中に開発・提供される予定となっている。また、医療分野では、マイナ保険証への移行と共に、電子カルテ情報共有サービスや介護情報基盤を含む全国医療情報プラットフォームの本格稼働を目指しており、医療と介護の切れ目ない連携を目指す包括ケアシステムの構築を目指す。これらの取り組みは、行政の効率化だけで無く、国民の利便性向上、そして安全で信頼性の高いデジタル社会の実現を推進するものであり、特に、官民連携による共通基盤の活用や健康・医療・介護のデジタル化による新たな民間サービスの創出は、新たな産業の創出や国民生活の向上に直接関与するものとして期待される。4.終わりに本稿では、2025年重点計画が示す今後の日本のデジタル化の方向性を見てきた。この重点計画は、日本が抱える様々な課題に対し、デジタル技術の徹底活用によって社会全体の変革を目指す包括的な戦略であると言える。特に、「作るより使う」という発想で、世の中、特に公共分野の情報システムの共通化やモジュール化を進めることで、効率的かつ再利用可能なデジタル環境を構築しようとしている点は重要であり、認証基盤としてのマイナンバーカードの活用拡大や政府全体で使うことのできるAI基盤の構築、官民で利用できるベース・レジストリの構築等はそのための一歩として評価できる。今後は、技術の急速な進展、特に生成AIの社会実装の進展に対応するため、官民が一体となって柔軟かつ粘り強くデジタル改革を推進することが、豊かで持続可能な社会の実現の鍵になると考えられる。これらの取り組みを通じて、「誰一人取り残されない人に優しいデジタル化」が実現されることを期待したい。<注釈>デジタル社会の実現に向けた重点計画2025年(令和7年)6月13日(デジタル庁)https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/5ecac8cc-50f1-4168-b989-2bcaabffe870/173b3039/20250613_policies_priority_outline_08.pdfデジタル社会形成基本法(デジタル庁),https://laws.e-gov.go.jp/law/503AC0000000035情報通信技術を活用した行政の推進等に関する法律(デジタル庁),https://laws.e-gov.go.jp/law/414AC0000000151官民データ活用推進基本法(デジタル庁),https://laws.e-gov.go.jp/law/428AC1000000103IMDWorldDigitalCompetitivenessRanking(IMD:InstituteforManagementDevelopment),https://imd.widen.net/s/xvhldkrrkw/20241111-wcc-digital-report-2024-wip地方創生2.0基本構想(内閣官房),https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_chihousousei/pdf/20250613_honbun.pdf地方創生2.0の基本的な考え方(内閣官房),https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_chihousousei/pdf/honbun.pdf地域幸福度(Well-Being)指標(デジタル庁),https://well-being.digital.go.jp/自治体・医療機関等をつなぐ情報連携システム(PublicMedicalHub:PMH)(デジタル庁),https://www.digital.go.jp/policies/health/public-medical-hub電子版母子健康手帳ガイドライン(仮称)策定に向けた検討会取りまとめ(こども家庭庁),https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/1ceca2fc-2bfe-4657-bf45-ac8aec94171e/2c01fddc/20250312_councils_shingikai_seiiku_iryou_1ceca2fc_14.pdf防災デジタルプラットフォーム(内閣府),https://www.bousai.go.jp/kyoiku/ideathon/pdf/ideathon_gaiyo.pdf提供:税経システム研究所
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2025/10/06 審査事例
土地上の建物について所有者として登記されている借地人に対して、税務署がしてしまった手続きミス(全部取消し)
