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2025/09/12 商事法レポート
株主提案が提出された株主総会の議事運営上の留意点
1.はじめに―増え続ける株主提案2025年6月開催の上場企業の株主総会を振り返ると、これまでにはない様々な特徴が認められます。民間の調査によると、これまで年々増えていた株主提案は、2025年度6月期総会においては過去最高の提案を数えました(注1)。株主提案は、アクティビストや個人株主から提出される場合が少なくありません。それに加えて株主提案は提案株主毎の様々な思惑に基づいて提出されることからその対応は一筋縄では行きません。そこで、株主提案が提出された株主総会の議事運営には特別な注意が必要です。本稿では、まず株主総会の議事運営について簡単に触れた後、株主提案が提出された株主総会における議事運営上の留意点について説明をします。2.株主総会の審議について(1)会社経営における株主総会の重要性まず、株主総会とは、株主が会社の基本的事項を決定する会社の最高意思決定機関です。株主総会の目標は、一言で言えば、瑕疵なき総会の実現にあります。株主総会のテーマを、株主総会の目的事項といいますが、株主総会の目的事項とは、株主への報告事項の報告と決議事項の決議です。このように株主総会の目的事項が報告事項と決議事項とされていることには以下のような理由があります。まず、経営者である取締役は、会社の実質的所有者である株主からの信認のもとに経営の委任を受ける立場にあります。そこで、株主に対する委任事項の報告義務が取締役に課されていると解されます。すなわち、報告事項を報告しなければ株主から信認を受けた経営の受任者である取締役の責任が果たすことができず、また、決議事項を決議できなければ、役員も選任できず、剰余金の分配もできなくなってしまいます。そのため取締役は報告事項を報告し、決議事項の決議を成立させなければならず、またその際、後日決議取消訴訟が起こされないように適法・適正に行なう必要があります。そこで、株主総会においては「瑕疵なき総会」の実現が求められているわけです。なお、株主総会決議の瑕疵(決議取消事由)の例は下表のとおりです。【株主総会決議の瑕疵(決議取消事由)の例】(2)株主総会の審議方式―個別審議方式と一括審議方式株主総会の審議方式については、昨今様々な議論がされていますが、大別して、個別審議方式と一括審議方式に分けることができます。まず、個別審議方式は、報告事項を報告・審議し、さらに決議事項の各議案を一つずつ個別に上程し、その都度、審議、採決を繰り返す方式です。次に、一括審議方式は、報告事項の報告後、全議案を上程し、報告事項、全議案を一括して審議する方式です。それぞれの方式の評価ですが、個別審議方式は、会議の原則には馴染みますが、議案の数だけ審議、採決を繰り返す分、総会所要時間が延びてしまい、質疑打ち切りも、報告プラス議案の数だけ必要となってしまいます。他方、一括審議方式による場合には、株主の質問時間を確保しつつ、議長が議事進行を合理的にコントロールすることができるというメリットがあります。そこで、現在は一括審議方式が主流になっています。これには理由があり、従前は、個別審議方式を採用する会社が多かったのですが、総会の長時間化の問題が生じ、そこに総会荒らしと呼ばれる特殊株主による議事攪乱の問題が絡み、企業社会の悩みの種となっていた時期がありました。本来総会の主役は株主ですが、総会の議事を主役である株主にただ委ねるのではなく、総会の所要時間を合理的な範囲に収め、かつ総会の審議を充実させるためにはむしろ会社が議事を主導するべきだという意見が多くを占めるようになり、会社主導型の議事運営方式として一括審議方式が一般化していったという経緯があります。最近では上場会社の8割がこの方式を採用しているとのことです(注2)。(3)一括審議方式のもとにおける議事進行の流れ次に、多くの上場会社が採用する一括審議方式のもとにおける議事運営の流れは、以下のようになります。これによると、一括審議方式においては、株主総会の議事は、株主への報告と議案の上程(パート1)、株主との質疑応答(パート2)、議案の採決(パート3)という3つのパートに分けられ、株主は、2番目の質疑応答のパートでのみ発言が許され、それ以外のパートでは発言が禁止され、許さないこととされています。一般論としては株主総会においてどのような審議方式を採用するかは、議長が議事整理権限に基づいて決定することもできますが、多くの会社の総会実務においては、議長は、最初のパートで株主に対して当該総会における審議方式として一括審議方式を採用したいことを提案し、議場にいる株主に諮り採決を取ります。そして過半数の株主の賛同を得たうえで一括審議方式が採用されるという慎重な方法を採っています。【一括審議方式のもとにおける議事運営の流れ】そして、議事が進み質疑応答の段階に入ったところで、株主は総会の目的事項である報告事項と決議事項について質問を発し、あるいは各種動議(手続的動議や議案の修正動議)を提出することが許されることになります。一括審議方式のもとにおいてはこの段階が株主との対話の場面になります。なお、議長がパート1において当該総会における審議のルールを株主の承認のもとに決定しているため、質疑応答以外のパートにおける株主の質問や動議の提出など一切の発言は、不規則発言となります。つまり、議長は、それらの株主の発言を採用する必要はなく、これを無視して議事を進行することができます。万一、株主が議長の指示に従わず不規則発言を続ける場合には、議長は当該株主に注意を発し、あるいは警告し、最終的には退場等を命じることもできます。また、パート2の株主の質疑応答の段階においても、議長は、議事整理権限に基づいて質疑応答に関するルールを設定することができます。株主の質問に関する制限の仕方としては、質問時間によって制限をかける方法と質問数によって制限をかける方法、さらに両者を併用する方法があります。実際に6割近くの会社が株主の質問に制限をかけており、そのうち質問数によって制限をかける会社が比較的多数です(注3)。それでは株主総会においてどうしてこのような審議方式が採用されているのでしょうか。それは、かつては総会屋などによって議場が占拠され、議事運営を支配されていた過去の時代の教訓も皆無ではありませんが、現在はそのような危機管理的な発想だけではなく、多くの株主は株主総会も合理的な所要時間内に行われるべきであると期待しており、その限られた時間内により多くの株主から意見などの発言を受けるためには、個々の株主の発言について必要かつ相当な範囲で一定の制限をかけることは合理的なものであり許容されること、さらに株主との対話を重視し、より対話を充実させる観点からは、むしろ全議案について一括して審議することが望ましい対応と考えられていることによるものと解されます。このように現在の総会の議事運営においては、総会所要時間を合理的な範囲に収めつつ、より多くの株主の発言機会を確保し、総会の審議を充実し、実質化させることを重視する観点から議事運営上の各種工夫がされているというのが実際です。3.株主提案が提出された場合の株主総会の議事運営それでは、株主から株主提案が提出された場合に以上のような総会の議事運営はどのように変わるのでしょうか。ここでも一括審議方式が採用されたことを前提にしますが、各パートそれぞれに影響をしてきますので、順番に説明をしていきます。(1)議案の上程まず、パート1の議案の上程のところで、会社提案議案に加えて株主提案議案の上程が加わります。その際、株主提案議案についても、提案株主ではなく、議長が議案の上程をすることになります。議案の上程は議事の運営であり、議事の運営は議長の専権事項だからです。そして、議長は、議案を上程する際、会社提案のほかに株主提案がある旨と、後ほど提案株主による補足説明の機会を設けていることを説明したうえで、会社提案議案について説明をします。その説明の際、会社提案のなかに株主提案と両立しない議案や、両立するが同一事項または関連事項にあたる株主提案である場合(例えば、取締役の追加選任や追加型期末配当の議案など)がある場合には、当該同一事項または関連事項と会社提案の内容について丁寧に説明をする必要があります。次いで、議長は、株主提案を上程してその内容を説明します。その後、株主提案に対する取締役会の反対意見がある場合には、その説明を行います。多くの場合、株主提案の取締役会の反対意見は総会前に開示されており、また株主総会参考書類に記載されているので、それを読み上げる形で進みます。その後、議長は、提案株主に対して株主提案の補足説明の機会を設けます。議長は、株主提案をした株主に対して、補足説明を希望するかどうか尋ね、提案株主が希望すれば補足説明をさせることとなります。その際、議長は議事整理権限に基づいて提案株主の補足説明についても合理的な制限をすることも可能です。補足説明の中に目的事項外の発言や重複・長時間発言がある場合など、当該総会において議長が定めた発言ルールを逸脱するものについて議長が制限をかけることは当然だからです。そこで、提案株主の補足説明前に議長から当該株主に発言上の注意点を伝えておくことがよく行われます。なお、議事運営上は補足説明の機会をあらかじめ設けておくことは必要ではありませんが、提案株主が補足説明を希望した場合にはこれに応じる必要があると解されます。これに応じない場合には議案の賛否に必要な情報が提供されていないとして株主から決議取消を求められるリスクがあるからです。そこで株主提案を受けた会社の株主総会の議事進行シナリオにはあらかじめ提案株主による補足説明の時間が確保されていることが通例です。万一、議長が提案株主による補足説明を呼び掛けたが提案株主が応じなかった場合には、提案株主が補足説明の機会を放棄したものと取り扱うことになります。また、稀に提案株主が当該総会に出席しないという場合もあります。その場合も、議長は議場の株主に対して補足説明を呼び掛け、補足説明の機会を与えることが実務では多く見られます。これは、当該提案株主の出席がなかったとしても、提案株主から委任を受けた代理人が提案株主に代わって補足説明をする場合なども考えられることから、後日提案株主から補足説明の機会を与えられなかったなどと主張されるリスクを回避する必要があるからです(注4)。(2)議案の審議次に、パート2の議案の審議に入りますが、一括審議方式においては、報告事項ならびに会社提案議案および株主提案議案の全議案が質疑応答の対象となります。その際、株主提案として多数の議案が上程されている場合には質疑応答に多くの時間を要することもあります。ちなみに株主提案ができる議案の数は10個に制限されていますが(注5)、それでも議案毎に質疑応答がされると相応の時間が費やされます。なお、議案の説明義務は、会社提案および株主提案ともに取締役等が負っており、提案株主は株主提案議案について説明義務を負いません。しかし、株主提案議案について最もよく説明ができるのは当該提案株主であり、だからこそ提案株主に議案の補足説明の機会を与え、説明をさせるものです。そこで、提案株主の補足説明に対して他の株主から質問があった場合においては、提案株主に説明や質問に対する回答の機会を付与すべきであると解されています(注6)。また、質疑応答の場面で株主提案に関して提案株主に対して他の株主から説明や質問への回答を求めることがあり、その場合、議長は提案株主を指名して、回答等の発言を求めることもあり得ます。(3)議案の採決質疑応答が終了し、審議が尽くされたと判断した場合、議長は自ら審議を打ち切り、あるいは質疑打切り動議の可決により審議を打ち切ります。その後、議案の採決に進みますが、まず会社提案議案を採決し、その後、株主提案議案の採決をします。これら採決が終了したら株主総会の議事は終わり、議長は当該総会の閉会を宣言します。採決に際して困難な場面としては、例えば、会社提案議案と株主提案議案とが両立せず、両議案の賛否が拮抗するような場面です。通常、株主総会では、株主の事前の議決権行使書面による議決権行使によって議案の賛否は、総会の開催前に判明していることが少なくありません。そのような場合は、当日の出席株主による議決権行使は、事前に判明している賛否に影響することはありませんが、議案の賛否が拮抗する場合には、議決権数を正確に集計する必要があります。