【裁決のポイント】土地の借地権登記がなくても、土地上の建物の所有権保存登記があれば、建物所有者は、これをもって借地権を第三者に対抗できる。ただし建物が滅失した場合の対抗力には条件がある(借地借家法第10条)。また、公売の買受人が借地権を引き受けるかどうかは、借地人がその借地権を国に対抗できるかどうかで判断される。審査請求人はGからの借地である土地上の建物を、相続によって取得し、所有権移転登記をした。その後の平成28年に税務署はG社の滞納国税の徴収のために本件土地に差押処分をしたが、建物が存在しているにもかかわらず、借地権を有する審査請求人に国税徴収法第55条の差押通知がなかった。差押処分後、審査請求人はG社と借地権付建物売買契約を結び、特約どおり建物を解体し滅失登記した。しかしG社が代金決済をせず売買契約を取消した。税務署は、建物滅失後の令和〇年に本件土地の公売公告を進めるにあたり、財産の特記事項として、平成期の土地賃貸借契約書を添付したものの、買受人が引き受ける借地権について記載はなかった。審査請求人は、借地権者に差押通知がなかった、公売公告に借地権の目的となっている土地であることが明確に記載されていないから、違法または不法であるとして処分の取消しを求めた。国税不服審判所は、事前手続である差押通知を欠いたまま後続の処分である公売公告処分がされている、また、公売対象の土地上に買受人が引き受けるべき借地権が存在する場合には、公売公告において、借地人が対抗要件を備えていることを記載することを要するが記載されていないとして、公売公告処分を全部取り消した事例である。(公売公告処分・全部取消し・令和6年9月25日裁決)【主な争点】本件公売公告処分は、違法又は不当か。【裁決の要旨】差押通知の目的は、利害関係人に滞納処分が開始されたことを了知させ、権利行使の機会を与えることにあるのであって、利害関係人の権利を保護するための重要な意義を有しているといえる。このような差押通知の趣旨及び意義に鑑みると、法令上求められる事前手続である差押通知を欠いたまま、後続処分である公売公告処分がされた場合には、当該公売公告処分には、取り消し得べき瑕疵があると解される。差押え後に建物が滅失する等して対抗要件が消滅しても、差押えの登記が経由された時点において国が対抗要件の存在によりその借地権を認識し、これを基に差押物件の換価価値を把握した以上、対抗要件が消滅しても既にされた換価価値の把握の内容に変化は生じないため、借地権者は、国との関係においては、その対抗力を維持すると解するのが相当であるから、審査請求人の本件借地権の対抗力は維持される。公売対象の土地上に買受人が引き受けるべき借地権が存在する場合には、買受人は、公売によって取得する土地について利用等の制限を受けることになるから、国税徴収法第95条第1項の趣旨に鑑みると、公売公告においては、「公売に関し重要と認められる事項」(第9号)として、借地人が対抗要件を備えている場合にはその旨等を記載することを要すると解するのが相当である(徴収法基本通達第95条関係17参照)。本件公売公告処分は、公売に関し重要と認められる事項の記載が漏れていることにより取り消し得べき瑕疵があると認められる。【参照条文】国税通則法第75条《国税に関する処分についての不服申立て》国税徴収法第55条《質権者等に対する差押えの通知》、第95条《公売公告》国税徴収法基本通達第89条関係9《用益物権等の存続》、第95条関係17《重要と認められる事項》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決は関係行政庁を拘束するので、税原処分庁は裁決に不服があっても訴えを提起することができません。処分の全部取消しの場合は、審査請求人が訴訟にしないため、裁決で確定します提供:株式会社日本ビジネスプラン
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2025/09/30 経営レポート
戦略的医療機関経営 その167
【サマリー】病院や診療所など形態に関係なく医療機関の経営は、様々な理由で非常に経営が苦しい状況が続いている。その理由の一つが「診療報酬改定」である。診療報酬改定は、医療の値段であり、公定価格である。医療機関の質の高低、努力などは全く関係なく、全国統一価格である。その診療報酬点数が2026年4月に改定される。診療報報酬点数が改定されるのは、4月からであるが、その内容をどこよりも早く予想し、医療機関の現場で改定内容に合わせて、準備をすることが重要である。今回のレポートでは2026年度診療報酬改定に向けて、どのような議論、課題が指摘されているのかを報告し、そこから予想される改定内容をレポートしたい。第1回としては、「入退院支援」「リハビリ」「食事」を取り上げる。1.入退院支援患者が入院して治療を行う際に「入院治療計画書」を作成し、患者の入院時に説明、交付することにより、患者自身が受ける治療内容や病気のことを理解することが目的で、平成8年度の診療報酬改定で新設された点数を皮切りに、ほとんど毎回、診療報改定において、入退院支援が医療機関で行われるように、インセンティブ的な診療報酬点数が付きました。さらに入院時だけではなく、退院時の支援もその内容に加わり、今では入退院支援という考え方になっています。入退院時の支援を行い、患者の理解が深まることで、早期退院(入院期間の短縮)が実現し、患者のためにもなり、さらに医療費の削減にもつながるという考え方です。■入退院支援の評価イメージ出典:中央社会保険医療協議会(中央社会保険医療協議会診療報酬調査専門組織(入院・外来医療等の調査・評価分科会))(令和7年度第5回)入院・外来医療等の調査・評価分科会資料前回改定で、入退院支援加算が見直しされました。〔見直し内容〕入退院支援加算の対象となる退院困難な要因を有している者に、特別なコミュニケーション支援を要する者及び強度行動障害の者を追加する入退院支援加算と入院時支援加算を算定する届出施設は微増し、算定回数も年々増加しています。入退院支援加算の届出をしていない理由として、「専従の看護師の配置が困難」や「専従の社会福祉士の配置が困難」、また「退院支援が必要な患者が少ないため」が多かったです。この退院支援が困難な要因としては、「緊急入院であった」が最も多く、特に急性期一般入院料1を算定している急性期病院が高かったです。次に入院時に比べADL(日常生活動作)が低下し、退院後の生活様式の再編が必要であることが多く、この理由が多かったのは、地域包括医療病棟、地域包括ケア病棟、回復期リハビリ病棟です。これらの病棟でも届出をした病院としない病院で比較した場合、届出をした病院のほうが平均在院日数が短いことがわかり、入退院支援の取り組みは在院日数の短縮に効果があることが証明されました。同時に病棟種別に対応が困難な理由が多種存在することも分かりました。入退院支援を行ったほうが在院日数が短くなる理由は、身体的、社会的、精神的背景を踏まえた患者状態の把握、介護・福祉サービスの把握、入院生活の説明のほかに、褥瘡に関する危険因子・栄養状態の評価、退院困難な要因の有無、入院中に行われる治療、検査の説明などが短くなることに効果があると考えられます。緊急入院の場合は、入院前に入退院支援部門が関与できないケースが多く、予定入院であっても急性期入院料2、3、急性期一般入院料4-6、地域包括医療病棟においては、入退院支援部門が関与しないケースが多かったです。■急性期一般入院料1の病棟における患者の流れ出典:中央社会保険医療協議会(中央社会保険医療協議会診療報酬調査専門組織(入院・外来医療等の調査・評価分科会))(令和7年度第5回)入院・外来医療等の調査・評価分科会資料急性期一般入院料1の入棟元は、自宅(在宅医療の提供なし)が最も多く、71.6%でした。退棟先は、自宅(在宅医療提供なし)が最も多く66.0%でした。これが急性期一般入院料2-6になると、入棟元が自宅の割合が65.6%となり、退棟先が自宅のケースが62.6%となります。病棟ごとに患者の特性からなのか、入退院先、退院困難な理由が様々です。したがって、入退院支援の内容も、入院料、患者像によって異なる対応をしている可能性が高いです。■病棟毎入退院先・退院困難な要因の特徴出典:中央社会保険医療協議会(中央社会保険医療協議会診療報酬調査専門組織(入院・外来医療等の調査・評価分科会))(令和7年度第5回)入院・外来医療等の調査・評価分科会資料■入退院支援に係る現状と課題出典:中央社会保険医療協議会(中央社会保険医療協議会診療報酬調査専門組織(入院・外来医療等の調査・評価分科会))(令和7年度第5回)入院・外来医療等の調査・評価分科会資料これらの現状と課題を踏まえて、2026年度診療報酬改定を考えると、入退院支援加算は、病棟種別に特徴が異なるので、一律に評価するのではなく、病棟種別の点数とすることが考えられます。さらに現在はあまり行われていない緊急入院患者に対しても在院日数短縮が見込めることから、入退院支援の対象となるように何らかのインセンティブがつくような点数が考えられます。2.リハビリテーションリハビリテーションは、急性期、回復期、生活期と分けて考えます。急性期は疾患により低下した身体機能・ADL(日常生活動作)を向上(集中的リハ)させ、回復期にかけて、残存する身体機能を活用した生活機能回復を図ります(自助具使用訓練など)そして、生活期では、安静臥床による廃用症候群に伴う身体機能・生活機能の低下予防(離床の促し、トイレ介助など)を行います。■退院後の自立を目指した生活機能のリハビリのイメージ出典:中央社会保険医療協議会(中央社会保険医療協議会診療報酬調査専門組織(入院・外来医療等の調査・評価分科会))(令和7年度第5回)入院・外来医療等の調査・評価分科会資料退院前に自宅(家屋)調査を実施します。これは実際の家の状況と、退院前のリハビリの状況に齟齬がないようにするためです。退院前訪問指導料として診療報酬上でも評価されています。退院前訪問指導は、回復期リハビリテーション病棟において包括されているものの、全入院患者の3~5%ほどに実施されており、その割合は他の病棟よりも高く、各入院料を算定する施設において、退院前訪問指導を実施している病院の割合は、14~24%に留まっていました。リハビリは早期に集中的に実施することで、その後のADL(日常生活動作)向上に寄与することが知られています。特に高齢者救急については、入院早期からのリハビリ介入や、早期の退院に治療や生活を支えるためのリハビリを提供できる体制が重要です。入院中のリハビリテーションは、患者の病期に応じて、「身体機能の回復」、「生活機能の回復」、「廃用予防」の3つの目的に沿ったリハビリテーションを適切に提供する必要があります。生活機能回復リハビリテーションについては、在宅復帰を図る上では、身体機能や活動の回復のほか、自助具の使用によるADL獲得のような生活機能の回復、退院後の自立を支援する観点が必要です。生活機能回復に資する加算として、例えば、排尿自立支援加算の届出機関数は限られており、増加も緩徐です。生活の場により近い環境でのリハビリテーションを実践しうる医療機関外でのリハは1日3単位に制限されているが、3単位を超えて実施を行った患者も一定数みられました。