この場合、平時では株主の拍手によっている採決を、株主の挙手、起立またはマークシートなどによる投票によって行うことがあります。例えば、議案の採決を投票によって行う場合、総会の議事運営シナリオもそれを踏まえた内容にしておく必要があります。その際、議長は、株主に対して、議案の採決を投票によって行うことをあらかじめ説明しておく必要があります。その説明の時点ですが、まずパート1において議長就任後、議事運営について株主に説明する際に同時に採決方法について説明をすることが考えられます。次に、パート3において議案の採決に入る前に採決方法について説明をすることは必須であると解されます。実務においては、株主への説明に漏れがないように、両場面において採決方法について説明を行っているのが通例と思われます。採決をする議案によって採決方法が、拍手による場合と投票による場合とで異なる場合が想定されることから、議長は株主にその点を丁寧に説明する必要があります。なお、議案の採決を投票による場合、特に提案株主との間でプロキシ―ファイトが(注7)行われているなど、賛否が拮抗する状態にある場合には、総会の議場を封鎖して、株主の議場への入退場を一時的に止め、議決権を行使する株主とその議決権数を確定した後、株主の投票を実施することも行われます。そして、投票の終了後、集計作業を経て採決の結果が判明するまで、株主には議場に待機するように要請し、採決の結果が判明した後、その結果を議長は株主に報告をします。採決の場面では以上のような手続を取ることになります。(4)株主提案がある場合の議事運営の流れ以上の議事運営の流れをまとめると次のとおりになります。【一括審議方式のもとにおける議事運営の流れ(株主提案がある場合)】4.おわりに冒頭で説明したとおり、物を言う株主であるアクティビストの行動がますます活発化する様相を呈しています。アクティビストの行動は、同意なき買収という形で、会社支配権の獲得を目指すという直接的な形で現れることもありますが、現在最もよく見られるのが株主総会への株主提案の提出です。株主提案権の行使は、アクティビストが会社に対して自らの意思を伝える手段として最も簡易かつ効果的なものとして利用されている感があります。これに関連して、近時現れたのが、いわゆる勧告的決議を求める株主提案です。これは株主総会で決議することのできない事項(非決議事項)を議題とする株主提案であり、アクティビストなどが会社に揺さぶりをかける際の戦術となっています。勧告的決議を求める株主提案が認められるかについては争いもあります(注8)。この点については、株主提案の内容に応じて個別具体的に判断をしていく以外にはないと思われます。しかし、株主総会決議事項ではない事項を提案する場合には、定款変更議案として株主提案が行われるのが現在の株主総会の現実です。したがって、従前どおり定款変更議案の形で株主提案が行われた場合には、会社としても株主提案として取り扱わざるを得ません。最近のマスコミ報道(注9)によると、東京証券取引所の上場企業の外国人持株比率は、2024年度末で過去最高を記録したと報じられています。そのような情報からもうかがわれるように、近時主に海外投資家からなるアクティビストが日本市場に多数流入し、企業に対してガバナンス改革などを迫る事案が増えてきている感があります。今後もアクティビストの行動は活発化し、国内の上場企業を相手に、様々な形で株主提案を行ってくることが予想され、これを受け付ける会社側もこれまで以上に慎重にかつ正確な法的判断のもと対応をしていくことが求められているといえます。しばらく株主提案をめぐる企業社会の張り詰めた緊張感は続きそうです。<注釈>民間の調査(三井住友信託銀行ガバナンスコンサルティング部(2025年7月))によると、2025年6月総会における株主提案件数は114社となり、2024年6月総会において91社であったことから前年比で23社増加しており、機関投資家等からの株主提案は51社で過去最高であった前年件数から5社増加しています。ガバナンスをテーマにする議案の提案を受けた社数が増加する一方、株主提案の可決事例が複数件見られたということです。10年前の2015年6月総会においては29社、うち機関投資家等から株主提案を受けた会社は1社に過ぎず、10年間で状況は一変しています。また、機関投資家等から株主提案を受けた企業のPBRは2024年6月総会ではPBR1倍未満が約60%を占めていましたが、2025年6月総会では約50%へ低下しており、PBR1倍未満かどうかにかかわらず株主提案を受けているのが特徴的とされています。さらに、会社提案議案の否決は8社、37件となり、前年の4社、6件と比べ4社、31件増加しており、会社提案議案の可決承認が次第に難しくなる傾向が看取されます。「2024年度全株懇調査報告書」(2024年10月。以下「全株懇調査」といいます。)17頁においては、回答会社(株式上場・非上場)のうち82.9%が一括審議方式を採用しているとされています(調査項目25⑵)。全株懇調査によると、質問に関する制限の有無(質問者1人1回当たり)について、回答会社(株式上場・非上場)のうち質問時間による制限を採用する会社が3.0%、質問数による制限を採用する会社が51.9%、これらを併用する会社が4.9%とされており、以上の合計の59.8%の会社が株主の質問に何らかの制限をかけており、その割合は年々増加する傾向にあります(調査項目28⑵)。なお、総会当日に提案株主が欠席した場合については、そもそも株主提案を審議する必要があるのかという点も問題となりますが、その場合も株主提案を総会で審議すべきであると解されており、実務上もそのように取り扱っています(東京弁護士会会社法部編『株主総会ガイドライン〔第3版〕』(2025年2月・商事法務)313頁)。取締役会設置会社において、提案株主が議案要領通知請求権の行使により提出しようとする議案の数が10を超えるときは、会社は10個を超える数の議案について、議案要領通知請求を拒絶することができる(会社法305条4項本文)とされています。前田雅弘・木村敢二『株主提案対応の株主総会実務‐その実践と理論』(2024年・中央経済社)232頁株主提案が提出された株主総会において株主提案と会社提案との間で株主の議決権行使の代理権を授権する委任状をめぐり争奪戦が行われることがあり、プロキシ―ファイト(委任状争奪戦)と呼ばれています(西本強『戦略的企業防衛』(2024年・商事法務)107頁など)。勧告的決議を求める株主提案については、これを認めない裁判例(定款に定めのない買収防衛策の導入・廃止などについて、東京高決令和元・5・27資料版商事法務424号118頁。)と原則として株主提案の対象となると判示した裁判例(産業競争力強化法に基づく株式分配型のスピンオフについて、京都地決令和3・6・7資料版商事法務449号90頁)があります。ただし、いずれの裁判例も、株主提案権の対象となる事項は、株主総会の決議事項であることを前提としていると解されています(前掲ⅳ株主総会ガイドライン298頁)。日経新聞2025年7月24日記事「外国人持ち株比率最高に」によると、株式分布状況調査によると2024年度末時点の日本株の外国人保有比率は23年度末比0.6ポイント上昇の32.4%となり、過去最高を更新する一方、物言う株主(アクティビスト)が保有を増やし、企業改革を迫るケースが多かったことなどが報じられています。提供:税経システム研究所
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2025/09/11 会計レポート
企業が生き残るための製品・サービスの原価計算の勘所(20)
1.岡本[2000]による販売費及び一般管理費の分類と「販売費分析」という意味前々々回の(17)で、販売費及び一般管理費を分類するにあたり、一橋大学岡本清名誉教授の名著『原価計算』の最新版である六訂版[岡本,2000]では、まず、販売費及び一般管理費を、文字どおり販売費と一般管理費に分類し、さらに、販売費を注文獲得費、注文履行費、販売事務費に分けて説明していますが、一般管理費については勘定科目を例示しているものの、本文において説明はしていません。また、前回の(19)で、岡本[2000]では、販売費は、これを経常的に製品へ配賦されることはなく、一般管理費とともに、期間原価として当該会計期間の収益と対応して計算するので、販売費の計算では、販売費会計(marketingcostaccounting)とはいわずに、販売費分析(marketingcostanalysis)というほうが普通である[p.700]と述べていることを説明しました。そして、岡本[2000]は、一般的に行われる販売セグメント別分析として、①製品品種別分析、②販売地域別分析、③顧客種類別分析、④注文規模別分析、⑤販売経路別分析の5項目をあげています[p.700]。2.岡本[2000]による製品品種別分析(その1)(1)純益法と貢献利益法では、岡本[2000]に依拠して、具体的な分析手法の説明について概説していきます。岡本[2000]は、販売費を販売セグメント別に分析する方法として、製品品種分析に純益法と貢献利益法があると説明しています[pp.701-713]。純益法では、岡本[2000]によると、全部原価計算にもとづき、製造原価、販売費及び一般管理費のすべてを各製品品種に割り当て、製品品種別の純利益を計算することにより、各品種の収益性を分析します[p.701]。一方の貢献利益法は、直接原価計算にもとづき、各製品品種別売上高から変動製造費および変動販売費を差引いて「貢献利益」を計算し、「貢献利益」から品種別の個別固定費(製造費および販売費)を差引いて「製品貢献利益」を計算して、各品種の収益性を分析する方法です[岡本,2000,p.703]。日本商工会議所簿記検定試験のテキスト[岡本・廣本,2024a]においても、同様の説明をしています[p.42]。(2)純益法における販売費及び一般管理費の直課と配賦1)販売直接費の直課今回と次回にわたり、純益法について概観します。岡本[2000]は、純益法の計算手続では、販売直接費を各製品品種に直課すると説明しています[p.701]。販売直接費の例として、岡本[2000]は、製品品種別の広告費、製品品種別の見本費、特定の製品品種のみを担当する販売員の給料、販売員手数料、特定の製品のみを保管する倉庫費などをあげています[p.701]。この販売費の分類は、機能別分類にもとづく費目を前提にしています。2)販売間接費の配賦岡本[2000]はまた、純益法において、販売間接費を特定の配賦基準によって各製品品種に配賦すると説明しています[p.701]。岡本[2000]では、販売間接費の配賦において販売費を分類するにあたり、販売直接費と同様に機能別分類にもとづいた費目ごとに、図表1のように配賦基準を例示しています[pp.701-702]。図表1販売間接費の配賦基準の例機能別販売間接費配賦基準の例広告費および販売促進費製品品種別売上高(これは、合理的な基準ではなく、便宜的基準であって、実際または予算売上高が用いられる)直接販売費製品品種別売上高販売員の報告書に記載された製品品種別の接客時間数多数の販売担当者の判断による製品品種別販売努力の平均的割合市場調査費製品品種別売上高倉庫費製品品種別専有面積×保管日数在庫品の平均価額取扱品の個数・重量運送費製品品種別売上高売上品の個数・重量(トラック運送の場合の)製品品種別トンキロ数掛売集金費製品品種別売上高製品品種別顧客数または送状数販売事務費製品品種別送状数製品品種別売上高製品品種別売上原価岡本[2000,pp.701-702]をもとに、筆者作成3)一般管理費の配賦岡本[2000]は、一般管理費の分析について、販売間接費と同様に、一般管理費を製品品種別に配賦すると説明しています[p.701]。とはいえ、「一般管理費は製品品種別売上高または売上原価で配賦されることが多い」[岡本,2000,p.702]と述べており、販売間接費のように機能別に分類した費目ごとではなく、いわば製造間接費の配賦における「総括配賦」のように、製品品種別売上高または製品品種別売上原価という「一つの配賦基準で総額を配賦する」方法を説明しています。