(1単位20分です)退院支援については、退院前訪問指導は文献的に再入院の頻度低下、退院後ADLの向上等の効果が示されているものの、算定回数は伸びておらず、実施率は低いままです。実施されている施設では、理学療法士、作業療法士をはじめ多職種が関わっています。回復期リハビリテーション病棟等に一定の頻度で入院する高次脳機能障害の患者について、退院前の情報提供の不足、医療機関と障害福祉関係機関とのネットワークの希薄さ等から、退院後に適切なサービスに繋がることが困難であるとの調査結果がありました。疾患別リハビリテーションの早期介入については、ADL回復、廃用予防の観点から早期リハビリテーションの介入が重要であると報告されています。令和6年に新設された急性期リハビリテーション加算では、入棟からリハビリ開始までの要件が設定されておらず、3日目移行に疾患別リハビリテーションを開始する例が約4割存在します。これらのことから1日3単位の制限が変更される可能性があります、退院前訪問指導も算定回数が伸びていないと指摘があることから、点数の引き上げによる誘導か、実施を何らかの要件にして実施件数を増やすかもしれません。急性期リハ加算では、入棟からリハビリ開始までの要件が設定されていないと自ら分析しているので、何らかの要件が入ってくる可能性が高いです。3.食事「食事は治療」との考え方に基づいて、今まで様々な診療点数で評価してきました。入院中の栄養摂取の方法として、急性期や包括期病棟は約8割の患者が経口接収のみです。慢性期病棟でも約5割の患者が経口接収をしています。栄養摂取が経口摂取のみの患者のうち、急性期病棟の患者の約1割、包括期病棟の患者の約2割、慢性期病棟の患者の約4割は、嚥下調整食の必要性があります。食材費が高騰していること等を踏まえ、令和6年6月より、入院時の食費の基準額について1食あたり30円の引上げを実施。また、その後の更なる食材費の高騰等を踏まえ、医療の一環として提供されるべき食事の質を確保する観点から、令和7年4月より、1食あたり20円の引上げを実施。患者負担については、所得区分等に応じて低所得者に配慮した対応としています。■入院時の食費の基準額について出典:中央社会保険医療協議会(中央社会保険医療協議会診療報酬調査専門組織(入院・外来医療等の調査・評価分科会))(令和7年度第5回)入院・外来医療等の調査・評価分科会資料食事に関する現状と課題は、平成6年10月に食事の質の向上、患者の選択の拡大等を図るため、入院時食事療養費制度を創設しました。入院時食事療養(Ⅰ)を届け出た場合、要件を満たせば特別食加算や食堂加算を算定できます。また、多様なニーズに対応した食事を提供した場合、特別料金の支払いを受けることができます。入院患者の栄養摂取方法として、急性期や包括期では約8割が経口摂取のみであり、慢性期でも約5割は経口摂取しています。経口摂取のみの患者のうち、一定数は嚥下調整食の必要性があります。•食費の基準額は、食材費の高騰等を踏まえ、令和6年6月から1食あたり30円、令和7年4月から更に20円引き上げました。食費の基準額引き上げにより、給食の質が上がったとの回答はわずかでした。一部委託や完全直営の施設の約4割は、30円以上経費が増加しているため更なる経費の削減を行っていました。これらのことから、さらなる引き上げが考えられます。しかし、患者負担による引き上げになる可能性が高いと思われます。嚥下調査についても何らかの点数がつく可能性があります。点数の条件としては経口摂取になると考えられます。提供:税経システム研究所
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2025/09/30 経営レポート
中小企業のM&Aと企業価値評価(第19回)
【サマリー】引き続き我が国の中小企業におけるM&Aと企業価値評価の実務について解説します。前回は最終契約の締結に向けた詳細条件の交渉について説明しました。本稿ではターゲット企業の株式を売り手から買い手に移転させるための手続について説明します。本稿では引き続き下記図表1の11.について説明します。【図表1M&Aの基本的な流れ】前稿で説明した最終契約の締結に向けた詳細条件の交渉が完了した後に、株式譲渡契約書を作成して双方で条件等の最終合意に至ることになります。株式譲渡契約書は条件付き契約という特徴があります。つまり、この条件が充足されれば売却するもしくは買取るという契約であり、当該条件が充足されなければ取引は実行されません。言い換えると、クロージング(取引の実行及び完了)という概念を用いてクロージング時点で前提条件が充足されたことを確かめて株式譲渡取引を完了することとなります。株式譲渡契約書の体系は次の通りとなります。1.株式譲渡契約書【図表2株式譲渡契約書の体系】本株式の譲渡本株式の譲渡譲渡価格本件取引の実行表明及び保証売り手の表明及び保証買い手の表明及び保証誓約事項クロージングの前提条件解除及び補償雑則まずⅠ.譲渡価格について当初合意した価格と比較してクロージング日時点で企業価値が大きく変動していた場合には価格調整することがあります。中小企業のM&Aでは当初合意価格のままで決済されることが多いのですが、筆者が経験したM&Aでは、譲渡した会社がM&A後に一定水準以上の利益を計上した場合、買い手が売り手に追加の金銭を交付した事例があります。