さらにいえば、岡本[2000]では、機能別分類による「販売費および一般管理費分類表」[p.694]においては、一般管理費の分類を次のように例示しています。各管理部門費の次に示している費目はすべて給料となっていますが、この点は、「一般管理費を販売セグメントに配賦すること」の難しさを物語っていると考えます。そもそも、費用の配賦計算は、適切な配賦基準にもとづいて行われるべきです。ここでいう適切な配賦基準とは、配賦する費用のコスト・ビヘイビアを説明できる何らかの基準のことで、よく使われるのが経営の活動量を示す操業度です。たとえば、製造量を操業度とした場合、製造原価を変動費と固定費に分解したときには、製造量の増減にともなって製造原価がどのように発生するのかを把握できます。したがって、製造活動と製造原価との間に、いわば「関数関係」を描くことができるという前提で、製造原価の測定や分析を行います。しかしながら、一般管理費の発生については、各製品品種の製造活動を反映する操業度の増減によってコスト・ビヘイビアを説明することができず、いわば「関数関係」を描くのは困難です。とはいえ、岡本[2000]のいうように、「販売間接費(および一般管理費)は、各製品品種へなんらかの基準にもとづいて配賦する」[p.701、下線引用者]ことが求められるという前提であれば、操業度の尺度である「製品品種別売上高または売上原価で配賦されることが多い」[岡本,2000,p.702]というのも、致し方ないのかもしれません。とはいえ、各管理部門の活動との関連で、一般管理費の各費目がどのようなコスト・ビヘイビアを描くのか、ということをある程度は測定できるかもしれません。この点を詳細に検討するにあたっては、活動基準原価計算(activity-basedcosting:ABC)によって解決策を見いだせる可能性があると、筆者は考えています。参考文献伊藤嘉博・目時壮浩、2021『異論・正論管理会計』中央経済社。大蔵省企業会計審議会、1962「原価計算基準」大蔵省企業会計審議会。岡本清、2000『原価計算』六訂版、国元書房。岡本清・廣本敏郎、2024a『検定簿記講義/1級工業簿記・原価計算下巻』〔2024年度版〕中央経済社。岡本清・廣本敏郎、2024b『検定簿記講義/2級工業簿記』〔2024年度版〕中央経済社。岡本清・廣本敏郎・尾畑裕・挽文子、2008『管理会計』中央経済社。小林啓孝、1997『現代原価計算講義』第2版、中央経済社。小林啓孝・伊藤嘉博・清水孝・長谷川惠一、2017『スタンダード管理会計』第2版、東洋経済新報社。清水孝、2006『上級原価計算』第2版、中央経済社。清水孝、2014『現場で使える原価計算』中央経済社。清水孝・長谷川惠一・奥村雅史、2004『入門原価計算』第2版、中央経済社。園田智昭、2021『プラクティカル原価計算』中央経済社。谷武幸、2022『エッセンシャル管理会計』第4版、中央経済社。提供:税経システム研究所
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2025/09/08 審査事例
帰国後に住民登録を戻して短期間寝起きした旧居宅マンションの譲渡に、居住用財産の買換え等の特例が認められなかった事例(棄却)
【裁決のポイント】所有期間が5年を超える旧居宅を売却して譲渡損失が生じた人で、新居宅を購入した人は、全ての要件を満たせば、《居住用財産の買換え等の場合の譲渡損失の損益通算及び繰越控除》の特例(租税特別措置法第41条の5、本件特例)を適用できる。譲渡資産(旧居宅)については、居住の用に供している家屋、以前に居住の用に供されていた家屋(住まなくなった日から3年を経過する日の属する年の12月31日までの譲渡に限る)などの要件が設定されている。本件の審査請求人は、海外赴任(家族同行)で自宅マンションに住まなくなり、5年後に帰国するとマンションに住民登録を戻し、その約3か月後には、先に帰国し社宅に入居していた家族と一緒に新築戸建住宅(買換資産)へ転居した。さらに2か月後にマンションが売れ、本件特例を適用して確定申告をしたところ、税務署は帰国後のマンション住まいは仮住まいに過ぎず、マンション(譲渡資産)は本件特例に規定する「個人がその居住の用に供している家屋」に該当しないとして本件特例の適用を認めなかった。国税不服審判所は、ガス水道電気の契約をしていないマンションは生活としての基本的な機能が欠けている、自治会費について請求されておらず生活状況の外観もこれに沿うものである、審査請求人は不動産仲介業者には現況は空き家、即時引渡可能と説明していることなどから、税務署の処分は適法であると判断した事例である。(平成26年分の所得税等の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分・棄却・令和3年1月12日裁決(非公開))【主な争点】本件マンションは、本件特例に規定する「その居住の用に供している家屋」に該当するか。【裁決の要旨】本件特例に規定する「その居住の用に供している家屋」とは、その者が生活の拠点として利用している家屋をいい、これに該当するかどうかは、その者の日常生活の状況、その家屋への入居目的、その家屋の構造及び設備の状況その他の事情を総合勘案して判定するのが相当であり、また、本件特例の適用を受けるためには、譲渡資産に、短期間臨時に、あるいは、仮住まいとして起居していたというのみでは足りず、真に居住の意思を持って客観的にもある程度の期間継続して譲渡資産を生活の拠点としていたことを要するものと解するのが相当である。一般に、都市生活における電気、ガス及び水道の利用状況は、利用されている場所での日常生活の状況を反映するものであるところ、審査請求人又はその家族は、帰国してから買換資産に入居するまで、本件マンションで電気ガス水道を利用していなかったと認められ、生活としての基本的な機能が欠けたものであるといえる。審査請求人は、帰国後に本件不動産仲介業者に対し、本件マンションは空き家であり、即時明渡しが可能であると伝えていたことからすれば、売却が成約すれば、直ちに本件マンションを明け渡すことができる程度の状況であったと認められる。また、居住者であればマンション管理会社から請求されて支払うべき町会費について請求されていないことからしても、審査請求人の生活状況の外観もこれに沿うものであると認められる。そうすると、審査請求人は、帰国後、本件マンションを、真に居住の意思を持って客観的にもある程度の期間継続して生活の拠点としていたと認めることはできない。したがって、本件マンションは、本件特例に規定する「その居住の用に供している家屋」に該当しない。【参照条文】租税特別措置法第41条の5《居住用財産の買換え等の場合の譲渡損失の損益通算及び繰越控除》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決日以後、裁判所により別の判決が示される場合もございますので、あらかじめご了承ください提供:株式会社日本ビジネスプラン
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2025/09/04 会計レポート
公益法人制度の改正(8)
はじめに「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」が、昨年2024年(令和6年)5月に改正され、新たな公益法人制度が2025年(令和7年)4月から始まっています。この改正内容を受けて2024年(令和6年)12月に改正された「公益法人会計基準」(以下、改正会計基準)が公表されました。改正会計基準は、2025年4月1日からの適用とされていますが、経過措置として、2028年4月1日から適用することも認められています。いわば、2028年3月31日までは改正前の会計基準を適用することが可能です。前回では、改正会基準において、その冒頭に追加された「財務報告の目的」を取り上げました。今回は、引き続き、改正会計基準のなかで、改正前と同様の位置づけとして記されている「総論」の内容を確認していきたいと思います。9.総論(1)重要な改正点改正前の会計基準では記されていた「一般原則」のタイトルが削除されたことが、重要な改正点となります。改正前の会計基準で示されていた一般原則は、具体的には、真実性の原則、明りょう性の原則、正規の簿記の原則、継続性の原則、重要性の原則の5つでした。改正前の会計基準では、これら5つの原則は次のように記されていました。「(1)財務諸表は、資産、負債及び正味財産の状態並びに正味財産増減の状況に関する真実な内容を明りょうに表示するものでなければならない。(2)財務諸表は、正規の簿記の原則に従って正しく記帳された会計帳簿に基づいて作成しなければならない。(3)会計処理の原則及び手続き並びに財務諸表の表示方法は、毎事業年度これを継続して適用し、みだりに変更してはならない。(4)重要性の乏しいものについては、会計処理の原則及び手続並びに財務諸表の表示方法の適用に際して、本来の厳密な方法によらず、他の簡便な方法によることができる。」(平成20年度改正「公益法人会計基準」第1・3)後述するとおり、これら5つの一般原則のなかで、継続性の原則と重要性の原則は、改正会計基準でも引き継がれています。そのため実質的に削除されたのは、真実性の原則、明りょう性の原則、正規の簿記の原則の3つの原則となります。真実性の原則が削除されたのは、前回のリポートで取り上げた「財務報告の目的」において、意思決定有用性を主眼において財務報告の目的を定めようとしたため、すなわち有用性を強調したためと思われます。また明りょう性の原則は表示を規制する原則ですが、財務諸表の表示や注記に関する規定がより具体的に設けられることにより、その必要性が低下したことが、削除される背景に含まれるように思われます。さらに正規の簿記の原則は、改正会計基準が財務諸表を手段とした財務情報の提供に重きを置いており、複式簿記と財務諸表との有機的なつながりへの意識が希薄化していることを示しています。(2)改正会計基準の「総論」の内容まず改正会計基準の「目的及び適用範囲」については、「この会計基準は、公益法人の財務諸表、注記、附属明細書及び財産目録の作成の基準を定め、公益法人の健全なる運営に資すことを目的とする。」(改正会計基準、par.8)と記されています。この規定では、「注記」が追加されている点が、改正前とは相違します。この追加は、改正会計基準において、注記を重要視していることを意味しています。情報の作成者である法人の多くの関係者から、改正会計基準について、財務諸表は単純化されたかも知れないが、注記を考慮すると、何もわかりやすくもなく、単純にもなっていないとの指摘を受けていますが、この指摘はまさに重要な事項が注記での記載へ変更されていることを意味しています。次に「継続組織の前提」については、「この会計基準は、公益法人が継続して活動することを前提としている。したがって、組織の清算や全事業の廃止など、組織の継続を予定していない場合には、この会計基準は適用されない。」(改正会計基準、par.9)と記されています。ここでは、改正前と全く同じ文章が継承されています。そして改正会計基準では、新たに「会計方針」と「重要性」が独立したタイトルを付されて記されています。「会計方針」については、「公益法人が財務諸表の作成に当たって、その会計情報を正しく示すために採用した会計処理の原則及び手続きを会計方針という。会計方針は、正当な理由により変更を行う場合を除き、毎期継続して適用する。」(改正会計基準、par.10)と規定されています。すなわち、この規定は会計方針に係る継続性の原則が示されています。改正前との相違としては、財務諸表の表示方法を対象とした継続性の原則ではない点です。また、正当な理由としては、会計基準の改正に伴う会計方針の変更とそれ以外の正当な理由に分けられるとしています。後者は、自発的に行う会計方針の変更の場合ですが、何をもって正当な理由となるのかは不明であり、会計基準の規定文としては課題を残しています。なお、注記すべき事項として、「重要な会計方針等の注記」として、表示方法の変更を行った場合には、その内容を記すことが、また会計方針の変更が行われたときは、その旨や、その理由、財務諸表への影響等を記すことが、求められています(改正会計基準、par.68)。そのため、継続性の原則の適用として、表示方法も意識されていることが含意されるとともに、法人自らの判断で正当な理由により重要な会計方針の変更を行った場合には、その理由等を記さなければならない措置が取られています。つづいて「重要性」については、「重要性の乏しいものについては、会計処理の原則及び手続並びに財務諸表の表示方法の適用に際しては、本来の厳密な方法によらず、他の簡便な方法によることができる。」(改正会計基準、par.11)と記されています。この規定そのものは、改正前と同じものです。ただし、改正会計基準では重要性の原則の適用により、簡便な方法によることができる例が挙げられています。たとえば、消耗品や貯蔵品等の金額に重要性が乏しい場合には、その買入時または払出時に経常費用として処理できることや、寄付金等の金額に重要性がない場合で、資源提供者からの制約の期間が当該事業年度末までのときは、一般純資産の増加額として処理することができること、収益事業に係る課税所得の額に重要性が乏しい場合には、税効果会計の適用を行わない処理ができることなど(改正会計基準、par.12)が挙げられています。加えて、「事業年度」について、「公益法人の事業年度は、定款で定められた期間によるものとする。」(改正会計基準、par.13)と記されています。これは改正前と同一の文章となっています。さらに「会計区分」については、「公益法人は、法令により、必要と認めた場合には会計区分を設けなければならない。」(改正会計基準、par.14)と記しています。会計区分とは、企業会計でいうところの会計単位に相当します。公益認定を受けている法人は、周知のとおり、たとえば公益目的事業や収益事業、法人といった会計区分が設けられうることになります。この規定もまた、改正前の同様の内容となっています。提供:税経システム研究所
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2025/09/01 審査事例
課税庁に裁量の余地がなく、処分の不当性を検討する前提が欠けると判断された事例(棄却)
【裁決のポイント】処分の不当とは、裁量権が付与されている処分について、制度の趣旨・目的や判例等からみて、裁量の逸脱又は濫用は認められず違法ではないものの、不合理な裁量権行使であることをいう。つまり、処分の不当が問題となるのは、処分を行うにつき、行政処分庁に裁量権を付与されていることが前提となる。たとえば、調査の時期・方法等や、青色取消処分については課税庁が裁量権を有している。では、加算税の賦課決定処分はどうか?一般労働者派遣事業等を行う9月決算の審査請求人は、平成16年に消費税簡易課税制度選択届出書を提出しており、令和3年9月期は簡易課税の適用要件が満たされたにもかかわらず、本則課税を適用して申告した。税務調査を受けて修正申告を行ったが、過少申告加算税が課されたことから、「不当である」として審査請求を行った。過少申告加算税には修正申告による増差税額が多額のため、加重分が加算されていた(国税通則法第65条第2項)。国税不服審判所は、過少申告加算税の賦課決定やその額の計算について、税務署に裁量権が付与されたものとは解されず、本件賦課決定処分について処分の不当性を検討する前提が欠けるから、本件賦課決定処分は不当ではないとした事例である。同じことが督促処分や、過誤納金を還付せず納付すべき国税へ充当することにも当てはまる。(令和4年10月1日から令和5年9月30日までの課税期間の消費税及び地方消費税に係る過少申告加算税賦課決定処分・棄却・令和6年9月26日裁決)【主な争点】税務署が行政指導を行わずに税務調査を行い、課した本件賦課決定処分は不当か。【裁決の要旨】審査請求人は、税務調査の前に本則課税制度の適用は誤っている旨の行政指導があれば、過少申告加算税が課されることはなかったから、当該行政指導を行わずに本件調査を行い、本件賦課決定処分をしたことは不当である、課税売上高に変動がなく、仕入税額控除の計算方式の変更による修正申告であるから、納付すべき税額は本件調査を開始する前から確定しているような場合に加重分が加算されることは不当であると主張する。処分が不当といえるためには、その前提として、法の規定から処分行政庁に裁量権が付与されていることを要するものと解される。これを本件についてみると、国税通則法第65条《過少申告加算税》第1項及び第2項の規定において、過少申告加算税の賦課決定やその額の計算について、原処分庁に裁量権が付与されたものとは解されず、ほかにそのように解すべき法律上の根拠もない。したがって、本件賦課決定処分をするに当たり、原処分庁に裁量権が付与されていたとはいえず、処分の不当性を検討する前提が欠けるから、本件賦課決定処分は不当ではない。審査請求人の主張について、原処分庁が、調査を行う前に行政指導を行うべきとする法令等の規定又は定めは存在せず、過少申告加算税は、過少申告による納税義務違反の事実があれば、原則としてその違反者に対して課されるものであり、過少申告加算税の加重分は、同条第1項の規定に該当する場合において、修正申告により納付すべき税額が期限内申告税額に相当する金額と50万円とのいずれか多い金額を超えるときに一律に課されるものであり、法令上、加重分のみが不適用となる場合に関する規定は存在しない。本件賦課決定処分は適法である。【参照条文】国税通則法第65条《過少申告加算税》本情報は、裁決日時点での審査事例となります。裁決日以後、裁判所により別の判決が示される場合もございますので、あらかじめご了承ください提供:株式会社日本ビジネスプラン
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2025/08/29 経営レポート
自治体と医療機関・薬局・個人をつなぐ情報連携基盤
1.はじめにデジタル庁は、2023年より自治体が実施主体となっている医療費助成、母子保健、予防接種、介護保険等分野の情報連携を行うためのネットワーク(PMH:PublicMedicalHub)(注1)の開発を進めており、順次全国に展開する予定である。このPMHは、日本の医療DXを強力に推進するための基盤となる情報連携システムであり、医療健康情報の連携を図ることで、国民の生活の質の向上、医療機関・自治体の業務効率化、そして質の高い医療提供体制の構築を目指している。従来、自治体が実施主体となっている医療費助成等分野の業務については、書面を用いた情報連携が主であり、国民、自治体、医療機関・薬局といった当事者にとって、負担が多く改善が必要との指摘があった。このため、この問題を解決するために、2023年6月2日に医療DX推進本部が決定した「医療DXの推進に関する工程表(注2)」において、「関係機関や行政機関等の間で必要な情報を安全に交換できる情報連携の仕組みを整備し、自治体システムの標準化の取組と連動しながら、介護保険、予防接種、母子保健、公費負担医療や地方単独の医療費助成などに係る情報を共有していく」こととされた。これを実現するための仕組みがPMHであり、現在は希望する自治体向けに医療費助成分野、予防接種・母子保健分野を対象とした先行実施事業を開始している。本稿では、このPMHの詳細を見ていくとともに、住民にとってPMHはどのような価値があるのかを見ていきたい。2.PublicMedicalHub(PMH)とは現在、自治体が実施している小児医療費助成や難病疾患に対する医療費助成等の公費医療費助成については、マイナ保険証と受給者証の両方を医療機関受診の際に提示する必要がある。また、公費医療費助成を受けている場合、高額療養費や付加給付等の健康保険からの給付との重複給付を防止するため、健保組合への届出が必要とされているが、必ずしも徹底されていない現状にある。医療機関においても、オンライン資格確認とは別に、公費助成の資格を個別に確認して手入力する手間がかかっているとされ、公費助成を行う自治体等も、受給者証の申請、更新、転入、転出や、助成に係る請求等に関する事務に膨大なコストがかかっているとされている。予防接種・母子保健(乳幼児健診等)についても、受診者は、予診票・問診票を何度も手書きしなければならず、また、母子手帳等の紙の書類を参照しないと健診結果や接種記録を確認することができないとされている。また、医療機関においても、予防接種や健診にかかる費用を自治体に請求するには、書面により費用請求を行う必要があり、非常に手間がかかっている。一方、自治体においても、医療機関から書面で提供される各種情報を、自治体の健康管理システムへ手入力で登録するため、その手間や誤登録のリスクがあるとされ、費用支払に対する事務コストも膨大である。医療にかかる情報化については、厚生労働省が、医療機関、薬局、介護施設でばらばらに保存・管理されている患者の医療関連情報を、一つに集約して共有・管理することを目指して、全国医療情報プラットフォームの構築を進めている。オンライン保険確認システムや電子カルテ情報共有サービスは、この取り組みの中で進められているものであり、全国の医療機関・薬局間で診療情報、薬歴情報等の連携は進んできている。一方で、自治体毎に行われている公費医療費助成や予防接種、母子保健等の施策については、各自治体が独自にこれら情報を扱う情報システム等の整備を進めているため、これら現状を考慮した情報連携の方式を考える必要がある。このため、デジタル庁では、これらの情報連携を実現する仕組みとして2023年度にPublicMedicalHub(PMH)と呼ばれる医療健康情報連携の「ハブ」となる仕組み(図1)の開発を開始し、希望する自治体向けに医療費助成分野、予防接種・母子保健分野を対象とした先行実施事業を行っている。図1PMHの概要図従来のマイナンバー制度による情報連携の仕組みでは、各自治体は他組織と情報連携する情報を、自治体が用意する中間サーバ内に記録し、情報提供ネットワークシステムを用いて他組織に提供する。この仕組みでは、各自治体が、標準仕様に準拠した自前の中間サーバを用意する必要があるだけでなく、新たな情報を中間サーバに追加するために、自治体内のシステムに中間サーバへ情報を送付するための改修を行う必要があり、多大なコストが発生する。またこの仕組みでは、公的機関では無い医療機関から自治体が有する情報の参照が出来ないことが課題となっていた。これに対して、PMHでは、情報連携に必要となるサーバ類は、デジタル庁が構築・運用することとし、自治体はPMHに対して、自治体内部のシステムから直接または間接的に、マイナンバーを含む氏名・住所生年月日等の個人情報に紐づけて、公費医療費助成の情報等を登録することとしている。自治体内の業務システムから、情報連携に必要な情報をファイル出力して、それをPMHに登録することも認められているため、自治体のシステム改修コストを大幅に削減でき、財政が厳しい自治体においても早期に情報連携を行うことが可能となる。ここで、現在、自治体等からPMHに登録が予定されている情報は、表1に示す通りである。次に、具体的な情報の登録、参照の仕組みを見ていこう。例えば、公費医療費助成情報に関する具体的な情報の登録、参照の仕組みは、以下の通りとなる(図2)(注3)。自治体は、PMHに対して、対象者のマイナンバーを含む対象者の個人情報、公費医療費助成情報等の登録を行う(これは、LGWAN回線等の閉域網を経由して行われる)。表1PMHに記録される情報PMHでは、医療保険資格との紐づけを行うために、審査支払基金が運用する医療保険者等向け中間サーバに対して個人番号を通知し、PMHとの連携に必要となるPMH-IDの採番処理を依頼する。医療保険者等向け中間サーバは、PMH-IDを採番して個人番号と共にPMHに回答し、PMHはPMH-IDを内部に格納する。また、医療保険者等向け中間サーバは、オンライン保険資格等確認システムとの間であらかじめ共有している紐付番号とPMH-IDと紐付けて、オンライン資格確認等システムへ送付する。オンライン資格確認等システムは、紐付番号をキーにマイナンバーカード(公的個人認証サービス:JPKI)の電子証明書のシリアル番号とPMH-IDを紐付けて保管する。医療機関でのオンライン保険資格確認時に公費医療費助成情報の要求があると、オンライン保険資格確認等システムはPMH-IDを暗号化して一時的に利用するためのPMH連携キーを生成し、医療機関内のオンライン資格確認端末に送付する。