クロージング日に買い手は売り手指定の銀行口座に金銭を振込み、売り手はターゲット企業の株主名簿の名義書換(株式の引渡し)を実行させることとなります。Ⅱ.の表明とは、過去や現在の事実や法律関係について真実かつ正確であることを表明することであり、保証とは現在や将来の事実や法律関係について当事者が責任を負って保証することをいいます。売り手サイドが表明及び保証する項目としては、法令等に抵触している事象の不存在、基準日における財務諸表の正確性かつ公正性、資産や権利の使用制限の不存在、潜在的債務や簿外債務の不存在、紛争や環境問題などの不存在、重要な契約の継続性などが挙げられます。また買い手サイドが表明及び保証する項目としては、本契約の締結や履行に係る能力、訴訟や本契約に悪影響を及ぼす可能性のある事象の不存在などが挙げられます。特に買い手サイドからすれば売り手サイドが表明及び保証する項目に漏れがないかどうかを検証する必要があります。Ⅲ.の誓約事項とは、契約上最大の義務である株式の引渡し及び金銭の支払い以外の付随的な義務をいい、クロージング前に当事者に対して課された義務を履行することが取引実行の前提条件となります。売り手サイドの誓約事項としては、ターゲット企業に重要な資産の譲渡や処分、新たな借入の実行、増資や減資、新たな設備投資などを行わせないこと、売り手サイドで株式譲渡に関する適法な取締役会決議を実施することなどが挙げられます。買い手サイドの誓約事項としてはターゲット企業の従業員の雇用を継続することなどが考えられます。Ⅳ.クロージングの前提条件としては、売り手サイドでは買い手サイドの表明及び保証が真実かつ正確であること、買い手サイドがクロージング日まで履行かつ遵守すべき事項について履行かつ遵守していることが挙げられます。買い手サイドも売り手サイドの表明及び保証が真実かつ正確であること、売り手サイドがクロージング日まで履行かつ遵守すべき事項について履行かつ遵守していることを前提条件として契約書に織り込むことが考えられます。クロージングの前提条件が履行されたかどうかについては、売り手サイド及び買い手サイドそれぞれの責任者が確認した証拠として書面を残してお互いの認識に齟齬がないことを確認することが望ましいです。また、軽微な表明保証違反が原因となって取引中止となるような事態は避けるべきなので、「重要な点において」表明保証や誓約事項を履行遵守するという文言を入れることも実務上はよくあることです。表明保証への重大な違反や誓約事項の不履行に備えて、Ⅴ.解除及び補償の条項も必要となります。2.クロージングクロージング(取引の実行及び完了)は、以下のような手続が実行されます。株式譲渡承認の手続ターゲット企業が株式譲渡制限会社である場合には、売り手サイドの株主がターゲット企業に譲渡承認申請を行い、ターゲット企業の取締役会にて株式譲渡の承認を受ける必要があります。株式譲渡契約書の調印前述した株式譲渡契約書について、双方で調印します。株式の引渡しと譲渡代金の支払い株式譲渡契約書に記載された通り、株式の引渡しと譲渡代金の支払いが同時に行われます。株主名簿の名義書換株式の引渡しを具体化するために、買い手サイドの株主からターゲット企業に株主名簿の名義書換請求を行います。書換後に株主の移動が完了します。臨時株主総会の開催新しい株主(買い手サイド)による臨時株主総会を開催して新しい役員を指名することになります。取締役会の開催及び役員変更登記新しい役員によるターゲット企業の取締役会で代表取締役が選任されるとともに、新しい役員の役員変更登記の手続を行います。上記クロージング手続がすべて完了後、ターゲット企業は新しい株主(買い手サイド)や経営陣の下で新たな経営方針を掲げて事業を継続していくことになります。今後は買い手サイドの企業グループに円滑に統合していくことが必要になります。この点については次稿で説明します。提供:税経システム研究所
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2025/09/30 経営レポート
昨今労務事情あれこれ(214)
1.はじめに最近、「静かな退職」という言葉が注目を集めています。端的にいうと、仕事に対して積極的に関わることを避け、必要最低限の業務のみをこなす働き方を指します。「退職」となっていますが、実際に退職してしまうわけではなく、勤務先に在籍したまま、自身の業務だけを淡々と果たしていきますが、そこに仕事に対する熱意や意欲といったものは存在していないのが特徴です。考えてみると、昔からこのようなスタンスで仕事に向き合う従業員は一定数見受けられたように思えます。しかし、割合でいえば極めて少数であり、また、それをカバーする他の従業員も職場には豊富にいたこともあって、あまり大きな問題にはなっていなかったのではないかと考えます。一方で、昨今の職場環境を見てみると、少数精鋭…といってしまえば聞こえはいいですが、人手不足もあり、どこの職場もギリギリの人員で業務を回しています。そんな中で「静かな退職」をされてしまうと、それをカバーする余力はほとんどないのが現状です。今回は、状況が極まると一気に職場崩壊にもつながりかねない「静かな退職」について考えていきます。2.想像以上に広がっている?「静かな退職」「静かな退職」の実態や従業員側の意識はどのようなものなのでしょうか。