オンライン保険資格確認端末は、PMHにPMH連携キーで公費医療費助成の資格情報を照会し、PMHはPMH連携キーを復号してPMH-IDに紐づく資格情報をオンライン資格確認端末に回答する(PMH連携キーは都度作成され、利用後に削除される)。このため、オンライン資格確認端末を利用して、受診者がマイナンバーカードで認証し、同意することで医療機関は、公費医療資格情報の確認が可能となり、医療機関は、必要に応じて電子カルテ、電子レセプトなどに資格情報の取込みを行うことが可能となる。住民がマイナポータルから公費医療資格情報の確認を行う際には、まず、マイナポータルからオンライン資格確認等システムに対してPMH情報を参照するために必要となる識別子を要求する(マイナポータルからオンライン資格確認等システムに対して、健康保険の情報の閲覧を要求する方法と同じ仕組みを利用)。オンライン資格確認等システムは、マイナポータルに対してPMH-IDを回答し、マイナポータルは、PMH-IDからPMHとの連携に必要となるPMH仮名識別子を生成する。マイナポータルは、PMHにPMH仮名識別子をPMH-IDと紐付けて通知し、PMHはPMH仮名識別子を保存する(連携後、マイナポータルには、PMH仮名識別子のみが保存されPMH-IDは削除される)。以降、住民がマイナポータル経由で公費医療資格情報の確認をする際には、マイナポータルからPMH仮名識別子がPMHに送付されることで、自身の情報をPMHに照会し、確認することが可能となる。図2PMHを用いた公費医療費助成情報参照の流れ(資料3の図を一部改)予防接種・母子保健の情報についても、自治体からPMHへの情報の登録や住民本人が情報を参照する仕組みは、公費医療費助成の場合と同じとなるが、予防接種受診時や乳幼児健診時に、受診者はマイナポータルを介して予診票や問診票をPMHに登録することが可能となり、医療機関は、その情報を参照できる住民本人が明示的に医療機関への情報提供に同意する必要があるため、医療機関からの情報参照については、オンライン資格確認端末とは別の端末を用いてマイナンバーカードによる本人同意のもとで情報が開示される医療機関から予防接種の情報や乳幼児健診の情報をPMHに記録可能であり、受診者本人がマイナポータル経由でその情報を確認するだけでなく、自治体も記録された情報をダウンロードして自治体の健康管理システムに電子的に反映することができる等の点が異なっており、予防接種・母子保健情報の取り扱いに関する利便性向上を計っている。3.PMH導入のメリット次に、PMH導入による、住民、自治体、医療機関のメリットを見ることにする。①医療費助成分野住民のメリット紙の受給者証を持参する手間や受給者証の紛失リスクがなくなり、持参忘れ等による再来院も防止できる。また、マイナ保険証の利便性の向上によって、マイナ保険証自体の利用が促進されることになり、副次的に過去の服用薬剤や診療データに基づくより良い医療の提供が図られる。厚労省が示している2024年9月時点での年齢別マイナ保険証利用率(注4)を見ると、子ども医療費の受給者証を提示していると想定される0歳~19歳の子供のマイナ保険証利用率は5~7%台となっており、20歳以上の12~19%台に比べて低い水準にとどまっている。マイナ保険証と公費医療費助成用受給者証の一体化が進むことで、この年齢層のマイナ保険証の利用が促進されると想定される。自治体のメリット資格情報が電子的に提供されるため、正確な情報に基づき医療機関・薬局から請求が行われることになる。このため、資格過誤請求が係る事務負担の軽減、資格確認に関する自治体への照会の低減、患者の受給者証忘れによる自治体窓口での償還払い手続きの低減等が期待でき、自治体の事務負担を軽減できる。また、マイナ保険証での対応を希望する受給者に対して受給者証を発行しないこととした場合、受給者証を定期的に印刷・発行・送付するための事務負担やコストが削減できる。医療機関・薬局のメリット医療保険の資格情報と公的医療費助成の受給者証情報の自動入力による事務負担軽減、医療費助成の資格を有しているかどうかの確認に係る事務負担を軽減できる。また、正確な資格情報に基づき請求を行えるようになるため、資格過誤請求による事務負担を軽減できる。②予防接種・母子保健分野住民のメリットマイナポータル経由で、いつ、どのワクチン接種や健診が必要かを、スマホ等から確認することができるとともに、リマインド通知等に対応することで接種忘れや受診忘れ等を無くすことができる。また、PMHに検診結果等がほぼリアルタイムで電子的に保存されることになるため、いつどこからでも最新の情報を確認することができる。将来は、自治体の保健師や医師・助産師へオンラインでの相談を行うことも可能になる他、災害時や緊急搬送時に、救急隊が必要情報を即時確認できるようになる可能性がある。自治体のメリット母子手帳の電子化が遅れている自治体においても、PMHに検診結果等が電子的に保存されることになるため、電子母子健康サービス等の導入が容易になり、将来的な母子手帳の完全電子移行が可能となる。接種券・受診票も電子化することができ、印刷・封入にかかる手間やコストを大幅に削減することができる。また、リアルタイムで地区別・年齢別の接種率を分析することが可能となるため、これら情報を活用した政策立案や国等への報告書作成作業の簡素化を実現できる。医療機関のメリットPMHに記録された情報や予診票を電子カルテと連携することで、接種歴、妊娠経過、既往症を迅速に確認でき、診療の質の向上や診察にかかる事務負担の軽減が可能となる。予約システムと連動することで、ワクチンの在庫管理等を実現することや受診者へのリマインド通知等の実施による無断キャンセル率低減、廃棄ロスの削減を実現できる。4.終わりに本稿では、デジタル庁が中心となって整備が進められているPublicMedicalHubについて解説した。現在政府は、個人に関する様々な健康医療情報を利用者本人の意思で利活用できるPersonalHealthRecore(PHR)の導入を進めようとしており、厚生労働省が構築を進める全国医療情報プラットフォームは、医療機関で発生する情報をマイナポータルを介して利用者本人に提供するための役割を担っている。一方で、健康情報には、自治体等が行う様々な健診により発生する情報があり、これらは、保険医療に基づく情報ではないため、その取扱いを誰が行い、どのように利用者本人に提供するか課題となってきた。PMHは、自治体に代わって、これらの情報を利用者へ提供することとなるため、PHRの推進に多く寄与することが期待される。一方で、PMHに記録される情報の一部は、医療情報に近いセンシティブな情報であり、デジタル庁が一元的に収集管理することで、プライバシーやセキュリティのリスクを心配する声が上がることも想定される。また、PMHの導入により様々な情報が電子的に取り扱われることになり、多くの人にとっては利便性の高いものとなる反面、高齢者やデジタルリテラシーが低い人々にとって、利用に対するハードルが高くなる可能性がある。PMHが真価を発揮するには、全国のすべての自治体がPMHを利用し、医療機関や希望する住民がPMHに蓄積された情報を必要に応じて利活用できるようになることが必要であるため、皆が安全に安心してPMHを利用できるよう、デジタル庁、自治体、厚生労働省等のあらゆるプレーヤが連携してその普及と利便性向上に取り組むことを期待したい。<注釈>自治体・医療機関等をつなぐ情報連携システム(PublicMedicalHub:PMH)(デジタル庁),https://www.digital.go.jp/policies/health/public-medical-hub「医療DXの推進に関する工程表」(2023年6月2日医療DX推進本部決定)(内閣官房),https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/iryou_dx_suishin/pdf/suisin_kouteihyou.pdf各事務におけるPMH構成例(個人情報保護委員会提出資料)(デジタル庁),https://www.ppc.go.jp/files/pdf/231101_shiryou-1-2.pdf自治体と医療機関・薬局をつなぐ情報連携基盤(PMH:PublicMedicalHub)の構築を通じた医療費助成の効率化について(厚生労働省),https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001327546.pdf提供:税経システム研究所
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2025/08/29 商事法レポート
中小企業における取締役退職慰労金の不支給
1はじめに近時、退任する取締役の退職慰労金を不支給又は減額したところ、退任取締役が代表取締役や会社に対して、退職慰労金の支払いを求める判例・裁判例が散見されます。退任取締役の退職慰労金の減額に関する最判令和6年7月8日民集78巻3号839頁については、既に、大久保拓也教授の「取締役会決議によって退職慰労金を減額支給できるか-近時の最高裁判例を踏まえて-」にて、詳細な解説がなされております。そこで、本稿では、取締役の退職慰労金不支給に関する判例、学説を確認した上で、中小企業において退任する取締役の退職慰労金が不支給とされた事案に関する近時の裁判例である福岡地判令和4年3月1日判タ1506号165頁(以下「福岡地判令和4年」といいます)、福岡高判令和4年12月27日金判1667号16頁(以下「福岡高判令和4年」といいます)をご紹介し、おわりにで、若干の実務上の留意点に言及することといたします。2取締役の退職慰労金不支給に関する判例、学説会社法361条1項は、取締役の報酬、賞与その他の職務執行の対価として株式会社から受ける財産上の利益(報酬等)について同項1号から6号までに掲げる事項は、定款に当該事項を定めていないときは、株主総会によって定める旨を規定しています。判例・学説上、退任取締役の退職慰労金は、その在職中における職務執行の対価として支給されるものであり、「報酬等」(会社法361条1項1号)に含まれ、定款又は株主総会決議でその額を定める必要があると解されています(注1)。そのため、判例・学説上、退職慰労金は、原則として、定款又は総会決議によって金額が決定されることによって、それが会社と取締役間の契約内容となり、取締役に退職慰労金請求権が発生すると解されています(注2)。そして、総会が取締役会への一任決議を行い、取締役会が退職慰労金の具体的金額を決議した場合については、取締役会決議と同時に、具体的な退職慰労金請求権が発生すると解されています(注3)。中小企業においては、退任取締役と支配株主である代表取締役との間で争いが生じた場合に、代表取締役が、退任取締役についての退職慰労金支給に関する議案を株主総会に付議しない、退職慰労金を不支給とする旨の議案を付議するということが行われことがあります。そのような場合につき、学説上、退任取締役の退職慰労金不支給について救済すべく、以下のような理論構成が提唱されています。まず、定款の規定又は株主総会決議は会社内部の意思決定手続を定めたものにすぎず、取締役の報酬請求権は取締役が個人として会社に対して有する債権であり、しかも、退職慰労金は報酬の後払いであることから、株主総会が本来支払われるべき退職慰労金を支給しない旨の決議をした場合には規定の趣旨を逸脱した権利の濫用であり、報酬請求権は具体的請求権に転化されることから、取締役は、債務不履行に基づく損害賠償請求をできるとする見解があります(注4)。次に、慣例化された基準で支給するのが慣行となっている会社、総会への付議に関する内規や一般的に適用される内規があるとか、内規によって支給するのが慣行となっている会社では、退職慰労金は取締役任用契約の一内容となり、権利性を有し(注5)、取締役及び代表取締役は会社の負っている義務を履行するために、取締役会を招集し、慰労金の議題を決定・付議すぎであり、正当な理由なく、取締役会を招集しないで、基本金額を下回る議案を提出することは取締役としての善管注意義務ないし忠実義務に違反するとする見解があります(注6)。そして、代表取締役が退任取締役に対し退職慰労金の支給を約束し退職慰労金が不支給とされた場合には、退任取締役は、退任取締役と代表取締役の間で、議決権拘束契約が成立しており、代表取締役に対し債務不履行に基づき損害賠償請求でき、会社に対しても退職慰労金の支給の約束が会社を拘束するとする見解があります(注7)。3取締役の退職慰労金の不支給に関する近時の裁判例(1)福岡地判令和4年事案の概要株式会社Y1(被告。以下「Y1社」といいます)は、九州地区を拠点として、パン及び菓子類の製造販売等を業とする株式会社です。Y1社の発行済株式総数は、平成31年3月31日時点で3210株であり、Y2が1058株、その親族が合計570株を保有していました。Y1社の役員服務規程(以下「本件役員服務規程」といいます)及び役員退職慰労金支給内規(以下「本件退職慰労金内規」といいます。以下、本件役員服務規程と本件退職慰労金内規を合わせて「本件各内規」といいます)には、退職慰労金を不支給とするのは、本件役員服務規定に違反する行為により役員を退任する場合のみを挙げていました。また、Y1社においては、平成20年6月から平成31年3月までの間に退任した役員9名に対し、退職慰労金を支給し、退職慰労金を支給しなかったのは、経営状況が危機的な状況にあった平成13年当時、独断で融資を実行し、1億円の損失を出した役員のみでした。Y2(被告)は、Y1社の元社長の娘婿であり、平成4年5月、Y1社の代表取締役社長に就任し、平成24年6月、社長を退き、Y1社の代表取締役会長となり、以後も、Y1社の経営に関する責任者としての地位を有していました。X(原告)は、平成26年6月、Y1社の取締役に就任し、平成29年6月、Y1社の代表取締役社長に就任し、遅くとも平成26年頃から、Y1社の取引先である株式会社Hなどとの交渉を担当していました。Y1社の最も東にある工場は山口県にあり、同工場より東側の地域への商品供給は物流費増大の原因となっていました。Y1社は、九州以外の地域に商品を供給することによる物流費の負担が大きいことから、平成28年11月、四国地区のH社への商品供給の一部をI社に委託しました。ところが平成29年10月9日、I社は、Xに対し、H社の四国の地区の店舗へ商品供給を終了する旨の意向を伝えました。Y2は、そのことについてXの業務日報で知りました。Xは、I社が撤退した場合の対応について、H社とその後の交渉を営業本部の担当者に任せました。そうしたところ、Y1社は、平成30年4月、経営に関する重要事項について定期的に開催して決定する経営会議での検討を経ないまま、I社に代わってH社の四国地区の店舗への商品供給を行うこととなりました。Y2は、同月の予算会議で、Y1社がH社の四国地区の店舗への商品供給を引き受けたことを初めて知りました。Y1社の業績は、H社の四国地区への商品供給を開始して以降、物流費が増大し、物流費を補うだけの売上がなかったことから、業績が急激に悪化しました。Y2は、会議等においてXに対し、無能だ、サラリーマンだから辞めればいいと思っている、馬鹿だなどと述べました。その後も、Y2のXに対する暴言が続き、平成31年2月16日、Xは、うつ病と診断され、同年3月末日で、取締役を退任しました。本件各内規に形式的にあてはめると、Xの退職慰労金は1200万円となります。Y1社の取締役会において、Xに対する退職慰労金支給の総会の議案は上程されず、Xに退職慰労金は支給されませんでした。Xは、Y1社に対しては会社法350条に基づき、Y2に対しては民法709条又は会社法429条1項に基づく損害賠償請求を求めて提訴しました。判旨福岡地裁は、以下のように判示し、請求を一部認容しました。「取締役会決議によって定められた本件各内規の定め及びY1社の役員に対する退職慰労金の支給状況からすれば、Y1社の代表取締役であるY2には、取締役会決議によって定められた本件各内規に従って取締役会にXへの退職慰労金支給についての株主総会の議案を上程するか、本件各内規に反して退職慰労金を支給しないのが相当とするならば、これを取締役会に諮るべきであった。これに対し、Y2は、上記義務を負っていたにもかかわらず、独断で、前記認定のとおり、Xが退任するに当たって取締役会に対し退職慰労金を支給する旨の株主総会の議案を提案せず、また不支給についての議案も取締役会に提案しなかったのであるから、これらについての義務違反があり、取締役の善管注意義務に違反したというべきである。」「Xは、平成29年6月からY1社の代表取締役社長に就任した後も引き続き株式会社Hとの交渉の責任者であったものの、経営会議での検討を経ないまま平成30年4月からI株式会社に代わって株式会社Hの四国地区の店舗への商品供給を開始し、それに伴いY1社の負担する物流費が増大したことに端を発して、Y1社の業績は同年5月から急激に悪化して、困難な経営状況に陥った。このような同月以降のY1社の困難な経営状況は、株式会社Hとの交渉に責任を負う代表取締役であるXの職責によって生じたことを否めず、Xの代表取締役社長としての業務評価として、Xに代表取締役期間における退職慰労金相当額の分が株主総会で議決され支給されたということはできない。…そうすると、多くてもXが受け取ることができた退職慰労金の額は、Xの取締役在任時のものに限られるというべきである。そして、…Y2は、Xに対しXの取締役時代の退職慰労金に相当する850万円を支給してもよいと考えており、前記前提事実のとおり、Y1社の発行済株式総数は3210株であり、平成31年3月31日時点で、Y2が1058株、その親族が合計570株(D370株、E100株、F100株)を所有し、その合計は1628株であって、Y2の親族でY1社の発行済株式の過半数を超える株式を所有したのであるから、Xの退職慰労金850万円を支給する議案が株主総会に上程されれば、同議案は可決されたものということができる。以上によれば、Y2が退職慰労金の支給する旨の株主総会の議案を取締役会に上程しなかったことと相当因果関係のある損害は、取締役在任時の退職慰労金相当額である850万円というのが相当である。」(2)福岡高判令和4年事案の概要Z株式会社(以下「Z社」といいます)は、自動車タイヤ・チューブの更新ならびに修理を主たる目的として設立された株式会社であり、発行済株式総数は44万株でした。Z社の役員退職慰労金規定(以下「本件規定」といいます)には、退職慰労金は、本件規定により計算すべき旨の株主総会決議に従い、取締役会が決定した額とする旨、退職慰労金は、最終報酬月額×役位系数×役員在任年数により算出する旨、会社に特に重大な損害を与えた者に対しては、減額ができる旨の規定がありました。本件規定の制定後に退任したZ社役員14名中13名に退職慰労金が支払われ、支給されなかった1名は従業員退職金の支給を受けたため、辞退したものでした。X(原告、控訴人)は、Z社の大株主の一人であり、Z社に入社前大手企業に勤務中、祖父と父の要請を受け、入社と同時に、平成6年11月25日にZ社の取締役に就任し、平成10年11月28日にZ社の代表取締役に就任しました。Y(被告、被控訴人)は、Z社の大株主の一人であり、遅くとも平成5年ころにはZ社の取締役であったが、令和元年11月29日にはZ社の代表取締役に就任しました。令和元年11月29日のZ社の株主総会(以下「本件株主総会」といいます)の直前の株主構成は、Xグループが19万6570株、Cグループが15万5870株、Yグループが8万7560株でした。ところが、本件株主総会直前に、Yは、Cグループの保有する株式を買い受けることについて合意し、Cグループより委任状を取得しました。Xは、Cが委任状をYに交付した旨を聞き及ぶと、同月27日、Z社事務室のYのもとを訪れ、委任状の件を問いただし、Yともみ合いになり、Yの顔面を平手で押す暴行を加え、その際に、事務室窓ガラスにひびが入りました。この件で、Yは傷害を負っておらず、Xは、起訴猶予とされました。Z社の本件株主総会において、Y、A、Bの三名が取締役に選任され、Xは選任されず、その後の取締役会でYが代表取締役に選任されました。Xの退職慰労金支給について、Z社の総会で付議はされていません。本件規定によれば、Xの退職慰労金額は、4536万円でした。Xは、Yに対して、退職慰労金等の支払いを求めて、不法行為に基づく損害賠償請求をしました。原審(福岡地久留米支判令和4年6月20日金判1667号26頁)は、Xの請求を棄却しました。判旨福岡高裁は、以下のように判示し、原判決を取り消し、請求を一部認容しました。「…しかしながら、XとZ社との取締役任用契約締結時には、既に役員退職慰労金について定める本件規定が存在したところ、…本件規定は、退任した役員に支給すべき慰労金は、本規定により計算すべき旨の株主総会の決議に従い、取締役会が決定した額とするとした上で、具体的な算定方法を定めている。また、本件規定が制定されて以降、Z社において14名の役員が退任し、平成21年11月30日に退任した訴外D以外については、それぞれ役員退職慰労金の支給に関する議題が株主総会に付議され、同支給決議がなされて、役員退職慰労金が支給された…。なお、前記Dは、従業員退職金を得たことから役員退職慰労金を辞退し請求しなかった…。さらに、Xが平成6年にZ社の取締役に就任したのは、当時大手企業に勤務中、祖父E及び父Fの要請を受け、これに応じたものであり…、また、Xは入社と同時に取締役となったものであるから…、Z社の従業員であった時期はなく、したがって、XがZ社の従業員退職金の支給を受けたような事情もない。…以上の本件規定の存在及びこれに基づく運用並びにXの取締役就任時の状況に照らせば、Xについては、他の取締役が受ける措置のうち相当と認められるものを受けることができることが黙示に合意されていたものというべきであるから、XとZ社との間の取締役任用契約には役員退職慰労金を支給する黙示の特約があったものと認められる。」「…Z社の実質的な支配株主であり、かつ、代表者であるYは、合理的期間内に、Xの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議することを取締役会で決定する義務を負うものというべきである。」「Yが取締役会決議を行ってXの役員退職慰労金の支給に関する議題を株主総会に付議しなかったこととXに支給されるべき役員退職慰労金相当額との間に相当因果関係があると認められる。」「…Xが本件株主総会前頃にYに対してZ社の事務室内で暴行を加えたこと…、Z社の従業員らの中にはXのパワハラを訴える者もおり…、前記暴行の存在も考慮すると、パワハラの事実は措くとしても、Xの対応がZ社の従業員の士気に影響を与えているといえること、更生タイヤ業界の状況の影響があるとはいえ、Z社の経営状況は悪化しており、利益がさほどない状況であって…、取締役としての経営責任は指摘され得ることなどの事情を考慮すると、「在任中、特に会社に重大な損害を与えた者」(本件規定9条)といえないものとしても、これに準ずる事情があるとして、Z社の取締役会は、Xの役員退職慰労金につき、本件規定により算出される額よりも相当額の減額をすることが許されるものと解されるが、本件に現れた一切の事情を考慮すると、その役員退職慰労金の額を、少なくとも1000万円を下回るものとすることは相当ではない。…したがって、本件における損害額は、役員退職慰労金相当額1000万円及びその弁護士費用相当額100万円とすることが相当である。」4おわりに本稿では、中小企業における取締役の退職慰労金不支給につき、関係する判例や学説を確認した上で、近時の裁判例をご紹介してきました。近時の裁判例である福岡地判令和4年は、退職慰労金の内規、内規に従った支給の運用が認められ、不支給とすべき程の経営状況の悪化や非違行為がないにもかかわらず、退職慰労金支給に関する議案が取締役会に上程されなかった事案において、支配株主兼取締役に退職慰労金の議案を取締役会に上程すべき義務を課し、会社法429条1項に基づく損害賠償請求を認めています。福岡高判令和4年は、不支給とする程の退任取締役の非違行為や業績の悪化がないにもかかわらず、支配株主である取締役と対立したことにより、退職慰労金支給に関する議案が株主総会に付議されなかった事案において、退職慰労金の内規、内規に沿った退職慰労金の支給に関する運用と退任取締役の取締役就任時の事情を考慮して、会社との黙示的な合意を認定し、退職慰労金支給についての法律上保護されるべき利益を認め、支配株主である取締役に不法行為による損害賠償請求を認めています。近時の裁判例を前提とすると、退職慰労金を不支給とする程の退任取締役の非違行為や業績の悪化がないにもかかわらず、退任取締役が支配株主である取締役と対立したことにより、退職慰労金支給に関する議案が取締役会に上程されなかったり、株主総会に付議されなかったりした場合には、支配株主である取締役には、会社法429条1項や不法行為に基づく損害賠償請求が認められることがある点に留意が必要です。<注釈>最判昭和39年12月11日民集18巻10号2143頁、江頭憲治郎『株式会社法〔第9版〕』(有斐閣、2024年)486-487頁最判昭和56年5月11日判タ446号92頁、江頭・前掲(注1)488頁東京地方裁判所商事研究会『類型別会社訴訟Ⅰ〔第3版〕』(判例タイムズ社、2011年)117頁川島いづみ「取締役報酬の減額、無償化、不支給をめぐる問題」判タ772号(1992年)81頁青竹正一「取締役退職慰労金の不支給・低額決定に対する救済措置(上)」判例評論412号(1993年)166頁青竹正一「取締役退職慰労金の不支給・低額決定に対する救済措置(下)」判例評論413号(1993年)181頁江頭憲治郎「総会決議のない取締役退職慰労金の給付約束」ジュリ1103号(1996年)151頁提供:税経システム研究所