人材情報サービスを展開する株式会社マイナビが2024年11月と2025年3月にそれぞれ個人・企業に対してインターネット調査を行い、「正社員の静かな退職に関する調査(2024年実績)」として結果を公表しています(注1)。それによると、20代から50代の正社員に「静かな退職をしているか?」と聞いたところ、「そう思う」「ややそう思う」の回答割合は44.5%に上りました。年代別では20代が最多で46.7%、ついで50代の45.6%、40代は44.3%となっており、年代を問わず存在しているものと考えてよさそうです。また、「静かな退職」をしていると回答した人に対し「静かな退職を今後も続けたいか?」と聞いたところ、「続けたい」とした回答が全体で70.4%にも上りました。こうして見てみると、「静かな退職」は経営者側が考えている以上に、従業員側では「当たり前」になりつつあるのかもしれません。なぜ従業員は「静かな退職」を選んでしまうのかというと、時代の流れとともに仕事に対する意識や価値観が変化したことが理由の一つになっていると感じます。かつては会社のために尽くす働き方がもてはやされ、仕事が生きがい、趣味は仕事…という従業員も珍しくはありませんでした。しかし、今ではワーク・ライフ・バランスが重視され、プライベートをより重視したいと考える従業員が増えています。特に若年層においては今や「仕事は生活の一部に過ぎない」意識が広がっているのです。また、正当な評価が得られない、給与と仕事量が見合っていない、責任ばかり持たされて昇進するメリットを感じない…といったところも「静かな退職」が増えている要因といえそうです。ただ、経営者としては、これを「時代や気質の変化だからしょうがないよね」と手をこまねいているわけにもいきません。「静かな退職」が蔓延すると、職場に何が起こってしまうのでしょうか。3.「静かな退職」がもたらす職場への悪影響冒頭で述べたように、「静かな退職」を実行している従業員は必要最低限の業務しか取り組みませんし、意欲や熱意を持って仕事にあたっているわけでもありません。そうした従業員が職場や部署にいる場合、さまざまな悪影響がもたらされます。1.士気や生産性の低下意欲や熱意を持って、仕事で結果を出そうと奮闘している横で、淡々と自分のことだけをやって終わり…なんてことをやられたら、不快感を覚える人がほとんどでしょう。それが度重なれば、職場全体の士気に影響を及ぼすことは確実です。また、業務全体のことよりも、自分のペースを大事にすることが目立つようになるため、業務の進行が遅れるなどの生産性への影響も懸念されます。2.職場環境や人間関係の悪化必要最低限のことしかやらないため、会議などでもアイデア出しはおろか、発言すらしないことも当然の雰囲気になります。チームへの貢献意識は皆無といってもいいでしょう。また、その人の業務の一部を誰かがカバーしなければならなくなることもありますが、今や人員に余裕のある職場ばかりではないわけで、そうなると周囲と軋轢を生んで従業員間でトラブルに発展するなど、職場の雰囲気を悪くすることが起こります。3.人材流出や連鎖的な「静かな退職」の蔓延1.2.の事態に会社が気づかない、または気づいても何ら対策しないでいるとモチベーション高く仕事に取り組んでいる従業員は会社に失望する、真摯に業務に取り組むことに無力感を覚え、それが極まると退職してしまう恐れがあります。また、「頑張らないことが許される」と感じた他の社員が同じように「静かな退職」を実行し始める懸念もあります。このような形で静かにじわじわと悪影響が広がった末に、最後はその職場の業務が回らなくなる「職場崩壊」に追い込まれてしまうことすらあるわけです。では、「静かな退職」を実行する従業員を生まないために、会社としてできるのはどのようなことなのでしょうか。4.会社としてできることは?従業員が「静かな退職」に向かってしまう背景として「不公平感の増大」が挙げられます。「自分ばかりが大変な思いをしている」「懸命に成果を出しても思ったより評価されない」といった不公平感(実際に不公平かどうかは別として)、そんな不公平感を押し殺して頑張った末に管理職に昇進したら、今度はパワハラをはじめとする数多のハラスメントを犯さないよう窮屈な思いをしながら部下の指導やフォローをしなければならない、そんな立場と賃金は見合わない…などと考え始めると、会社の人事評価基準に疑問や不満が生まれてしまい、頑張りを放棄する要因になります。人事評価基準の評価項目や評価基準を明確化し、「何をどこまでやったらどのような評価が得られるのか」をはっきりさせる、貢献に対しては貢献度に応じた賃金・賞与や処遇で報いるなど、納得感が高い人事評価を行うための「ものさし作り」が重要になるでしょう。また、先述のようにワーク・ライフ・バランスを重視した働き方を求める従業員が増えていることを踏まえると、働きやすい職場の整備も重要です。働き方改革や労働時間の上限規制の流れもあり、以前のような常態化した長時間労働の職場は減ってきていますが、テレワークの推進や短時間勤務、時差出勤など多様な働き方を整備し、従業員がライフスタイルに合わせて働くことができる環境を提供することは、仕事への満足感や、やりがいの醸成に資するものとなるでしょう。ヒト・モノ・カネの経営資源のうち、「ヒト」だけが感情を持ち、その振れ幅一つで仕事への姿勢が左右されます。「静かな退職」を実行する従業員はその振れ幅が負の方向に向かっている状態といえます。いかにしたら負の方向に振れてしまわないのかを真剣に考え実行していくことが「静かな退職」を防ぐカギになります。<注釈>「正社員の静かな退職に関する調査2025年(2024年実績)」マイナビキャリアリサーチLabhttps://career-research.mynavi.jp/reserch/20250422_95153/提供:税経システム研究所
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2025/09/29 審査事例
請負業者の申述が信用され、一部は合理的な理由がない資金の贈与として寄附金に認定された事例(一部取り消し)
【裁決のポイント】法人税法第37条第7項に規定する「寄附金」とは、民法上の贈与に限らず、経済的にみて贈与と同視し得る金銭その他の資産の譲渡又は経済的利益の供与をいうものと解される。対価がない資金の移動(資金の贈与)があり、かつ、当該贈与を行うことに通常の経済取引として是認することができる合理的理由は認められないものは寄附金に該当する。農業生産法人である審査請求人は、管理棟や倉庫、ビニールハウスの新築工事等を建設会社と建築士に発注したが、それら請負業者が、審査請求人から契約書上の代金の支払いを受けた後に審査請求人の関連会社3社(A社、B社、C社)宛の支払いを行っていたため(本件各支払額)、税務署は、関連会社は請負業者に対してなんら役務の提供をしていないから、本件各支払額は請負業者を介した審査請求人から関連会社への寄附金であると認定し、更正処分等を行った。審査請求人は、関連会社は実際に作業をしており対価があると主張した。国税不服審判所は、請負業者が税務調査担当職員に対して行った申述は信用することができるとして、本件各支払額のうち2件は、関連会社への寄附金に該当する、1件については関連会社が実際に作業をしたことが認められるとして、処分の一部を取り消した事例である。(平成28年7月期の事業年度の法人税の更正処分及び重加算税の賦課決定処分、他・一部取消し、他・令和6年12月10日裁決)【主な争点】本件各支払額に相当する金額は、法人税法第37条第7項に規定する寄附金の額に該当するか。【裁決の要旨】建設会社及び建築士の申述内容は、それ自体としても具体的であって不自然な点は見当たらないほか、審査請求人から代金を受領した日後に関連会社に支払っている点で客観的事実とも符号していることから、信用することができる。本件支払額1及び本件支払額2については、建設会社及び建築士がA社、B社及びC社から何ら役務の提供を受けていないにもかかわらず、審査請求人の指示に従って支払われたものであることに加え、審査請求人は、建物等工事等に係る契約書等の請負代金等に本件支払額1及び本件支払額2に相当する金額を含めて当該契約書等を作成するとともに、建設会社及び建築士に対し、本件支払額1及び本件支払額2をA社、B社及びC社に支払うよう指示していた。このことを併せ考慮すれば、本件支払額1及び本件支払額2に相当する金額は、審査請求人が建設会社及び建築士を介して、A社、B社及びC社に金銭を対価なく移転するもの(資金の贈与)であると認められ、かつ、請求人が当該資金の贈与を行うことに通常の経済取引として是認することができる合理的理由は認められないから、寄附金の額に該当する。本件支払額3については、A社及びB社が建設会社に農業用資材の売却・運搬し、パイプビニールハウスの組立工事作業等をしたことが認められることから、寄附金の額に該当しないものと認めるのが相当である。【参照条文】法人税法第37条《寄附金の損金不算入》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決日以後、裁判所により別の判決が示される場合もございますので、あらかじめご了承ください提供:株式会社日本ビジネスプラン
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2025/09/25 会計レポート
生成AIを活用した財務・非財務情報の分析(6)
1.不確実性をシミュレーションする企業を取り巻く経営環境は、かつてないほど予測困難になっています。地政学的リスク、資源価格の高騰、急速な気候変動対応、金利や為替の急変動といった要素が複雑に絡み合い、長期的な事業計画や設備投資の判断を行うことは増々難しくなっているのです。こうした状況は、近年ビジネス誌や新聞などでも頻繁にみられるようになったVUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)という言葉に象徴されています。もはや、未来を一方向に定め、事業はその通りに進んでいくという想定では、適切な経営意思決定はできません。経営者や会計専門家は、不確実性を前提にした柔軟かつ構造的な判断力が求められているのです。この点、これまでの実務においても、三点シナリオ(ベース・楽観・悲観)と呼ばれる、未来のいくつかの可能性を想定し、それぞれのシナリオに分けて事業計画や投資案の評価を行うことが行われてきました。しかし、VUCAの時代にあっては、このような限定的な想定だけでは、現実的なリスクを十分に織り込むことはできません。