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2025/08/29 経営レポート
昨今労務事情あれこれ(213)
1.はじめに去る6月13日に年金制度改正法が成立しました。企業にとっては、厚生年金保険料を含む毎月の社会保険料の負担は非常に大きいものですし、従業員側も年々増加する社会保険料負担に対し、これ以上の負担増には耐えられないとの悲鳴にも近い声が上がっています。先日行われた参議院議員選挙においても、社会保険料負担のあり方が争点の一つとなったのは記憶に新しいところです。保険料を負担している現役世代の中でも特に若い従業員から見ますと、現行の年金制度は「自分たちが受給する年齢になった頃には破綻しているに違いない」または「保険料を払っても損するので、できることなら厚生年金から脱退させてほしい」などネガティブな意見が少なくないことは、残念ながら紛れもない事実です。社会構造の変化に対応するため、年金制度は定期的に改正が行われていますが、今回の改正は少子高齢化への対応、多様な働き方への対応などを背景としたものとなっており、今回の法改正を踏まえて、定年を迎えた従業員の再雇用やパート・アルバイト従業員の雇用契約の見直し、賃金や退職金制度などについての見直しなど、企業経営の面でもさまざまな対応を迫られることとなります。また、経営者自身の将来の年金受給についても、「いつから・どのように」受給するのかを改めて考える必要があるのかもしれません。今回は、企業経営にも大きな影響を与える年金法改正についてのポイントを見ていきます。2.どのような目的で、何が変わる?今回の年金制度改正は、どのような点に注目して改正が行われるのでしょうか。厚生労働省の資料によれば、「働き方や男女の差等に中立的で、ライフスタイルや家族構成等の多様化を踏まえた年金制度を構築する」「所得再分配機能の強化や私的年金制度の拡充等により高齢期における生活の安定を図る」とされており、そうした目的のもと、以下の点が改正されることとなっています。厚生年金などの被用者保険の適用拡大在職中の年金受給のルール見直し厚生年金保険等の標準報酬月額の上限の段階的引き上げ遺族年金の見直しこれらの改正によって、どのような影響や効果があるのかを考えてみると、例えば、①により、育児や介護のため短時間しか労働できない方々も社会保険制度を利用することができるようになりますし、②の改正によって高齢者層が就労を続けやすくなるとともに、企業としても、雇用形態にとらわれずに人材の確保を図ることが可能となり、労働力不足の緩和に一役買うものと見られています。また③の改正では、会社経営者など高額の賃金・報酬を受けている層について、現行の上限額を超過することにより、保険料が抑えられた結果、将来の年金額が相対的に低くなってしまうことを緩和する効果があります。では、それぞれの改正の具体的な内容はどのようになっているのでしょうか。改正のうち、企業の人事・労務管理に関連する内容について個別に見ていきます。3.年金制度改正の概要それぞれの改正の具体的な内容は以下の通りです。①短時間労働者(パート・アルバイト等)の社会保険の適用拡大【従業員数の要件・賃金額の要件の撤廃】現行制度において、要件を満たした短時間労働者(注1)を社会保険に加入させる義務があるのは、被保険者となる従業員が51名以上の事業所とされています。今回の改正では、この従業員数の要件を段階的に撤廃(注2)するとともに、賃金額の要件も撤廃されることになりました(注3)。これにより、短時間労働者は勤務先の企業規模や賃金額に関わらず社会保険に加入することとなります。【新たに社会保険の加入対象となる短時間労働者の保険料負担軽減支援】現行制度では、社会保険料の負担は労使折半が原則となっています。上記の各要件撤廃により新たに社会保険の加入対象となる短時間労働者は新たに保険料負担が発生することになりますが、これに対し、事業主の希望により、事業主の保険料負担割合を増やし、短時間労働者の保険料負担を軽減する支援策が実施されます。(期間は3年間を予定・事業主が追加負担した額は全額を国が支援)②在職中の年金受給ルールの見直し定年を迎えた後に、再雇用などにより老齢厚生年金を受給しながら就労し賃金・報酬を受ける場合、「在職老齢年金」という年金額支給調整のルールが設けられています。老齢厚生年金を受給しながら就労する場合、現行制度では賃金等と年金受給額の合計が月額51万円を超えた場合、年金支給額の一部または全部が支給停止されることになっています。このルールによる年金の支給調整を避けるため、労働日数や労働時間を短くして賃金を抑えるなど、かえって労働意欲を削いでしまう悪影響が多く見られました。こうした影響に対応し、高齢者層の就労と年金受給の両立をしやすくするため、支給調整の基準額は現行の月額51万円から62万円に引き上げが行われます。③厚生年金保険等の標準報酬月額の上限を段階的に引き上げ「標準報酬月額」とは厚生年金保険料や健康保険料を算出する際に使用する、被保険者が受け取る賃金額を一定の幅で区分した報酬月額に当てはめて決定した額のことです。現行の標準報酬月額(厚生年金)の上限額は65万円となっており、この額を上回る標準報酬月額の被保険者は、賃金額がいくら高くても65万円として保険料が計算されます。その結果、保険料が相対的に低く抑えられてしまい、それに伴って「賃金が高ければ将来の年金額受給額も多くなる」の原則から外れて、賃金額に比べて年金額が低くなってしまっています。この上限額を65万円から75万円に段階的に引き上げる(注4)ことにより、賃金が高い被保険者は、これまでよりも保険料負担が増加する可能性がある一方で、将来、年金を受給する際には現役時代の賃金に見合った年金額が受け取れるようになります。4.制度改正に伴うコスト増は避けられない今回の改正による企業経営面への影響を考えると、やはり、会社負担分の社会保険料の増加が一番に挙げられるでしょう。上記①の通り、今後は従業員数や賃金額を問わず、パート等の短時間労働者は社会保険の加入対象とされます。また、③の標準報酬月額の上限引き上げも会社負担分の社会保険料増加要因です。今回の改正内容は項目にもよりますが2026年4月から順次実施されていきます。実施までには半年余りの時間がありますので、どのように対処していくのかは早めに検討しておきたいところです。また、年金受給をしながら就労している従業員や短時間労働者に該当する従業員から、就労条件の見直しを求める声が出てくることも予想されます。また、人事制度や賃金制度をはじめとする社内制度見直しにつながる契機になるかもしれません。こうした動きに連動するコスト増は小さくない負担となるわけですが、人材の確保と定着、従業員のモチベーション向上のためにも前向きな機会と捉えて対処していきたいものです。<注釈>短時間労働者の加入要件⇒①1週間の所定労働時間が20時間以上②雇用期間が2ヶ月以上と見込まれる③賃金が月88,000円以上④学生でないこと(定時制・通信制の学生は加入対象となる)2027年10月からは36名以上、2029年10月から21名以上、2032年10月から11名以上、2035年10月から10人以下と段階実施される撤廃の時期は全国の最低賃金の引き上げ状況を見極めた上で、法律の公布から3年以内とされる賃金が上昇傾向であることを踏まえ、2026年4月に62万円に引き上げた後、2027年9月から68万円、2028年9月から71万円、2029年9月から75万円に段階的に引き上げる提供:税経システム研究所
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2025/08/28 会計レポート
中小企業が身につけておきたい原価管理の知識(25)
1.はじめに本シリーズでは、経営・会計において欠かせない原価管理の考え方を紹介します。今回は、前回に続いて、富士フイルムビジネスイノベーション株式会社(以下、同社)による原価管理の取り組み例を説明します。開発活動で行われる原価企画は商品の収益性を高めるため大きな役割が期待されているものの、前回まで見たように、プロジェクトを実行する中でのコスト変動への対応が課題になっており、実際には原価企画だけで目標原価を達成するのは難しいことがあります。目標原価が未達だった場合、生産準備・量産段階で目標の達成度を継続的にフォローすることが重要になります。以下では、生産準備・量産段階における管理の進め方を紹介します。2.生産準備・量産段階で行われる目標の達成度管理同社では、企画、基本・量産設計が完了すると、生産準備、量産へと移行します。生産準備の段階では、生産出荷商品ごとに原価の目標額(この段階では、目標額は標準原価を表しています)が設定されます。その後、量産の段階に移ると、次年度が始まる前に生産しているすべての商品を対象に予算が編成され、標準原価が見直されます。これらの商品について、標準原価を用いた目標値の達成度管理が行われます。同社では、製造している商品が多岐にわたるため、代表的な商品を対象として製造原価の大部分を占める材料費と加工費の変動状況を月ごとにモニターすることで、目標値の達成度を確認しています。部品費は、工場で作成される原価情報を記載した部品表をもとに算出されています。加工費は、工数や実績賃率(「工場の総費用÷工場の総工数」で算出される比率)を用いて目標の達成度を把握しています(注1)。また、販売管理部門からの原価改善の要求によって、改善活動が始められることもあります。その時には、開発部門が中心となり、次期の開発商品の原価企画とともに、量産段階の改善活動を行うことが多いです。現状では、同社で2005年頃より始められた量産段階での新たな原価管理が定着してきています。販売開始後に生じる価格の継続的な下落は、時として年10%を超えることもあり、その対策が課題になっています。そのため、同社の原価管理では、製造するすべての商品を原価改善の対象として位置付け、部品費、加工費、その他の製造原価に関する改善の目標額を設定して、目標達成度の管理を行っています。目標達成度の管理では、役員がリーダーとなって、開発、生産、調達、生産技術の部門が連携しながら、週ごとにPDCA(Plan-Do-Check-Act)のサイクルを回した進捗状況の把握と問題点が見られた場合の改善策の検討を行っています。このように、同社では、原価企画を実行した後のフォローアップでも、原価に関する目標と実績の差異を明確にし、その差異を埋めるための課題への対応が重視されています。そのような実践を継続することで、目標の達成、そして商品の収益性向上へとつなげられています。以上紹介した同社の事例には、中小企業で原価管理を進める時にも参考になる点があります。まず、製品ライフサイクル全体を対象とした取り組みを行うために、原価見積で用いられたコストテーブル(第19回記事を参照)、コスト変動への対応時に使用された変動メニュー表(第24回記事を参照)のように、目標の進捗状況を把握できるようにするツール、および原価管理チームなどの組織体制(第20回記事を参照)を整えることが必要です。特に、経営陣のリーダーシップは、中小企業において原価管理を継続的に行ううえで欠かせません。次に、原価管理で得た教訓を次の活動に活かせるように環境を整えることも重要です。開発から量産に移行する中で、計画時の目標額と実行時に分かった実績額との間で大きな差異が生じることがあります。大きな差異が生じる場合、そもそも計画時の想定と実態とが乖離していることが考えられますので、その原因を究明するとともに、次の開発活動に活かせるように、プロジェクトの実行で得た情報を蓄積することも重要です。例えば、同社の変動メニュー表のような一覧表を作成することで、中小企業においても、原価の目標額を設定した後の実施段階で達成度を把握して、改善策をさらに検討するという一連の取り組みを継続して進めることが可能になります。参考文献谷武幸.2022.『エッセンシャル管理会計第4版』中央経済社.吉田栄介・伊藤治文.2021.『実践Q&Aコストダウンのはなし』中央経済社.<注釈>改善の検討時には、予算上で設定された賃率を用いて進捗状況を把握することが多いです。提供:税経システム研究所