より広範な可能性を数多くシミュレーションし、期待する成果が得られるか否かのリスク評価を計画や評価に反映させることが求められているのです。このように、将来起こりうる様々な可能性についてシミュレーションを行うためには、統計モデリング、プログラミング、数理解析等のツールを使用する必要があり、大学院レベルの数学や統計の知識が必要とされていました。また、分析が実行できたとしても、分析結果を理解するためには前提知識が必要であり、シミュレーション結果が意思決定に反映されないという問題も生じていました。しかし、生成AIが登場したことで、状況は大きく変わろうとしています。生成AIに、自然言語(普段使用している言語)で指示するだけで分析は実行可能になり、分析結果についても生成AIがわかりやすく翻訳をしてくれるようになりました。前提知識を持たずとも、不確実性を織り込んだ将来のシミュレーションを経営に活用できる時代になったのです。2.将来の可能性を数万回シミュレーションする(モンテカルロ・シミュレーション)未来に揺らぎが伴うことを前提に、「起こりうる結果の分布」や「最悪・最良のケースが起こる確率」を可視化しながら意思決定を行う手法にモンテカルロ・シミュレーションがあります。モンテカルロ・シミュレーションは、未来の不確実性を何通りも試してみることで、結果のばらつきを可視化する方法です。例えば、設備投資を行う場合に「将来の売上」「為替」「原材料価格」などは必ず変動します。これらを単なる「予測値」ではなく、一定の幅を持つものとして設定し、「もし売上が少し高かったら?」「もし為替が円高になったら?」「もし原材料価格が上がったら?」というシナリオを何千回、何万回とランダムに試行するのです。たとえば、投資案の評価にモンテカルロ・シミュレーションを用いることで、意思決定者は以下のような情報を得ることができます。平均的な結果最悪の場合どこまで落ち込むか大成功する確率投資が黒字になる確率従来行われてきたシナリオ分析は特定の状況(楽観・悲観・標準)を切り抜いたスナップ写真のように例えられますが、モンテカルロ・シミュレーションは動画や地図のように未来の全体像を確率的に示す方法であると言われます。それでは、具体的に投資案の評価の場面でどのように用いることができるか見てみましょう。3.生成AI(ChatGPT)を用いたモンテカルロ・シミュレーションの実行今回は、以下の設備投資案を想定します。なお、正味現在価値(NPV)をもとに投資案の評価を行うものと仮定します。初期投資:100億円投資期間:10年売上ベース想定:毎年45億円コストベース想定:毎年30億円為替:1ドル=150円を基準に±10円変動主要部材価格:現在水準を基準に±10%変動資金調達コスト(割引率):5%固定試行回数:10,000回それでは、モンテカルロ・シミュレーションを実行するために、ChatGPT(GPT-5)に、以下の指示を与えてみましょう(図表1参照)(注1)。初期投資100億円,投資期間10年の設備投資について,売上は毎年45億円,コストは30億円を想定。為替は150円±10円,部材価格は±10%動くと仮定し,資金調達コストを5%に設定して,NPVを10,000回シミュレーションしてください。なお,作図にあたっては,添付の日本語ファイルを使用してください。図表1ChatGPTへの指示画面出所:筆者作成すると、以下の計算結果を出力してくれます。試行回数:10,000回NPV中央値:15.8億円NPVの5パーセンタイル(下位5%)=11.3億円NPVの95パーセンタイル(上位5%)=20.3億円NPVが0パーセント未満となる確率:0%前提条件をもとに10,000回計算を行った結果、NPVは11.3億円~20.3億円となる可能性が高く、もっとも可能性が高い値としては、15.8億円程度となるという結果が導かれました。また、NPV<0となる(将来得られるキャッシュローが投資額を下回る)可能性はほぼ皆無であることも示されています(注2)。また、ChatGPTに「結果を要約してください」と伝えることで、意思決定者に伝えるためのレポートを作成してもらうことも可能です(図表2参照)。図表2ChatGPTによる結果のレポーティングこのように、生成AIを活用することで、モンテカルロ・シミュレーションのような高度なシミュレーションを容易に実行することができます。不確実な未来に対応し、経営を高度化するために、強い武器となるのではないでしょうか。<注釈>作図にあたっては、日本語フォントを指示する必要があります。以下のURLからダウンロードをお願いいたします。https://www.dropbox.com/scl/fo/0b8awcpp78osp7nxyv2um/APEnwru4ADXkUVFwvfXZ5JM?rlkey=c0y2izoezrrxi0zt33c0bc2ba&dl=0今回ChatGPTに与えている指示は最低限の情報となります。より精緻な情報を得るためには、部材価格の市場動向や売上の過年度実績データを追加で与える必要があります。提供:税経システム研究所
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関連項目 会計レポート,管理会計
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