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2025/08/28 経営レポート
退職に関わるトラブル回避(第11回) 内定取消し1
【サマリー】前回は、「希望退職募集」について解説いたしました。希望退職募集は、応募者が多すぎたり、予定数に全く満たないケースもあり、また会社として必要な人材が流出し、退職してもらいたい人材が残るリスクも留意する必要があることを確認いたしました。今回は、これから入社する予定の「内定者」について、入社前であれば内定を取消しできるか否かについて考察したいと思います。1.内定取消しとは我が国においては、人材の早期確保のため、在学中に採用内定通知をしたり、さらに内定を約する内々定を出すケースも多く存在します。ところが、入社までの間に予期しない事態により倒産のリスクを抱えるに至ったり、採用計画通りに進まなくなってしまった場合など、企業が内定を取消すケースがあります。このように、企業が内定者に対し出した採用内定を、その後一方的に撤回することを、一般的に「内定取消し」といっています。内定とは、法的には「始期付解約権留保付労働契約」として位置づけられ、最高裁(大日本印刷事件、電電公社近畿電通局事件)も、入社予定日を始期とし、内定から入社までの期間においては企業側に一定の解約権が認められるとしています。この契約形態が成立するためには、①内定通知以外に労働契約締結の特別な意思表示がないこと、②内定者が他の就職機会を放棄していることが重要です。複数内定を受けている場合や「滑り止め」内定などでは、労働契約の成立性が否定されることもあります。2.内定取消しの法的制約内定を出した時点で、一定の労働契約が成立するため、企業側が内定を取消すためには正当な理由が求められます。裁判所は以下のように要件を定義しています。「採用内定当時に企業が知ることができず、かつ知ることが期待できないような事実であり、それが合理的で、社会通念上相当と認められる場合に限り、内定の取消しが許容される。」このため、企業側の一方的な都合での取消しは原則として違法とされ、慎重な判断が必要です。3.内定取消しが認められる主な事由内定取消しが認められるのは、次のような事由が考えられます。卒業できなかった場合大学や専門学校などの卒業が内定条件となっている場合、卒業できなければ入社資格を満たさず、労働契約の前提が崩れるため、内定の取消しが認められます。健康上の重大な問題がある場合健康診断などにより、就業に重大な支障をきたす病気や障害が判明した場合、企業は業務遂行能力に基づき内定を取消すことができます。ただし、治療や配慮により就業可能な場合には慎重な判断が求められます。履歴書や申告内容に虚偽があった場合経歴や学歴、資格等について虚偽の申告が判明した場合は、信用性を損なう重大な背信行為とみなされ、内定取消しの合理的理由とされます。内定通知書・誓約書に記載された条件に違反した場合通知書や誓約書に記載された内定条件(例:違法行為を行わない、反社会的勢力と関係を持たない等)に違反した場合、企業の信頼を損ねる行為として取消しが可能となります。刑事事件を起こした場合内定後に刑事事件を起こした場合は、企業の社会的信用や業務運営に支障を来す恐れがあるため、内定取消しが裁判上も認められています。経営難による整理解雇に準ずる場合企業の経営状況が悪化し、やむを得ず人員削減を行う場合には、整理解雇の4要件(①人員削減の必要性、②解雇回避努力、③人選の合理性、④手続の妥当性)を満たすことで内定取消しも許容される場合があります。この際、在職社員よりも先に内定者の取消しを行うことには合理性があるとされています。したがって、経営状況の悪化に伴い人員整理が避けられない場合には、まず社内での経費削減などの対策を講じ、そのうえで内定者に対しても一定の補償案を提示し、誠実に協議を行うといった、一方的な内定取消しを避けるための努力を行うことが求められます。そうした対応を経てもなお合意が得られない場合に限って、内定の取消しが認められる余地があります。なお、整理解雇に関する判断基準の一つである「被解雇者の選定基準の合理性」に関しては、実際に雇用されている従業員ではなく、内定者に対して適用されることになります。この点について、インフォミックス事件(東京地裁判決平成9年10月31日)では、「すでに勤務している社員を対象とするのではなく、採用内定者を選定して内定を取消したとしても、特段に不合理とはいえない」と判断されています。すなわち、就労している社員を解雇するのではなく、内定者の採用を取消すという判断自体に、不合理性は認められないとされています。そもそも内定が成立していない場合労働条件の明示や合意がなく、正式な労働契約が成立していない段階(内々定など)であれば、企業は採用を見送る決定を行っても直ちに違法とはなりません。たとえば、最終面接の場で人事部長が「入社日は〇月〇日にしよう」と発言しただけでは、法的には内定が成立したとは認められず、その後に不採用としたことも違法とはされなかったケース(東京地裁判決平成23年11月16日)や、最終面接後に面接担当者が応募者へ電話で「採用したいので、翌日から出社してほしい」と伝えたものの、応募者が「翌日は出社できないので、出社可能な日を確認して連絡する」と返答し、その後何の連絡もなかった場合について、裁判所は内定が成立したとは認められないと判断したケース(東京地裁判決平成19年4月24日)があります。4.内定取消しの実務上の課題内定取消しは法的に可能な場合であっても、実務的には非常に慎重な対応が求められます。理由や対象者によっては社会的批判や訴訟リスク、企業イメージの毀損など、深刻な影響を及ぼす可能性があります。精神疾患や妊娠の場合精神疾患の場合、診断や就労可能性の予測が難しいため、内定取消しの正当性を判断するには慎重な医学的判断と法的検討が必要です。妊娠を理由とする内定取消しは、労働基準法上の労働者に該当しない内定者であっても、男女雇用機会均等法や育児介護休業法の趣旨から不当な差別的取扱いとみなされるリスクが高く、回避すべきです。内々定の取消し内々定の段階では法的に労働契約が成立していないとされるのが通例であり、取消し自体は違法とは限りません。しかし、求職者に対して労働契約の締結に強い期待を持たせていた場合には、信義則違反や不法行為責任が問われる可能性があります。実際、損害賠償が認められた判例も存在します(福岡地裁判決平成22年6月2日)。高卒者の内定取消し高卒採用は「一人一社制」が原則とされ、内定を取消した場合には翌年度以降の推薦枠が失われるなど、学校や公共職業安定所との信頼関係が損なわれます。大卒者以上に慎重な対応が求められる実務領域です。行政への報告義務と企業名公表のリスク内定取消しを複数年連続して行うなど、一定の基準を満たした場合には、企業名が厚生労働大臣により公表※される可能性があります(職業安定法施行規則17条の4)。企業の評判や採用活動への影響が大きく、安易な取消しは避けるべきです。また、新卒者の内定取消しについては、ハローワークに事前に通知することが義務付けられています(職業安定法施行規則第35条2項)。少しでも内定取り消しになるような事態を避けるためには、以下のような方策が考えられます。5.コロナ禍における内定取消しの実情新型コロナウイルスの感染拡大により、企業業績が悪化し、2020年~2021年の卒業生を中心に内定取消しが急増しました。実際、2020年3月卒業生では211件、2021年卒では136件の内定取消しが報告され、その多くがコロナ禍の影響によるものでした。ただし、経営難を理由にした内定取消しであっても、整理解雇の4要件を満たさない限り、正当とされない可能性があり、企業側の丁寧な対応が不可欠です。特に、内定者への事前説明、同意取得の努力、補償金提示といった対応が不十分な場合、違法性が問われるリスクが高まります。6.試用期間中の本採用拒否内定から入社に至る間だけでなく、入社後の試用期間中も「解雇権留保付き労働契約」と解されています。判例によれば、試用期間中の労働者を本採用しない場合、その判断は個々の契約内容に依存するものであることに注意を促しつつ、基本的には「解約権留保付き労働契約」として取り扱う考え方が確立されています。この留保解約権の行使は、通常の解雇よりも広く認められるものの、その理由として認められるのは、採用の時点では把握できなかった事実であり、そのうえで解約権の趣旨や目的に照らして、客観的に合理性があり、かつ社会常識に照らして相当と認められる場合に限られます。また、本採用を見送る(すなわち留保解約権を行使する)タイミングについては、契約書に「試用期間は6か月とし、終了後に正社員として登用する」「試用期間終了までに解雇できる」といった条項がある場合、それは「試用期間満了時に解雇できる権利がある」との趣旨であると解釈された例もあります。実務上は、期間の途中で本採用を拒否する可能性もあることを踏まえ、就業規則に「試用期間中であっても本採用を拒否することがある」といった文言を明記しておくことが望まれます。中途採用における試用期間の法的な扱いについては、新卒採用の場合と同様に考えられるものの、中途採用者の場合は、業務遂行能力や職務への適性に対する判断がより厳格となり、その結果、解約権の適用範囲も相対的に広くなります。また、試用を目的として契約期間を設定した場合においても、最高裁は「当該期間の満了により労働契約が終了するとの明確な合意があるなど、特別な事情がない限り、その契約は無期契約の試用期間として扱われる」と判断しています。実務上の留意点として、採用するかどうかに迷いがある場合に、ひとまず正社員として登用して様子を見るという対応は避けるべきです。なぜなら、試用期間中であれば本採用後よりも広い範囲で解約権の行使が認められているため、判断に迷う場合は、まず試用期間中の段階で解約権の行使を検討するのが適切です。7.まとめ内定取消しは、企業がやむを得ない事情を抱える場合であっても、法的・社会的なハードルが高く、慎重な判断が求められます。特に、契約が成立している場合は、社会通念上の相当性と合理的理由がなければ取消しは無効とされ、損害賠償請求の対象にもなり得ます。企業にとって重要なのは、取消しを回避する努力を最大限行うこと、取消しが不可避な場合は、事前の明示、説明責任の履行、誠意ある補償・対応を行うことです。これにより、トラブルや信頼毀損のリスクを最小限に抑えることができます。また、内々定の段階でも求職者に期待を抱かせる行為は慎重に行い、採用の意思決定過程を見直すことが望まれます。次回は内定取消しに関する裁判例について解説いたします。提供:税経システム研究所
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関連項目 経営レポート,人事労務管理
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